第4章―4
佇む二人を学生らしき一団が見つめながら通り過ぎていった。蓮實淳は首を振り、離れたところへ移動した。そこからじっと入口を見てる。
「ね、もしかして、ここで出てくるの待つの?」
「そういうことになるな」
「どれくらい?」
「ま、『ご休憩』だろうから、長くて二時間だろう」
客引きの声が聞こえてくる。雑踏の音もとぎれとぎれにした。ただ、彼らのいる場所は静かだった。
「普通こういうのって車の中でするもんじゃない? 二時間ドラマとかだとそうしてるでしょ」
黙ってるのが苦痛なのか、カンナは頻りに話しかけてくる。蓮實淳はホテルを見つめながら顔をしかめた。
「俺は免許を持ってない」
「へえ、そうなんだ。どうして取らなかったの?」
「ん、学生の頃、親に無理矢理取らされそうになったことがあるんだけど、俺はまったく通わなかった」
「どうしてよ」
「話してもいいけど、長くなるぞ」
「そうなの? じゃ、いいわ」
風が吹くと、甘い香りがする。整髪料かな? カンナは隣を見た。それから距離を測ってみる。――ええと、十センチくらい? やだ、すごく近い。
「ね、はっきり言っちゃっていい?」
「なんだ?」
「私、すこし飽きてきたわ」
「だろうな。それはだいぶ前からわかってる。なんなら先に帰っていいぞ。もともと一人でやるつもりだったんだから」
カンナは頬を膨らませた。でも、見られてないのだから意味がない。「嫌よ」と言い、こうつけ足した。
「私はあなたのパートナーでしょ。それに、一人で見張ってたら、なにかあったとき対応できないじゃない。違う?」
蓮實淳はゆっくり息を吐いた。その音が聞こえるくらいの距離だ。やっぱりドキドキする。カンナは下を向いた。これは気の迷いとかじゃないのかも。
「だったら、ひとつだけお願いがある」
え? カンナは顔をあげた。どうしよう、どんなお願いされちゃうの? 目は自然とホテルへ向く。いやいや、そうじゃない。だって、そんないきなり。そっと首を曲げると白く肌理の整った肌が見える。――駄目。物事には順序ってものがあるわ。そう考えてるところに声はこう聞こえてきた。
「ちょっと黙っててくれないか?」
自動販売機でコーヒーとココアを買うと、カンナは戻るときに少し距離をあけてみた。こういうのを意識してるのは自分だけと思うと腹も立ってくる。
「いま何時だ?」
「七時二十七分」
カンナはディズニーウォッチ(ドナルドダックの腕が針になってるやつだ)を見ながらこたえた。彼はずっとホテルを見つめている。
「ほんとにあの二人、浮気してんのかしら」
「そりゃそうだろ。じゃなきゃ、こんなとこ入るか? 中でなにしてんだよ。社交ダンスとかオセロゲームしてるとは思えない」
「まあ、そうでしょうけど」
出てくる者はいるものの目指す相手ではなかった。堂々と手をつないでるカップルもいれば、こそこそ出てくるのもいる。前を通るときに顔を向けてくることもあった。
「ね、こうしてると私たちワケありに見えるかしら? だって、ホテル見ながら男と女がずっと立ってるのよ」
「ワケありって、」
彼は首を曲げてきた。ちょっと複雑そうな表情をしてる。それを見て、カンナはやっと落ち着いた。ああ、この人もまったく意識してなかったんじゃないんだ――そう思えたのだ。
そのとき、想像もしてなかった光景が飛び込んできた。女が道の逆側を駆けていく。カンナは腕を叩いた。
「女の人が出てきた!」
「え?」
彼にも後ろ姿が見えた。さっと目を向けると、男も同じ方へ駆けていく。革靴がバシンバシンとアスファルトを踏む。走り馴れてない者のたてる音だ。
「どうするの?」
「わからない」
「わからないの?」
「わからないよ。わかりっこない。――でも、そうだな。とりあえず追うしかなさそうだ」
気づかれないように二人も走り出した。角から覗きこむと女が顔を覆ってる。男の方は狼狽えてるようだ。手を伸ばしているものの、触れていいものかといったふうにしてる。
「痴話喧嘩よね?」
「だろうな」
「不倫の末路って感じ。でも、なんかかわいそう」
「ちょっとだけ移動しよう。見ないように歩くんだ。――そうだな、夫婦がこれから帰るとこみたいにして行くぞ」
夫婦? そう思いはしたものの、顎を引き、カンナは寄り添うように歩いた。不倫カップルは寺の門前にいる。まったく、痴話喧嘩するにしても場所を考えなさいよね。仏様だって迷惑だわ。
「カンナ?」
「え?」
「首。真っ直ぐにしろ。向こうは見るな」
「ああ、はい」
二人は寺へ入っていく。――ふむ、あの女は指輪を探してたのと同じだろう。それを伝えりゃ、終わりってわけだ。いや、そもそもこんなのは占い師の仕事じゃない。俺は見えたことを告げるだけでいいはずだ。しかし、脳裏には受け取った映像が蠢いている。幸せそうな家族、信頼しあう夫婦。
「これからどうするの?」
そう訊かれたのがスイッチになった。どうするかだって? そんなの知ったこっちゃない。彼は大股に歩き出した。耳の奥には「失くしてしまいそうなものを押しとどめて頂けるなら」という声が聞こえてる。ふんっ! わかったよ。俺が押しとどめてやる。




