08話 ラプラスの悪魔
モユクさん曰く「銀の鍵は創造の上位の力を持っている可能性がある」らしい。この情報は夢の国の支配社で共有していて、特にアリスは重く受け止めていた。
俺は創造使い以外は脅威にならないと思っていた。
創造使いは夢世界で万能に近い。無限の力、世界創造、無敵化――――やりたい放題だ。幻創使い以下では相手にならない。
だからハズタトがノコノコ夢世界の浜辺で日光浴していた俺のところにやってきても、警戒どころか俺のところにいる限り他の奴らは襲われないし好都合だとすら考えていた。
ハズタトは俺の膝の上で甘えながら笑顔で言った。
「夢世界に来れなくなっても私はおにーちゃん大好きだから大丈夫!」
と。
笑顔で近づいてきて褒めてくる夢見人にロクな奴はいないとナイトメアで分かっていたはずなのに。
銀の鍵が光って力を吸い取る前兆を見せても俺は間抜け面でぼけっとしているだけで。
偶然俺のところに光速移動してきたアリスが血相を変えて間に割り込んで身代わりにならなければまんまと不意を突かれやられていただろう。
力を吸い取られかける感覚でやっと分かった。銀の鍵は間違いなく創造の上位の力を使う事ができる。創造を超える人類がまだ知らない概念に基づく絶対的摂理を操る力がある。
俺が以前「自然物しか創れない」という制限を負っていたように、銀の鍵は吸収という形でしか力を行使できないようではあるが十二分に恐ろしい。
アリスがやられ、俺は即座に起床して現実に戻った。
確かに力を吸い取られ夢世界から消失するのを見たが何かが間違って無事ではいないかと縋りつくように電話をかける。
アリスはすぐに出た。珍しく焦った声で詰問してくる。
「もしもし!? どうして現実にいるの? まさかヒプノスまでやられたんじゃないでしょうね!」
「い、いや俺は無事だ。ただアリスがやられたように見えたからログアウトして確認して、」
「は? そんな事?」
アリスの声から一気に力が抜けた。
そんな事? いやそんな事か? 夢見人にとっては致命傷だろ。
「もしかして幻創使いと創造使い、どちらを生かした方が効率的かも分からなかった? 脳ミソまで畜生になったの?」
「なんだテメー人間の分際で畜生の脳ミソ見下してんじゃねぇぞクジラの脳サイズは人間の五倍あるしイルカは……いや落ち着け俺。アリスは夢世界の支配者になりたかったんじゃないのか?」
「当然でしょう? だから庇ったのよ?」
電話越しに聞こえるアリスの声は見栄でもなんでもなく素で不思議そうだった。
言ってる事とやってる事が違いますが。
「何言ってんだ、夢世界に入れなくなったら支配も何もないだろ。ただでさえ頭おかしいのにこれ以上頭おかしくなったら一周回って普通になるぞお前」
「頭おかしいのはヒプノスよ、こんなに簡単な話をわざわざ説明してあげないといけないなんて」
「あ?」
「いい? ヒプノスは忠誠心は低いけど私が持つ最高戦力。私が落ちて、残ったヒプノスを使って夢世界を支配する。そうすればヒプノスの上にいる私が夢世界の支配者になる。逆にヒプノスを落として私が残った場合を想像してみなさい? 私の指揮があっても銀の黄昏を吸収合併するのは不可能に近い。交渉制圧全ての根幹になる暴力装置が無いもの。分かった?」
「…………お前すげぇよ」
悔しいが感服せざるを得なかった。
偏執も性癖もここまでいけば揺るぎない信念だ。
夢見人の力はアリスの本質の一端に過ぎない。アリスは夢世界を支配したいのであって、夢見人でいたいのではないのだ。
そのためにはどこまでも効率的であれる。自分自身も犠牲にできる。
アリスが俺を庇ったのは全く仲間のためではなく、100%利己目的からだった。
実にアリスらしい。何があってもブレないという一点だけは誰よりも信頼できる。
俺が支配者だと信奉するのは依然ドラゴンだけだ。
しかし誰かの下について働くというなら――――
「OK、ボス。俺はどうしたらいい? 言う通りにしてやる」
天地創造は創造使いの特権だ。
大地を創り、空を創り、夜を創る事ができる。
俺はアリスの指示で夢世界に新しい法則を追加した。
『日富野ハズタトは夢見人を認識できず、認識されない』
というものだ。
本当は銀の鍵を消してしまいたかったのだが、銀の鍵は創造による干渉を全く受け付けなかった。
銀の鍵による力の収奪は鍵の所有者であるハズタトにしかできず、また、対象を認識し接近していなければならない。もし力の遠隔収奪が可能ならとっくに全ての夢見人は力を吸い取られ消えている。
銀の鍵をどうにかする事は無理でもハズタトは封じられる。銀の鍵をどうにかする手段を思いつくまで、ハズタトには誰も見えず誰にも見られない孤独な透明人間状態でいてもらう。
少し可哀そうだが先に仕掛けてきたのは向こうだ。食えば食われるのが自然の摂理。受け入れろ。
それでもうハズタトは行動不能になった。
千里眼で遠くから見ていたが、草原に一人ぽつんと取り残され一晩中途方に暮れている他無い。
これから一生途方に暮れる事になるのか、アリスに屈して孤独から解放されるかはハズタト次第だ。
これだけの強権が振るえると本当に神になったような気分になる。夢世界の物を現実に持ってきたり、アリスに夢見る力を戻したりはできないし、想像できない事もできないから全知全能の神ではないが。
アリスが夢世界から抜けていよいよ夢の国の支配社での俺のウエイトは重くなり、真面目に卒業後の就職を考えている。高校を出たら夢無人を賦活し夢世界で観光・冒険する権利を与え稼ぐゲーム業で食っていくのも悪くない。社長が若すぎる事を除けばベンチャー企業に就職するようなものだ。
ドラゴンはいずれ自分の力で現実を侵略すると言った。嫌になるほど現実的な現実でも来る大侵攻を楽しみにして生きていきたい。
さて。
銀の鍵の担い手を見失った銀の黄昏は混乱状態になり、夢見人同士の共食いや襲撃ができなくなった。厳密には未だ争いが続いているが、夢世界では死んでも死なない。時間が経てば再ログインが可能だ。
小康状態になったと言える。アリスが抜本的解決策を考えているところだ。
そうして夢世界で心置きなく森に入り木の根元を掘って枝と枯草を集め巣穴作りをしている俺のところにモユクさんがやってきた。
ある学説によるとモユクさんの種族である狸は方角を司る五聖獣の一角を担うという。
東を司る青龍。
西を司る白虎。
南を司る朱雀。
北を司る玄武。
天地を司る狸。
これを以て五聖獣と成す。狸を崇めよ。
なお俺が一時間かけてまとめた学説を聞いた長宗我部には鼻で笑われた。大変遺憾である。
「ほう。ホラアナグマ式の巣穴かね?」
「分かるか? お目が高い、その通りだ」
「巣穴の入り口に特徴がよく表れておる。見事だ。それはさておき、今宵はいよいよ話さねばならなくなった事があってな」
モユクさんは巣穴に潜り込んで敷き詰めた枯草を足で踏んでもふもふしながら真剣な顔をした。改まってどうした。
「なんだ」
「簡単に話すのは難しいが、簡単に言えば夢世界の滅亡が確定した。助けてもらいたい」
「……いや、なんで?」
何もかもなんで?
なんで滅亡するんだ?
なんで滅亡する事が分かるんだ?
なんで今話すんだ?
なんで俺に助けを乞うんだ?
説明が簡単すぎてまるでワケが分からんぞ。夢見人は会話のドッジボールしかできねーのかよどいつもこいつもさあ。
「もう少し順番に詳しく話してもらえます?」
「うむ」
促すと、寝床を整え前脚を揃え行儀よく座り込んだモユクさんは滔々と語り出した。
「儂は妄創使いと称しておったが、あれはひ弱な狸を装うための嘘だ。実は幻創使いでな、未来予知ができる」
「……色々言いたい事はあるが、未来予知は創造じゃないのか」
「鋭い質問だ。正確には高精度未来予測演算に過ぎぬ。
【もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も全て見えているであろう】
フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスが提唱した超越的知性存在、通称『ラプラスの悪魔』を示す言葉だ。
現実では仮定の存在に過ぎんが、夢世界でならば仮定ではないのだよ。幻創は理論上可能である事は全て可能となる。故に儂は未来を極めて高い精度で予測できる。理解できたかね?」
「えーと、半分ぐらいは。誰だよピエール」
難しい話を一気にしないでくれ。混乱する。ラプラスの悪魔は名前ぐらい聞いた事あるが。
首を捻る俺にモユクさんは噛み砕いて説明してくれる。
「では、コインを投げ裏表を当てるとしよう。普通は表になるか、裏になるかなど分からぬ。しかし空気抵抗、弾く強さ、角度、コインの大きさや形状などの全てのデータを理解し計算すれば、表になるか裏になるか予想できるであろう。それは高度な計算の結果であるが、未来予知とも言えよう。違うかね?」
「……あー、大体理解した」
要するに肉食獣が獲物の動きを予測して仕留めるようなものか。それのワールドワイド&高精度バージョン。
しかしそれにはやはり問題がある。
モユクさんのMPいくつだよ。創造使いじゃなければMP上限は18。1MPにつき大体10万円分の創造しかできないから、最高180万円を使ってできる事しかできないはずだ。未来予知って180万円でできるか? 無理だろ!
未来は予測不能なものだ。5000兆円積んでも予測はできない。できるわけが……いや。
「モユクさんにとって未来予知は大した事じゃないのか」
「うむ、素晴らしい理解力だ」
モユクさんは前脚の肉球でモニモニと音の出ない拍手をしてくれた。
夢見人は皆なにかぶっ飛んだ一面を持っているが、モユクさんも大概だな。ただの思わせぶりウロチョロ狸ではなかった。
未来予知はできて当然! 取るに足りない些事! と思っていれば、確かにめちゃくちゃローコストで未来予知ができる。
モユクさんは理論が確立されている以上未来は分かって当然と思っているのだ。どういう価値観してるんだこの狸。肉球にまで脳みそ詰まってんのか?
「儂は常に夢世界の未来を演算しておる。それによると今日より数え七日以内にアザトースによって夢世界が消滅する。消滅の未来を回避するために動いてきたのだが、全て失敗した。最早ヒプノス君に頼る他無くなったのだよ」
「いや待て。待ってくれ。どうしてそうなるんだよ。あいつには確かに手こずってるけどな、どうにでもなるだろ」
モユクさんは二百歳だろ。二百年前からハズタトによる夢世界滅亡を予見していたならいくらでも手の打ちようはあったんじゃないか?
俺が疑問をぶつけると、モユクさんは尻尾を悲しげに萎ませた。
「所詮儂は狸に過ぎぬ。回避できん未来はある。例えばナイトメアはこの二百年で唯一確実にアザトースを打倒可能な規格外の存在であった。しかしその未来が実現した場合、代償に夢世界が永劫の悪夢に支配される。夢世界消失とどちらが良いかは判断が分かれるであろう」
「……もしかしてモユクさんがナイトメアが死ぬように仕向けたのか?」
モユクさんはあの時も怪しい動きをしていた。まさか……?
俺が疑いの目を向けると、モユクさんは曖昧に首を傾げた。
「半ば看過していた事は認めよう。儂が予知できるのは夢世界内の出来事に限定される。現実で何が起きるのかは分からぬ。ナイトメアが突然現実で死を迎える事は分かっても、死因や状況までは分からなんだ。死亡想定時刻を警告しておけばナイトメアの死は回避可能であったが、儂にはナイトメアを生かし夢世界を終わりの無い地獄に落とすなどできんよ。ナイトメアは夢世界の悪夢ではなく【夜】となって消える。それが最善と判断した」
「…………」
背筋が冷えた。
裏を聞いてしまうと視界の端でもこもこしていた楽しい狸さんが神算鬼謀の悪魔に見えてくる。恐ろしい。
もう終わった事、と流すには大きすぎる真相だが、細かく追及していると二百年ぐらい経ちそうだ。話を進めよう。ハズタトによる夢世界滅亡はやはり無理があるように思えてならない。
「幻創使いがどうやって夢世界を消滅させるんだよ。銀の鍵か?」
「うむ」
「じゃ、銀の鍵をなんとかすればいいだろ。今アリスがやってるわけだし。解決!」
「それは失敗した。現実で窃盗を試みたのだが、勘づかれ鍵を丸呑みにされてしまってな」
「あ、そういう?」
モユクさんが原因だったのか。丸呑みなんてよくやるなと思っていた。
「アリス君も失敗するだろう。夢世界に入れなくなったゆえ彼女は儂の予知には現れんが――――こうしてヒプノス君にアリス君の失敗を警告していてもなお未来に変化が見られん。失敗を織り込み済みで動いてもやはり失敗する運命にあるようだ」
「分かった、銀の鍵はもうどうしようもないとしよう。極端な仮定なんだが、創造に目覚める前に殺……死んだら?」
「ナイトメアと同じ事が起きる。死に際に創造に目覚め、夢世界に定着するのだよ。これもまた不可避。いつどのように死亡してもそうなる」
「説得は?」
「答えるまでもなかろう。既に考え得る全ての可能性を演算した。どの未来でもアザトースは創造に到達し、夢世界を消滅させる。クラネス王以前の空白すら無い完全なる消失が待つのみ」
「それなら詰んでるじゃねえか。あいつが創造使いになる前に俺の創造でなんとかならんのか? 今なんとかできてると思うんだが」
「そう! 儂がヒプノス君を訪ねたの理由は正にそこなのだよ」
未来予知の古狸は右前脚で俺を指し、語気を強めた。
「創造使いが全力を尽くすならばまだ間に合う可能性がある。まだ一つだけ夢世界を救う逆転の芽がある。どうか協力して欲しい」




