金にまつわる商品 3
内田はそんなギリギリの精神状態でも最後の緊張の糸は切れていなかった。そのおかげですんでのところでパニックにならずにすんでいた。
そんなとき男の内ポケットから携帯電話が着信を告げる音が鳴り響く。男はすぐには電話に応答しようとはせず、内田から目を逸らさず、ナイフも動かさないまま、ゆっくりとポケットから携帯電話を取り出し、耳に当てる。
「もしもし。はい……残念ながら、ありませんでした。……はい、分かっています。それでは、目の前の男を連れて戻ります」
男が電話を切ると、内田の心の中を再度恐怖が襲い、最後の糸も切れる。
「うわああああああああああああああ!!!!!!!」
内田は奇声を発しながら立ち上がり、走り出す。しかし、理性や冷静な思考を欠く今の内田にはどちらが逃げ道すら理解できず、男から単純に離れるように逃げ出す。通路とは反対側の壁に向かって走り出し、すぐに壁に行き当たり自分でさらに絶望的な状況を作り上げる。
男はゆっくりと立ち上がり、ナイフを持った手を内田の方に出しながら、
「いきなり叫んだり走ったりすると驚くだろ? できるだけ大人しく付いてきてくれないかな?」
と、頭を掻きながら独り言のように呟く。そして、ゆっくりと内田との距離を詰め始める。
近づいてくる脅威にまた大きなストレスを感じ、内田は大声を出しながらまたしても走り出す。今度はあろうことか男に向かって走り出した。
男は事情を聞くためにまだ刺すわけにもいかず、咄嗟にナイフを引いた。しかし、内田は獣の習性、原初の本能というべきか動いたものに反応し、危険を回避するためにナイフを持った男の右手首を左手で掴み、ナイフの刃が内田の方に向かないように火事場の馬鹿力で捻るように押さえ込み、そのまま手首を固めたまま男に体当たりをした。
二人はもつれるように勢いよく地面に倒れこんだ。内田は衝撃で頭がクラクラするのを感じながら、ゆっくりと体を起こす。そして、少し冷静になった頭で状況を思い出し、恐怖に顔を引きつらせながら、男からバッと離れ、身構える。
しかし、状況は何も変化しなかった。それは五秒だったのか一分だったのか、長く感じる時間が経っても、何も変わらなかった。男は身動き一つせず、内田以外の全てが時間を止めているかのように思えた。
しかし、遠くから僅かに聞こえてくる雑踏や車の音などから時間が止まってなどいないという当たり前のことを実感する。
内田はおそるおそる男に近づいていく。男は頭を打ったのか、気絶してるようで小さく息をする音が聞こえる。しかし、その呼吸はどこか正常ではなく乱れているようだった。さらによく男を観察すると胸にナイフが刺さっていた。
内田は驚きのあまり、またしても尻餅を付く。そして、男の周りに血溜まりがゆっくり広がっているのに気が付く。それを認識すると同時に、さっきまで男の体近くの地面についていた手の平に不自然なベタつきがあるのに気づいた。
明るすぎるネオンの光が反射し、仄かに明るいその場所で、内田は自分の手の平を見る――。そして、その僅かな明るさでも分かってしまう、血の独特な赤――。
内田はそれを見て、次第に呼吸が荒くなる。混乱したからかもしれないし、脳が状況を整理するためにフル稼動しようと、過剰に酸素の供給を求め、体がそれに応えたからかもしれない。
その場には、内田の荒い呼吸音しか聞こえなかった。内田からすれば、それに加え、今まで感じたことのないほど心臓が激しく鼓動する音と、状況に対する疑問を投げかけ合間に自己保身と現実逃避する心の声が混じり、騒々しさを増長していた。
そこに、「ううぅ……」という男の呻き声が混じり、内田はビクッと体を強張らせる。そして、全ての状況の変化を見落とさないぞとばかりにアンテナを張り巡らせる。
男は呻き声の後に口から血を大量に吐き出し、薄く開けた目で恐怖に怯える内田を睨みつける。
内田は男と目が合い、このままでは自分が殺されてしまうと直感する。直感したと同時に体が動いていた。
男の胸に刺さっていたナイフをさらに押し込んだのだ――。
そして、そのまましばらく男の口から漏れる苦悶の呻き声を聞きながら、人の体にナイフが入っていく感覚を手から感じ続けた。
男にナイフを押し込み、男の呼吸が弱くなるにつれて、内田の頭の中は次第にクリアに冷静になっていく。
そして、男の呼吸が止まると、内田は頭の中でこの状況に対してどうするかという考えが収束していく。
状況的に、正当防衛という主張は通るかもしれないが、人を刺し、その相手がさらに大金の入った封筒を持ったカタギではない人間。常識で考えれば、警察に連絡するなりするのが筋だろうが、警察に届けようにも、ここに至った経緯を説明できないし、そこを隠したまま誤魔化しきれる自信もなかった。それに、正直に話したところで信憑性に欠くものでしかない。
そもそも拾い屋の説明自体が難しい。仮に拾い屋という存在を立証して、そこで買った商品によって、この事態に巻き込まれたと言うのはどうしても苦しい。
なぜなら、警察に届ける頃には、いや、今この瞬間ですら、あの指示の書かれた紙切れは白紙になっているからだ。そう考えれば拾い屋という店のシステムはよく出来たものだと、内田は感心する。どう転んでも拾い屋までは手が届かないようになっている。
感心した後、そんな場合ではないと頭を切り替えどうするか再度思案を巡らせ始める。そして、男が言っていた言葉を思い出す。
「こんなとこで死んでも誰も見つけてくれない」
「こんなところで大声を出しても誰も気付いてはくれない」
「政治家先生との癒着の証拠」
そして、ここに来るための通路とその通路以外ではまともな手段では来ることすらできないこの場所――。
それらを踏まえて、内田は一つの結論に辿りつく。




