06話 全能の逆説
結局のところ、夢世界への永住を目指す銀の黄昏は『逃げ』ていると俺は思う。
現実が辛いから、思い通りにならないから、楽で思い通りになる夢に逃げているに過ぎない。
本当に何かに強いこだわりがありそれを愛しているなら、現実でも何としてでもそうするべきなのだ。
現実から夢に逃げ込むのではなく、夢を現実に引きずり出さなければならない。
だから俺は夢世界のドラゴンを現実に召喚するために銀の鍵が欲しい。銀の鍵にはそれを可能にする可能性がある。
欲しくて欲しくてたまらないのだが、当のドラゴンから待ったがかかった。
自分の力で現実を侵略するから余計な事をするなゴミが、と言うのだ。
そう。ドラゴンは気高く傲慢だ。
創造主に力を恵んで貰うなどという耐え難い屈辱に甘んじる事はない。欲しければ自ら奪い、喰らう。
うむ。それでこそドラゴンだ。俺が創ったドラゴンはいつだって俺が思い描いたドラゴンよりドラゴンしている。
一方、アリスと叔父さんの交渉はこじれ、銀の黄昏のボスであるクラネス王とアリスの会談が持たれる事になった。
厳密にはアリスが世界で二番目の創造使いである俺の存在を盾に脅して面会の権利をもぎ取った。
叔父さんは俺に「頼むから暴れないでくれよ」と半泣きで頼み込んできたが保証はできない。幻獣かドラゴンを蔑ろにされたら割と簡単にブチ切れる自信がある。そう答えると叔父さんは酷く蒼褪めていた。
しょーがねーだろ夢見人なんだから。
ハズタトに聞いたぞ。どっかの国で検疫に引っかかって三日拘留された時、放浪癖が抑えきれず発狂して国境警備隊振り切って逃げだしたらしいな。
叔父さんだって逆鱗に触れたらそういう事するんだから俺の逆鱗をどうにかできるなんて思わないで貰いたい。
叔父さん曰く、クラネス王はナイトメアがそうしたようにNPCを創造し、生前の故郷を夢世界に再現してそこに引き籠っているらしい。穏やかな夢の暮らしにノイズを持ち込む夢見人の訪問は歓迎されない。だが同じ創造使いを連れていれば話ぐらいは聞いて貰えるだろう、との事だった。
「銀の黄昏を取り込めば夢世界支配は半分終わったようなものよ」
「残り半分はなんだよ」
「ドラゴン」
「ぶち殺されてぇのかドラゴンが十割だ」
その夜、俺は叔父さんから教わった夢世界上の座標にアリスと共にやってきていた。現実におけるイギリスにあるらしいその場所には、夢世界共通の草原風景の中に古い街があった。
一面の草原の中で煉瓦作りの街は異様に浮いて見える。
白黒画像の中でしか見た事が無いような古臭い服装の人々が籠を抱えてあるいは杖をついて石畳を行き交い、そこを裂くように馬車が往来していた。屋根に取り付けられた煙突の先から顔を出した煙突掃除の少年の顔は真っ黒に煤け、その頭に鳩が留まる。街外れではエプロンを着た夫人が小屋から羊を外に出し、それを牧羊犬が手伝っていた。
二百年前で停止したイギリスの街の景色がそこにはあった。
クラネス王のお膝元、世界最初の創造使いが生前の故郷を再現した街、『セレファイス』だ。
細部に渡って作り込まれた街に感心したが、それだけに惜しい。これだけ精密な人間の街を作る労力を幻獣の創造に向けていたらもっと素晴らしかったのに。
アリスが市民を捕まえてクラネス王の居場所を尋ねると、愛想よく道を教えて貰えた。
クラネス王は「王」という人間の分際で大それた称号とは裏腹に質素なアパートに住んでいた。玄関ホールの掃除をしていた小太りの女主人は俺達の訪問を承知していて、アリスが口を開くか開かないかの内にベルを鳴らして来客を住人に知らせる。
「クラネスさんは303号室だよ!」
女主人のダミ声を背中で聞きながら軋む階段を上がる。
手すりのささくれで切った指を妄創で治しながら、アリスは不満そうにぶつぶつ言った。
「どうしてこんな不便で小汚いところに住むのか理解できないわ。もっと効率的で機能的な暮らしができるはずなのに」
「これが好きなんだろ」
結局はそこだ。
夢見人が奇行しかしないのは「好きだから」に集約される。
二百年前から何一つアップデートされていない古びた街に住んでいるなら、クラネス王はきっとそれを愛しているのだ。
303号室のドアをノックすると、男の声で返事があった。
中はアンティークな絨毯やテーブルで揃えられた落ち着いた空間で、時代遅れの暖炉では薪が燃え温かく室内を照らしていた。窓際の椅子に座っていた男が新聞越しに俺達に視線を寄越す。口には二百年前は最先端だっただろう象牙のパイプが咥えられ、嗅ぎなれない刺激臭のする煙草の煙がゆるゆると立ち上っていた。
彼がクラネス王に違いない。
金の短髪に朴訥とした碧眼にそがかすの浮いたパッとしない顔の三十代のその男は正に人間といった印象を受けた。
ただの面白みのない産卵管も複眼もない人間ではない。奇妙にも人間という動物にしか例えられない人間臭さがある。
「……なるほど」
パイプを咥えたままクラネス王が呟くと同時に、何かの力が俺の全ての情報を覗き込もうとしている、という確信的な危機感に襲われた。
反射的に俺も創造を使い、情報の窃盗を遮断する。
「なんだおい。やるか?」
睨みつけるとクラネス王は革張りのひじ掛け椅子に深く背中を預け、新聞をテーブルの上に置いて苦笑した。
「いや悪かったよ。君と争うつもりはないんだが、会話の手間を省くいつもの癖でついね。すまなかった。有栖川夢子くんとはもう話をつけた。時間が許す限りゆっくり話そうじゃないか。どうだい君も?」
差し出されたもう一本のパイプを固辞しながら横を見ると、アリスの姿は消えていた。
なんか一瞬でめちゃくちゃやった気がするぞこの人。
「今何をやったんだ?」
「うん? 心を読んで答えただけだよ。僕は僕の箱庭が脅かされない限り動くつもりはない。邪魔も協力もしない。夢世界の支配も銀の鍵も好きにすればいい、と伝えた訳だ。君も僕と同じ事ができるはずだけど」
「ああ、まあ多分?」
正直俺も俺がどこまでできるのかよく分かっていない。
しばらく前にアサンの偉業を見てから俺は「自然物しか創れない」制限がなくなり自由自在に創造の力を使えるようになっている。光の速さを超えたり、無敵になったり、MPを無限に増やしたり、クラネス王がやったような読心・強制転移もできるのだろう。
しかしいまいち自分がそういうラスボス能力一式詰め合わせ状態になっている実感が湧かない。
「やっぱ使いこなせるようになった方がいいんですかね」
「いや、どちらでもいいんじゃないかな。どちらかというと僕は現実を大切にした方がいいと思うけどね。創造使いは現実で死んでもこうして夢世界で生きられるけど、現実の土を踏む事は二度とできなくなるから。一日一日を大切に噛み締める事だよ」
クラネス王は物悲しげに灰皿に煙草の灰を落とした。
百年単位で郷愁が具現化した世界に引き籠ってる人が言うと説得力が違うな。今の俺には彼の思いも感覚もよく分からないが、きっと分かった時には手遅れである類のものに違いない。
とはいっても現実より夢世界の方が楽しいのは揺るぎないわけで、現実を大切にしろと言われてもピンと来ない。
夢世界のために現実があるのであって、その逆ではない……と、思うのだが。同じ能力を持つ以上俺も彼と同じ轍を踏む可能性が?
悩む俺を見たクラネス王は暖炉に追加の薪を投げ込みながら提案してきた。
「ふむ。良かったら創造の使い方教えてあげようか」
「あ、それは助かる。いいのか?」
「いいとも、その代わりたまに僕の思い出話を聞いてくれよ。モユクは中々付き合ってくれなくてね」
「語りたがりのお爺ちゃんみたいだな。まあそれぐらいなら。よろしく」
創造使いの先人に学べるのは素直に有り難い。
人嫌いらしいと聞いていたが、少なくとも俺にとっては気のいい二百歳ちょいのお兄さんだ。
俺はクラネス王と握手を交わし、そして上空から落ちてきた爆炎がセレファイスの全てを瞬時に爆散蒸発させた。
幻創では考えられない非常識の炎は生き物だけでなく石も水も空気も焼き払い、一帯は灼熱の空白地帯と化した。
一体誰がやったのかなど考えるまでも無い。クラネス王が強力に保護しているセレファイスを一撃で焼滅させてのける存在はこの世に一つだけだ。
ただ二人消し飛ばなかった俺とクラネス王は、天空から重圧を纏い舞い降りる暴虐と傲慢の化身――――ドラゴンを仰ぎ見た。
カッコイイ!!!
ドラゴンは現れる時に空気など読まぬ。空気がドラゴンを読むのだ。
登場と同時に無慈悲な破壊を振りまくのが正にドラゴン!
君臨するドラゴンは牙を剥きだし燃える目でクラネス王を見下ろした。
「――――約定を違えたな? 定命の王」
「貴様……! よくも僕の、僕の故郷を! 許さんぞこの醜いトカゲが!」
「は、弱い犬ほどよく吠える。我は確かに言ったぞ。如何なる形であれ彼奴と手を結べば貴様の全てを滅ぼすと」
「黙れ! 僕も言ったぞ、僕の故郷に手を出したら殺すと!」
ドラゴンはクラネス王の怒声に大地が裂けるような哄笑で答えた。
双方のチカラが無限に増大するのを感じる。
こいつはヤバいな。全力で逃げたい。
しかし間近で見ていたい。
ドラゴンの本気の戦いなんて滅多に見られるもんじゃないぞ。
俺が自分を無敵化し絶対に破壊されない障壁を張るのと、その障壁が激突の余波で砕け散るのは同時だった。
戦いが始まった。
クラネス王が虚空から取り出した錫杖を振るうと、ドラゴンが氷に封じ込められた。俺には一目で分かる。ただの氷ではない。取り込んだ者の時間を止め、意識を凍り付かせる魔法の氷だ。
しかしその氷の中でもドラゴンは全く縛られず当然のように顎を開き、口内に炎を収束させ解き放った。
劫火の射線上の空間はドロドロに溶け、時空が歪んで溶解した。地平線の彼方まで伸びていく火線をクラネス王は虚空に身を隠して躱す。夢世界における最大の隠行だ。かつて無限の空白しか無かった夢世界に大地と空を創り上げたクラネス王は自分だけが入れる亜空間を創る程度造作も無い。
そのクラネス王をドラゴンは無造作に虚空から掴み出す。
怒りに燃えるクラネス王が念じればドラゴンの背後にブラックホールが発生しあらゆる全てを呑み込もうとする。
が、それも尾の強打でガラスのように砕け散って消えた。
尾が一振りされる0秒の隙を突いて鉤爪の掌握から脱したクラネス王がマスケット銃を撃つ。乾いた発砲音がして鉛の弾丸が破壊不能の鱗を貫いてドラゴンの胴に呪いの風穴を開ける。呪いは体内で煮えたぎる炎と一瞬拮抗したがすぐに燃え尽き穴は修復された。
魂を滅却する咆哮で夢世界が激震する。
王の鈴が夢世界を沈黙させる。
戦って、戦って、戦って。
お互いに必殺技しか打たない神話的戦いだった。
俺は完全に蚊帳の外の観客だ。名誉ある決闘の見届け人だ。
ドラゴンとクラネス王の力は拮抗し、お互い殺しても殺せないし死んでも死なない。
だが、徐々にクラネス王の動きは精彩を欠いていった。
傍若無人に思うがまま力を振るい続けるドラゴンに対し、クラネス王を支配していた怒りは悲しみに移ろい、哀愁になる。
絶大な力の応酬が止まる。
深紅の炎に巻かれた世界で、クラネス王は聳えるドラゴンの前にとうとう膝をついた。
「つくづく思うよ。きっと僕が耐えられる歳月は精々二百年なんだ。元々永劫の歳月に耐えられる生き物ではないんだよ。君との戦いは少し……眩し過ぎる」
「故に貴様はここで消えるのだ」
「ああ。もう一思いにやってくれ」
クラネス王はドラゴンの返答代わりの一息で燃え尽き、夢世界から完全に消失した。
ドラゴンは鼻を鳴らし、東へ飛び去って行く。
やはり俺のドラゴンは最強だ。
最強の証明材料にされたクラネス王に思う所はもちろんあるが、それでも何よりドラゴンのドラゴンらしさを嬉しく思ってしまうのが俺の夢見人たる由縁に違いない。
この日、夢世界最強の座は二百年の時を経て塗り替わり。
歯止めを失った銀の黄昏の暴走が始まった。