第7回 夫婦愛
家を出て行った歩が戻ってきて…
明け方、ようやく僕は家に帰った。晴香がいるかどうかわからなかったが、玄関に彼女の靴があり、いることがわかった。
妙に緊張する。最低な言葉で晴香を傷つけたのだ。
静かだ。何の気配もない。
晴香はどこだろうか。無意識に捜し、すぐにその異変に気づいた。
晴香は、居間のテーブルに突っ伏して動かなくなっていた。
「晴香!」
慌てて傍に駆け寄った。しかし、すぐにただ寝ているだけだということに気づく。一瞬、最悪な考えが浮かんできたのでほっとした。
それでも、一目見てずっと泣いていたことがわかる。寝ながらも涙の痕がついていた。
どうしようもない想いが込み上げてきた。僕は寝ている彼女に囁く。
「僕が晴香を嫌いになるはずがないよ」
誰にも聞かれない言葉が続く。
「むしろ好きすぎてたまらない。もちろん、これから生まれてくる子供も・・・・・初めて赤ちゃんができたって聞いたとき、晴香が僕のプロポーズ受けてくれたときと同じくらい嬉しかったよ」
僕は空を仰いだ。
「2人は僕の一生の宝だ・・・ずっと僕が守りたかった。だけど、僕じゃだめなんだ。僕じゃもう2人を守れないんだ・・・・・」
そこまで言い終えて、僕は自分の身支度をするために部屋に行こうとする。
「なんで?」
その声が聞こえるまではそうしようと思っていた。
はっとして振り返ると、いつのまに起きていたのか、晴香が泣きはらした瞳でじっと僕を見ていた。僕は目をそらした。
「私のこと好きなら・・・なんで別れるって言うの?」
「・・・・・・・・」
「答えてよ」
答えられなかった。自分は晴香の出産予定日の前日に死ぬからなんて言えなかった。
晴香が一歩前に踏み出す。そのとき、彼女が急にバランスを崩して倒れこんでしまった。
「あっ・・・!」
とっさに足が出て、気がついたら僕は彼女を支えていた。
「歩のバカ」
「え・・・」
「歩は嘘をつくとき、目が泳ぐ。普段目を見て話す人が急にそらすなんて、嘘言ってるに決まってるもん」
そう言って、晴香は僕の頬をぎゅーっとつねった。結構痛かった。
「理由を話してよ。なんで別れるって言ったのか」
もう完全に僕の嘘がバレている。でも、少しだけほっとしている自分に気づいていた。
別れたくなかった。
∞
いつのまに寝てしまったんだろうか。気がつくと、正午を過ぎていて窓から差し込む日差しがまぶしく感じられた。
頭が痛い。いろいろなことが一気に体験したからだ。
「おはよー」
そのとき、寝室のドアを開けてひょっこりと顔を出す晴香が見えた。
「昨日から寝てなかったもんね。よく眠れた?」
「あ、うん・・・」
結局、あれから晴香は僕に何があったのか訊くことはしなかった。僕が言いたくなさそうだったから、あえて訊くことをやめたのだろう。
今は、何事もなかったかのように接してくる。
「晴香・・・!あのさ」
晴香は黙って振り返る。
「さっきはごめん!あんなこと言って、晴香も生まれてくる子供も傷つけた・・・・・・」
「・・・・・・」
「怖かったんだ・・・失うことが怖くて、先に自分から失うことを考えた・・・許してほしいなんて言えないけど・・・・・ごめん」
僕は必死に頭を下げる。もう後先なんて考えていなかった。
「今回のことで晴香が僕に愛想つかしたのなら、そのときは僕は身を引く。もし・・・こんな僕でもまだ一緒にいてくれるんなら・・・・・」
「どうするー?」
晴香はまだあまり目立たないお腹をさすって、中の子供に尋ねる。
「―うん、そうだね。お父さんを許すってさ」
「え・・・・・」
顔がほころびかけたとき、急に彼女の腕が伸びてきて、僕のみぞおちに見事に入った。
「うぇっ」
「よーし!これですっきりした!」
晴香は満面の笑みで、体をくの字に折る僕の頭をぽんぽんと叩く。
「こんないい女泣かせるなんて・・・・・私、自慢じゃないけど学生時代結構モテモテだったんだからね」
失いたくない。
このとき、僕は初めて死にたくないと思った。




