10話 銀の鍵の門を越えて
天気の話と夢の話は話題に困った時の話題としてよく使われる。誰でも知っていて、誰でも話せる。遥か昔から使われ続け使い古された陳腐でくだらない話だ。
ハズタトが夢世界を壊滅させ、人類は夢を見られなくなった。
なのに、教室で、SNSで、世界中のあらゆる場所で、夢の話は以前と何一つ変わらずされていた。
夢の話はいくらでも捏造できる。自分の想いつきや妄想を「昨日見た夢の話」という形でぶちまける事ができる。
人類が夢を失ったのに夢の話が尽きないのはそういう理屈なのだと思う。
夢世界が消滅秒読みになって苦悩しているのは夢見人ぐらいで、七十七憶の人類にとっては話題にのせるほどの事でもない。
夢を見ないからなんだというのか。
宿題が増えるか? 給料が減るか? 病気になるか?
全くそんな事はない。
自分が見る夢は自分しか知らない。夢の内容はどんなものでもあり得る。
夢を見たと言い張れば、それが夢ではなくただの妄想だ、嘘なのだ、と証明する事はできない。そもそも誰かが語る夢が嘘だと躍起になって証明しようとする人はまずいない。
夢世界が消えても現実は何も変わらない。
全ては起きれば消える夢の話。
だが俺にとっては眠れば必ず見れる夢の話なのだ。
無くなるなんて耐えられない。
全てを捧げ命を投げうつだけの価値がある。
夢世界の完全崩壊を止めるためには現実のハズタトから銀の鍵を奪わなければならない。
俺が眠って夢世界に入ってしまうと銀の鍵に力を奪われ、ハズタトは創造の「次」に至る。
そうなれば最早現実で銀の鍵を奪っても意味はない。夢世界から一切合切全てが消失して滅び去り、無限の虚無の中でハズタトが永劫のまどろみに落ちるだろう。
今の俺は精神刺激薬で無理やり起きている。もう強制徹夜七日目だ。眠くて眠くて仕方がないのに眠れない生殺し。眠いという概念を超える未知の苦痛で頭がおかしくなりそうだ。
かつてアリスはドラゴンに殺され続け八日間一睡もできず発狂して病院に担ぎ込まれた。俺はアリス以上に図太い自信が無い。明日にでも俺は限界を迎え眠ってしまうだろう。
つまり今日中――――今夜中にハズタトから銀の鍵を取り上げ決着をつけるしかない。
そしてそれはハズタトも承知している。
ハズタトは毎晩ドラゴンと死闘を繰り広げている。創造使い同士の戦いは心が折れた方が負ける。ドラゴンもハズタトも心折れる事はあり得ないから、必然的に戦いに終わりはない。
戦いを終わらせるためにハズタトは俺から力を吸いたいはずだ。俺の動向に注意を払っているに違いなく、俺がこの七日間眠っていない事は知られている。恐らくは七日間睡眠薬で眠り続け俺のログインを待ち構えている。
当然ハズタトは現実から狙われる事を警戒している。
俺が一度ホテルを特定して奇襲しようとして失敗しているから、住所特定には一層の注意を払っていて、アリスが今までの会社の儲けと貯金、人脈を総動員して捜索しても発見まで七日もかかってしまった。
今ハズタトは隣の県の銀の黄昏の息がかかった病院にいる。個人情報保護がしっかりしている特別病棟で、警備員までいる。昨日までは叔父さんがついていたのだが、放浪癖を抑えきれなくなって外出したところをアリスの指示を受けた忍者に攫われた。
長年世界各国を放浪してきた叔父さんもまさか忍者の襲撃を受けるとは思わなかっただろう。
叔父さんに色々と話を聞きたいところだが今は悠長にしている暇はない。俺が眠気に負けるかハズタトから銀の鍵を奪うか。そこに全てがかかっている。
ハズタトの身柄を確保したら王港中央病院に搬送する手はずになっている。そこで銀の鍵の摘出手術を行うのだ。ハズタトの体力と体質的に厳しい施術になるが、そこは保並父の腕前にかかっている。保並沙夜は父を説き伏せハズタトの手術の執刀の同意を取り付けている。
手術には色々と問題が多いが、銀の鍵が持つチカラを考慮しなくても手のひらサイズの異物を腹の中に収め続けているのは良くない。胃や腸を詰まらせいつ致命的事態に発展するかも分からない。特にハズタトのような体力の無い虚弱体質なら尚更だ。
ハズタト本人は現実に執着していない。死んでもいいから自分の健康に頓着していないのだろうが……
ハズタト誘拐の実働隊は長宗我部と俺と御代元が担う事になった。長宗我部はとにかく御代元が成り行き次第で誘拐犯になる危険を冒してくれるのは意外だが、夢世界への思い入れは俺達夢見人に勝るとも劣らないようだった。御代元はNPCを助けるためにドラゴンに挑むぐらいだ。気合の入り方が違う。今回も仲のいいNPCの敵討ちを意図しての参戦だ。
「いいか誘拐犯諸君」
特別病棟の前の植え込みに伏せて隠れ、長宗我部は囁いた。時刻は夜。月は無く隠れるにはもってこいだ。しかし特別病棟の周りは電灯の明かりで照らされ、唯一の入り口には手持無沙汰に警棒で肩を叩きあくびをしているとはいえ警備員もいる。
植え込みの隙間から差し込む明かりで長宗我部が持ってきた地図が辛うじて見える。
「作戦は簡単だ。入り口の警備員を明が止める。俺が入口を開ける。サッと303号室まで行って、ハズタトちゃんを誘拐して逃げる。表でトラックが待機してるからそこに飛び込めばOKだ。あとは野となれ山と……おい明! 起きろや! お前が寝たら終わりだぞ!」
「ぁえ? おお、行こうぜ。アサンお前震え過ぎだろ。怖いならここで待っとけよ、逃げる時助けてくれれば――――」
「大丈夫。ドラゴンに比べたら全然怖くないさ。怖いけど動ける」
アサンはガタガタ震えながら気丈に笑った。
普通の奴代表みたいな感性したアサンがこうやって勇気振り絞ってるのを見ると俺も頑張らないとと思わせられる。全部終わった後に逮捕されないといいな。
「じゃあ行くか」
俺はフードを目深にかぶり、顔が見えないようにしてから立ち上がり、さりげなく警備員の前まで歩いて行く。
「おいそこの男止まれ。ここは立ち入り禁止だ。顔を見せろ」
が、すぐに気付かれた。まあ無理だよな。人間だしワンチャン誤魔化せるかと期待したが、フクロウの半分ぐらいの夜警能力はあるらしい。
仕方ない。一発芸の時間だ。
喰らえ俺のドラゴン研究の副産物――――
「ガア!!!!!!!!!!!!!!!」
俺が全身から音を絞り出し喉を潰して咆哮すると、不意打ちの爆音で耳をやられた警備員がよろめいた。十年のボイトレによって培った竜の咆哮の出力は120デシベルある。気絶までは追い込めないが、前後不覚に追い込むには十分だ。
叫んだだけで殴った訳でも凶器で脅したわけでもないから、全てが終わった後に暴行で起訴される危険性を減らせる。こういう小賢しい立ち回りが必要なのが人間社会のややこしいところだ。
俺は喉がぶっ壊れて喋れなくなったので、手で合図して耳を塞いでいた二人を呼んだ。
咆哮の弱点はめちゃくちゃ目立つ事だ。近隣住民が全員飛び起きる。増援が来る前に事を迅速に運ばなければならない。
入口のガラス戸を長宗我部がピッキングで開けようとするが、アサンがもどかしそうに前に出て蹴り破った。粉砕されて飛び散ったガラス片を踏み越えて病棟に侵入し、階段を駆け上がる。
アサンのやつ無茶苦茶やりやがるな! いや時間は惜しいけども!
途中にあった鉄扉を長宗我部がこじ開け、朦朧状態から復帰して追いかけてきた警備員の抑えにアサンを残し、俺達は最短で303号室に転がり込んだ。
大きなベッドに小さなハズタトが眠っていた。白い髪は規則正しく胸が上下し、カーテンの隙間から差し込む月明かりで幻想的に照らされている。
息を切らし、ひと呼吸吸い込んでハズタトを抱き上げようとした俺は甘い刺激臭に咳き込んだ。途端に意識が遠のく。視界が暗くなる。なんだ――――?
「しまった! 息止めろ! 吸引麻酔薬、催眠ガスだ!」
長宗我部の焦った声を最後に、俺は意識を失い眠ってしまった。
夢世界では無限に続く白い空間でハズタトとドラゴンが戦っていた。
ドラゴンが吐く尋常ならざる劫火の奔流をハズタトが玉虫色の怖気がする触手を操り握りつぶしている。
俺が夢世界に入った瞬間、ハズタトの意識がこちらに向くのが分かった。銀の鍵が眩く輝く。
「遅かったね、お兄ちゃん」
ハズタトの嬉しそうな声が白い空間に響く。
やはり予想は正しかった。病室の睡眠罠といい、この反応の速さといい、間違いない。ハズタトは俺を待ち構えていたのだ。
現実のハズタトを誘拐する作戦は失敗した。
最早夢世界に未来はない。
だから解決策があるとすればそれは過去だ。
モユクさんは言った。
これは命懸けになると。
夢世界の消滅を防ぐとすれば、それは全ての始まりに干渉する以外に道は無いと。
俺は銀の鍵の力が完全に発動する前に創造で無限の力を呼び起こし、イチかバチかの時間遡行を敢行した。
いざ十年前、ハズタトが初めて夢世界へやってきた日へ――――




