第1章―2
「ねえ、もうちょっとは占い師らしい服装ってのがあるでしょ?」
「占い師らしい服装?」
そう呟きながら蓮實淳は自分を眺めた。それは秋口のことで、彼は袖と襟ぐりが焦茶色で他は鮮やかな黄色のトレーナーといった格好をしていた。その色味からくる印象だけでも充分に馬鹿っぽくみえたけど、胸のところにはこれまた焦茶色の猿が石を使ってなにか叩いてる絵がプリントされていたし、踵を潰したスニーカーをパカパカ動かし、髪はきちんと整えてるつもりであったものの天然パーマのもじゃもじゃで、それが目を半分ほど隠していた。
「千春ちゃん、どう思う?」
「まあ、そうね」
千春――というのは蓮實淳の元恋人でカンナの従姉だ――は脚をきちんと揃え、膝に手をのせていた。シックということでいえば、彼女はまさにシックそのものだった。カンナはこのときも『holy shit』と赤く書かれたTシャツにだぶっとしたパンツ姿で、羽織ってきたスカジャンを脇に置いていた。お前みたいな格好の人間に言われたくないわ。彼はそう思ったものだ。
「まあ、そうねってレベルじゃないでしょ。こんな人にああだこうだ言われたい? 私は嫌。たとえ当たってたって嫌よ」
「じゃ、どうすりゃいいんだ?」
「そんなの知らないわよ。でも、そんな格好の占い師なんている?」
千春はこのやりとりを関係ないことのように聴いていた。しかし、カンナを連れてきたのは彼女なのだ。千春には疑念があった。それは別れた恋人(つまりは蓮實淳のことだけど)が妙に自分の動静を知ってる――いや、知りすぎてるというものだった。久しぶりに会った彼は突然占い師になるなどと言って、それだけだって驚かされたのに、会ってなかった間にどう過ごしていたかをことごとく言い当てたのには驚きを通り越して恐怖すらおぼえた。もしかしたらこの人はストーカーまがいのことをしてるんじゃないか? というのが彼女の疑念だった。だから、東京に出てきたばかりの従妹を占ってもらったわけだ。
そして、疑念は実際に和らぐことになった。
なにか言われるごとにカンナの顔は赤くなり、やがて青ざめ、ふたたび赤くなっていった。それからずっと腹を立てている。当たってるぶん怒りの持って行き場がないのだろう、服装に文句を言いだしたのはそのためだと、この従妹の性格を知り尽くしてる千春にはわかった。
「羽織袴で髭を生やしときゃいいのか? 作務衣着て坊主頭か? 俺はそんなのゴメンだね。占いなんて当たるか当たらないかだろ? 俺のは当たるんだ。それでいいだろ?」
カンナは突然脹ら脛を蹴った。首を引きかけたものの、千春は微笑んでる。初対面の人に蹴りを入れられるのもこの子らしい――そう思ったのだ。
ちなみに、このとき占った内容はこうだった――
「短気。おっちょこちょい。意志は強いが移り気。その性格のせいか、喧嘩して仕事を辞めたのが二回。恋人に突然別れを切り出されたのが三回。とはいっても、相手もたいした奴じゃなさそうだから全面的に君のせいとは言い切れない。ただし、その性格を直さない限りはこれからも男に振られつづけ、仕事も何度も変えることになるだろう。家族関係も良好とはいえず、両親はだいぶ前に離婚してる。父親は比較的若い女と再婚するも、今も若い女――これは君より若い――とつきあっていて、ふたたび離婚の危機にある。しかし、君は父親が嫌いではなさそうだ。むしろ母親との折りあいの方が悪かったんだろう。ただ、自分より年下と不倫してる父親にもいいかげん愛想が尽きた。それで、東京に出てきたってわけだ」
「仮に当たってたとしても言い方ってものがあるわ!」
カンナはそう叫んだ。
「性格を直さない限りは? これからも男に振られつづける? 冗談じゃない!」
「でも、当たってる。そうだろ?」
カンナは立ちあがり、応接セットのまわりを行ったり来たりした。そうやって興奮を収めようとしたのだ。
「当たってるわ。ムカつくことこの上ないけど当たってる」
「ほんと? 雅彦叔父さんが不倫してるってのも?」
「そうよ! それも私の高校の後輩と! あの極道親父! それがムカつくから、あのくだらない田舎から出てきてやったの!」
「あらあら」
彼は口笛を吹いてるような顔つきをしてる。忌々しそうに睨みつけたものの、カンナは座り直した。
「なんでわかったの?」
「そうよ。そこまで知ってるなんて変だわ。突然占い師になるなんて言うから頭がおかしくなったのかと思ったけど、それに、私のこと知りすぎてるからストーカーみたいになっちゃたのかって思ったけど、」
「あのな、頭がおかしいだの、ストーカーだのって、そういうの失礼だぞ」
「だって、誰だってそう思うわ。ちょっと前まで飲み屋の店長さんだった人が突然占い師になるなんて言いだすんだもの。ま、それまでだっていろんな仕事してた人だから転職するのは病気みたいなもんだって思ってたわよ。でも、よりによって占い師だなんて」
淡々とした調子で矢継ぎ早に悪口を言われ、蓮實淳もしだいに真顔になっていった。
「私ね、盗聴器とか探してもらった方がいいんじゃないかって思ってたの。最近のことまで知ってるから、そうも思うでしょ。ああ、とうとうそんなになっちゃったんだって、そんなふうによ。だけど、それじゃあまり可哀想かって思って、この子を連れてきたの」
「とうとうって、おい」
「引っ越してきたばかりのこの子のことがわかるようだったら本物かもって思ったけど、」
「本物だってことになった。そうだろ?」
彼はふたたびニヤつきだした。この男は人を驚かすのが好きだし、周囲の者より上に立つのも好きなのだ。
「まあ、そうね。そういうことになるわ」
座り直してからのカンナは少しだけ落ち着きを取り戻しつつあった。ただ、自分が連れて来られた理由を聴くと、ん? と思った。
「ちょっと、千春ちゃん。私って、この男の疑いを晴らすためにあんな酷いこと言われたの?」
「そうよ」
こともなげに千春はこたえた。
「ま、結果的にはそういうことね」
唖然とした顔でカンナは顎を引いた。それから、ふと蓮實淳の方を見た。彼は「わかるよ。俺も同意見だ」という表情を浮かべてる。
「だけど、まだ信じられないわ」
周囲の思惑なんて気にもしない千春は鷹揚に言った。
「どうやったら、そんなに当てられるの? 占いっていったって水晶玉を覗くわけでもないし、タロットでもないし、生年月日だって教えてないでしょ」
「ま、そうなっちゃったんだよ。俺にはわかっちゃうの。水晶玉もタロットカードも黄道十二宮も必要なし。見ればたちまちそれだけでわかる。――ああ、それにつけ足しておくと、この子は水虫で悩んでる。それもけっこう酷い水虫だ」
たぶん目眩がしたのだろう、カンナは首を後ろへ倒した。千春は足許を見つめてる。
「当たってるの?」
「当たってるわよ。ほんとムカつくけど」
「じゃ、今日からお風呂は私が先ね。ああ、それと足拭きマットは毎日洗ってよ」
「ええ! だって千春ちゃん帰ってくるの遅いじゃない」
「それでもよ。居候してるんだから、家主の言うことは聴いてちょうだい。ま、水虫が治ったら好きにしていいから」
もういっぺん蹴っ飛ばしてやろうと目を向けたとき、彼はガラス戸を開けた。しかし、誰もあらわれない。視線を下げると、茶トラの猫が入りこんでいた。すごく大きな猫で、目が据わってる。
「どうした、キティ。なにかあったのか?」
抱き寄せられた猫は「ニャ」とだけ鳴いた。その声には甘ったるしいものが含まれてるように思えた。この男を信頼しきっていて、そのぶん他の人間が嫌いといった感じだ。たぶん雌猫なんだろう――そんな印象を持たせるほど、その存在感は強かった。
「ああ、そうか。悪い。約束してたもんな」
約束? 猫と? まったく馬鹿げてる。そう思いながらカンナは首を振った。千春は目を細めてる。どこかで見たように思える。でも、どこで見たのか思い出せないのだ。
「帰るの?」
「そうしましょ。なんだかお邪魔みたいだから」
「お邪魔? この人って猫とそういう関係なの?」
「え?」
千春はなにを言われたのかも、自分がなにを言ったのかもわからないといった表情を浮かべてる。それから、蓮實淳に向き直った。
「変に疑ってごめんなさい。でも、そう思っちゃうくらいあなたの占いが当たるってことでもあるわ。ま、とにかく頑張って」
「ああ」
顔を寄せ、千春はもう一度しっかり猫を見つめた。カンナは丸めてあったスカジャン(背中に『F・U・C・K』という文字とそれを示す柄が刺繍してあるものだ)を着ると、ポケットに手を突っ込んだ。帰り際に蓮實淳を睨みつけ、猫には微笑みかけ、千春のあとを追った。戸を閉めるとき、こう言うのも忘れなかった。
「でも、盗聴器は探した方がいいんじゃない? あの人、いかにもそういうことしてそうだもん」