第4章―1
【 4 】
さて、話を戻そう。
大和田義雄の浮気相手捜しはキティ指揮のもと粛々と進んでいた。勤め先の前には猫が張りつくようになり、そこにつなぎが頻繁にやって来る。もしかしたら妙に感じる人間がいたかもしれないけど、猫というのは風景に溶け込めるものでもある。たいていの者は――当たり前のことだけど――そこになんらかの企みがあると気づくわけもなかった。
蓮實淳もたまに近くまで寄り、進展状況を訊いた。
「あ、蓮實先生」
「どうだ? なんかあったか?」
「ううん、なんもない。お昼に一度出てきたけど、そんときは男の人と一緒だったよ」
「そうか」
「まあ、任せといてよ。ちゃんと見張ってるからさ」
「ありがとな。終わったら店に来いよ。とっておきのごはん用意しとくから」
「もしかして、金のニャンミー?」
「おお、そうだ。ベンジャミンはあれ好きか?」
「うん。大好き!」
そう言うとベンジャミン(その小さい方だ)はじっとドアを見すえた。ちなみに書いておくと、『金のニャンミー』というのは通常のより若干高級品で、ササミが入ってるものだ。彼は協力してくれる猫にそれを振るまい慰労につとめた。
店の方はそこそこの客入りで、忙しいのが大好きなカンナは機嫌が良かった。
「このままいけば、これまでで最高の売り上げになりそうよ。あの雪の日、――ううん、その前の日か、あれが最悪のピークだったってことね。これで成功報酬が入ったら、とんでもないことになるわ」
蓮實淳は曖昧な顔で髪を掻き回してる。カンナは覗きこんできた。
「で、どんな感じなの? 浮気相手は見つかりそう?」
「どうだろうな。まだわからないね」
「そう」
唇をすぼませ、カンナは腕を組んだ。最近やたらと猫が来る。まあ、普段から異常なほど来てるけど、ここ何日かはさらに異常だ。それに、彼が特定の猫に『金のニャンミー』をあげてるのも知っていた。どうしてだろう? なにかのご褒美のつもり? だけど、その先は考えないようにしてる。混乱するばかりで、けっきょくわかりっこないのだ。だいいちカンナは忙しかった。『猫の手も借りたい』ってのはこういうときに使うものなのね――などと思ってる。ま、猫だけはうんざりするほどいるけど。
金曜日に動きがあった。キティと一緒にやってきたサバトラはこう報告した。
「女と会ってる。若い女だよ。いまオルフェとクロがつけてる」
「そうか。ありがとう」
「ニャ」と鳴き、キティはじっと見つめてきた。
「それがね、ちょっと妙な感じらしいんだ。この子が言うにはね、相手の女をオルフェは知ってるようなんだよ」
「どういうことだ?」
「いや、アタシにもわからないんだけど、なんか前に頼まれたことと関係してるようなんだ」
「なんだって?」
思わず叫んだのと同じタイミングで水の流れる音がした。手を拭きながら出てきたカンナは怪訝そうな顔をしてる。
「なによ、大声出しちゃって。――あ、」
「あ、ってなんだよ」
「ううん、別に。また猫を相手に独り言?」
「まあね。悪いか?」
「悪いなんて言ってないでしょ。ま、頭のおかしい人には見えるけど」
ソファに座るとカンナは目だけ動かした。彼の足許には猫が二匹――猫師匠と見馴れぬ子だ。キティは不機嫌そうに顔をそむけ、サバトラは「ニャア」と鳴いた。
「とにかく、後でまた来るよ。小娘がいなくなったらね」
キティは彼にしか聞こえない声でそう言った。カンナは脚を伸ばし、鼻歌まじりに雑誌を捲ってる。あなたたちの異常な関係になんて興味ないのよ――といった振りをしてるわけだ。
その夜、小娘がいなくなったのを見計らって、オルフェとクロ、それにキティが訪ねてきた。
「いやぁ、まったく。こんな大変な目にあうとは思ってなかったぜ。人間ってのはアレをすんのにどんだけ時間使うんだよ。あんなの一瞬で終わらせりゃいいのに」
「アレって、アレのことか?」
クロは『金のニャンミー』を食べながらうなずいてる。
「そう、アレ。ホテルに入ってったんだ、やるこた決まってるだろ? それにしたって、先生、俺たちゃ、このクソ寒い中を二時間も待ってたんだ。ほんと嫌になるぜ。で、その後は女のあとをつけて風の中をとことこ歩いたってわけさ。東通りにあるアパートに入ってったな。たぶん、ヤサはそこなんだろうよ」
クロというのはいうまでもなく黒猫で、流れ者だった。一年くらい前にやって来て、客分みたいな感じになったのだ。手癖が悪く、口も悪いけど、根は真っ正直なとこもある。彼は自分のぶんを食べ終えると物欲しそうにキティの皿を覗きこんだ。
「いいよ、食いな。アタシはそれほど腹が減ってないからね」
「いいのかい? さすがは姐御」
そう言って、クロは二杯目をがつがつと食べはじめた。
「で、オルフェ、その女を君は知ってるんだって?」
「そうなの。それで私びっくりしちゃって。だって、まさかねえ」
口のまわりを舐めながらオルフェは顔をあげた。彼女は雪のように真っ白な猫で、左右の瞳が違う色――右が青く、左は緑だった。
「誰なんだ?」
「ほら、私たち、前に指輪を探したじゃない。あのときはこの辺だろうって言ってくれたから簡単だったけど」
「はあ?」
蓮實淳はまた大声をあげるはめになった。オルフェは一度目をつむり、それからゆっくりうなずいた。
「じゃあ、大和田義雄は奥さんの生徒とデキてるってことか?」
「ま、そういうことになるね」
キティは重々しく言った。




