第19章-1
【 19 】
雑司ヶ谷で起きた二件目の事件は大々的に報道された。激しい嵐の中、それも深夜に子供が階段から落ちて死んだ。しかも、父親が逮捕された当日にだ。当然のようにテレビはあらゆる方面から真実を穿り出そうとした。その中には『虐待の疑い』というのも含まれていた。
しかし、山本刑事は悩ましげな顔でこう言った。
「ま、結論から言うとな、暴行まがいの虐待はなかったようだ。いや、ネグレクトといや、その通りなんだが、殴ったりなんだってのは一度もしてねえって言ってる。カミさんも同じだよ。放っておいたけど、それは仕事柄だってな」
「家の外に出されてたってのは? そういうとこを何度も見られてんだぜ」
こめかみを押さえながら蓮實淳は訊いた。頭痛が鈍く残ってるのだ。
「ん、それについちゃこう言ってるよ。あの子はよく鍵をなくすんで怒ってたってな。そんなになくすなら家に入るなって言っちゃ、外に出してたようだ。しかし、谷村に聴いたが、ありゃ田沼の仕業なんだろ? つまりは親父にも責任の一端っていうか、そういうのはある。いや、ほんと嫌な話だよ」
刑事は頻りに額を叩いてる。彼は指先を向けた。
「警察はあの子が死んだのをどう見てるんだ?」
「どう見てるってのは?」
「事故と見てるのか、殺人と見てるのかってことだよ」
「殺人? お前さんはあの子が殺されたっていうのか?」
彼はそれについて話した。そのあいだカンナは一言もしゃべらず首輪を繕ってる。台風の影響だろう、空は奇妙な色に染まっていた。
「いや、待てって。猫がいないからって一足飛びに殺人にはならねえだろ。そんなこと言ってみろ、俺はどっかに左遷ってことになっちまうよ」
「しかし、妙なのは確かだ。そうだろ? なぜペロ吉はいなくなった? その説明がつくのはさっき言った場合だけだ」
刑事は視線を漂わせてる。ただ、カンナが顔をあげると顎を引いた。
「うん、まあ、なんだ。そうなのかもしれねえが、他になにかねえのか? ほんとに猫がどうのこうのなんて言える雰囲気じゃねえんだよ。違うアプローチっていうか、話の持って行き方がねえとな」
「じゃあ、こういうのはどうだ? あの子はよく外に出されてた。それは両親ともに認めてるんだよな? そうなるとこうも考えられる。あのアパートからは柏木伊久男の部屋が見えるはずなんだ。外廊下に出されてりゃ、見たくなくても目に入るだろ」
「なるほど。つまり、あの子は柏木伊久男殺しの目撃者だったかもしれねえってわけだ」
「直接見てたとも限らないぜ。しかし、犯人からすりゃ気になるだろ。部屋に出入りしてたとこを見られたって考えたら、口を塞いどこうってなる可能性はある」
「うん、まあ、そうだろうけどな」
「とにかく、あれは事故じゃないと考えて進めていった方がいい。この二つも繋がってるんだよ。そうじゃなきゃ、ペロ吉がいなくなる理由がないんだ」
また猫の話になるんかよ。そう言いかけたものの刑事は首を振った。
「わかった。どうにかしてそういう方向へ持ってくよ。まあ、これで左遷っていうならそれでもいいってことにしとこう」
ゆっくり立ち上がり、山本刑事は薄い毛を掻き回した。
「お前さん方がどう思ってるか知らないが、俺たちだって腹を立ててるし、悲しんでるんだぜ。子供が死んだなんてのはその原因がなんであれ、あっちゃいけねえことだからな。ま、警察ってのは機械的に動いてるもんだが、それでもたまに腹を立てることがあるんだよ。今がそれだ。悪いことをした奴は捕まえなきゃならない。その首に斧を振り落としてやるんだ。だからな、カンナちゃん、ちょっとだけ待っててくれ。涙の分まで償わせてやっからな」
カンナは顔をくちゃくちゃに歪ませてる。その頭を撫でると刑事は出ていった。
テレビが騒いでるのとは別に雑司ヶ谷は浮き足だってきた。しかし、これは毎年のことだ。そろそろ御会式になる。その準備がはじまっていたのだ。
「ああ、またこの時期になったのか」
オチョはビニールに覆われた奇妙なものを眺めてる。横にはクロがいた。
「こいつがはじまると面倒なんだ。とにかく人が集まってきてよ、俺たちの居場所がなくなるんだ」
「ふうん。で、こりゃなんだ? タコか?」
「タコ? ああ、そうも見えるな。――って、おい、こんなの見て腹すかせたって顔すんなよ。こいつはタコじゃねえし、食いもんでもねえんだから」
「じゃ、なんなんだよ」
クロはじとっとした目を向けた。オチョは少し得意そうだ。
「ん、こいつを持ってな、ぐるぐる回すんだ。えっと、誰か偉いさんの誕生日なんだってさ。それを祝うってんで人間はそういうのするんだ」
「へえ。ま、いかにも人間のしそうなことだな」
二匹は法明寺の前で折れた。街灯は静まった道を照らしてる。
「それにしたって、ペロの奴はどこ行っちまったんだ?」
「ああ、ほんとだな。でも、あんな嵐の日にいなくなったんだ。そんなに遠くまで行かないだろ。それに、あいつはまだチビ助だからな、姐御の縄張りから出たりしねえはずなんだ」
「ってことは、どこにいるんだ?」
鬼子母神を抜ける途中でオチョは立ちどまった。細い月が出てるものの、辺りは暗い。
「もしかしたらだけどよ、」
「うん、なんだ?」
「ペロも殺されちまってんじゃねえかってな。――いや、もちろんそうじゃねえ方がいいよ。いいんだが、こうまで探してもいないってことは、」
「あのな、先生も言ってたろ。首輪が放ってあったのは犯人に噛みつこうとして払われたからじゃないかって。ってことは、ペロはどっか遠くに落ちたってことだよな? そいつをわざわざ見つけにいって殺したりするか? 犯人は子供を殺した後か、その最中だったわけだろ。だったら、すぐ離れるはずだ。違うか?」
オチョは首を引いている。尻尾は折れ曲がっていた。
「どうした?」
「ん、クロ先生のご意見ごもっともと思ってな。お前、ほんと賢いな。うん、もし俺が死んだら、姐御の右腕になってくれ。ゴンザレスの奴よか、お前の方がいい。見所があるよ。――っと、もう行かなきゃな。遅れたら大変だ」
クロも走り出した。夜の暗がりに仁王像は黒く塗りつぶされている。
「っていうか、最近俺たちの影薄くねえか? こう、華々しい活躍ってのを見せられてねえよな。あの爺さんが絡んでから全部が後手後手だ」
「だから、そいつを話し合うんだよ。この辺で一回纏めるんだってさ」




