12話 共有地の悲劇
十四年後、跡形もなく消滅するはずの都セレファイスは未来の惨劇の予兆を全く見せずそこに在った。
一面の草原の中で煉瓦作りの街は異様に浮いて見える。
白黒画像の中でしか見た事が無いような古臭い服装の人々が籠を抱えてあるいは杖をついて石畳を行き交い、そこを裂くように馬車が往来していた。屋根に取り付けられた煙突の先から顔を出した煙突掃除の少年の顔は真っ黒に煤け、その頭に鳩が留まる。街外れではエプロンを着た夫人が小屋から羊を外に出し、それを牧羊犬が手伝っていた。
セレファイスに来るのは二度目だったが、既視感が強すぎてすぐ気が付いた。
十四年後に来た時に見た物と全く同じ景色で、同じ人々が同じ事をしている。鳩も羊も犬も人間も、全員同じ顔で同じ事をしている。
19世紀初頭のイギリスの小都市の何気ない日常があまりにも完璧に再現され、繰り返されていた。
流石にうすら寒くなる。
クラネス王の故郷を再現したというこの都市はやはり再現されたものでしかないのだ。衰退もなければ発展もない。不朽不滅の「ただの街」。
一切不変の故郷に閉じこもるクラネス王はどんな心境なのだろう? それほどまでにもう二度と帰れないできない現実への望郷は強いものなのか。
俺の隣でドラゴンは翼を閉じ、その場に伏せゆるりと丸くなった。
黄金の目を閉じ静かに厚い鱗に覆われた胸を上下させるドラゴンは生きた小山のようだ。
ドラゴンもこの時代のセレファイスに何か用事があるのかと思ったがそうでもないのだろうか。ドラゴンの用事といえば捕食、破壊、略奪とかそのあたりだから用事が無いなら無いで平和に済んで助かるのだが。
眠れるドラゴンを起こさないようそっと街に入ろうとすると、石畳の通りの向こうからクラネス王がやってきた。両手を上着のポケットに突っ込み、ちょっと猫背気味でぶらぶら歩いてくる。途中で立ち止まり顔をしかめ、右の靴を脱いでひっくり返し中に入った小石を捨てる仕草からは全くありふれた人間臭さしか感じない。王らしさなど欠片もない。
クラネス王はまっすぐ俺の方へ向かってきている。ただの散歩にしてはタイミングが良すぎた。
俺達が今ここに来る事を知っていたに違いない。
未来でドラゴンによってセレファイス諸共自分が滅ぼされる事も知っているのだろうか……?
クラネス王は片手を上げ気さくに俺に挨拶すると、一本のリンゴの木とその根元に二脚の椅子、木製丸テーブルを創造した。
目線で促され、クラネス王の対面に座り、やはり無言で飛んできた情報窃盗を防御しながら釘を刺しておく。
「それは無しだ」
「ん? ああ、悪かったよ。いつもの――――」
「――――癖で」
言葉を引き取って完結させると、クラネス王は目を瞬かせた。一拍置いてパイプを取り出し、葉を詰めて煙草を吹かしはじめる。
煙で薄く霞んだクラネス王の望洋とした目からは何も読み取れない。
彼はどこまで分かっているのだろう。助けを求めるつもりではあったが、モユクさんのように未来演算をしているなら、未来の破滅の芽を潰そうと襲い掛かってくる可能性も否定できない、と今更気付く。
「クラネス王。創造の扱い方について教えてくれないか? 十四年後に約束したよな。時間移動で誤差が出て持て余してるんだ」
「……ふむ。君なら分かってくれるだろうと思うんだがね」
煙草の灰を灰皿に落としながら、クラネス王は語り出した。
「皆は僕らを造物主だと崇拝するけど、創造は完璧じゃない。想像を超える事はできない。だから人間の想像の埒外にある銀の鍵には無力なんだ」
「モユクさんは創造の『次』の力だからと言ってたけど」
「うん。それは見解の違いだ。僕は銀の鍵の能力は創造と種類が違うだけで『次』や『上』だとは思っていない。真偽は確かではないがね。重要なのは確かな事は無いという事で、ゆえに失敗するという事だ」
「はあ、まあ」
曖昧に頷く。話はよくわからないが分からなくもない。
創造使いも人間だからミスるよね、って事だろ。
「そこで僕は一つの悩みに囚われざるを得ない訳だよ。僕が天地を創造し、夢世界に形を与え組織を創り、夢見人の交流の場を設けたのは果たして正しかったのだろうかとね。人類が自身の夢という不可侵の領地に籠っていれば争いなど起きるはずもなかった。夢世界によって夢が混線し、関係性が構築され、夢世界や夢見る力を巡る争いが起きる。共有地を持ち交流するから闘争が起きる。
逆に夢世界が消えてしまえば争いも起きないともいえる。どんな物も創造に始まりいつかは破壊に終わる。アザトースによる天地破壊も自然な輪廻なのだという捉え方が可能だ。どう思う?」
「まるほど。あー、率直に言っていいか」
「どうぞ」
「今は老人の長話聞いてる場合じゃないんだ。いいから創造の扱い方について教えてくれ」
長話が創造講座に繋がるかと思って聞いていれば全くその様子はなく単なる雑談だった。せめて夢世界の草原に生えてる草の種類とかそういう面白い話してくれよ。
話を急ぐ俺にクラネス王は苦笑した。
「やはり君とゆっくり話す時間は持てないようだね。若者の時間は短いという事をこの歳になると忘れてしまうよ。ほら」
クラネス王は虚空から銀色の懐中時計を掴みだし、俺に投げ渡した。受け取って見てみると、何も刻まれていない文字盤の中で四本の針が騙し絵のように干渉し合いすり抜けねじ曲がり融合しながら動いている。じっと見ていると空間認識がおかしくなって眩暈がしてくる。
「正確な時間移動に求められる時空間の認識矯正には時間がかかる。数学と四次元の角度に纏わる僕の解釈を聞いてくれるなら望むところではあるが、せっかちな若者には結果だけ贈ろう」
「これは?」
「コンパスだ。君の時間移動を補佐する。二回で壊れるが、二回で十分だろう?」
「ああ。ありがとう」
一瞬考え、頷いた。
今いる十四年前から十年前に移動し、現在へ戻る。二回でちょうどいい。
俺が懐中時計を首にかけると、微睡んでいたドラゴンが目を覚まし、立ち上がった。それだけで一つの世界が覚醒し動き出したかのように肌がひりつく。
ドラゴンはクラネス王を睥睨して言った。
「これが最初で最後だ。今後如何なる形であれ彼奴と手を結べば貴様の全てを滅ぼす」
「そうかい? 僕はとにかく、僕の故郷に手を出されたら僕は君を殺す事になるけど」
クラネス王は落ち着いて紅茶ポットを虚空から取り出してカップに注ぎ、草原のそよ風に棚引く湯気を目で追った。ドラゴンの一方的な脅迫にまるで動じていない。
でもこの人、いざその時になったら一瞬でブチ切れるんだよな。
ドラゴンは嗤った。
「哀れな栄華の残響が吠えおる。分かり切った結果が分からぬか」
「結果は重要じゃないんだ。僕は僕であるためにそうする。そうしなければ自分を保てないんだよ。僕は共有地を持たない。僕の世界は僕自身で、僕だけの物だ。だから君も君の場所を守るといい。夢世界でも、現実でもね……健闘を祈る」
そう言って新聞を広げ、顔を隠す。
平然としているのが逆に物悲しい。現実で死んで、夢世界でもう一度死ぬのはどんな心境なのだろう。
どちらの死も俺にとって他人事ではないが、他人事でいられる事を祈りたい。
話は終わりだ。
俺はクラネス王に一礼し、四年後に跳んだ。




