再び、最初の商品 1
それから数日が経ち、週末を迎えた。先の件以来、拾い屋で買ったものの効果の程が計れないので、新しく何かを買うという気持ちにもなれず、日々をいつも通りに過ごしていた。
しかし、正午を少し過ぎた時間に思いもよらない人物から携帯電話に連絡があったのだ。
「はい、内田です」
『あの、いきなり電話してしまい申し訳ありません。芳野ですが覚えていますか?』
「ええ、もちろんです。どういたしましたか?」
電話の向こうでほっと息を吐いている息遣いが聞こえる。
『あのですね、この前のお詫びを兼ねて、今日の夜に一緒に食事でもいかがですか?』
電話越しにどこか気まずい空気が場を包む。内田からすれば、場を取り繕うために吐いた言葉を真に受けられた形になってしまったのだから、戸惑ってしまい言いよどんでしまうのは当然ではある。しかし、芳野からしてみれば、どんな形であれ、改めて謝罪をする場を作りたかったのだから、この誘いもまた当然のことである。
『もしかして、お忙しかったですか?』
「い、いえ。大丈夫です」
内田はしまったとばかりに額を押さえる。嘘でも忙しいと言っておけば、難なく断ることもできたかもしれない。しかし、あまりない女性からの誘いを断るというのも内田には心苦しいところだった。
「それでどこに何時ごろ待ち合わせにしますか?」
『それでは、七時にU駅の南口方面の改札の前辺りで待ち合わせということでどうですか?』
「わかりました」
『よかったです。それでは失礼します』
電話が切れ、内田はしばらく携帯電話を見ながら固まる。芳野との出会いは拾い屋がきっかけだったわけで、それが何のジャンルに分類されていたのかが気になったのだ。
「仕事がらみの人脈……それとも、恋愛系の出会い? そもそもその前の出来事が買ったもので全くの偶然だったのか……?」
内田は独り言をぶつぶつ言いながら、あの時のことを思い出すためには指示の書かれた紙を見れば何かしらの手がかりになるかもしれないと思い立ち、紙を探し始めた。スーツのポケットの中をひっくり返すが、最初に買った紙は見つからず、代わりに二度目に買った紙が出てきた。それをなんとなしに開いてみて、内田は思わず言葉を失って、立ち止まってしまった。
その紙は、白紙だったのである。
内田は別の紙と勘違いしたのかもしれないと思い返してみるが、白紙の紙を持ち歩くことはまずありえないことだった。メモすることがあれば、持ち歩いているメモ帳に書くし、仕事関係の紙や書類は鞄にしまう。白紙の紙をスーツのポケットに入れる機会が一切ないのである。
内田は頭が混乱してきて、拾い屋の方に無意識に歩を進めていた。内田は気がつくと、拾い屋の前に立っていた。
「いらっしゃいませ。どのような商品をご希望ですか?」
拾い屋は事務的に声を掛ける。しかし、内田はどう話を切り出せばいいかも分からず、言葉を発しかけては飲み込み、結局はただ見つめることしかできなかった。
拾い屋はしばらく黙って内田の様子を見つめていたが、十分近くそうやって立っていたので、
「お客様、どうかなさいましたか?」
と、内田に声を掛ける。
「あ、あの……いえ……」
内田はうまく言葉にできず、困り果て、紙を拾い屋に差し出す。
「これがどうかなさいましたか?」
拾い屋は紙を受け取りながら、眉一つ動かさず対応する。
「どうって……文字が消えたんですけど、これなんなんですか?」
拾い屋は静かに息を一つ吐き、座り直す。
「お客様は何かを成すための最適のタイミングと行動を逃すと、その機会はどうなると思いますか?」
内田は質問の意味が理解できず答えに詰まる。
「答えは、”白紙になる”ということなのです、お客様」
内田は呆気に取られたような顔を浮かべる。
「それでは分かりやすい例を出しましょう。例えば、競馬のあるレースで馬券を当てることができるとします。その買う馬券は買おうと思った方の誕生日に由来する番号だったとします。しかし、実際は馬券が当たるかは買う前から分かるものではありません。何かしらの事情や気変わりが起こって買わないという選択肢を取るとします。その際、買うはずだった当たり馬券はどうなるか? そういうものがこの店に流れてくるわけです。そして、その当たり馬券を買うはずだった機会を誰かが買うのです。ここまでは理解できますか?」
内田は「ああ、なんとか」と、まだギリギリ追いついていない頭で返事をする。
「それでは、その機会を買った方が、馬券を買わなかったらどうなりますか? 答えはもちろん何も起きないということになります。つまりは、白紙になるということなのです。ここで取り扱ってる商品にはそういう性質がありますので、期限がすぎたものは白紙に戻ってしまうのです」
内田は納得できるような納得できないような煮え切らない気持ちになる。
「そして、もうひとつ。私の先ほど言った、最適のタイミングと行動というものを思い出していただきたいのです。もし機会を買った方が馬券のことを思い出し、違う日の違うレースに指定されていた番号の馬券を買ったとしましょう。その馬券は当たるでしょうか? もちろん、たまたま当たり馬券の番号が一致するという可能性は否定できませんが、当たる可能性は極端に下がるわけです」
拾い屋は一息ついてさらに続ける。
「また、当たる馬券なのだからと買う金額を指定より増額したとしましょう。その場合はどうなるか? その場合は馬券のオッズが変動したり、それにより状況が僅かながら変化していきます。それが影響することで馬券が当たらないという可能性が出てきます。要は、確実性が失われるわけです。最適のタイミングと行動というのはこういうことです。これが馬券でなく、誰かとの人脈となれば、指示以外の行動を取れば、紡がれるはずだった縁が繋がらなくなると考えていただいて、差し支えません」
内田は拾い屋の言葉がすっと入ってきて、妙に得心がいき、いつの間にか平静を取り戻していた。
「それでは、お客様。あらためて、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「あのですね、初めて買ったものがどのようなものだったのかを知りたくて……」
「申し訳ありません。お客様がどのような商品を買われ、どのような内容だったかまでは覚えておりません」
拾い屋は深々と頭を下げる。
「いえいえ、無理を言っているのはこちらなのですから、頭をお上げください」
「先ほど、初めて買ったものとおっしゃいましたが、それならば初めてのお客様には、ちょっとした幸運や出会いというものを紹介させていただくことが多いので、もしかするとそのようなものだったかもしれません」
「ええ、まあ。実際そんな感じでした。今日はそれが幸運なのか出会いなのか、それとも全く別のことなのか知りたくて来ただけですので……」
「そうでしたか……そういうことでしたら、力になれなくて申し訳ございません」
拾い屋は再度頭を下げる。内田はまたしても頭を下げられいたたまれない思いになる。
「それでは、もしかしたらまた買いに来るかもしれないので、そのときはよろしくお願いします」
内田は小さく会釈し、拾い屋のいる場を後にした。
そして、内田は拾い屋を通じて出会った人とも、出会ったきっかけがなんであれ、色眼鏡で見ることなく、関わっていこうと心に決めた。