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失踪する猫  作者: 佐藤清春
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第6章―3


 彼は鼻に指をあてた。外では鳩が鳴いている。ホウ、ホウとひそやかな声だ。


「ある日突然庭石に生ゴミが置かれるようになった。誰かの悪戯いたずらだろうと考えていたが、そうじゃないようにも思えてきた。定期的に置かれるし、投げ入れるのは不可能だからです。あなたはじきに気づきましたね? 誰がしてるのか」


 表情からは憎悪ぞうおが薄れつつあるようだった。蓮實淳はしゃがみ込み、ほほをゆるめた。


「あなたはしばらく様子を見ることにした。どうしてそんなことをはじめたか心当たりもあったんでしょう。もしかしたら教員時代に似たような経験があったのかもしれませんね。ほら、よく子供がするでしょう? かまって欲しくて馬鹿なことをするってのはあることだと思いますよ」


 よしは指先をみはじめた。細かくうなずいてもいる。


「ほんとに。いかにも子供のしそうなことですよね」


「そう思います。ただ、それはエスカレートしていった。そのうち占い師や霊能力者がやって来るようにもなった。そして、あなたは悪霊という言葉を久しぶりに聴いた。そこで、どうしたか? 自分も同じようにしたんです」


 蓮實淳は立ちあがり、ぶつだんの前に立った。線香のけむりはえいを見えにくくしている。


「私が? なんで私がそんなことをしなきゃならないんです」


「これは想像です。なんでもお見通しといっても、人の考えまでは見えないのでね。ただ、こう思うんですよ。あなたはやめさせたかったけど、その方法がわからなかった。それに、さきほども言いましたが動機に心当たりもあったんでしょう。ゆかりさんは子供ができないのを気にんでいる。ずっとにんりょうしてるし、だからさずけてくれるという神社にも行きつづけている。ただ、すこし前から、ご家族があまり協力的でなくなった。まあ、すくなくともゆかりさんはそう思うようになった」


 彼は首を曲げた。嘉江はうつむいている。


「ゆかりさんは追いめられていた。さみしくもあったんでしょう。それで、あんな馬鹿なことをはじめた。あなたはあきれただろうし、腹を立てもしたが、気持ちだけは理解できた。――あと、これも想像に過ぎませんが、ゆかりさんはしんろうさんに心配してもらいたかったんでしょう。子供をつくるのは一人じゃできませんからね。どういう落とし所を考えていたかもわかりっこないが、心配してもらい、――その、夫婦()ごううながそうとした」


 顔をあげると嘉江は口のはしを歪めた。背中は丸まっている。


「ま、あれが起こってから慎太郎がづかうようになったのは確かですよ。おびえた妻を守ろうとでも思ったのか、以前より早く帰るようにもなりましたしね」


「なるほど。そういう意味では良い部分もあったわけですね。あなたは腹を立てつつもその協力をしてあげたわけだ」


「ちょっと待って下さい。私がしたことになってるようですが、生ゴミはどこから来たんです? 料理はすべてゆかりがしています。私はどこからそれを手に入れたと?」


 ふたたびしゃがみ込み、彼は髪をき回した。


「これも想像ですが、あなたの元へはひんぱんに同年代の方がたずねて来られてますね? それに、あなたは猫のごはんをうらの外へ置いてもいる。それを合わせて考えるとこうなります。あなたは猫の世話をすると言って、その方に食材を持ってきてもらってる。その一部を置いてるんです」


 嘉江は薄く笑みを浮かべた。はじめて見せるおだやかな表情だった。


「ほんとになんでもお見通しなんですね」


「いや、そうは言えないでしょう。今回のことは勉強になりました。あなたとゆかりさんからは見えないことが多かったんですよ。きっと、ほんとうにかくそうとしてることは見えないか、見えづらいんでしょう」


「でも、あの子――」


 そう言って、嘉江は白いだけのはいを指した。


「自殺した生徒のこともお当てになりましたよ。あれはよくわからないことでした。古川()おりという子でね、あなたの言うように、すらっとした髪の長い子でした。自殺する理由などなかったはずなんです。なんであんなことになってしまったのか」


 蓮實淳は横顔を見つめてる。それに気づいたのか、嘉江はゆっくり首を曲げた。そのまま二人は互いを見合った。


「あなたはどう思いますか? なぜ彼女が自殺したのか、それについてなにか見えましたか?」


「いえ、」


 目を細め、彼はあごを引いた。よくわからないものの違和感があったのだ。


「私に見えるのは経験だけなんですよ。それに、あなたは見せたくないことを多くかかえておられるんでしょう。だいたいはぼやけていたし、その子の顔もつぶれていて見えませんでした」


「潰れて? それに意味はあるんですか?」


「いや、それもわからないんですよ」


「そう。そうでしたか」


 立ちあがると蓮實淳は見下ろすようにした。嘉江は指を揉んでいる。


「つづきを話しましょう。あなたは生ゴミを置くようになった。それはみょうなコミュニケーションでもあったんでしょう」


「そうかもしれません。でも、どうしたらいいかわからなかったんです。おおごとにするのもなんですし、私までそうしたら、あの子もやめるんじゃないかと。実際にもこの頃は私だけが置くようになってましたしね」


「そうでしたか。ところで、奥さん、これは非常に重要なことなんですが、あなたのこうには怒りの感情もふくまれてましたね? 悪霊という言葉を耳にして、あなたは腹を立てた。それに間違いはないんじゃないですか?」


 しばらく仏壇を見つめ、嘉江は姿せいを正した。そして、位牌に語りかけるように話しだした。


「そう、――まあ、そうなんでしょう。その言葉は私にとって、その、なんでしょう、ひどく意味のあるものなんです。若い頃の私に強く影響をあたえたとでももうしましょうか。自殺した生徒のこともありますが、それだけではないんです。――いえ、これはごとですね。ええ、私は腹を立てておりました。感情にとらわれていた面はあったかと思います」


「しかし、ゆかりさんが言ったのは別の人物を指していたんですよ」


「え?」


 ほうけた顔を向けると、嘉江はしばらく固まったようになった。瞳だけがあてもなくさまっている。


「ゆかりさんが言った悪霊は自分自身のことなんです。奇妙な偶然なのでしょうが、ゆかりさんもあなたと似たような経験をしてるんですよ。学生時代に『悪霊』と書かれた紙をつくえりつけられたんです」


「はあ?」


 ぐらをかき、彼はのぞきこむようにした。


「細かいことは言いませんが、その頃のゆかりさんはりつしていた。その上、それこそ子供らしいことをして、さらに孤立したんです。まあ、今のじょうきょうと同じとまでは言いませんよ。ただ、さみしく思ってるのは確かなのでしょう。それで自らを追い込んでいったんです」


 嘉江の瞳は定まった。彼も見返している。


「しかし、もう終わりにしたいと思ってるんでしょう。ご家族の前で自分こそが悪霊であるとあばかれたいと思ってるんです。その後どうなるかまで考えてるかわからないが、そうやってあなたのことも救おうとしてるんじゃないでしょうか」


「救う? 私をですか?」


「そうです。自分以外の者が生ゴミを置きはじめたとき、ゆかりさんにも誰がしてるかわかったはずです。ま、当たり前のことですがね。そして、これも想像でしかないが、あなたが『悪霊』という言葉にびんかんであるのもさっしていた。彼女は混乱したんですね。かまって欲しくてしたことが段々大きくなって、しゅうしゅうがつかなくなっていったんですから」


「それで、私を救うというのは?」


 髪をき回すと、彼はひとなつっこい笑顔をみせた。嘉江は少しおどろいたようだった。


「ああ、すみません。ちょっとこうふんしてしまいました。いいですか? 奥さん。ゆかりさんはこのことをすべてかぶろうとしてる。悪霊は自分だと家族の前で言い当てられるのを望んでるんです。そうやって、あなたを救おうとしてるんですよ。それを私に求めてるんです。ただ、私はそうするつもりなどない。――奥さん、今こそきちんとした理解が必要なんじゃないですかね? 馬鹿げたコミュニケーションなんてやめて、口で伝えあうんです。怒りも心配も全部そうやって言いあっていれば、こんなことにはならなかったと思いませんか?」


 嘉江は指先をんでいた。ただ、顔をあげると頬をゆるめた。


「そうですね。ほんと、先生のおっしゃる通りだと思います」


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