09話 銀の弾丸
神妙に差し出された前脚を取る前に、俺は一番重要な事を聞いた。
「夢世界が消滅するって言ったよな」
「うむ」
「ドラゴンも消えるのか?」
「うむ」
「じゃあ協力する」
モユクさんが語る未来予想には物証が無い。全てを頭から信じる事はできない。
しかし夢世界に存在するあらゆる物は実体あるまやかしだ。物証など求める方が愚かと言える。
モユクさんの言葉にもこれまでの行動にも矛盾はない。何か隠された意図があったとしても大筋は真実を語っているのだろう。一定の信用に値する。
何よりもドラゴンが消えるというなら俺にはその問題を解決する義務があるし、解決したい衝動に逆らえない。
ドラゴンにはハズタトを鼻息だけで消し飛ばすぐらいのぶっちぎりの最強無敵生物であって欲しいが、現実問題としてそうはいかない。
クラネス王との戦いを俺は見た。最後はドラゴンが勝ち最強の証明は成し遂げられたが、ドラゴンが決してぶっちぎりの絶対無敵ではない事も明らかになった。
創造使いの上位存在、銀の鍵を使われたら本当に滅ぼされる可能性は十分にある。悔しいがその事実は認めなければならない。
最終的には銀の鍵をドラゴンが喰うなり財宝に加えるなりする天上天下古今無双唯一無二状態に持って行きたいところだ。頑張っちゃうぞ。
「この先は未来演算をもってしても何が起きるか分からぬ。命賭けの博打になる。その覚悟はあるか?」
「賭けるだけでいいのか? そりゃ良かった」
ドラゴンを創造する時は『賭ける』どころか『捨てる』つもりだった。
賭けるという事は戻って来る可能性があるという事だ。捨てるより断然良い。
「ああ、でもボスに一言断ってからにさせてくれ」
無断欠勤ぐらいならなんとでも言い訳できる。が、無断永眠はやばい。事情を知らないアリス視点だとヒプノスが何故か死んで夢世界も消滅という意味不明な結果になってしまう。
人間の成獣の群れでは報告、連絡、相談の「ほうれんそう」が大切なのだ。知ってるぞ。『人間 社会 まぎれこむ かんたん』で検索すると出て来る。
それから俺はモユクさんに幾つか注意と説明を受け、起床して現実に戻った。
今日は土曜日、早朝だ。夜までに身辺整理は終わるだろう。
まずは朝飯を食べてから遺言状を書く。
俺が死んだら死体は新鮮なうちに肉食獣の餌にしてもらって、財産はニクスに渡して。あと何かあったっけか。なんでもいいか? なんでもよくはないな。
失敗したら遺言状通りにしてくれればいい。成功した後に遺言状を見られてカッコつけた別れの台詞を朗読される恥ずかしいヤツになるのは本当に恥ずかしいから、保管場所はほどよく見つけにくく本気で探せば見つかる場所がいい。
ふむ。卒業アルバムに挟んでおけばいいか。遺品整理中に見つかるだろう。
長宗我部に夢の国の支配社本社オフィスビルで飼育中のトカゲくん達の飼育をメールで頼んで、午後はアリスを訪ねた。
事情を話し、モユクさんと命懸けの勝負に出る事を言うと、アリスは呆れかえった。
「あんたね、もっと詳細を聞きなさいよ。命賭けって事以外何やるか全然分かってないじゃない。細部読まずに契約書に捺印したようなものよ」
「ああ、話し過ぎると未来が変な方向に変わるんだとさ」
モユクさんの未来予知のカラクリは演算だ。予測された未来は不確定で、演算結果を知った上で未来を変えようと動けば――――あるいは未来で起きる事を意識して動いてしまうと――――割と簡単に揺れ動く。良い方向にも悪い方向にも。
モユクさんはその不確定性を排除するために今まで誰にも意図を知らせず行動してきていたのだ。モユクさんが一匹単独で行動していれば未来の変動をコントロールしやすい。それでもなお回避できなかったアザトースによる夢世界消滅の重大さが逆に良く分かる。
「モユクを呼びなさい。私が直接問いただすわ」
「どこにいるかわからん」
「だからスマホ持たせておけって言ったでしょう」
「持たせてもしょーがないだろ。肉球じゃ液晶反応しない」
「タイピングはできるのに……?」
モユクさんは狸だから。人間用に製造されたキーボードを扱えるだけで奇跡だろ。スマホもなんて高望みをするんじゃない。人間だって「エラ呼吸できないの? 泳げるのに?」って言われたら困るだろうが。
「まあいいわ。とりあえず夢世界に今いるかだけ確認してきなさい。睡眠薬はそこの二番目の引き出しに入ってるから。いれば――――」
言いながらアリスのパソコンでメールの受信音が鳴った。
パソコンを操作しながらアリスは続ける。
「――――夢世界にモユクがいれば詳細を聞きなさい。聞いても分からなかったり……なにこれ?」
ぺこん、ぺこん、とメールの受信音が続く。通知が鳴りやまない。アリスが眉を顰める。
「なんだどうした。バズったか」
「んー、クレームね。プレイヤーが夢世界で強制ログアウトされてログインできなくなったって」
「なぜ」
「それが分からないからクレーム入れてきてるみたいね」
アリスはナイトメアが遺したNPCに命じ、夢無人を賦活して一夜限定の疑似夢見人=プレイヤーにする事で収益を得ている。夢の世界で現実ではできないあれやこれやをできるのはプレイヤーにとって大金を払うだけの大きな価値がある。
ざっくり言えば課金制のゲームで強制ログアウトを喰らいログインもできなくなったから運営にクレームが入った、という感じだろうか。
夢世界から無理やり弾き出される原因は「死」だ。夢世界で死ぬと現実に戻され、しばらくログインできなくなる。
同じ内容のクレームが押し寄せてきているという事は、夢世界でプレイヤーが何が起きたか分からないまま大量に死ぬ何かがあったという事だ。
ドラゴンが暴れたとか?
「ヒプノス、ついでにログアウトの原因も調べてきなさい」
「OK」
睡眠薬を二錠出してコップに水を注ぐ。飲もうとした時に電話がかかってきた。
ニクスからだ。
「どうしたニクス」
『良かった起きてた! 大丈夫!? 死んでない!? 今何してる!?』
「今? 今は夢世界の様子見に行くところだ。いいから落ち着けどうした」
取り乱したニクスを宥める。
今度はなんだよ。
『絶対眠らないで! アザトースが創造使いになって暴れてる! 私も力奪われた!』
「はあ!!??」
ニクス曰く、昼寝して夢世界で黒魔術儀式をしていたら、突然周りの夢無人が一斉に賦活され、間髪入れずに消滅したという。
事態を理解できず混乱している内に目の前にハズタトが瞬間移動してきて首を掴まれ、力を吸い上げられ消滅した。
夢世界で力を持たない一般人は人魂の姿を取り、まどろみの中で夢を見ている。これに夢見人やNPCがMPを注ぎ刺激する事で一晩限定の疑似夢見人になれる。これが賦活だ。
本来銀の鍵では夢無人の力は吸えない。しかし状況証拠から推察するしかないのだが、どうやら賦活してあれば吸えるらしい。ノーマークで無防備だった夢無人は抵抗できず、ほとんど一瞬にして全世界でちょうど眠っていた推定十数億人がアザトースによって銀の鍵の餌食になった。
力を吸われた夢無人はもう二度と夢を見られない。
夢世界に来られないだけではない。普通の他愛無い夢、空を飛ぶ夢だとか怖い夢だとか、そういう夢すら奪われる。
夢見人に遥か劣る力しか持たないとはいえ、十数億人分の力を吸い上げたハズタトは創造使いになった。創造使いになったのでなければ俺が施した『夢見人を認識できない』制限を破れるはずがない。
封印を破ったハズタトは夢見人を次々と餌食にした。
ニクスは喰われた。
タナトスも喰われた。
モユクさんも喰われた。
無事だったのは警告が間に合い精神刺激薬で眠らないようにした俺だけだ。全世界の夢無人も眠ったそばから餌にされていき、ほんの数日で地球上から夢を見る生き物は消え去った。
最早俺でもハズタトには勝てない。夢世界に入れば餌にされてお終いだろう。
身内で最後に犠牲になったモユクさん曰く、全ての夢見人から夢見る力を奪い去り事実上の最強存在になったアザトースは夢世界でドラゴンと戦い続けているという。
銀の鍵は問答無用で夢見人から力を奪う。
しかしドラゴンは創造は使えるが夢見人ではない。生まれつき現実の肉体を持たず、夢世界にのみ存在する特異存在だ。
夢の中にいる存在であり、夢を見る存在ではない。だから銀の鍵の力は通じない。
銀の鍵に加え創造まで兼ね備えたアザトースと対等に戦う事ができる唯一無二の存在だ。
力の収奪とドラゴンとの終わりの無い戦いで夢世界は事実上の壊滅状態にある。
俺にはハズタトがなぜ夢世界を滅ぼすのか分かった。
滅ぼしたくて滅ぼすわけではない。結果的に滅ぼす事になるのだ。
ハズタトは現実が嫌いだ。喋れない歩けない見えない、何もできないがんじがらめの現実をどうして好きになれるだろう。
夢世界にずっといたいと思うのは全く当然。
最近までハズタトは創造使いになりたかった。創造使いになれさえすればそれで良かった。これは間違いない。
創造使いになれば現実で死んでも夢世界で生き続けられる事はクラネス王が証明していた。創造使いになれば第二のクラネス王になれる。夢世界にずっといる事ができる。
ところがドラゴンがクラネス王を消滅させ、状況が変わった。
創造使いでさえ夢世界で永遠ではないと分かってしまったのだ。
ハズタトはもちろん創造使いの「次」を目指すようになる。創造使いが永遠ではないというのなら、その「次」こそが永遠に違いない。
ハズタトは創造使いになってもその「次」を目指すために力の収奪を続ける。創造使いになるために必要なエネルギーは夢見人300人、あるいは夢無人十数億人分の生け贄だった。「次」になるために必要なエネルギーはそれを上回る途方もないものだろう。
だからハズタトは夢世界の全てから力を吸い上げ吸い付くす。「次」に至るために。そうして夢世界は滅びるのだ。
今はドラゴンと戦っているようだが、モユクさんの未来予想が正しければ、いずれドラゴンは敗北しアザトースが夢世界の全てを滅ぼす。
幾晩にも渡り災厄の化身と拮抗しているドラゴンが敗北する理由は一つしか考えられない。
俺が力を奪われる事だ。
今は精神刺激薬で無理やり眠らないようにしているが、いずれ限界が来て眠ってしまう。
眠ればハズタトに勘付かれ、力を奪われる。
ハズタトはその創造使いが持つ莫大な力を以て「次」に至り、夢世界を完全に滅ぼす事になる、というのがアリスやモユクさんの見解だ。
俺もそう思う。だから眠らないようにしているのだが、現状維持にしかならず事態は好転しない。
夢世界に入れない以上、現実で事態を打開しなければいけない。
方法は一つ。
もうなりふり構っていられない。
現実のハズタトをもう一度見つけ出し、どんな強引な手段に訴えてでも銀の鍵を取り上げる事だ。