第7章―6
コーヒーとキティ用の水が置かれると、若干だけ事務的な雰囲気が生まれたようだった。二人と一匹は黙ってそれを飲み、たまに紙へ目を向けた。
「で、あなたはどう考えてるの?」
「うーん、まあ、ごく普通に考えれば、これは脅迫状と同じ人間がつくったものなんだろう。そいつはたぶん年寄りで、近所に住んでるはずだ。馬鹿でないのは確かだが、けっして利口とはいえない男で、金への執着も感じられる。それに、几帳面な性格だ。――ああ、あと、きっと独り者で、結婚をしたこともないように思えるな」
カンナは首を突き出した。頬は奇妙に歪んでる。
「どうした?」
「ううん、どうしてそう思ったのかわからなくて。ね、この紙だけでそこまでわかるの?」
彼は口許をゆるめた。ふんぞり返りたい気分になったものの、その程度で済ませたわけだ。
「当たってるかわからないけど、たとえば年寄りだってのは使ってる言葉でわかる。ほら、脅迫状にも『月夜の晩ばかりじゃない』って書いてあったろ? あれもそうだし、この紙にも『不届き者』だの『嘯いて』だの書いてある。こんなの若い奴が使うわけもない。っていうか、きっと読めもしないよ。また、それによって馬鹿じゃないのはわかる。ただ、これを主に読ませたかった相手はその若い連中――まあ、大学生だったわけだ。それを考えると利口でないのもわかる。相手に通用しにくい言葉を並べてるんだからな。これじゃ、伝えたいことの半分も伝わらないよ。だって、読めないんだからな」
「ふうん。じゃ、お金への執着ってのは? それに、結婚したことがないっては?」
「前にも言ったけど、そいつの目的は俺たちの店を潰すことだと思うんだ。だけど、その割りには金の話題が多すぎる。『なんと三十五万!』だの『高額な金を搾り取った』だのってな。これじゃ、『あそこは高いからやめときな』って思える内容だ。でも、ほんとうに伝えたいのはそうじゃないはずだ。あの占い師はインチキだからって話にしたかったはずなんだよ。ただ、金の話をどうしても入れたくなったんだろう。それは書いた本人に金への執着があるからだと思う。あと、結婚したことがないってのは――」
そこまで言うと彼は額に指を添えた。
「ってのは?」
「いや、これはちょっと言いづらいんだけど、君のことをああだこうだ書いてたろ? あれはちょっと、――というか、かなり気持ち悪い内容だった。ああいうのを書くのはずっと独り者だったからだと思ったんだよ。それと同時に、男だというのも確からしく思える。ま、女にだって書けるだろうけど、あの文章はそういう男の妄想に思える」
「なるほどね」
「それに、几帳面なのは脅迫状のつくりにもあらわれていた。今回の馬鹿げたビラも丁寧につくりこんであったろ? ま、馬鹿じゃないけど利口でもない、根は生真面目な老人の仕事なんじゃないかな」
「ふうん。だけど、なんでビラなんだろ。もっと他にやり方あるじゃない。ネットに悪口書き込みまくるとか。――あ、それも年寄りだから?」
「そうかもしれないけど、それだけじゃないんだろうな。それに、ネットに書いたところで俺たちは有名人でもないんだから、さほどの意味はないだろ? で、ビラにしたんだ。しかし、」
彼は突然眉をひそめた。思いついたことがあったのだけど、ここで言うべき内容ではなかったのだ。
「しかし、なに?」
「――ん? ああ、ビラにしなければならない理由は見当たらないな。考えてもみろよ、印刷して、そこに両面テープをつけて、夜中――まあ、きっと夜中にした仕事だろ? この辺は東京の田舎といってもいいけど、日中にこんなのを貼るわきゃないもんな。で、そこまで準備して、こういったもんを貼って回ったわけだ。三十枚以上も」
「うん」
「誰かに見られるリスクを冒してまでそこまでやるってなると、そこには別の意味があるのかもしれない。紙でなきゃならなかった理由がな」
「その理由は?」
「わからない」
「わからないの?」
「わからないよ。わかりっこない」
「じゃあ、その爺さんはなんで私たちの店を潰そうとしてるの? この前言ってたけど、同業者で逆恨みしてるから?」
「そうかもしれないけど、この辺の占い師に爺さんはいない。男も一人だけだし、まだ四十代なんだ。俺の考えには合致しない」
カンナは腕を組み、荒く息を吐き散らした。
「一応は調べてたってことね。同業者については」
「まあな。でも、これが出てきて、さらにわけがわからなくなった。脅迫状やビラが指し示してる人物像とこの辺の占い師には乖離がある」
「この辺にいない占い師だったら? ちょっと遠いとこに住んでる場合だってあるんじゃないの?」
「まあ、そうだけど、そうなるとここまで詳しいのが妙だ。きっと、そいつは近くにいるはずなんだよ。俺たちをずっと見てるんだ。だから、音大の周りにこれを貼った。あそこの学生がよく来てるのも知ってるんだ」
吐き出される息はさらに荒くなった。目も次第につり上がっていく。
「じゃ、その気持ち悪いジジイは占い師じゃないってことなんでしょ! だったら、いったいどこのジジイなのよ!」
「だから、まだわからないんだって」
「そんなの占いでちょこちょこっと見ちゃえばいいでしょうよ! なんでもお見通しの蓮實先生なんだから!」
「そう簡単に言うなよ。だいいち俺は物からなにか見たりできない。これだけじゃわかりっこないんだ」
「けっきょくなにもわかってないのと一緒じゃない! さっきはあんな偉そうに言ってたクセに!」
別にそこまで偉そうにしてたつもりもないけど――そう思いながら、彼は首を引いた。カンナは身を乗り出してる。
「で、どうするの?」
「そうだなぁ、警察に相談するしかないかもな」
「オマワリに頼むっていうの?」
彼は怒りに歪んだ顔を見つめた。は? オマワリ? 今そう言ったよな? こいつ、警察となんかトラブったりしたのか? いや、そんなの見てないけどな。
「オマワリなんかに頼んだところでなにもならないわよ! どうせ、『はい、はい』って言われて終わりになっちゃうわ!」
「じゃ、どうすりゃいいってんだ?」
「自分でなんとかしなさいよ! どんな手を使ってでも、そのジジイを見つけ出すの!」
顔を拭い(唾が吹きかかってきたのだ)、彼はソファに背中を埋めた。
「それで、もし見つかったらどうするつもりなんだ?」
「決まってるじゃない! ギッタギタのボッロボロにしてやるわ! もう二度とこんなの書けない身体にしてやるのよ!」
叫び声が余韻を残して消え去ると彼は額に指を添えた。――なんか探したくなくなってきたな。そう思ってる。




