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夏のホラー2020

雨宿りの猫、スマートフォンの叫び

掲載日:2020/07/29

 頬がひんやりと濡れた。空に浮かぶ雲が頭の上に凝集している。足元のコンクリートには、斑模様の染みが一つ、また一つと現れては消えていく。

 立ち入り禁止の屋上には、鼠一匹見当たらない。

 やがて降りだした雨は、階段を下りて廊下にさしかかるころには、激しい音をたてて窓を叩いていた。

 小さなクマのストラップが、木村沙耶の胸ポケットでメトロノームみたいに揺れている。

 扉を開けると、ついさっきまで賑やかだった教室には誰もいない。急いで消された黒板には、白いチョークの痕跡が、細い帯となって残されている。

 出しっぱなしの箒に、しまい忘れた教科書。隅っこに置かれた水槽から鳴るエアーと、口を開いては閉じる金魚たち。

 時計は午後六時を回っている。秒針は一定のリズムで時を刻む。

 スマホを取り出すと、クマのストラップがポケットから名残惜しそうに離れた。沙耶はスマホを耳に当てる。

「沙耶、やっぱり君か」

 電話の向こうは英夫だった。

「そうよ。あなたの声が聞きたくなったの。私のことどう思ってるの?」

「何度も繰り返すようだけれど」

「愛してるって言いたいんでしょう。分かってる。もしも私を失うようなことがあれば」

「とても耐えられないよ」

 英夫はため息を吐いた。

「君をいつも感じている」

「嬉しいわ」

 スマホを握る沙耶の掌に熱が帯び、自然と笑みがこぼれる。

「突然私がいなくなったら」

「怖くて堪らない」

 ふいに赤い光が校庭に走る。雨の音に紛れて、サイレンがくぐもって聞こえる。

「パトカーが来たわ」

 窓辺に駆け寄った沙耶は呟いた。

「警察なんて、」

 英夫が言いかけた言葉を聞き終える前に、

「ごめん、またあとで」

 沙耶は電話を切った。

 昇降口にこもった足音が、廊下へと伝わる。早足で沙耶へと近づいてくる。

 階段の踊り場で佇む沙耶は、婦警に掴まれた腕を払おうとはしなかった。

「今度は逃げちゃ駄目ですよ」

 肩で息をする婦警の台詞など、沙耶はどうでもいい様子で、クマのストラップを弄んでいる。

 下校途中、背後からやってきたパトカーに呼び止められたのが午後五時過ぎだった。

 降りてきた婦警が沙耶の隣にぴたりと寄り添う。

「木村沙耶さんね?」

 黙って脇を通り抜けようとした沙耶を、両手を開いて婦警は遮った。

「あなたは電車通学よね。今朝の駅で、多くの目撃情報があったわ」

 沙耶が曖昧に頷くと、

「谷中英夫くんを知っているかしら」

 英夫の名前に沙耶の肩が僅かに震えた。婦警はそれを見逃さなかった。

「駅でのこと、詳しく教えてくれるかな」

 じりじりと詰め寄る婦警を置き去りにした沙耶は、今こうして再び捕まっている。

「英夫が悪いの」

 沙耶が唇を割ったことに驚いた婦警は、目を丸くしている。突然に話し始めたのだから無理もない。瞬時に落ち着きを取り戻した婦警は、黙って続きを待っている。

「二週間くらいかな、英夫が違う車両を選ぶようになってから。恥ずかしがりやだから、仕方ないと思っていたわ。最近は電車の時間も早かったり、ギリギリだったり、会わないことも増えてきて」

 喋るそばから沙耶の心は苦しくなってくる。思わず胸元のクマのストラップを握る。

「今日は久しぶりに同じ時間になった。私とっても嬉しくて、舞い上がりそうだった。でもね」

 婦警が唾を飲み込む。踊り場の鏡に反射した沙耶の顔はひきつり、噛み締めた歯が割れんばかりに擦れている。

「楽しそうだったわ、英夫。あんな笑顔見たことなかった。だから、見間違いなの、英夫じゃない。偽者がいた。外見はそっくりなのに、中身はまるでなってない。だって英夫は私のことだけ考えていればいいんだから」

「まさか沙耶さんあなた、それだけの理由で」

 青ざめた婦警が握っていた手から、力が抜けていく。

 校門のそばに停まっていたパトカーに乗り込んだ沙耶は、掌を見つめて、今朝の感触を思い出していた。

 英夫の偽者がホームから姿を消したときの、並んで歩いていた悪魔の取り乱した顔を沙耶は忘れない。魔術によって産み出された偽りの英夫がいなくなって動揺していたのだ。

 沙耶の手は、ちょっと前の温もりを保ったまま、悪魔の柔らかな胸を突いた。驚くほど軽い悪魔の体はふわりと宙に固定されたまま、瞬きする間にどこかへ運ばれたようだった。

 ホームに落ちていたクマのストラップは、本物の英夫の重要な手がかりで、沙耶は急いで懐に収めると、そのまま駅をあとにした。

 誰もいなくなった学校。泥だらけのグラウンドに、一匹の猫が迷いこんだ。降りしきる雨に打たれた猫は、冷たさや苦しさを凌ぐために校舎へと歩みを進める。

 昇降口の手前に張り出した屋根の下に辿り着いた猫は、暖かそうなクマのストラップにすり寄った。

 その拍子にスマホが点いて、留守電が流れる。

「沙耶、やっぱり君か。何度も繰り返すようだけれど、とても耐えられないよ。君をいつも感じていると、怖くて堪らない。このまま続くようであれば、警察なんてことも覚悟してもらおう」

 猫がクマに体を撫でつける度に、留守電が再生される。

 ボリュームはスピーカーで最大に設定されている。

「沙耶、やっぱり君か。何度も繰り返すようだけれど、とても耐えられないよ。君をいつも感じていると、怖くて堪らない。このまま続くようであれば、警察なんてことも覚悟してもらおう」

「沙耶、やっぱり君か。何度も繰り返すようだけれど、とても耐えられないよ。君をいつも感じていると、怖くて堪らない。このまま続くようであれば、警察なんてことも覚悟してもらおう」

「沙耶、やっぱり君か。何度も繰り返すようだけれど、とても耐えられないよ。君をいつも感じていると、怖くて堪らない。このまま続くようであれば、警察なんてことも覚悟してもらおう」

 スマホの電池がこと切れるまで、録音された英夫の声が鳴りやむことはなかった。(了)


いつも読んでくださる皆様、本当に有難うございます。

感謝の気持ちを執筆に代えさせて頂きます。

書くことが恩返しと思ってますので、引き続きたくさん書いていこうと思います。

宜しくお願い致します。


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