13話 明日する昨日の約束
十年前、ハズタトは四歳だ。
未来を変えるにはハズタトが初めて夢世界にやってくるこの時しかない。
ハズタトの「夢世界にずっといたい」という決意は強固で、夢見人が皆そうであるようにその意思はどんな手段でも崩せない。何者にも揺るがされない精神性こそが夢見人の夢見人たる由縁だ。
そして夢見人だからこそ最初期の出会いが一番影響力を持つ。
俺は夢世界のイロハをニクスから学んだ。
ナイトメアは俺が創造した物を見て夢世界でのスタンスを決めた。
各々の夢見人としての本質は揺らぎなくとも、本質の矛先は変える事ができる。
ハズタトの夢世界にずっといたいという決意はそのままに夢世界滅亡を回避できるとすれば、それは最初の出会いによる影響力を活用するのが唯一の方法である。
それがモユクさんの見解で、俺も同意する所だ。
ざっくり言って幼い雛に刷り込みをして「やっぱ夢世界滅ぼすのやーめた」を引き出せれば俺の勝ち。かんたん!
俺が十年前に移動すると、傍らにドラゴンはいなかった。元の時代に戻ったらしい。
俺の出現と同時に銀色の燐光と共にハズタトも姿を現した。吹き抜ける風に長い銀の髪と白の衣をなびかせて草原に降り立つと同時にその足元が枯れ果て腐り落ち、泡立つドス黒い軟泥に変わる。
何故そんな悪役っぽい登場の仕方をするのか分からんが、見た感じ創造で創った全自動攻性防御システムの一種だろう。ドラゴンと散々戦って創造の扱いにも熟達したに違いない。ハズタトは賢いな。
「俺を止めに来たのか?」
「んー、私、おにーちゃんと四歳の時に会った記憶あるから。来るの分かってた。行こ?」
ハズタトはトカゲ人間モードの俺の水かきがついた手を取って歩き出した。
ここで創造使い同士の終わらない闘争を始める理由も無いので、素直に握り返して隣を歩く。
ハズタトの首に銀の鍵はぶら下がっていない。銀の鍵は特別なアイテムだ。時間遡行で過去に持ってくる事はできない。だからという訳ではないが警戒心はわかなかった。
ハズタトは夢世界を喰い荒らしたド畜生だ。一年前の俺だったら例え可愛い従妹の仕業でもブチ切れていただろう。今はなんというか……人情に目覚めてしまって嫌えない。動物ではなく人間にこんな情を抱くようになるとは俺も落ちたものだ。
だが不思議と悪い気はしない。
ハズタトは俺の手を嬉しそうにぶんぶん元気よく振って歩きながら言った。
「私、覚えてるよ。おにーちゃんみたいな人? がおねーさんと一緒に来て私に難しい話したの。おにーさんは夢世界は壊しちゃいけない、って言ってて、おねーさんは別に壊しても大丈夫って言ってた」
「……それでなんて答えたんだ?」
不安になって先を促す。
ハズタトはこれから起きる事の結果を既に体験している。
四歳のハズタトに夢世界崩壊を止めさせるための説得が成功したかどうか知っている。
そして十四歳のハズタトは夢世界を壊しにかかっている。
それは説得は失敗したという事ではないか? だから勝利を確信したハズタトはこうして余裕をもって俺と一緒に四歳のハズタトの元に向かっているのでは?
ハズタトは御機嫌でステップを踏んで歩きながら言葉を返す。
「夢世界は壊さないって言ったよ!」
「ん?」
おかしくね。じゃあなんで夢世界を崩壊の瀬戸際まで追い込んでるんだよ。
「言ってる事とやってる事違うぞ」
「違わないよー。だってこの時はおにーちゃんの言う通りにしようって思ったけど、後でやっぱやめたって思ったんだもん。私はおにーちゃん好きだけど、私の幸せのためなら約束破るよ?」
「あ~……」
それはもういよいよもって詰みなんじゃないか。
例えここで幼女ハズタトに夢世界は滅ぼしてはいけないと決意させたとしても、成長すれば前言撤回してやはり滅ぼす。
何もしなければ順当に滅ぼす。
どうあがいても滅びる。
乾坤一擲の時間遡行は結局ただの無駄足――――いや。
モユクさんは過去改変は可能だと言った。無駄に思えても必ず何か意味はある。それを信じるしかない。
歩いているうちに四歳のハズタトの元に着いた。
幼女ハズタトはなんかどろどろしていた。
全身が溶解してぐちゃぐちゃの赤黒い肉塊になり、目が増えたり手が減ったりして草の中を蠢いている。
なんか大変そうだな。どうした。
「うん。やっぱりおにーちゃん好き」
「は?」
「これ見ても気持ち悪そうにしないもん」
「ん……?」
ハズタトが嬉しそうにしている。
なんだ? ちょっと何が言いたいのかよく分からない。
幼女従妹見て気持ち悪くなる奴いるか? いないだろ。
ちょっとぐちゃっとしてるけどふつーの動物。ふつーの人間だ。
まてよ、もしかして一般的感性だとハズタト見て気持ち悪いと思うって事か?
いやそれはないだろ。気持ち悪いってのはナイトメアのような奴の事を言うんだ。自分が一般人と乖離した感性をしている自覚はあるが、それぐらいは知ってるぞ。
「これはぐちゃりたくてぐちゃってるのか?」
「や、これは現実でずっと自分の体を認識できないまま生きてきたから、夢世界に入っても自分の体を再現できなくて混乱してるの」
言いながらハズタトが指を鳴らすと、ぐちゃっていた四歳のハズタトは小柄なハズタトを更にサイズダウンしたような銀髪幼女形態になった。
草原にぺたんと座り込み、ピグミーマーモセットのような目をきょとんとさせて俺とハズタトを見上げてくる。
「これなに?」
「おにーちゃんとおねーちゃんです。目を閉じた方が分かりやすいかな? 重い音がひびくのがおにーちゃん、軽い音がひびくのかおねーちゃんね」
「うん? ……うーん。うん。なんでおにーちゃんとおねーちゃんはむずかしいの」
「その難しいのはね、「色」と「形」って言うんだよ。ゆっくり覚えていこうね。きっと好きになれるから」
「うん。むずかしいけど、わたし、これすき。きれい」
幼女ハズタトはにこーっと笑った。
そうか。全盲のまま四歳まで育ったから色や形という概念そのものが分からないのか。
どんな感覚なのか想像もつかない。
俺は跪いて目線を合わせ、幼女ハズタトの頭を撫でてやりながら言い聞かせる。
「この綺麗なものを守りたいよな」
「うん? ……うーん。うん、守りたい」
「じゃあ壊しちゃダメだぞ。大切にするんだ」
「うん。分かった、壊さない」
幼女ハズタトは素直に頷いた。
…………。
頷いたなあ……
ものすごく素直に頷いた。
ゴネなし。
十四歳ハズタトを横目で見るとニコニコしている。
ハズタト曰く、これでこのハズタトは納得して世界崩壊を避けるようになる。
が、途中で気が変わってやっぱり崩壊させるようになる。
いやダメだろ。説得・刷り込みに失敗したなら粘る事ができるが、成功してしまうとこれ以上どうすればいいのか分からなくなる。
「でもさ、こうも思うでしょ?」
と、今度はハズタトが幼い自分に同意を求める。
「この綺麗な世界にずっといられるならなんでもするって。おにーちゃんもおねーちゃんも消しちゃえるって」
「うん? ……うーん。おもわないよ?」
「ふふっ、そう。そう答えたんだよね、私は。でももうちょっと大きくなれば思うようになるよ。現実の限界が分かる。夢世界の限界が分かるから」
「わかんない。どうしてきれいなもののためにきれいなものを消すの?」
「そうしないと本当に欲しいものが手に入らないからだね」
「うん? ……うーん。でも、きれいなものぜんぶほしい」
「選ばないといけないの。だからこの世界の全てを消して手に入れるの。全部は無理だから」
「むりなの? それって『まけ』じゃないの? おとーさんいってたよ。そういうのはまけだって。まけるってかなしいんだよ。わたしまけるのヤ。ぜんぶほしいもん。おねーさんみたいなひと、『まけいぬ』って言うんだよ。わたし、まけいぬはヤ」
たどたどしく、しかしキッパリ言い切ったハズタトの言葉でハズタトの微笑にヒビが入った。よろめいて、怯えて俺を見る。
「この子は、私、この時の私は分かってないの。まだ。そうだよね? おにーちゃんもそう思うよね?」
「……俺に確かめようとする時点でもう答えは分かってるんだろ」
俺が努めて優しく言うと、ハズタトは半泣きで頭を抱えた。
幼いハズタトの無邪気な否定が成長したハズタトに突き刺さる。
自分に言われたから、その言葉に嘘が無い事が誰に言われるよりよく分かる。
言った時は何気ない言葉だったのだろう。しかし言われる立場になった時、その言葉は鋭い刃になっていた。
時間は残酷だ。
分かったつもりになって。成長したつもりになっていても、それがただの妥協と逃避の産物に過ぎなかったと他でもない自分によって理解させられる。過去の自分の純粋な望みに歪んだ今の自分が殺される。
ほとんど恐慌状態になったハズタトは後ずさり、俺と幼い自分から逃げ出すようにこの時代から消失した。
なんの事はない。
ハズタトの意思はハズタト自身によってのみ変わる。
そういう事だったのだ。
俺はその手助けをする導き手に過ぎなかった。
普通の人間より強固な意思を持つ夢見人だからこそ、その意思が揺らいでいる事を突きつけられた時の衝撃は察するに余りある。
憐れみは侮辱だろう。しかしこれには憐憫を覚えてしまう。
俺はハズタトの行く末を見届けるため、懐中時計の最後の力を使って現在に戻った。