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第三章 2

1944年10月15日 横須賀



 日本的な雅さの顔に黒髪を丁寧になでつけた男と、ブロンドの中年男性が、コンクリートと鋼鉄で組み上げられた人工の大地の上、港の桟橋で一服をついていた。

 地面の脇のトレー(お盆)には日本の様式から外れた瀟洒なポットがあり、二人の手には湯気を立ち上げる黒い液体が満たされている。

 

「書類上だけの『竣工』、ですか」


 金髪の男が、目の前のグレーの塊を臨みながら、ぽつりと呟いた。

 

「上としては、フィリピン辺りで起きるであろう戦闘、いや決戦に間に合わせたいようです。竣工していながら、残りの艤装工事を急ぐように訓令してきたとか。

 けど、直に戦場に急ぐより、呉に行った方がいいかもしれない。あちらには、日本の空母の生き残り全てが集められていますからね」


 黒髪の男が淡々と言葉を紡ぐ。

 どちらもドイツ語で、聞きとがめる者はいない。

 

「理屈は分かりますが、複数箇所の工廠を移動するとは素人目には効率が悪く思えます」

「この横須賀第六船渠は、もともと修理用に建設されたものです。本来の戦艦の姿で建造するつもりなら、どちらにせよ呉にいかねばなりませんでした」

「そう言うものですか」

「日本中で7万トンもの巨大戦艦を一から十まで建造できる施設は、呉にしかありません。呉工廠は巨大戦艦を作るための施設みたいなものです。まあ同じ事ができるのは、世界中探してもアメリカのニューポートニューズぐらいでしょう。これだけは、ドイツにも勝っていますよ」

「それだけの国費と努力が傾けられている施設ということですね。分かります」

「けど、この艦は横須賀第六船渠だからこそ建造できたとも言えるんですよ」


 ほう? 技術的関心を秘めた蒼い目が向けられる。

 

「この船渠は本来修理用です。つまり、バラして組み立て直すための施設です。だからこそ、中途半端に戦艦になっていた巨艦を空母に作り替えることができたと言えるのです。それに横須賀工廠は空母の建造に手慣れている。まったく、運がいいんだか悪いんだか」

「いや、運がいいのでしょう。航空母艦こそがこれからの主力艦艇だと聞きます。しかも彼女は世界最大の規模だ。飛行甲板も格納庫も破格のものなのでしょう。

 素人が見ても、あの巨体が呉で見た同じ種類の艦より有効なのが分かります。完全に完成すれば、有効な戦力になる筈です」


 金髪の男が朗らかとも言える口調で断言する。

 そう、見た目には頼もしさや力強さしか感じられないほどの存在感だ。

 

「私も感情的には同意見です。ただ、艦は人が動かすものです」

「熟練者が不足するのですか?」

「どうでしょう。可能な限り熟練者は集められているでしょう。ただ、艦は乗り組んでから半年程度は馴らさなければ、人の方がついていけないのです。

 極論、魚雷を受けても対応すべき乗員が艦内で迷子になって、艦が沈んでしまいかねない」

「なるほど。軍艦内は複雑だと言いますね。そう言えば、艦長着任が二週間ほど前でしたっけ。確か・・・」

「阿部俊雄大佐です。面識は少しあるのですが、お辛い任務になるでしょう。9月に飛行甲板を据え付けて、十日前に進水式と命名、そして今日竣工ですからね。通常ではあり得ないスケジュールだ」

「通常なら、倍ぐらいの時間をかけるのでしょうか?」


 黒髪の男がコーヒーに一口付けてから、コーヒーが原因ではない苦んだ顔を浮かべる。

 

「二倍、いやこれほどの巨艦なら四倍の時間をかけても不思議ではないでしょう。乗員の数も、完全な状態で2500人に達すると聞き及びます。何しろ、本来の竣工予定は来年二月で、それが決まったのも今年頭」

「そりゃ無茶だ。イワンの戦車でももう少しマシなスケジュールですよ」


 昨今のドイツ人らしい物言いに、黒髪の男が苦んだ顔を苦笑に変えた。

 

「そのイワンより遅れた工業力しかない日本としては、無茶を押し通すしかないのです。しかし、イギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズは、お国の戦艦ビスマルクと戦った時いまだ未完成で、工員を乗せていたと聞き及びます。イギリスに出来て日本に出来ない筈ないと、外野としては期待するより他ありません」

「何をおっしゃる、山科さん。進水式の前日、彼女を救ったのはあなただと、通訳の山田から聞きましたよ」

「いや、お恥ずかしい。軍備を担当する軍令部第二部にいると、色々見えてくるものなのです。

 それにこうして仕事の合間に散歩するので、誰もが無視するような日々の変化が、たまたま目に入っただけですよ」


 10月2日の夕方頃、山科は、横須賀の一角を間借りしているマウアー以下、彼の専属スタッフとの報告が終わり、ようやく一服がつけた。

 

 そして一服の時に散歩をするのが習慣になっていて、最近のお気に入りの場所は横須賀第六船渠だ。

 

 昨今の徴兵激化のあおりを受けて、横須賀の様子もだいぶ様変わりしている。

 しかも山科の知る横須賀は、大東亞戦争開戦前の姿であり、見ていて意外に飽きが来ない。

 

 だが、警備体制は以前より厳しい。

 横須賀工廠全体の職員の数も7万人を数え、警備兵や陸戦隊では全てを把握しきれなくなっているからだ。

 

 しかも熟練工を兵役で取られ、不足を補うために民間造船所の工員や海軍工機学校の生徒のみならず、畑違いともいえる他の学部の生徒も動員されていた。

 

 第六船渠も例外ではなく、今までの顔見知りよりも知らない者の方が圧倒的に多い。

 おかげで本来なら入るのもはばかられる場所なのだが、山科の場合階級と役職がものを言った。

 一応の理由もある。

 

 それに軍令部の中佐殿に、わざわざ難癖を付ける馬鹿はいない。

 形式上の手続きを入口で済ませ鉄帽だけ渡すと、後はほったらかしだ。

 山科の方も、目的が散歩なので案内を付けたりはしない。

 

 そして山科が第六船渠を気に入っていたのは、建造中の艦艇が原因していた。

 

 建造中の艦は、航空母艦《信濃》。

 

 本来なら進水式で名前が明らかにされるべきなのだが、1944年7月に10月15日までに竣工させよとの命令が下ると共に、「軍艦《信濃》の本籍を横須賀鎮守府とする」との発令が下ることとなった。

 このため、進水式まで本来110号艦と呼ばれる筈が、早々と名前を得ることになった。

 

 工事ばかりでなく、命名までが勇み足だったのだ。

 

 これを人に例えるなら、まだお腹の中に赤子いるうちに名前を与え戸籍登録までしたようなものだろう。

 

 そして、勇み足という言葉が相応しいのが、工事の進捗状況だった。

 

 帰国後、軍令部第二部の課員として対電波兵器の開発に関わっていた山科は、該当装置の艦載の可能性を模索して、取りあえず自らのチームのいる横須賀での物色を始めた。

 

 当時は、松型駆逐艦が簡易船台で同時に二隻ずつが三ヶ月から半年のペースで建造中で、他に完成したばかりの航空母艦「雲龍」、そして航空母艦《信濃》があった。

 

 だが《雲龍》はすぐにも呉の方に行ってしまい、松型駆逐艦では許容量が小さすぎた。

 

 いきおい山科の目は《信濃》に向けられ、気が付いたら調べたり観察するより、ただ眺めるという行為が日常になっていた。

 

 《信濃》は巨大な艦だけに、見ていて飽きなかった。

 特に当時は凄まじい勢いで建造が進められていたので、一日違えば姿を変えているような状態なので、どこが違う、あそこが増えたと、仕事疲れでぼけた頭を癒すのには丁度良かった。

 何しろ、飛行甲板が据えられたのが9月なのに、10月半ばには竣工を予定しているのだ。

 急ぎようも分かろうというものだ。

 

 ただ、山科の行動は迂闊と言えた。

 軍令部の中佐といえば、軍令部内ではともかく他ではエリート軍人様だ。

 日を置かず見に来る山科の姿に工員達は、《信濃》がよほど重要な使命を持って生まれてくるのだと勘違する始末だ。

 

 だが山科自身が自らの迂闊さに気付くには相当の時間を要し、その日ある人物に対面して初めて気付かされる事になる。

 


 その日、10月2日の夕刻、山科は巨大なドックをただぼーっと眺めていた。

 

 300メートルを超える巨大ドックに鎮座する6万トンの鉄の塊を見ていると、幼稚とは分かっていても気分が落ち着いた。

 日本もまだこれだけのものが作れるのだ、自分にそう言い聞かせるために見ていた。

 今で言うモチベーションを維持するための、彼なりの精一杯の行動であったのだ。

 

 しかし余りにも無警戒すぎたのがいけなかった。

 誰もいない場所で眺めていた筈が、側に誰かが近づくまで気が付かなかったのだ。

 

「山科中佐、久しぶりだな」


 ゆっくりとした気分のまま声の主を捜し求めると、そこには見覚えのある顔があった。

 

 阿部俊雄大佐だ。

 山科は、「お久しぶりです」と軽く会釈だけすると、緩んだ顔のまま視線を前に戻した。

 

「ところで、何をしている? 毎日と聞いたが」

「仕事の合間の散歩と気分転換。そんなところです、阿部さん。これほどの巨艦になると、見ていて飽きないものです」

「飽きない、ね。気楽なもんだな君は」

「はい。不謹慎だとは思います。しかし、今の内だけですから、ご容赦ください」

「今の内? 来月には竣工だからか」

「はい。少し違います。早ければ年内、いやもう少し早く、サイパンからの本格的な爆撃が始まります」

「それは、軍令部の見解かね? それとここに君がいる理由か?」

「どちらも違います。ただ、ここに来ている理由は、少しばかりこいつから元気をもらいに毎日来ているだけです」

「元気? まあ、確かに見た目は頼もしいか」

「はい、内実がどうであろうとも、それだけの存在感はあると思います。それより、」

「それより?」

「はい、進水式はあと数日と聞きました。事実でしょうか?」

「予定は発表されているだろう。進水式は10月5日で変わりない。艦長である私が保証しよう」


 阿倍の声は、少し面白がったような声色だ。

 彼としては俺が艦長だとは知るまいと言いたげだ。

 しかし山科は少しばかり首を傾げただけだった。

 それに阿部も怪訝な顔になる。

 阿倍の顔を見て、組織人としての性から山科が言葉を足した。

 

「いや、これほどの巨艦ともなれば、事前に水を引き入れなくても大丈夫なのかと思いまして。

 ホラ、普通なら転落事故防止に入れておく海水を抜いて、ドックの底が見えているでしょう。流石、見た目通りの巨艦ですね」

「何を言っているんだ。いかなる巨艦であろうとも進水式前に海水を入れねば流され、最悪ドックの壁にぶつかり損傷する危険性がある」


 阿倍の声が、少し非難がましいものになる。

 

 だが、夕日を浴びて黄金色に見えなくもない筈のドック底は、確かに重構造のコンクリートが見えている。

 これでどうやって艦の中にバラスト用の海水を入れるというのだろう。

 それとも既に入っているが、当然のこととして艦長たる俺に知らされていないと考えるべきか。

 山科の言葉に、数多くの理不尽が渦巻き、阿部は焦りと怒りで煮えくりかえりそうになった。

 

 もっとも当の山科は、そうなのですかと言いたげな顔をしている。

 その顔に阿部が畳みかけた。

 

「いいかね山科君、この《信濃》は確かに今月中には竣工予定だ。しかし内実は、まだまだ未完成なのだ。竣工までに缶が完全な状態に持ち込めるかどうかすら分からない。

 艤装も完全に終えるには、三ヶ月は必要だ。乗組予定の将校も水兵もまだ全然揃っていない。ついでに言えば、私が本艦の艦長に任命されたのは、聞いて驚け、なんと昨日で今日着いたばかりだ。これが君が頼もしく思う《信濃》なのだ」

「では、進水式までにする各種試験は?」


 阿倍の流石の物言いに、山科が正気に戻るより唖然となった。

 

「一部省略されている。だが、君の言に助けられたよ」

「では、まさか」

「君の思っているまさかかどうかは分からないが、現状は危惧するに値する。やはり、急ぎすぎるとロクな事はないな。山科君のように、悠然と眺める人間も必要みたいだ」

「誉められたとは思えませんよ、阿部さん」

「誉めてはいない、感謝しているだけだ。礼はいずれするが、これで失礼する」


 そう言うと阿部は、来た道をとって返した。

 

 そしてその日からは、進水式への最後の追い上げ工事に加えて、全力を挙げての進水式準備が始まった。

 

 阿部が声をかけるまで、いつものルーチンで作業していた工廠員たちだったが、そもそも横須賀工廠の人間はドックで巨艦を作ったことがない。

 大型艦の建造はいつも船台で船体を組み上げ、艤装岸壁で仕上げている。

 先々月仕上がった雲龍もそうやって建造されたし、他についても然りだ。

 この時代、ドックで軍艦を全部作ってしまう方が珍しいのだ。

 現に横須賀のドックのほとんども修理・整備用のドックばかりで、第六船渠も本来は建造用ではない。

 その上第六船渠は、1940年5月に《信濃》建造のタイムスケジュールに合わせるように完成し、《信濃》の建造が初めてだった。

 

 また、日本海軍において本当の艦艇建造専用施設は、鎮守府の役割を持つ施設が柱島を中心に付近港湾に分散されて密度が下げられている呉工廠だけと言っても良いぐらいだ。

 横須賀は、規模の割に色々な施設が一つの港に詰め込まれ過ぎている。

 

 だからだろうか、阿部が最初血相を変えた件は、工廠関係者がほとんど理解できなかった。

 ようやく気付いたのも普段は修理ドックから移動になった工員で、ようやく事態が動き出す。

 

 そして進水式の準備に関連する見直しはありとあらゆるものに及び、ドックの扉船のバラストタンクが空な事も分かった。

 もちろんと言うべきか、《信濃》に注水されているべき海水も皆無であり、あまりにも単純な落ち度に関係者を騒然と言うより唖然とさせた。

 ただし、それからは実に日本的だった。

 あらゆる準備が二重チェック態勢でマニュアル通り進められ、さらには進水式前日からポンプを使って海水の導入が始められ、進水式の朝までに50センチほどの海水が引き入れられた。

 

 おかげで前日夕方までに終わるべき《信濃》そのものに対する作業は深夜にまで及んだが、前日中に全員が取りあえず胸をなで下ろす事ができた。

 


「本艦はこれより《信濃》と命名します」


 10月5日午前8時半、順調に進水式が始まり、その日の10時には無事に命名式を迎えることができた。

 午後には出渠も始まり、曳船複数に引かれながら巨体を艤装桟橋につける。

 

 もっともそれから十日は、名目上の「竣工」という条件を整えるために、艤装工事を進めつつも、乗員、燃料、食料、水などを積み込む作業と、無理矢理の公試に使われたと言っても過言ではない。

 

 一番の大仕事もボイラーに火を入れる作業で、それとて竣工に間に合ったのは12基のうち8基過ぎなかった。

 当然ながら全力発揮など不可能で、どれだけ頑張っても現状では24ノット出るかどうかだ。

 他にも、飛行甲板側面にハリネズミのごとく装備される予定の高角砲、機銃、ロケット砲のほとんどが装備されておらず、張り子の虎のような状態だった。

 

 取りあえず出来るのは飛行機の発着だけで、この点だけは命令を出した者達が求めた条件をクリアしたと言えるだろう。

 

 その証拠に、最低限のものが積み込み終わった時点で開始された公試作業も、横須賀の航空隊から別訓練の名目で用意された最新鋭の紫電改の艦載機型の発着試験を行うなどが中心で、洋上飛行場として以外のほとんど全てが無視された。

 

 そして、取りあえず動き、使える事が分かると、安堵したかのように工事の続行を進め可能な限りの資材を持ってくる努力をした。

 

 しかしその後の状況も二転三転する。

 

 竣工からわずか4日で、フィリピン方面での決戦準備が始まったからだ。

 瀬戸内海に待機されていた小沢提督の空母部隊が出撃し、リンガにいた海軍の主力部隊もブルネイに進出。

 フィリピン諸島レイテ島に上陸した米軍の大部隊に対する攻撃を開始する。

 

 おかげで《信濃》の存在は、未完成の本艦が戦場に出るなど以ての外という阿部艦長の言葉と共に忘れ去られてしまい、横須賀の艤装岸壁に戻っての工事が急ぎ行われるだけになった。

 

 そして10月25日、捷一号作戦が事実上の失敗に終わり、艦艇の多くが失われた事が判明した。

 出撃した空母の全てと戦艦部隊も半数が失われ、《信濃》1隻建造しても仕方ないのではないかという噂が飛び交った。

 

 そしてその翌日、東京の海軍軍令部では、《信濃》の処遇をどうするかの議論が、捷一号作戦の後始末と、今後起きるであろう戦闘に対する算定の間に行われた。

 

「では、捷一号作戦での現状での損害状況確認はここで一旦止め、次は現在建造中の艦艇について討議したいと思います」


 議事進行役の大佐が音頭を取る。

 

 会議は軍備を担当する軍令部第二部で行われており、山科も課員中佐ということで呼び出されていた。

 

「まずは《信濃》だな。確か竣工は済んでいたな」

「はい、艦載機の発着試験も11日に終わっています」

「なぜ小沢の艦隊に渡せなかった。11日なら19日に出撃した小沢艦隊に間に合ったのではないか」

「確かに間に合っていれば、もっと持久できただろうし、《信濃》の防御力なら帰投すら可能だったかもしれません」

「しかし、というわけか、続けろ」

「《信濃》の現状は、竣工とは書類上だけ、取りあえず動くというだけです。武装はほとんど無く、缶も三分の一に火が入っていない状態です。当然と言うべきか、乗組員も揃っていません。先日の時点では今少し状態が改善していますが、現状でも艤装工事は続行されています」

「なぜそんな状態で竣工としたのだ」


 艦の建造を担当している課員と第二部長の会話に、誰かが口を挟んだ。

 しかし誰も答えない。

 上座の男に至っては、何事も無かったかのように議論を再開する。

 

「言葉通りなら、まともに竣工するには三ヶ月はかかるな。しかし今の問題は、どれの建造を急がせ、どれを中止するかだ。実際《信濃》はどうなのか?」


 部長の言葉に、説明をしていた同じ中佐が続ける。

 

「三ヶ月いただければ、完全な状態に仕上がります。本来の予定でも翌年1月が完成予定でした。しかし、これからレイテで傷を負った艦艇が多数帰投してきます。それらの修理を優先させるとなれば、工事は止めざるをえません。建造を続けるなら、彼らが帰投する来月半ば頃までに何とかすべきでしょう」

「時間はあと三週間か。

 で、具体的な対策は?」

「俺としては、《信濃》の優先順位は下げるべきと考えます。何より完成に必要な物資が不足しています。特に備砲を所定の数揃える事はできません」


 課員は、言いにくいことを全部言い切って、責任を部長に預けてしまった。

 

 部長も黙り込み、《信濃》の責任問題をどうするかの目になっている。

 

 その議論の間、山科は艦艇とはほとんど関係ないので、早く会議が終わってくれないかとしか考えていなかった。

 彼が担当する装置は佳境に入っており、彼が次の配属まで割ける時間は二ヶ月を切ってしまっているのだ。

 一時でも現場を離れたくなかった。

 

 しかし、いつもは中腰配置ということで逃げ出しているだけに、重要会議まで欠席するわけにはいかないので、渋々席を温めているだけだ。

 

 そんな考えなので、部長が他に意見は無いかと問いかけた言葉を聞き逃してしまい、何も気付かず不意に上げた顔が部長の目とすれ違ってしまった。

 

「山科中佐、何か?」


 いい生け贄を見つけたと言わんばかりに、部長が話を振ってきた。

 山科は、自身が不意を打たれた事を自覚しつつも、起立するより他ない。

 

 そして、時間稼ぎをして適当な答えへと導く口車を始めざるを得なかった。

 傍流とは言え実家が公家なので、小さな頃から知人縁者に対する言い訳は得意なのが、そのまま素で出た形だ。

 

「俺も、基本的には《信濃》の建造遅延もしくは凍結に賛成です。フィリッピン近海の海が米海軍に閉ざされる以上、燃料事情は今以上に逼迫する可能性が高まっています。そんな中、有効な艦艇のみを残すことに専念すべきです」

「《信濃》は有効なのではないかね。複数の死人が出るほど竣工を急いだ艦だぞ」

「はい。しかし完成してない艦艇より、既に完成している艦艇を重視すべきです。母艦だけでも、呉には小沢閣下が残された、雲龍、天城、葛城があります。これらの運用可能状態に持ち込む努力をすべきです」

「君の論に水を差すようだが、《信濃》はもう竣工しているのだ。君の言うほど簡単に結論を出せる議論ではないのだ。意見がないのならもう良い」


 部長が山科の長広舌に嫌気をさした。

 山科としては望んだ結果の一つだが、このまま引き下がれば今後の出世に影を差すとも限らないので、最後を攻撃的議論で締めくくることにした。

 丁度、頭にひらめいた事があったからだ。

 

「はい。意見はあります。前置きが長くなったことはお詫び申し上げますが、お聞き願えますか」


 首で部長が促す。

 

「ありがとう御座います。さて、《信濃》は排水量6万トンを超える巨艦で、完成すれば大和級を凌ぐ防御力を発揮する構造です。

 また、レイテ沖での最新情報では、誠に残念ながら沈没に至った《武蔵》は、魚雷を20本以上受けてなお四半日近く浮かんでいたと報告されています。

 つまり《信濃》も同じぐらいか、それ以上の防御力を持ちます。

 一方、先に挙げた雲龍など3隻は、正規空母ながらミッドウェーで奮闘した飛龍の改良型。魚雷を5本も受ければ、常識的に考えれば応急処置も間に合わないでしょう」

「つまり、三隻を生殺しにしてでも、《信濃》の稼働状態を維持しろという事か」

「はい、それもあります。では、話を続けさせていただきます。次にマリアナ、台湾沖、レイテで我々は多数の母艦に搭載すべき艦載機の多くを失いました。今後も搭乗員の問題から多数を供給するのは難しいでしょう」


 搭乗員は今考えるべき問題ではない。

 誰かが座ったまま机を叩いた。

 だが山科は無視して続ける。

 

「つまり、多数の母艦を維持しても、最早あまり意味はありません。それでも箱が必要なら、丈夫なのが一つあれば十分でしょう。

 そこで私としましては、艤装に必要な部品を雲龍など他の母艦からはぎ取ってでも《信濃》を完全状態に持ち込み、起死回生の逆転劇への投入を期してはどうかと提案いたします」


 議場が騒然となった。

 完成した艦から装備を取って、未完成状態の艦を完成状態に持ち込むなど前代未聞だからだ。

 

 しかし、すでにレイテに艦隊丸ごとが突っ込もうとしたように、戦争全体が無茶苦茶なのだ。

 それならこっちも横紙破りの一つぐらいしてもいいんじゃないか。

 そんな雰囲気も漂い始めていた。

 

 当の山科は、言い切った時点で興味を失い、再び自分の仕事の事に思考を集中させ、会議を結論を危うく聞き逃すところだった。

 

 その結果とは、《信濃》を呉に急ぎ回航して、必要性の低い艦艇から装備を融通して完成を急ぐというものだ。

 回航は3日後の10月29日、「改装」工事完了は12月10日。

 命令はただちに聯合艦隊に下され、翌日にはそれぞれの現場に届いた。

 

 それが空母《信濃》に下された、官僚化した海軍の決定だった。

 


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