二つ目の商品の正体 1
週が明けて、出勤すると早々に日高に捕まった。いつものように自分のデスクに呼ばれたのではなく、連れ出され、そのまま会議室に連れて行かれた。
日高のノックで入った会議室は物々しい雰囲気が充満しており、内田は部屋に入るなり、刺さるような鋭い視線を集めていることに気付いた。内田はなんでこのような場に呼ばれたのか分からず、困惑のあまり立ち尽くしていた。
「営業二課部長の日高です。件の内田広樹を連れてまいりました」
日高が強張った表情で喋る。その緊張が内田に伝わり、さらに緊張の度合いを高める。内田はこの場が会社の重役の集まっているであろう会議だということは理解できるが、そんな場に自分が呼ばれる原因が分からず、知らないうちに背信行為だとか会社に対して損害を与える行為をしてしまったのではないかと、記憶を辿るも思い当たるものに行き当たらなかった。あるとしたら、それは――。
しかし、それは口にしたところで到底信じてもらえるようなものではなく、どうしたものかと今にも頭を抱えたくなるのを必死でこらえながら、何を言われるのか待つことにした。
「それでは、早速で申し訳ないのですが内田君、あなたに確認したいことがあります」
進行を担当している男性がマイク越しに内田に話しかける。内田は返事をし、一歩前に進み、姿勢をただす。
「それでは、内田君。あなたは相原製作所という会社はご存知ですか?」
「ええ、知っています。有名ですので」
相原製作所は中規模な会社ながら創業者が一代で会社を大きくし、俗に言う大企業とのパイプをいくつも持っている。会社の評価や知名度は大企業と肩を並べている。
「それでは、前社長で現会長である相原耕作氏と面識はありますか?」
内田は頭を捻る。本当に心当たりがないのだ。
「ない……と、思います」
内田の返事にざわつくも、すぐに部屋は静寂を取り戻す。そして、進行の男性が確認するように会議の参加者たちに目配せをする。それに対し、一様に小さく頷いたり、目を閉じたり反応を示す。それを確認し、進行の男性は改まって内田に尋ねる。
「それでは、あなたがここに呼ばれた事情を含めて、説明させていただきます。これから話すことは機密に該当しますのでくれぐれも口外しないようにお願いします。仮に口外された場合、重い処分を科すことになりますのでそのことをよく覚えておいてください」
内田は思いのほか重大なことに巻き込まれているのだと実感し、生唾を飲み込む。
「今、我が社の企画開発部は相原製作所との共同事業に向けて、水面下で内々に話を進めており、それは我が社の社運を賭けていると言っても過言でないほどの重要プロジェクトなのです。そして、近々我が社からの最終プレゼンが行われ、それによって今回のプロジェクトの可否が決まるのです」
進行の男性は間を取るかのように、内田を含む会議室にいる面々を目だけで見渡す。そして、手にしている書類に目を落とし、話を続ける。
「そして、ここからが内田君、あなたをここに呼びだした理由になります。その今、我が社にとって重要な案件である相原製作所と進めているプロジェクトとは別に、あなたを名指しで何か合同の企画をと言って来たのです」
内田は呆気に取られると同時に、言っていることが理解できず呆然と立ち尽くす。
「どうして、私なんかを先方は指名されたのでしょうか?」
内田は搾り出すように声を出す。唇が小さく振るえ、指先が感覚がなくなるほど冷たくなっていることから極度の緊張をしていることを実感する。
「それが分からないので、あなたを呼んだのです。そして、相原製作所としてではなく、会長の相原耕作氏が個人的にあなたと仕事がしてみたいと、直接電話を掛けてきたのです。内容次第では社として取り組んでもいいとのことで、これは我が社にとって、願ってもないチャンスなのです」
「は、はあ……」
内田はどこか違う世界の話を聞いているようで、生返事を返すことしかできなかった。
「また、事態の把握のために相原耕作氏にアポイントメントを申請しましたら、今日の午前中に相手方に内田君本人が一人で来るということを条件にアポイントが取れました。だから、今から君には相原製作所に行ってもらいます。内容については、後日検討するという理由でコネクションと窓口の維持を目的に話を聞いてきてほしいのです」
「それはとりあえず、仕事の中身は据え置きで仕事を共にしましょうという確約をとってこいということですか? そして、その中身は私は関係なく社の意向で決めるということでしょうか?」
「そうですが、それであなたに何か問題が? もちろん上手く事が運んだ際には臨時の報酬を約束します」
内田は頭を悩ます。言い方からして会社としての方針は決定済みで内田本人は形だけで蚊帳の外で話を進められるのだろう。プロジェクトを二本同時進行できると有利に運べるのは分かる。それで、今回の呼び出しに提案――。
しかし、これは内田にとってのチャンスで、不当に奪われていいものではない。今までの内田なら言われた通りにしていただろう。だが、ここで一歩踏み込めば見える世界は変わる可能性があることをもう知っている。
内田は深呼吸をし、拳を強く握り、勇気を搾り出す。
「それは、あまりにも不誠実ではないでしょうか? そして、上手くいかなかった際、我が社が被る損害は大きいと思われます」
内田のまさかの反論に室内はにわかにざわめく。
「ほう。それで君はどう思うんだい? 言ってみなさい」
一人、マイクで意見を促す男性が現れる。それは内田の会社の取締役だ。取締役の一言にまた一層ざわめきの波が大きくなる。内田は取締役の方に視線を固定させる。
「はい。相原製作所は大手企業と強いコネクションがあります。なのでプロジェクトが成功すれば、その大手企業に対しても、モデルケースとして見せることができ受注はおそらく増えるでしょう。しかし、仮に失敗、もしくは、相手の意見・意向を無視したことが露見した場合、同様の理由で我が社の被る損害はとても大きくなるでしょう。ともすれば、今現在、我が社と良好の関係にある企業にまで影響がでるかもしれません」
取締役は静かに聞き、一度頷いてから尋ねる。
「それは私も懸念しているところではあった。それでは、君はどうしたらいいと思うかい?」
内田は頭を回転させる。ここで説得か、納得させることができれば、大きなチャンスになる。ただありきたりなことを言っても、状況は変えられない。
内田は自分がこのチャンスを掴むために、砕け散ってもいいくらいの覚悟で一つの提案をすることに決める。
「この際ですから、相手の希望通りに私に任せてはいただけませんか? どうせ、失敗しても元々なかった話ですので、社にとってはなんのマイナスにもならないでしょう。逆に成功すれば、宝くじや馬券に当たったような不意の幸運を手にしたということではないでしょうか?」
内田は拳を強く握り直し、さらにもう一歩踏み込む決意を固める。
「もし……もしこの提案が気に食わないのであれば、私をクビにするなりしたらいい。ただ、今回の指名をどうこうする前に私をクビにしたら、相手方の信用も失う可能性は高いですよ? 今、相原製作所と関係をこじらせるのは本意ではないですよね?」
内田は冷たい視線に耐えながら、さらに続ける。
「それを踏まえたうえで相手方に知られなければいいというお考えであれば、私が全てをリークしますので隠すことは不可能でしょう。なにせ、相手は私を名指しで指名したのですから。飛び込みでタレこみに行くことは可能でしょう。そうすれば、今進めているプロジェクトはどうなりますかね? さあ、どうしますか?」
これは内田にとっては大きな賭けだった。案の定、部屋の空気は凍り付いている。そんななか、取締役だけが肩を揺らし小さく笑い、次第に声を出して笑う。
「気に入った。そこまで啖呵を切ってくる気概のある奴は久しぶりだ。そこまで言うならば、やれるだけやったらいい」
そう告げ、周りの役員たちに指示を出す。その内容は、一時的に内田を企画開発部に異動させ、独自にプロジェクトを進めさせる。そして、世話役兼補佐役として一人内田につけるというものだった。他に手が必要なときは企画開発部の手の空いてる人材や現在所属している営業二課の手を借りれることにもなった。
また異例ずくめのことであるため、所属は企画開発部だが管轄は取締役直轄の独立したものとし、企画開発部からの干渉は受けない。内田が自分の考えで自由に動けるようにと配慮されたものになった。
それは同時に確実な成果を求められる責任を負ったことと同義で、成功すれば一足飛びの薄氷の上の出世コース、失敗すれば即解雇もありうるという危うい立場になったことを意味していた。
そして、内田はすぐに相原製作所に向かうように言われ、会社を飛び出していった。