07話 シルバースプーン
銀の鍵を使って創造使いになるためには、300人の夢見人の夢見る力を喰らわせなければならない。
誰が生け贄の山羊になるか、誰が創造使いになるかはクラネス王が決める事になっていた。
クラネス王は夢世界永住を目的とする組織・銀の黄昏の創始者であったし、空白の夢世界で天地創造を行った偉人で、長らく世界唯一の創造使いでもあった。彼の言う事ならば誰もが認めた。認めない者を捻じ伏せる力もあった。
創造使いに選ばれる条件は銀の黄昏に所属している事で、生け贄に選ばれるのも銀の黄昏のメンバー。そういうルールだった。
銀の黄昏はせっせと仲間を増やし、300人に達したら1/300の賭けに出る。当たれば永遠に夢世界にいる事ができ、外れれば永遠に夢世界から追放される。
銀の黄昏に入るという事はその分の悪い賭けに同意するという事でもあった。
ある意味同意の上身内で完結した穏便な計画だったのだ。
しかしドラゴンによってクラネス王が抹消され、状況が変わった。
世界を揺るがす激震の後に夢世界から消し去られたセレファイスを見れば、誰の目にもクラネス王の崩御は明らかだった。
百鬼夜行の夢見人達への抑止力はもう存在しない。
銀の黄昏は一斉に狩りを始めた。
もはや銀の黄昏に所属していようがいまいが関係ない。夢見人を見つけ、隙をついて現実への脱出を許さず意識を奪い、銀の鍵を持つハズタトに献上する。
幻創使いと妄創使いが戦った場合はほぼ例外なく一方的に幻創使いが勝ち、夢世界から妄創使いは瞬く間に消えていった。妄創使い同士、幻創使い同士の潰し合いも起きている。
力を奪われた夢見人は完全に夢世界から消えた。夢無人のように人魂にすらならない完全な消失だ。
アリスは銀の黄昏の蛮行の全容を把握するやブチ切れて俺達を現実のオフィスビルに呼び集めた。夢世界は最早安全ではない。集まるなら現実だ。
現実も絶対安全という訳ではないが、なんでもアリの殺し合い舞台と化した夢世界よりは遥かにマシだ。
この王港市駅前オフィスビルは丸ごとアリスが買い上げていて、夢の国の支配社活動拠点兼アリスの家として機能している。
中でも今集まっている二階のサロンは夢見人が揃って趣味のあれこれを持ち込んでいるため無茶苦茶だ。何も知らずに誰か入ってきたら狂人の部屋だと思うに違いない。
おどろおどろしい魔法陣模様のカーペットの端にナイトアノールくん達がお住まいになられるケージが置いてあり、その横には保並沙夜が買い集めているスナッフフィルムコレクションや解剖学の本の棚がある。ちなみに経学・帝王学の本の棚は別で、ニクスとタナトスと長宗我部が金を出し合って買った精巧な人体模型は首がもげ内臓が見える形でガラスケースに収められている。
そういったごちゃごちゃの中に作られたスペースにソファが置かれ、俺達、つまりアリス・ニクス・タナトス・俺がテーブルの上の資料を前に顔を突き合わせる。
「大前提として」
資料の一番最初の行に赤字でデカデカと書かれた文字を指で叩き、アリスは念押しした。
「現実での殺し合いは絶対にやめるように。銀の黄昏もそれは分かってるわ」
「なぜですか? 銀の黄昏を現実で皆殺しにすれば夢世界の混乱は収まるのでは?」
タナトスが先生の板書に質問するように手を上げて行儀よく大前提を崩しにかかった。ニクスが座り直すフリをして微妙にタナトスから距離を離す。
いやこえーよ。人畜無害なチワワみたいなナリでよく言う。やっぱりこいつナイトメアの妹だ。
「私の目的は夢世界を支配する事よ。未来の部下を殺すのは論外。銀の黄昏は現実で夢見人を殺して貴重な銀の鍵の餌を消す事は絶対に無いし、夢見る力を吸い終わって夢無人ですら無くなれば今度はわざわざ殺しに行く価値も無くなる。だから今回は現実で人材の損失が起きる事だけは回避できるわ。それとも何? 皆殺しにしたいの?」
「いえそういう訳では。ただそれが一番楽に思えたので。死んでも死なない夢世界と違って、現実なら一度殺せば死にますし――――」
「それでお嬢様。私達はどう動けば?」
淡々と皆殺し作戦の利点を挙げるタナトスにニクスが大声で言葉を被せた。
そうだそうだ、さっさと話を進めてくれ。この後長宗我部と王港市文化ホールこどもきょうりゅう博に行く約束があるんだ。夢世界で何が起きていようとこどもきょうりゅう博の終了日に変更は無い。今日行かないと次の開催はいつになる事か。
アリスは頷いて言う。
「ヒプノスが大々的に存在をアピールして夢世界でクラネスに代わる抑止力および強制力になる。それでひとまずは丸く収まるけど、それだと私じゃなくてヒプノスが夢世界の支配者になるからこの手は使えない。それを踏まえた上で私達がやるのは」
アリスはエゴを剥き出しにして続けた。
「銀の鍵の奪取よ。それで全て終わる。私なら銀の鍵をもっと上手く使うわ」
「ヤベー奴らから銀の鍵奪ってヤベー奴に渡すのか……」
根本的解決になっていないような。アリスに持たせたらそれはそれで変な方向に暴走しそうだ。
でも銀の黄昏に持たせておくよりマシか?
俺が持ってもいいが、どこかにうっかり置き忘れてしまいそうだ。羽毛か鱗があったら絶対に忘れないんだが。
「一昨日の夜に夢世界で一度アザトースから銀の鍵を取り上げたのだけど、意味無かったわ。取り上げたと思ったらアザトースの手元に戻ったの。現実の銀の鍵の所有者はいつでも鍵を手元に呼び戻せるようね」
「なるほど。じゃあアザトースを殺せばいいんですね」
「いやだからお前はさあ、すぐ殺すとか死ぬとか――――」
「そう。銀の黄昏の考えはそういう事でしょうね。最後にはきっと夢世界で殺し合って銀の鍵の使用者を決める。銀の鍵は常に夢世界と現実に同時に存在するから、所有者が夢世界で死んで現実に戻っても銀の鍵は夢世界に残る。死亡ペナルティで所有者が夢世界に入って来られない間に勝手に使ってしまえばいい」
「……なるほど?」
段々頭が追い付かなくなってきたぞ。
要するに俺達は何をやればいいんだ。もっと具体的に言って欲しい。
「お嬢様、猿でもわかるように説明しないと。ヒプノスがついてこれません」
「そうだったわね。つまり現実のアザトース、ハズタトから銀の鍵を取り上げるの。現実の居場所さえ突き止めればこっちのものよ」
「なんだよ結局それか」
いつもそうだ。
夢世界の問題を解決するためにはいつだって現実での人探しが必要になる。夢世界の中で全て解決すれば俺はドラゴンの次に無敵なのになかなか上手くいかない。
ハズタトの居場所を突き止める方法は俺に一任された。
ハズタトは従妹だしよく知っている。行動も予想しやすい。
一度解散して長宗我部ときょうりゅう博に行った後、俺は長宗我部のアドバイスに従って王港市近郊のホテルに片っ端から電話をかけた。
ちょっとズルいが血縁関係を建前にして所在確認をしたのだ。「そちらに叔父と従妹が泊まっているはずなのですが連絡がつかなくて困っています」と言えば大体通じる。
血縁関係も連絡がつかないのも本当だから何も隠さず堂々と話せばいい。
宿をとっているのは叔父さんで、叔父さんはハズタトがいる以上不衛生で不便な場所には泊まれない。野宿の可能性はなく、必ず宿に宿泊しているはずだ。
長宗我部の入れ知恵をフル活用して頼み込んだり泣き落としたりしてホテルを当たっていると、数軒目であっさり居場所が分かってしまった。もっと手こずると思っていたのに拍子抜けだ。
こんなに簡単でいいのだろうか。いいのか。親族でもなければ流石にホテルの従業員も宿泊客の情報は教えてくれなかっただろうし。
俺は勘付かれて逃げられる前に忍者にメールを入れた。
アリス配下の夢見人、忍者は誰も正体を知らない謎の人間(?)だ。忍者っぽい事は大体できる。顔割れに住所割れまで重なればみ盗めぬ物なし。
これで作戦完了。ハズタトには悪いがこれで終わりだ。
……と思ったのだが。
メールの二時間後、忍者から「窃盗不可」とだけ連絡があった。
どういう事かと問い返しても同じ文面が返ってくる。何か不都合が起きたらしい。
窃盗「失敗」ではなく「不可」とは?
何を言いたいのか分からない。
埒が明かないので俺も叔父さんとハズタトが滞在中のホテルに行く事にした。
適当に梱包したダンボール箱を持って忘れ物を届けに来た体を装いフロントのお兄さんに話しかける。
「すみません、先程電話した日富野です。叔父に荷物を届けに来たんですが、何号室ですか」
「ああ伺っています。こちらでお預かりしてお届けしますよ」
「大切な物なので直接渡したいんです」
「あっ、そうなんですか……うーん……本人確認できる物はお持ちですか?」
「学生証でいいですか?」
「写真と名前があれば結構です」
学生証を出すとフロントのお兄さんはコピーを控えて客室を教えてくれた。
ちょろいもんだぜ。
バッタリ乗り合わせないようエレベーターを使わず階段でホテルの五階に向かう。
そして鍵のかかった客室の前で立ち尽くした。
ここまでは計画通りだが、ここからノープランだ。どうするかなこれ。
叔父さんが部屋の外に出たタイミングで忍び込む? このホテルはオートロックだ。鍵のかけ忘れは期待できない。長宗我部を連れてきてピッキング頼めば良かった。
一度非常階段から外に出て外壁沿いに窓から忍び込む? やってやれなくはない、か? ……ダメだ、非常階段の扉にデカデカと赤字で「開けると警報が鳴ります。非常時以外使用しないで下さい」と書かれている。
というかそもそも今叔父さんは在室なのだろうか。
足音を殺してドアに忍び寄り耳を近づけると、耳を当てる前にドアが内側から開いた。
俺は体感九割口から心臓が飛び出したし風呂桶に着替えを入れた浴衣姿の叔父さんも俺を見てビクッとした。
「アッ」
「おお!? どうした明、どうしてここにいる? 強盗か?」
「いやあの、まあ、大体」
「そうか。まあ入れ」
「まあ入れ!?」
びっくりし過ぎて思わず本音が出たが、叔父さんは普通に部屋に入れてくれた。
いいのか? いいのか叔父さん? 甥っ子だからって油断し過ぎではないのか? 自然界で血族の闘争は日常茶飯事ぞ? ハズタトの鍵強奪して逃げちまうぞ? 旅暮らしで鍛えられた叔父さんに取っ組み合いで勝てればの話だが。
部屋はダブルベッドで、備え付けのテレビの横の椅子の上に子供用の浴衣を着たハズタトがちょこんと座っていた。包帯が巻かれた顔を僅かに俺に向けて口元を緩める。
大喜びしている。会いに来ただけでこの喜びようだ。お前は可愛いなあ!
ハズタトを抱き上げ、椅子に座って膝に乗せる。よーしよしよしよしよしよし!
このハズタトから銀の鍵を奪うのは流石に罪悪感があるのだが、首に鍵がかかっていなかった。叔父さんの首元も見てみるがネックレスはない。
ポケットの中とか? まさか金庫に隠してあるなんて事はあるまい。ホテルの金庫は決してセキュリティー万全とは言えない。銀の鍵は所持していないと効果が無いのだから、叔父さんかハズタトのどちらかが身に着けてるはずだ。
「銀の鍵を盗りに来たのか?」
「いや急にハズタトに会いたくなって……いやごめん嘘ついた。そう、今の俺は鴉の如く。ヒカリモノ大好き」
ハズタトを口実にはできない。素直に言うとハズタトが小さく咳をした。
「大丈夫か?」
「大丈夫だ。鍵はハズタトが食った」
「……なんだって?」
「銀の鍵はハズタトが食べた。夜俺が寝てる間にな」
「ハズタト?」
「…………」
ハズタトがまた小さく咳をする。
なるほど!?
そういう事か!
確かにこれは盗めない。忍者が匙を投げるわけだ。
仮にハズタトを丸ごと誘拐し無理やり盗んでも、鍵が体内にある以上所有者はハズタトのまま変わらない。
腹を掻っ捌いて取り出すわけにもいかない。ハズタトの病弱な体では摘出手術に到底耐えられない。
いやこれ詰みだろ。ウンコと一緒に出て来た瞬間にすかさず奪って、いや銀の鍵はそこそこでかいぞ。胃か腸のどこかで引っかかって一生出てこない説もある。
愕然としていると、叔父さんは俺にホットガラナミルクティーのペットボトルを投げ渡し、ベット端に座ってハズタトを優しく見た。
「俺はな、ハズタトに幸せになって欲しいんだよ。こんなのでも父親だからな。他の誰を踏みつけたっていい。夢を踏みにじったっていいさ。ハズタトの母方はクラネス王の直系だ。だから銀の鍵を代々継承してきた。夢見人にとっては名誉で重荷だ。その重荷を背負って良かったと思えるぐらい幸福になって欲しい。せめて現実じゃ無理でも夢世界でぐらいは……」
「あーはいはい家族の絆で同情させて攻めにくくしよう作戦ね。姑息姑息。そういうのはどっか他でやってくれよ」
なーにが「父親だから」だよ。ライオンの父親は子育てに参加しないし、パンダは母親ですら育児放棄して子供殺すぞ。親である事を子供を守る言い訳にすんな喰い千切られてぇのか?
この勘違い野郎がよぉ。叔父さんは父親だからじゃなくて日富野郷だから日富野ハズタトに幸せになって欲しいんだよ。
「俺もハズタトには幸せになって欲しいけどな、自分の幸せ優先だから」
以前アリスが俺の幻獣達を荒らしたように、今は夢見人だけを標的にしている銀の黄昏がいつ幻獣に牙を剥くか分からない。ハズタトの夢を犠牲にしても俺は俺の夢を守りたい。
これは仁義なきエゴとエゴのぶつかり合いなのだ。
しかし今回のところは引き下がろう。
銀の鍵奪取はどちらかというとアリスの希望だ。ハズタトの腹を捌いてまで銀の鍵を奪おうとは思えない。
俺は予防処置として銀の鍵を奪っておきたいが、必須でない。かつて銀の鍵によって最強無敵の存在になったクラネス王すら下したドラゴンには誰にも勝てない。ドラゴンが圧倒的暴力で君臨している限り夢世界は致命的な崩壊を免れるだろう。
銀の黄昏と夢の国の支配社の衝突は夢世界のNo.2を決める小競り合いに過ぎないのだ。
俺はうつらうつらしているハズタトの白い髪を三つ編みに毛繕いしてやり、部屋を辞した。ホットガラナミルクティーの味はザックリ言って地獄の冥界煮込みだった。
夢世界でアリスが俺を庇って夢見る力を奪われたのは、その日の夜の事だった。