再び、最初の商品 2
その日の夜。内田は芳野と待ち合わせて、食事をしに行った。芳野は今回は奢ると息巻いていたが、店の予約などはしておらず、内田がたまにいく居酒屋に二人で飲みに行くことにした。値段も気を使わないし、いざとなれば自分が全額出してもいいという気さえしていた。
芳野は酒が回ってくると緊張が解れたのか、自分語りを始め、それを内田は相槌を打ちながら聞いた。
「あのですね、大学からこっちに出てきてそのまま就職して、大学の友人は地元に戻ったり、時間が合わなくてで、数年で疎遠になったわけですよ。さらにですよ、毎日、職場と家の往復で休みの日は家でゆっくりしていたいしで……職場以外で男性との出会いはないですし、職場の人とはそういう関係になりたくないしで、なんだかもうお先が真っ暗なんですよ」
内田は自分も大学進学を機に上京してきたタチで、さらには根本のところで芳野とは価値観は近いらしく、痛いほど共感できた。
内田が芳野に自分も同じだと伝えると、芳野は笑顔を見せる。内田は最初に会ったときに隠れ美人だと評したが、目の前にいる芳野は隠れもしない美人だった。思わず胸がときめいてしまったほどだった。
「内田さんも同じだなんて気が合いますね。初めて会った時から、私があんなことしたにも関わらず、嫌な顔しないで逆に私のことを気遣うようなそんなとこに、なんかこう……いいなあって思っていたんですよ」
芳野は自分でとんでもないことを言ったことに気付いたらしく、さっきまで持っていた酒の入ったグラスを置き、代わりに水をぐいっと飲み干す。芳野の顔が紅潮していき、急に黙り込んでしまう。内田も釣られるように顔が熱くなるのを感じ、言葉が出なくなってしまう。
しばらく、お互いに下を見ながら固まり、ゆっくりと芳野が口を開く。
「なんだか、変なこと言ってしまい、申し訳ありません。お酒が入っていたとはいえ、私は何てことを……」
芳野は顔を上げられない様子で小声で呟く。
「いや、いいんですよ。気になさらないでください。酒の席で思ってもないことを口にしたりだとか場の空気に流されてなんてこと、よくあることじゃないですか」
内田は笑顔でかつ内心は努めて冷静に芳野に声を掛ける。
「それは違いますっ! お酒が入っていたとはいえ、軽々しくあんなことをなんとも思ってない相手に言えません」
芳野は前のめりになりながら、真っ直ぐに内田に訴えかける。内田は突然のことで驚き、言葉を失う。
「すいません……でも、私が内田さんのことを好意的に思っているのは隠すつもりはありませんし、私のこの気持ちを勘違いして欲しくないんです」
「わ、わかりました」
内田は芳野の告白に心臓がバクバクと、鼓動が大きく強く打つのを感じる。そして、自分の返答次第で芳野との今後の関係が決まるということも察し、先ほどから真っ直ぐと見つめてくる芳野の視線と気持ちに何かしら返事をしないといけないタイムリミットが迫っているのだと感じる。
以前の内田であれば、こういう時、場を上手く誤魔化したり、核心に触れないように流して乗り切ることを考えていた。しかし、ここで何も行動を起こさなければ、掴むことのできないものもあることを今は知っている。
それがきっかけであったり、チャンスと呼ばれる代物なのだ。
内田はここで一歩踏み出せば人生が変わる気がした。
「あのですね、芳野さん。お気持ちは正直に嬉しいです。私のような何の取り柄のない男に好意を抱いてくれているのですから。そして、私は芳野さんのような清楚そうで綺麗な女性と知り合いになれたことを嬉しく思っていました」
内田の言葉につい先程まで不安で暗かった芳野の目は光を帯び輝きだす。
「それじゃあ、また私とご飯食べに行ったりだとか、会ったりしていただけますか?」
「ええ、もちろんですよ。それはむしろ、私から芳野さんにお願いしたい話ですよ」
「あ、ありがとうございます」
内田は芳野の自然な笑顔を初めて見て、うっかりときめいてしまう自分にどこか恥ずかしさを覚える。しかし、その芳野の笑顔に自分の選択は間違っていなかったんだと思うことにした。
その後、内田が全額払おうとして、そのことに芳野が焦り、しぶしぶ割り勘で手を打つことに納得し、並んで会計を済ませる。
そして、駅の改札の前で小さく手を振りながら去っていく芳野を見送った。
内田は家路に着きながら、今日あったことを思い返す。今日という日はいつか振り返ったら、自分の中で転機と呼べる日になるに違いない。そう確信できるほど気持ちや心持ちに変化が生じた日だった。