第6章―5
とは思いつつもカンナは求められたすべてを完璧にこなした。まあ、祈りのダンスは考えられないくらいダサいものだったけど(蓮實淳は唇を噛むことで笑いを堪えつづけた)、『エクソシスト特集』を見ていたおかげか悪霊役は様になっていた。髪を振りまわし、罵声を吐き(カンナの念頭にはなぜか千春の顔が浮かんでいた)、瞳を寄せて睨みつけた。
蛭子家の面々はその様子を見守っていた。蓮實淳は慎太郎さえ騙せれば成功と思っていたし、実際にもその顔は青ざめ、口も半開きになっていった。あとの二人は表情を硬くしていた。ただ、嘉江は頬をわからない程度に歪めてみせた。
「エイッ!」
抵抗する悪霊をなんとか押さえつけ、彼は浮きあがった汗を拭った。
「カンナ?」
「――ん? えっ、私、」
抱きかかえられたカンナは苦しそうに息を吐きつつ、きょとんとした顔をつくった。
「どうしちゃったの?」
「もう大丈夫だ。終わったんだよ。これでこの家に潜む悪霊はいなくなった」
彼は三人を見つめた。ゆかりはぼうっとした表情に複雑なものをつけ足してる。嘉江はまだ頬を歪めていて、慎太郎も口を閉じきることができないようだった。
「ほ、ほんとうに、悪霊がいたってことですか? そいつがあんな悪戯を?」
「そうですよ、ご主人。奥さんの霊感は本物です。もっと信じてあげて下さい。しかし、この家にいた悪霊は祓いきったし、結界も張っておきました。今後こういうことは起こらないでしょう」
「母さん、聴いたかい? ゆかりの言ってたのは本当だって」
「ええ、どうもそうらしいね」
そう言うと、嘉江は深々と頭を下げた。ゆかりは顎を震わしてる。
「ゆかりさん、疑ったりしてごめんなさい。こちらの先生に言われてわかったんですよ。これからはもっとお互いに話しましょう。私たち話さなければならないことが沢山あるようだから」
は? とカンナは思った。なんなの? いったいどうしちゃったっていうのよ。さっきまであんなだったのに。――えっ、もしかして、このお婆さんにはほんとに悪霊が憑いてたってこと?
「それにね、今週は久しぶりに水天宮様へお参りしてきましょ。私たちも一緒に行くから、――ほら、どうしたのよ、そんな顔して。そうそう、《初音》にも行きましょうよ。あなた、あそこの餡蜜大好きだったでしょう?」
いやいや、どうかしてるのはあんたの方でしょ。カンナは寒気がするようだった。――ん? インチキすると見せかけて私まで騙したってこと? でも、どうして? ああ、ほんとのこと言ったら手を貸さないと思ったのかも。
混迷を深めるカンナの思考は突然断ち切られた。金切り声が響き渡ったのだ。
「違うんです!」
膝立ちになったゆかりは両手を首に添え、涙を流してる。
「違います! そうじゃないんです!」
カンナは目をつむった。――なんかもういいや。わからないことを考えたってしょうがない。これは先生の領域だものね。
「なにも違わないんですよ。私は悪霊を追い祓ったんです」
「いいえ! いいえ! それは違うんです!」
「ゆかりさん、聴いて下さい。この家には確かに悪霊がいた。二体の悪霊がね。でも、それは終わったことなんです。あなたに霊感があっても、それを見ることはもうないでしょう。いいですか? 私はなんでもお見通しの占い師です。その私が祓ったんです」
「それはそうなんでしょう。だけど、」
「だけどじゃありません。ゆかりさん、これからは家族の方たちとしっかり関わっていけるし、そうしなければならないんですよ。今までは難しかったかもしれないけど、今日のこの時間からは可能になったはずです。――違いますか?」
微笑みかけられると、ゆかりは崩れるように座り込んだ。嘉江と慎太郎は丸まった背中を擦るようにしている。しばらく眺めていた蓮實淳は顔をそむけ、大声を出した。
「だから、ゆかりさん、こんなのは全部剥がしちゃいましょう」
ベリッと音がした。それからもベリッ、ベリッと音がする。手当たり次第に御札を剥がしまくっているのだ。カンナはまたしても、は? と思った。
「ちょっ、ちょっと、そんなことしていいの?」
混迷はふたたび渦を巻きはじめた。なにがなんだかわからない。悪霊はほんとうにいたのか? いたとしたら、それを祓うのに私はどんな役割を果たしたのか? それに、なんとなく丸く収まったようだけど、御札を剥がしちゃってもいいの? とも思った。まだどこかに悪霊がいて、この人に襲いかかったりしないだろうか?
「いいんだよ。こんなのに意味はない。――っと、これもだな」
一通り家の中を歩きまわり、彼は座卓に放った。そして、鼻に指をあて目を閉じた。
「ああ、そうだった」
指先はゆかりに向けられている。顔は笑み崩れていた。
「もうひとつだけ言っておくことがありました。ゆかりさん、こんなのを貼る時間があるなら、きちんと掃除をしましょう。お庭はお義母さんが綺麗にされてるんでしょう? 見習うべきは見習って、きちんと生活をたてなおすんです。それに、外部の力に頼りすぎないのも肝要ですよ。私たちは良い方の占い師だが、中にはたちの悪いのもいます。それこそインチキなのがね。――わかりました?」
ぼうっとしていたものの、ゆかりは姿勢を正した。それから、蓮實淳を見つめ、薄く笑った。
「――はい。以降は気をつけます」




