第4章―2
「ねえ、それってほんとなの?」
カンナは事の次第(もちろん内幕は言えないけど)を聴いて叫んだ。それから腕を組み、唸った。
「ほんとだったら酷い話じゃない。旦那さんに裏切られただけでもかわいそうなのに、よりによって相手が自分の生徒だなんて」
「まあな」
暗い顔つきで蓮實淳はそうとだけこたえた。二人は向かい合って座ってる。テーブルの上には大振りなマグカップが二つ――ローズマリーにハイビスカス、それとレモングラスのハーブティだ。カンナは「やる気が起きるお茶」と言っていたけど、二人ともこの話にはやる気を相当削がれてしまった。
「でも、あの奥さん、その人から聴いたって言ってなかった? なんか変な感じね。それでここに来たんでしょ。その人からしたら、言ったことが回り回って自分の首を絞めたってことになるじゃない」
「いや、直接聴いたんじゃないんだろ」
髪をかき上げながら蓮實淳はカップに口をつけた。
「へ?」
「大和田の奥さんは『教室はその話で持ちきりで、それを聞いてここへ来た』って言ってたんだよ。つまり、噂みたいなもんを聞いたってことなんだろうよ」
「そうだった?」
「そうだよ。はっきり憶えてる」
薬罐からは盛んに湯気が上がってる。ガラス戸は曇り、すこし先さえ見えないようになっていた。
「よくそんなの憶えてたわね」
「こういうのは重要なんだよ。憶えておくべきことだ」
「ふうん」
「ま、いずれにしたって困ったな。君が安請け合いすると、だいたいこうなるんだよ」
蓮實淳も腕を組み、唸りだした。カンナは首を傾げてる。
「だけど、あなたはその人のことも占ったわけじゃない。そんときは不倫してるってわからなかったの?」
「そうなんだよ。それも気になるっていうか、不思議なんだ」
「まあ、見えてても、そのときじゃ相手が誰かわからないものね」
「ああ、そうだな。でも、まったくそういうのはわからなかったんだ。もしかしたらだけど、強く隠そうとしてたのかもしれない。理由はわからないけどね」
風がガラス戸を揺らしてる。カンナはソファに深く沈みこんだ。
「それで、どうする気?」
「確かめる必要があるな。二人は金曜に会ってた。もう一度同じようにするなら、その次は俺もあとをつけようと思ってる」
「俺も? 誰かがあとをつけてたの?」
「ん? ああ、いや、そういうわけじゃないけど――」
カンナの頭にはいつもの疑念があらわれた。だけど、首を振って消し込ませた。わからないことは幾ら考えたってわかりようがないのだ。
「ね、そんときは私もついてっていい?」
「君も?」
腕を解き、蓮實淳は前のめりになった。
「どうして?」
「だって、乗りかかった舟でしょ。それに、安請け合いして乗せたのは私なんだし。そうなんでしょ?」
まあ、そうだけど――曇ったガラスを見つめ、彼は溜息をついた。少しばかり不安になったのだ。
次の週も大和田義雄はホテルへ入っていった。
「まったく、クロの言う通りだぜ」
オチョは頻りに身体を揺すってる。そのとき不倫カップルをつけたのはオチョとゴンザレス(半野良の三毛だ。猫相があまりよろしくないからか、彼女は『ゴンザレス』と名づけられた。仲間からは『ゴンちゃん』と呼ばれている)だった。
「先生、ありゃ駄目だね。ああいうホテルってのは外から見えないようにできてるだろ? あれはいけない。いいことしてんだから、もっと大っぴらにすりゃいいんだよ」
「私は呆れたよ」これはゴンザレスだ。
「オチョったら覗きに行ったんだよ。どれだけ好きなのか知らないけど、私はひとりでずっと待ってたんだ。これはキティさんに言ってもらった方がいいかもね。こんなんじゃ若い者に示しがつかないよ」
蓮實淳はゴンザレスをなだめ、オチョの不安を軽くしてあげつつ(彼ほどキティを怖れる猫もいない)、腕を組んで唸った。正直な感想は「まいったな、こりゃ」というものだった。どう伝えりゃいいんだ? 「確かにあんたの旦那は浮気してるよ。それも、あんたの生徒とね」とかか? いや、内容はそうであっても、そんなふうに言ったらカンナにど突き回されるに決まってる。ほんと、まいったな。




