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失踪する猫  作者: 佐藤清春
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第6章―2


 うんざりしつつもカンナは可能な限りの笑顔を振りまいていた。ただ、気を抜くとぼうっとした顔の「間」になにかがいるように思えてしまう。――だって、言ってたじゃない。悪霊は人の「間」に取りくみたいなこと。うん、やっぱりいそう。じゃなかったら、こんなにぼんやりしてられる?


 彼の方はしきいしみながら考えていた。――悪霊ね。まあ、わかりにくかっただけで俺の家にもいたんだろう。ただ、ここにいるのはそんなもんじゃない。像のくっきりした悪霊だ。このままじゃいけない。放っておくともっと悪いことが起こる。


 敷石がきるところにはほそごうまった戸がある。鼻に指をあて、彼は見えたものをまとめていった。にわかには信じられないし、非常に馬鹿げたことにも思える。しかし、そう考えるしかなさそうだ。


「すみません。すこしお話があるんですが」


 戸を開けるとかすかにお香のにおいがした。ただ、音はしない。


「上がりますよ。いいですか?」


 やはり返事はなかった。薄暗いろうは真っ直ぐ伸びている。右手はしっくいかべで、その中程には円形の窓が切られていた。かまちを上がり、彼はしばらくたたずんだ。まだ迷いがあったのだ。他人の家に関わり過ぎるのは危険――とも思う。しかし、もう後戻りできないのだろう。一歩踏み出してから耳をますと、すすり泣く声が聞こえる。


「入りますよ」


 よししていた。そのままの格好でぴくりともしない。


「ご主人のおぶつだんですか」


 こぢんまりした部屋はれいせいとんされていた。仏壇にはえいが一つ。しかし、はいは二つあった。きんでいかいみょうの書いてあるものと、ただの白い板だ。


「それに、あなたの教え子のでもあるんですかね」


 嘉江はすっと身体を起こした。顔はぞうゆがんでる。


「あなたはいったい何者なんです! どういう権利があって私どもの家に上がり込んでるんです!」


 その声は激しいものの大きくなかった。蓮實淳は目を細め、ひとつひとつ区切るように言った。


「私にはなんの権利もありませんよ。しかし、これはすべきことだ。そうしないともっと悪いことが起こる。それはあなたも気づいてるはずだ」


「なにをおっしゃってるかわかりません。それに言ったでしょう。あんなのはただの悪戯いたずらだって。じきに収まることなんです」


「ほんとうにそう思いますか? あなたはそう思ってないはずだ。いや、それを望んですらいない」


「はあ?」


 数珠じゅずにぎりしめ、嘉江は立ちあがった。下からにらみつけている。


「それこそなにが言いたいかわかりません。あなたはどうしたいんです? お金が欲しいんですか? だったら幾らでも払います。今すぐこの家から出てって下さい」


 人差し指を立て、彼は唇を歪めた。目許には笑みが浮かんでる。


「お金など要りません――なんてことは言いません。ただ、この家から悪霊をはらうまでは帰りませんよ。それが私の受けたらいなんでね」


「悪霊なんて、」


 嘉江は顔をそむけた。視線の先には仏壇がある。――いや、のっぺらぼうの位牌を見たのかもしれなかった。


「馬鹿げてます。どこにそんなのがいるというんです」


「いますよ。ほら、ここに」


 蓮實淳は指先を向けた。まだ怒らせる必要があったのだ。


「私が――、私が悪霊だって言うおつもりですか!」


「今のところはそうなりますね。さっきも言いましたが、あなたにとってその言葉はふるみのものなはずだ。いや、正直いって、あなたの過去は見えづらかったんですよ。しかし、ある部分だけはくっきりしてた。一枚の紙です。そこにはただ『悪霊』と書いてあった。それに、女子生徒の姿も見えた。すらっとした髪の長い子です。その子は屋上から飛び降りて死んだ。――違いますか?」


「どうしてそんな話を! 関係無いでしょう! それが本当であっても関係無いことだわ! どうしてそんなのを聴かされなきゃならないんですか!」


 蓮實淳はふたたび指先を向けた。目は細められている。


「必要だからです。悪霊の正体をあばくためにはね」


 みょうな音がした。数珠がこすれたのだ。嘉江は肩を落としてる。


「その生徒とあなたはよく屋上で話していた。自殺したときもそうだったかわからないが、それも見えました。そして、自殺したあとに残されていたのが『悪霊』と書かれた紙だった。これの意味も私にはわからない。しかし、そのことがあって程なく、あなたは教員をめた。それから毎日――いえ、これは想像ですよ。事件があったのはもう四十年以上も前でしょう。それからずっとかはわからないが、あなたは毎日(きょう)もんをあげている。それはしょくざいの気持ちからではないでしょうか?」


 払うように手をほどき、嘉江は座り込んだ。目をつむり、なにごとかつぶやいている。


「ご主人はそのときのどうりょうですね? 遺影を見て確信しました。ご主人はすべてのいきさつを知ってたんでしょう。ことあるごとになぐさめてるのも見えました。それも、贖罪の気持ちがあるのを裏付けたわけです」


 しばらくはすすり泣く声しか聞こえなかった。それは彼にまた違うことを思い出させた。ずっと前に同年代の女性が同じようにしてるのを何度も見ていたのだ。


「ところで、ゆかりさんが悪霊のわざと言ってるのはご存じだったんでしょう?」


 嘉江は顔をあげた。ぼうっとした表情をしてる。


「どうです? あなたは知っていたはずと思いますが」


「ええ、しんろうから聴きました」


「でしょうね。ゆかりさんは言ってないと仰ってましたが、だんさんに言えばあなたの耳に入るでしょう」


「それが?」


「それがこの問題のこんかんでもあったんですよ。悪霊というのはあなたにとって非常に意味ある言葉だった。自殺した生徒が誰を指してそう書いたかもわからないが、あなたにとっては耳にしたくないものでしょうからね。それをゆかりさんは不用意に使ってしまった。あなたは腹を立てたんじゃないですか? しかし、それだけじゃなかった」


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