第3章―1
【 3 】
そろそろ蓮實淳の〈能力〉についてきちんと説明する必要が出てきたようだ。それと、占い師になった経緯も述べた方がいいだろう。
彼の〈能力〉には二つの異なる側面があった。ひとつは《見る》ことであり、もうひとつは《聴く》ことだ。《見る》方に関してはどのようになってるかの説明はした。まあ、それだって簡単には信じられないだろうけど、《聴く》方に至ってはもっと信じられないかもしれない。なにしろ猫の声を《聴ける》なんてのは実に馬鹿げたことだからだ。それはカンナのみならず、誰だってそう思うだろう。しかし、これは事実なのだ。では、どうしてそのようになったのかだが、これには――もうお気づきだろうけど――彼のしてるペンダントが関わっていた。
この雪の日から遡ること一年ばかり、蓮實淳はびっくりガード近くにある雑貨屋『Boogie Wonderland』で店番をしていた。店主がぎっくり腰になったので、かつて働いていて暇を持て余してる彼にお呼びがかかったというわけだった。
彼が幾つも仕事をしてきたのはこれまでにも書いた。携帯電話販売店やレンタルビデオ屋、雑貨屋、喫茶店、そして、最後にしていたのが飲み屋の店長だった。そこが潰れ、突然無職になったのだけど、そのときの喪失感はとてつもなく深く、新しい仕事を探す気にもなれなかった。しかも、それが原因で千春と別れてもいた。この男は働いてないと途端に自信をなくすタイプの人間なのだ。こんな状態では愛想を尽かされてしまうと思い、その考えにとらわれ、空回りする。普段であれば聞き流せる毒舌にも敏感に反応してしまい、喧嘩が絶えなくなり、別れる――理屈で書くとこうだけど、当事者たる彼はそのプロセスを理解してなかった。仕事を失い、苛々し、恋人と別れたのがわかるだけだ。そして、気鬱にもなった。まあ、会社都合解雇だったから失業保険はすぐおりたし、傷心を癒やすためしばらくぶらぶらしてるつもりだった。そこへお呼びがかかったのだ。
その雑貨屋は名前が示す以上に雑多な物の集合体だった。棚には皿やカトラリー、バッグ、文房具、アクセサリーなどがごちゃっと置いてあり、ばかでかい扇子や、これまた非常に大きな壺、石造りの仏像の頭部に籐を編んだ籠、踊るシヴァ神像、ユダヤ教の燭台なんかも所狭しと並んでいた。店主がおそろしく適当な人だったので、気がつくと様々なものが紛れ込んでくるのだ。まさにワンダーランド――久しぶりに見て、彼はそう思ったものだ。とりとめがない。たまにお客さんが来ても値札もないというとりとめのなさで、そういう場合は適当に値段をつけた。
彼は四日間そこで店番をしていたのだけど、その最終日、空も気分もどんよりした木曜に大きな荷物を持ち、背中にも背負った男が入ってきた。白いゆったりした服の上にダウンコートを着た、腕に太い真鍮のバングルを嵌めた男で、髭を生やし、肌は浅黒く、瞳は金色だった。年は三十代から四十代だろうか――外国人の年齢というのはわかりにくいものだ。そう、その男は外国人風だった。
「山崎サンハ、イナインデスカ? ドウシタンデスカ?」
男は入ってくるなりそう言った。そして、山崎さん(店主だ)の不在理由を聴くと、手首を額にあてながら、「オウ! ソレハ残念至極デスネェ! イイ出物ガアッタノニ!」と嘆いてみせた。
「今日ハ約束シテタノデ沢山品物ヲ持ッテ来タンデスヨ。ダカラ、コンナ大荷物ネ。ベリーヘビーダッタノヨ」
お前のせいで大変な迷惑をこうむったというような顔をして、男は荷物を置き、リュックをタイルの嵌め込んである小卓に乗せた。
「それはお気の毒」
カウンターに寄りかかり、蓮實淳はそうとだけこたえた。男は眉間に皺を寄せ、顎を突き出している。
「オキノドク?」
「残念だったね、という意味ですよ」
「オウ! 残念ネ! ソウ、残念至極!」
男は突然笑いだした。言ってるのと表情がちぐはぐだし、臭いもきつい。参ったな、こりゃ。
「ワタシ、ワザワザ、ベリーヘビーナ荷物持ッテ来タネ。旦那、ドウ? セッカクダカラ、チョットダケ見テミル? ソレトモ見テミナイ?」
しゃがみ込むと男はごそごそと荷物を漁りはじめた。そして、有無を言わさず大振りなケースを取り出した。なんだよ、選択権はけっきょく無いのかよ。そう思ってる内にも同じようなケースをもうひとつ出してくる。
「見ルダケハ、タダヨ。イッパイ見テ。ワタシ、オッパイ見セルノ嫌ダケド、イッパイハ見テ欲シイノヨ」
うわっ、今のジョークだ。蓮實淳はうんざりした。男はどうだとばかりに笑顔を強くしてる。
「コレハ、クレオパトラ愛用ノネックレス。コレ、全部ノ石、本物ヨ。コッチハネェ、ポンパドール公爵夫人ゴ愛用品ネ。非常ニ精巧ニ出来テル逸品」
蓮實淳は入口を窺ってる。誰か来てくれれば、この嘘つき外国人から逃れられるのだ。しかし、前を通る影すらない。男は説明をつづけた。古ぼけたパイプを出してはチャーチル愛用品と言い、蓋のへこんだ懐中時計はシモン・ボリバルの遺品と言い張った。そんなの絶対に嘘だし――そう思いながらも、ひとつだけ本当のことを言ってるのに気づいた。山崎さんがコイツから仕入れてるってことだ。出してくる物に脈絡がないのでわかる。そもそもこの男がどこの国の人間かもわからない。たどたどしい日本語を話すかと思いきや、「人ヤ物トノ出会イハ一期一会ネ!」などと言いだす。うんざりしていたものの、彼は興味を持ってきた。とはいっても、なにも買う気にはなれないけど。




