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失踪する猫  作者: 佐藤清春
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第3章―6


 半年ぶりに会った千春は相変わらずシックで、非常にきちんとした女性にみえた。実際にも彼女はきちんとした女性であって、大きな出版社のけいで課長()をしてる。そして、蓮實淳はしっかりした(あるいは、そうみえる)女性に弱かった。彼のらいしんはそういうタイプにげきされるのだ。


「仕事は見つかったの?」というのが千春の第一声だった。


「いや、」とこたえ、彼はこうつけ足した。


「今は勉強中なんだ」


「勉強? あら、めずらしい。なにかかくでも取るの?」


「ん、まあ、資格じゃないけど、勉強はしてんだよ」


 あいまいな顔で彼はこたえた。を張ったのではない。猫社会についての勉強はしてるのだ。


「で、相談ってなんだ?」


 千春は唇をすぼめてる。まさか「私、結婚するの」とか言うんじゃないよな? だけど、そんなのは相談といわない。報告というのだ。彼は目を細めた。彼女はなにか言いそうになり、しかし、弱々しく首を振った。


「なんだよ、相談があるって言ったのはそっちだろ?」


「そうだけど、あなたにこんなこと言うのはやっぱり変かなって思って」


「は? そう言われるとさらに気になるな」


 背中を押しつけ、千春はうつむいた。そのまま目だけあげている。彼は空いたすきめるようにまえかがみになった。


「やっぱり仕事が見つかってからの方がいいかも。ごめんなさい。呼び出しといて」


「なんだよ、それ。ほら、もったいぶらないで言えって」


「でも、」


 そのとき、信じられないことが起こった。千春の顔が大きく映りこんできたのだ。瞳、耳、鼻と順に拡大されていき、じきに内面までもが見えるようになった。いや、それはほんりゅうのようにおそってきた。最近のこと、すこし前のこと(自分と別れたときの絵も見えた)、学生時代、ようしょう。見たくないもの――たとえば初めてつきあった男の姿までもが受け渡された(なんだ? こいつは。むちゃくちゃブサイクじゃないか)。そして、すべての映像がきると暗くなった。それは経験したことのないやみだった。彼はテーブルをつかんだ。そうしないと身体が落ちこんでいく気がしたのだ。しかし、そのうちに光の点が見えはじめ、それに弱く照らされる影も目にできた。男の影。ぼうばくとしてるけど、若い男なのはわかる。えられないくらい近くにいるのに、誰かもわからない男。


 ああ、と蓮實淳は思った。しつこく言い寄る男。千春はそいつをなんとも思ってない。いや、誰かすらわかってないのだろう。手紙はそのままててるし、家の電話には出ないようにしてる。――ん? それになにか探してるな。非常に小さなものだ。電話の近く、ベッドのまわり。でも、見つからない。


「ねえ!」


 声が聞こえた。それはなまの耳にひびくものだった。手にれられてるのもわかった。


「ねえ! どうしたの?」


 目をあけていたにもかかわらず、彼はたたき起こされたような顔をした。なにが起こったか理解できなかったのだ。ただ、ペンダントは熱くなっている。――これもこいつのわざか。動物と話せ、悪魔をもしたがえた指輪の力。俺は千春の経験を見たのだ。


「大丈夫? なにがあったの? ねえ、聞こえてる?」


 腕を引っ張られてもすぐには動けなかった。しかし、ろたえてはなかった。猫としゃべるのに比べたらどうってことない。そう思えたのだ。ペンダントは徐々に熱を失っていく。


「どうしちゃったのよ。あいでも悪いの? ああ、仕事が見つからなくてノイローゼとか? まあ、さすがのあなたも三十過ぎて無職ってのはキツいでしょうけど――」


「ちょっと、俺は大丈夫だから。大声で無職だの、ノイローゼって言うのやめてくれ。みんな見てる」


「あ、ごめん。だけど、ほんとに大丈夫? まだてんが定まってないわよ」


「大丈夫だって。ほんとなんでもないんだ」


「そう? でも、びっくりした。あなた、目をあけたままぜつしたみたいになってたのよ。なにかこっちの、」


 そう言って千春は頭を指した。


「お病気になっちゃってるのかと思った」


 彼はさっと周りを見た。たまらないな、こういうの。しっかりしてるくせにどうしてこうも人のおもわくどんかんなんだろう?


「――で、相談だろ?」


「まあ、そうだけど、たい調ちょうがいいときでいいわ。そもそもあなたに言うようなことじゃないんだし」


 顔はこわってる。彼は指を立て、鼻先に押しあてた。そうしてると、だんだん楽しくなってきた。


「ふむ」


「ふむ? ふむってなによ」


「なにも言わなくていい。俺にはわかってる。君は悩んでるね」


「ま、そうね。だって、相談したいってのはそういうことでしょ」


「違うよ。俺には悩んでる理由までわかるんだ」


 指先を向け、彼は唇をゆがめた。目許もだらしなくゆるんでいる。


「君の元へはたくさんの手紙がきてるね。電話もひっきりなしに鳴る。ただ、手紙は読まずに捨て、電話にも出ない。男からだとわかってるけど、誰かは知らない。まあ、なにか感じることはあるんだろう。見られてる感じがするんだ。遠くから見られてるってね。それに、君の部屋は段ボールだらけになってる。理由まではわからないが、そのはずだ。――ああ、それに、なにか探してるね。小さなものだ。でも、なかなか見つからない」


 強張った顔は青ざめていった。ほほきざみにふるえてる。


「ねえ、どうしてそれがあなたにわかるの?」


「は?」


「確かにそうだけど、なんでわかったの?」


 ああ、そうか、と蓮實淳は思った。これ、どうやって説明すりゃいいんだ? 猫としゃべれるようになって調べてもらったなんて言えないし、ソロモン王の不思議な指輪の力だよってのも意味がわからないだろう。――うーん、どうすりゃいい?


「こたえてよ。どうしてそんなこと知ってるの?」


「えっとな、その、」


 このとき彼はいっいちだいの嘘を思いついた。そして、それは人生を大きく変えるきっかけにもなった。


「占いだよ」


 そう言って、彼はまた指先を向けた。


「占い?」


「そう。ほら、勉強してるって言ったろ。それ、占いの勉強なんだ」


 千春の顔は全体的に歪んでいった。それを見つめながら、彼は嘘を重ねた。


「俺、占い師になろうと思ってんだ」


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