第5章―1
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この頃から彼らの店は急激に、そして非常に忙しくなっていった。
ときにはお客さんがバッティングして、いずれかを帰さなければならない場合もあった(深い悩みを持つ人は狭い空間に他の者がいるのを嫌うのだ)。そこでカンナは予約制をとることにした。夕方は学生のために空けておくけど、それ以外は基本予約のみにしたのだ。はじめたばかりはどうなることかと思っていたものの、結果、嘘のように枠は埋まっていった。
これによって良いことが二つもたらされた。一つは箔がついたことだ。簡単には占ってもらえないとなると、それだけで「つまりは当たるってこと?」と思われるようになるのだ。まあ、同時に期待値も上がったけど、そこはもう一つの良いことがフォローしてくれた。予約者は事前に住所や氏名を告げるので、近隣の者であれば猫たちにある程度の情報を仕入れてもらうこともできる。顔を見た瞬間に「あなたは三日前にケンタッキーフライドチキンを食べましたね」と言うだけで畏れをなすというわけだ。主導権を握ってしまえば、もうこっちのものだ。疑ってかかる質の人間や見せたくないことを多く抱えた者(だったら占いになんて来なきゃいいのに、と蓮實淳は思う)も心をひらかずにいられない。それで、さらに名声が上がる。予約は増え、カンナはてんてこ舞いになり、しかし、ずっと笑顔を絶やさなかった。
「あらあら、すごいことになってるじゃない」
沈丁花の咲く日曜にやってきた千春は帳簿を見ながら口をすぼめた。
「占い師って、こんなに儲かるものなの?」
蓮實淳は疲れた顔をつくりこんでソファに埋まっていた。いや、馬車馬のように働かされて、ほんとうに疲れきっていたのだ。誰も彼がどのように占ってるか知らない。そうなると、その疲労がいかなるものかも知らないわけだ。
「ちょっと痩せた?」
「ああ、たぶんね。そうとう痩せたと思う」
「でも、飲み屋のときは賄いを馬鹿みたいに食べて、見た目がよろしくないほど太ってたもの、かえって良かったんじゃない?」
馬鹿みたいには食べてなかったし、見た目もよろしくないほど太ってなかったはず――そう思いはしたものの、彼は首を振るだけにしておいた。
「それでお店潰したんじゃないでしょうね」
カンナはコーヒーをつくっていた。しっかり煎られた豆を挽き、慎重に蒸らしてる。千春が《エーグル ドゥース》でケーキを買ってきてくれたのだ。
「うるさいなぁ。その話はよせよ。けっこう気に病んでるんだぞ」
「あら、ごめんなさい。でも、これは事実だから変えようがないわ。違う?」
声のする方へ顔を向け、千春は目を細めた。彼と別れて一年ほど経つ。それまでは泣きつかれて仕方なくよりを戻すというパターンが出来上がっていた。それを待ってるつもりもなかったけど、なんとなく気に入らない。だから、首を伸ばしてこう言ってみた。
「ね、カンナちゃん、この人、迷惑かけてない? 最近、ここのこと話さないじゃない。はじめのうちはいろいろ聴かされたけど、まったくしなくなったでしょ」
この人? カンナは手を止めた。そこだけ妙に強調してたみたい。首を曲げると、千春は眉間に皺を寄せている。
「だって、話す時間自体ないじゃない。千春ちゃんって、いつも朝早くから遅くまで働いてるんだもん。土日は私がここに来てるしね」
笑顔をつくりこんでカンナはコーヒーを運んだ。どちらかというと営業用の表情だ。
「でも、この人って口も態度も悪いし、だらしないとこがあるでしょ。今だって疲れた振りしてかまってもらおうとしてんのよ。こういうのにつきあってると切りないからね。昔っからそうだったもの」
あえて蓮實淳の隣に腰かけ、カンナは正面から見すえた。
「昔はそうだったんでしょうけど、この人、今はけっこうちゃんとした感じになってるのよ。それに、私と二人きりのときはこうじゃないもの。ね? そうでしょ?」
「あ? ああ、どうだろう? そうなのかな」
「そうよ。絶対そう」
「そうなの? ふうん」
千春とカンナは笑顔のまま固まっている。肩をすぼめて蓮實淳はケーキを食べた。いずれにしたってバレてるんだ、疲れたアピールなんてやめよう――そう思いながらだ。
しばらくはかくこのように日々が過ぎていった。朝の予約をこなし、軽めの食事をとり、昼のお客さんを帰して一息つくと、もう夕方になっている。学生たちがやって来て、蓮實淳は恋愛相談に乗る。学生と入れ替わりで夜の予約客が来て、それが終わると店じまいだ。土曜か日曜には千春が顔を出し、カンナと「この人は昔はああだった」だの、「でも、今のこの人はこうだ」と言いあった。その隙間を縫うように猫たちがあらわれ、『ニャンミー マグロ味』を食べていく。カンナは(キティ以外の)猫にネズミのオモチャをけしかけ、ひとしきり遊んだ。
予約客の大半は惜しげもなく大金を払っていった。それでも見合うものを受け取ったと思うのだろう、たいていは満足そうに帰った。中には涙を流し、感謝の弁を述べる者もいる。そういうお客さんが帰る度、カンナは褒め称えた。ことあるごとに持ち上げ、浮気調査なんかをさせようと画策してるのだ。
「よっ! さすがはなんでもお見通し!」
「あのな、そういうのやめてくれないか?」
暗澹たる表情で首を振っていたものの、彼は地に足がつかない気分にさせられた。なにか大きなきっかけがあれば心に翼が生え、あてのない方へ飛んで行きそうだった。
しかし、そうと気づかなかっただけで『大きなきっかけ』は既にあたえられていた。なおかつ、この後に持ち込まれた相談もそれを形成するひとつの要因になった。運命というのは、このように、たいてい気づかぬうちに人を巻き込んでいくものなのだ。




