第6章―4
庭に出た蓮實淳は伸びをしたまま固まってしまった。さっき捉えた違和感がぶり返してきたのだ。
「って、なにしてんの? まさかあなたまで取り憑かれちゃったんじゃないでしょうね」
走り寄ってきたカンナは頬を膨らませている。彼はゆっくり腕をおろした。
「そっちこそなんだよ。どうしたんだ?」
「だって、大変だったのよ。なにしゃべっても反応薄いし、ほんと悪霊が憑いてるとしか思えないわ」
客間を覗くと、これまでの時間が嘘だったように慎太郎とゆかりはぼうっとしてる。カンナも同じ方を眺め、肩をすくめた。
「で、どうかした? なんで変な格好のまま固まってたのよ」
「ああ、ちょっと変だったっていうかさ、ほら、接客してっとたまにあるだろ? 妙な空気感になるってのが」
手を後ろに組みつつ、カンナは顔をあげた。風が出てきたようで庭木は葉をざわつかせている。
「まあ、そういうのわからないでもないけど、もうちょっと具体的に言ってよ」
「なんていうかな、――そう、携帯屋のときよくあったんだけどさ、必要な質問にちゃんとこたえない奴が訊いてないことをべらべらしゃべるって感じかな。ああ、こいつはすぐ解約する気だなってわかるんだよ。そういう感じだ」
「そういう感じって、どういう感じよ。わからないわ」
「わからないか? えっと、そうだな、どこかしら嘘が混じってるように思えたんだよ。あの婆さんはただでさえ隠し事が多いんだ。その割にはこう――」
額に指を添え、彼は黙った。カンナはまだ理解し難そうな顔つきをしてる。
「いや、とりあえずこれは脇に置いとこう。気にするほどのことじゃないかもしれないしな」
「それで、あっちの方はどうなったのよ。悪霊の方は」
「ん、そっちは九割がた解決したよ。ただな、」
「ただ? ただ、なに?」
鼻に指をあてながら彼は歩き出した。カンナもついてまわり、たまに離れを見てる。――うん、なんだか私にもわかるような気がしてきた。あそこにいそう。それこそ空気感が悪いもの。
「ね、いたんでしょ。やっぱりそうだったのね。あのお婆さんに取り憑いてたんでしょ。で、なんかした? 戦ったりしたの? お婆さんは緑色の塊を吐き出したりした?」
ほんと、うるさいな。歩きまわりつつ彼はどう決着させるべきか考えてる。――うーん、どうすりゃいいんだ?
「あのな、俺は考え中なの。そう横で、」
上目遣いに近づき、カンナは腕をきつくつかんできた。はいはい、怖いんだろ? それはよくわかったって。どうせ、『エクソシスト特集』とやらを思い出して恐怖の上書きしてんだよな? だったら、そんなの見なきゃいいのに。――ん? ちょっと待てよ。そうか、そういうのもありだな。
「なあ、カンナ」
「はい?」
「さっき、『エクソシスト特集』がどうのって言ってたよな? それ、ちゃんと見たのか?」
「うん、見たけど、それが?」
ふたたび鼻に指をあて、彼は目をつむった。この無駄にこんがらがった問題を解決するのにうってつけの方法を思いついたのだ。これなら暗い話ばかり聴かされてうんざりしてたのも吹っ切れるし、軟着陸できるはずだ。ほんと俺って天才だな。
「カンナ、なんか適当に踊ったりできるか?」
「踊る? なんの話よ、それ」
「ほら、ここに来るとき話してたろ? 祈りのダンスだよ」
「ああ――、でも、それは冗談だって言ってたじゃない」
首を引き、カンナは口をすぼめてる。――なにニヤニヤしてんのよ、私がこんなに怖がってるってのに。
「いや、実は冗談じゃないんだ。踊ってもらう必要がある」
「踊ってもらう必要? それって、どんな必要よ」
客間の方を見て、彼は小声になった。
「いいか? さっきも言ったけど、この問題は九割がた解決したんだ。あとはパッパッと祓っちまえば終わりってわけさ」
「うんうん、そうなのね」
「そうなんだ。俺の力をもってすれば、この程度の悪霊なんてすぐ祓える。ただ、ちょっとだけ懸念材料もあるんだ」
っていうか、キツくつかみ過ぎだって。固く握られた腕を見つめ、彼は口を覆った。笑いたくなったのを隠したのだけど、カンナはそう思わない。――え? 懸念材料ってなによ。そう思ってるのだ。
「で?」
「ん? ああ、あまり簡単に終わっちまうとつまらないだろ? なんだ、その、――うん、納得感ってのが薄くなっちまうんだよ」
「よくわからないわ。どういうこと?」
「だからさ、俺の力が強すぎて悪霊はあっという間にいなくなるんだ。でも、それじゃ祓われた方は納得できない可能性もある。儀式的なことが必要なんだよ」
「ああ、なるほど。なんとなくわかってきた」
「だから、君は踊らなきゃならない。それに悪霊に取り憑かれる必要もある」
「はあ? なんで私が取り憑かれなきゃならないのよ」
「しっ、声がでかいよ」
彼もカンナの腕をつかんだ。二人はそうして――絡みあうようにして――庭の端へ向かっていった。
「そこは真似でいいんだ。いいか? 君は『エクソシスト特集』を見てる。それを思い出すんだ。ひどい剣幕で怒りまくる真似して、取り憑かれたって思わせるんだ。そしたら、俺がエイッて背中を叩く。そういうのもやってたんだろ?」
「うん、やってたけど。――ね、ってことはインチキなの?」
「いや、インチキじゃない。だって、悪霊はいなくなるんだ。これはそうだな、ほれ、猫頭の像と一緒だ。わかりやすい仕掛けがあった方がいいって言ったのは君じゃないか」
そう言われるとカンナは承服せざるを得なかった。それに、絡まりあってるのにも気づいた。――えっ、やだ。私たちどんなことになっちゃってるの?
「どうだ? できそうか?」
「え? うん、必要なら」
顔は至近にある。囁かれるたび息がかかりもした。そっと振り返り、カンナは客間を見た。イチャイチャしてるって思われてないわよね?
「必要なんだよ。ってことで、練習だ。そうだな、『ふはははは! そうだ! 俺はこの家に憑く悪霊だ!』って言ってみ。太い声を出すんだぞ」
一瞬にしてカンナは冷めた。絡まりあったのを解きはしなかったけど、頻りに瞬きしてる。
「ほら、言えって。ま、『エクソシスト特集』を見てるのは君だからな。もっといい台詞があるなら、それは任せるよ」
もっといい台詞ってなによ。そう思いはしたものの、カンナは野太い声を出した。
「ふはははは! そうだ! 俺はこの家に憑く悪霊だ!」
「おっ、いいぞ。そういう感じだ。カンナ、そっち系の才能あるな」
そんな才能なんて要らない。っていうか、それってどんな才能? 呆れつつある耳許には段取りが叩きこまれていった。まずは踊る。――踊る? ほんと馬鹿げてる。それから、その場にへたり込む。そこで彼が呪文っぽいのを唱える。すると態度が急に変わる。で、さっきの台詞という流れだ。――まったく、うんざりすることこの上ないわ。




