風の便り
僕が幼く、今日という一日を忙殺することで辛うじて繋ぎ止め、人生についての不安を全くといって持たなかった頃、春の小川を吹き抜けてきた風から、ある種のアドヴァイスのようなものを受け取った。
それは次のようなものだ。
「人がこの世の中に残せるものは、惜別の前の微笑だけである。」
「それはつまり、人は微笑することが許されているということである。」
僕はこのアドヴァイスに概ね賛同する。なぜなら、これは風の便りであると同時に、短い僕の人生で得た、ささやかで、確からしい教訓であるからだ。
教訓というのは、とても大切なものだ。それは、ときに僕を励まし、ときに僕を奮い立たせる。
もう風の囁きは、僕には聞き取れることができなくなってしまったけれど、別に今は過ぎ去ってしまった過去を想い悲しみ、懐かしんだりするわけではない。ただ、春の風が目を閉じた僕の頬を撫でるとき、なぜだか泣きたくなる。それは風が思い出させるからだ。
遠いどこかに大切なものを忘れてきてしまった気がする。岬のあの白い郵便受けがある灯台はどこだったか。
なぜ過去は、僕を責め立て、あらがうことのできない強い流れで押し流そうとするのだろう。
人がこの世に残せるものは、惜別の前の微笑だけだ。