15話 昨日見た夢の話なんだけど(完)
気が付いた時、俺は病院のベッドの上にいた。口の中が渇き消毒液の臭いが鼻を突く。
ドラゴン最期の記憶が蘇る。
大きすぎる感情が押し寄せしかし涙は流れなかった。ただただ疲れていた。疲れ果てていた。
全身が萎えて力が入らず、ナースコールを押すだけで三分はかかった。
やってきた看護師さん曰く、俺は七日間精神に異常をきたし危険な行動をとっていたため鎮静剤を打たれていたらしい。話しながら看護師さんは微妙に身構えて距離を取り警戒していた。
泡を吹いて白目を剥き痙攣するところから始まり、意識を取り戻したかと思えばヨダレを垂らして唸りながら四足で歩き。落ち着かせようと近づき声をかければ狂暴化して差し出された手を噛み千切ろうとする。犬のように水を舐め、猫のように丸まって眠ったとか。
錯乱した野生の獣のようだ。
そんな有様だったから深夜の特別病棟を襲った件に関しては心神喪失として処理され不起訴になったようだ。
現場にいた警備員も「人間のものとは思えない叫び声を上げ、普通ではない様子だった」と証言した。それは素なんだが。
この七日間の記憶はすっぽり抜け落ちていて、何一つ覚えていない。
診察にきた医者によれば極度のストレスによる記憶障害であろうという事だった。
医者先生は俺が眠らないために一週間以上向精神薬を服用し続けていたと言うと驚き、危険性を説いて二度とやらないようにと戒めた。慢性的睡眠不足と向精神薬の過剰摂取が錯乱の原因という診断だったが、実際のところはどうなのか分からない。
我が半身どころか全身とも言えるドラゴンの覚醒と喪失が俺の精神をおかしくしたのではないだろうか。こうして他人事のようにそれを考察できてしまうのが精神異常の証左だと思う。
悲しみも怒りも喜びも感じてはいるのだが、遠くの火事を見ているようで実感がない。疲労と虚無感だけがある。
見舞いにきてくれたアリスやニクスによれば、夢世界で破壊された銀の鍵は現実でもひとりでに砕けていて、その特別な力を全て喪失したという。手術で摘出するまでもなく排泄と共に出てきて、残骸の所有を巡って銀の黄昏と交渉の場が持たれているとか。
ハズタトが討たれたため……というより銀の鍵が破壊されたため、夢世界の消滅は防がれた。
銀の鍵に喰われた全てのモノも吐き出されて戻った。夢世界に天地が戻り、草原、大山脈、幻獣たち――――そして夢見人と夢無人も戻った。
しかし完全に元通りにはならなかった。
まずハズタトは喰われたのではなくドラゴンに創造の『次』の力で焼き払われたため、夢世界に入る力を失った。意気消沈しているが、一度は『次』に到達しかけた存在としてアリスに熱心な勧誘を受けている。
今、アリスは夢見人の力を消すだけでなくゼロから創出するチカラを求めている。両方できるようになればアリスの声望と権力はクラネス王を超え揺るぎないものになるだろう。ハズタトはその鍵になり得る。
もう一つは吐き出されたのは銀の鍵が今まで喰ってきた全てだという事だ。
端的に言って夢世界に星が増えた。空を見上げれば月より大きな氷の星や、沸騰する正体不明の流体金属でできた小惑星が浮かんでいる。
未知の宇宙からやってきた銀の鍵は、地球に飛来してくるまでの間に様々なモノを喰らってきていたのだ。それが解放された。
銀の鍵自身が喰らったのかも知れないし、銀の鍵を使用する知的生命体が喰らわせたのかも知れない。銀の鍵が破壊された今となっては知る術はない。
新天地と資源が増え、現在NPCとプレイヤーを巻き込んで調査隊の組織が進んでいる。
なお、俺は七日間夢世界の中でも森の中で野生に帰っていて対話不能状態だったらしい。無駄に強いから治療の試みも全て跳ね返し狂暴な野生の獣として彷徨っていたとか。厄介過ぎる。
正気に戻ってから二日間の経過観察の後、俺は退院・復学した。
叔父さんは旅に戻り、ハズタトは近々最新の再生医療を受けるべく検査入院に入った。
ドラゴンがいなくなったというのに世界は普通に回っていく。
それが酷い喪失を感じさせた。
復学初日、俺は久々に現実の夢の国の支配社本社に出社した。トカゲくん達の様子を見るためだ。俺が発狂している間は長宗我部が世話をしていてくれていて大事ない事は分かっているが心配になる。
狭い階段を上り二階のサロンに入ると、隅のゲージの木の上に二匹のナイトアノールがちゃんといた。
しかし、
「……あ?」
俺は通学鞄を取り落とした。
ナイトアノール全長40cmある大型のトカゲだ。
そのナイトアノールを、10cmぐらいしかない薄汚れた薄灰色の小さなトカゲが踏みつけにしていた。
二匹のナイトアノールは小さなひっかき傷や噛み傷だらけになってぐったりと踏まれるがままになっている。
威風堂々と天を仰いでいたその小さなトカゲは、俺に気付くと小さな金色の瞳で睨みつけ牙を剥きだしてくる。俺には不思議とそれが威嚇ではなく誇らしげに見えた。
全身が震えた。
ゲージは閉め切ってある。部屋も閉めてある。トカゲが迷い込み、あまつさえ自分より三倍も大きな相手を二匹倒してしまうなんて考えられない。
それなのにトカゲはそこにいた。
夢世界から現実に持ち込めるのは記憶だけというのが原則だ。現実に肉体を持たず、夢世界で生まれて死んでいった存在が現実に現れるわけがない。
しかし……あるいは。
もしかして?
俺はゲージを慎重に開け、恐る恐る震える指を小さなトカゲに伸ばした。
トカゲは怯え一つ見せず、じっと俺の指を見て――――
思いっきり噛みついた。
「ぐああああーっ!」
指に絆創膏を貼って。
肩にやたらと耳たぶを噛み千切ろうとしてくるトカゲを乗せて。
入院前と何一つ変わらない学校に行く。
教室に入ると一瞬静かになり、すぐにざわめきが戻る。
耳たぶに噛みついてぶら下がっているトカゲには誰も突っ込まず目を合わせようともしない。腫物扱いはいつもの事で、安心すらする。
俺の席に勝手に座って談笑していたクラスメイトが慌てて立ち、代わりに俺が座ると気まずそうに頭を掻いた。
他のクラスメイトと目線で譲り合い、咳払いしてわざとらしくぎこちない雑談を再開する。
「そういえばさ、」
ああ。
その最初の一言だけで次の言葉が分かった。
聞き飽きるほど聞いてきたありふれた話だ。
その話ができる。何の誤魔化しもなく自然にくだらない話ができる。
それだけのために何があったか知るまい。
何も変わらない日常のためにどれだけの物語があったか知るまい。
だが俺は知っている。
誰よりも知っている。
俺は口角を上げてその言葉を聞いた。
「昨日見た夢の話なんだけど」