第7章―3
翌る日にやって来た千春はガラス戸を開けるなりこう言った。
「脅迫状が届いたってほんと? どんな感じなの? ね、私にも見せてよ」
蓮實淳は口をあけたまま固まってしまった。カンナは奥で肩をすくめてる。
「見せるのはいいけど、」
抽斗から取り出し、彼は無造作に渡した。
「なんか勘違いしてないか?」
「勘違い? なにが?」
ふむふむと読み、千春は口許をゆるめた。
「ふうん。まったくもって本物ね。こんなの初めて見たわ」
「っていうか、楽しんでるんじゃないよな?」
「もちろん楽しんでるわよ。新聞でつくった脅迫状なんて二時間ドラマみたいじゃない。あなた、好きだったでしょ。仕事がないとき、よく見てたじゃない。早乙女美紗子主演の、あれ? なんてったっけ? ――ええと、そう、『如月夕美子シリーズ』だったわね。そういえば、あの女優さんってこの近くに住んでたのよね」
別に好きで見てたんじゃない。暇すぎただけだ。そう思いながら彼は椅子にもたれかかった。千春は白いポロシャツに濃いブルーのほっそりしたパンツといった格好だった。いつものようにシックに決めて、これまた相変わらず人の思惑には無頓着なわけだ。
「それ知ってる。女医さんなんだけど、なぜか探偵っぽいことしちゃうのよね。私もこっちに来てから再放送で見たわ。二時間ドラマって、無職の人間には定番だもの」
手渡された《オッジ》の袋を覗きつつ、カンナは半笑いの声をあげている。やけっぱちになっていたのだ。それに、落ち着かない気分になってもいた。はっきり認識できないものの、見馴れた景色や聞き馴れた声にどこかしら違和感がある。そういう感じだ。
「あれってけっこう楽しめるわよね。ほら、お饅頭を食べてるときなんかに事件のヒントを思いついたりするのよ。『餡子には塩味が必要? ということは――』みたいな感じに」
「わかるわ、カンナちゃん。事件が煮詰まってくると、なぜかホームドラマっぽいシーンが挟まれるのよね。『文彦さん、もう一度言って。いまスーパーの特売がどうのって言ってたでしょ』とか」
っていうか、お前たちの方が詳しいじゃねえか。彼は脅迫状を摘まみ上げ、弱く息を吐いた。二時間ドラマ談義はつづいてる。
「あと、よくあるパターンは『二十年前の悲劇』ね。それが今の事件に関係してるの。商売してた実家が潰されたとかで復讐するのよ。ほんとは兄弟なのに、それを隠してたりして」
「あるある。えっ、この二人、実は兄弟だったの? みたいなやつでしょ。生き別れとかになってるのよね。養護施設で育ってるから名前も違ってて、最初はわからないのよ」
そこまで話すと二人は顔を向けてきた。千春は半ば呆れてる。――ほんと、この男はいったん不安になると、ずるずる落ち込んでいくんだから。
「ねえ、いつまでそんなの見てるのよ。じっと見てたらわかることでもあるの?」
「ん、そうじゃないけどさ」
「でも、気になっちゃうんでしょ? だけど、考えたってわからないものはしょうがないじゃない」
「まあ、そうだけどさ。うーん、いったい誰がこんなもん寄越したんだろ」
ハーブティを注ぎながら、カンナは瞳を上げた。今の声で感じていたものの正体がわかったのだ。この人は千春ちゃんの前だと思いっきり甘えん坊になる。私には見せないとこを見せてる――というのがそれだ。
「はい。お茶も淹れたから食べましょうよ。せっかく千春ちゃんが落ち込んでるあなたの為にって、美味しいもの買ってきてくれたんだから」
千春は細めた目を向けた。なに? 今の言い方は。ちょっと、――ううん、かなり当てつけがましく聞こえたんだけど。
「そうよ。きっとカンナちゃんだって、こういうときにいいハーブティを淹れてくれたんでしょうから、食べちゃいましょう」
そう言いあって、二人はふたたび顔を向けた。彼はまだ脅迫状を見つめてる。ほんと頭痛くなってくるわ――これは二人ともに得た感想だ。
「そうそう、あのドラマって、決め台詞っぽいのがあったじゃない?」
つとめて明るい声を出すことで千春は悪くなった空気を薄めようとした。まあ、二時間ドラマの話でそうなるかわからないものの、行きがかり上そうなってしまったのだ。
「ああ、あったわね。あれ? どういうんだっけ」
カンナにも意図がわかった。気になることは多々あるものの、ここはこの男に立ち直ってもらうしかない。じゃないと、マンションに帰ってから気まずいものね。
「ほら、十時十五分くらいに言うやつよ。――ええと、なんだっけ? 『待って』とかそういう感じなんだけど」
「うん、そうだったわね。あのドラマって子供のときにやってたから、男子がよく真似してたわ。でも、どんなだったっけ?」
紙を放ると蓮實淳はうなずいてみせた。
「『ちょっと待って!』ってやつだろ? 『ちょっと待って! 今、この辺りまで出てるのよ!』ってつづくんだ。これはウンコしたくなったときの古典的なギャグだ。尻を押さえながらやるんだよ」
二人は首を振っている。なんだよ、こたえたらこうなるってのはどういうわけだ? そう思いながら、彼はハーブティを飲んだ。
ただ、彼も思い悩んでるばかりではなかった。猫たちに頼んで近隣の占い師について調べてもらっていたし、店へ近づいた者の洗い出しもしていた。
「泉川扇宗にはオチョが張りついてるよ。星野キラリ――って馬鹿な名前の女のとこにはクロが行ってる。サマンサ山田にもゴンザレスがついてるし、島村ヨハンナにはオルフェだね」
「ありがとう。それで、なにかわかったりしたのか?」
蓮實淳はソファに横たわってる。キティは肢先を丁寧に舐めていた。
「いや、とくになにもないみたいだね。オチョはなにか言ってたけど、あんたのとは関係無いようだし」
「ふむ、そうか。で、ここに近づいた奴もわからないか?」
「まだわからないね。ここら辺を歩いてた子はいるけど、郵便屋以外で近づいたのはいないみたいだ。――ま、もうちょっと調べるから待ってるんだね」
起き直り、彼は額に指を添えた。雨の音がする。激しい雨だ。
「そういや、あれはどうなったんだ?」
「あれ? あれってなんだい」
「ほら、だいぶ前だけど、ウサギが殺されたって言ってたろ」
「ああ――」
ヒゲはぴんと張った。目も大きくひらいてる。
「気にしてくれてたんかい?」
「まあね。こうやって頼むことがあると気にもなる」
「あれは一回こっきりで終わったみたいだね。ああいうのはつづくもんだけど、あれっきりのようだよ。ま、あの辺には近づくなって言ってあるから、どうなってるかわからないけどね」
「そうか。とりあえずは一安心ってとこかな。でも、くれぐれも気をつけてくれよ。みんなにもそう言っといてくれ。それに、顔を出すようにもってな。美味いメシを用意してるからって」
「わかった。言っとくよ」
キティは目を細めた。尻尾は微かに揺れている。――ほんと不安そうな顔してるよ。強気にみせてるけど、手に取るようにわかる。
「ん? どうした?」
「いや、なんかわかったら、また来るよ。それまではくよくよ考えずにいるんだね。わかったかい?」
「ああ、わかった」
顔を見上げ、キティは尻尾を大きく回すようにした。大丈夫、アタシがなんとかしてやるからね――そう思ったのだ。




