05話 世界五分前仮説
銀の黄昏は夢見人の集団だ。新興勢力であるアリスの夢の国の支配社と違い歴史があり、ワールドワイドで、構成員も多い。
『夢の国を支配する』などと抜かすアリスと違い、銀の黄昏の目的は『夢世界への永住』。割と穏便に聞こえて拍子抜けだったのだが、やはりヤバい奴らしかいない夢見人が集まった集団が掲げる目的が穏便な訳がなかった。
創造使いになれば永住できる。
そのためには夢見人300人の生け贄が必要。
だから夢見人を増やして生け贄を確保する。
控え目に言って脳みそゴブリンでいらっしゃる?
アリスが可愛く思える蛮行だぞ。
俺は尻尾が縮み上がるほど恐れ戦いたのだが、アリスはそうでも無かったらしい。興味津々に話に喰いついた。
「面白い話ね。一人が創造使いになるために300人が夢見人の力を手放す訳でしょう? その一人はどうやって選ぶの? 誰を選んでも納得しないでしょう」
「それはウチのトップが選ぶ事になっている」
「それで生け贄にされる300人は納得するの?」
「クラネス王は創造使いだからな。納得するしかないのさ。世界唯一の創造使いには誰も逆らえん、と言いたいところだが……まさか銀の鍵以外の方法で二人目の創造使いが生まれるとはな」
部屋にいる全員の目が俺に集まった。
な、なんだよ。
「ドラゴンも創造使いだぞ」
「ん? アレはお前が作った生き物であって夢見人じゃないだろ。とんでもないヤツだとは聞いているが」
「でも創造は使えるから創造使いだ。俺が使えるようにしたから間違いない」
「……創造使いはなんでもアリだな。じゃあ三人……三人? 二人と一頭だ」
「ナイトメアも使っていたわ。もう死んだけど」
「おい待ってくれそれは初耳だぞ。ナイトメア? 誰だ? 一気に創造使いを増やさないでくれ混乱する。この二百年ずっと創造使いは世界に一人だけだったんだぞ? 唯一無二の伝説だったんだ。それを急にぽんぽん増やすな」
「増えたものは増えたのよ。アザトース、来なさい」
頭を抱えてしまった叔父さんにニクスが事情を説明し始める。それを放置してアリスはハズタトに手招きした。
ハズタトは俺の膝から降りてとっとこアリスの机の前まで行き、机の縁に手をかけてアリスを軽く見上げた。
アリスも小柄だが、ハズタトは更に小さい。
「なに? お義母さん」
「お義母さんはやめなさい。年齢一個しか違わないでしょう。敬意をもってボスと呼びなさい」
「アザトース、そいつの事はアリスでいいぞ」
「アリスさん? アリスさん!」
ハズタトは嬉しそうに言った。
無邪気なハズタトにアリスは腕組みをして居丈高に命令した。
「アザトース、銀の黄昏をやめて夢の国の支配社に入りなさい」
「や」
ハズタトは真顔になって音速で拒否した。
そりゃそうだ。銀の黄昏からの交渉人の目の前で引き抜きかける度胸は凄いと思うが、成功要素無くないか?
しかしアリスはめげずに誘いをかける。
「私なら銀の鍵をもっと上手く使うわ。300人使って1人を強化するなんて効率の悪い真似はしない。私なら全員上手く使える。上手く支配できる。私の下につけば現実でも支援してあげるわ。義手、義眼、手術、リハビリ、全部最高の環境を用意して――――」
「いらない」
「なら何が欲しいの」
「なにも」
ハズタトは静かに言った。
「現実で欲しい物なんて何もない。夢世界に全部あるんだから。現実に意味なんて無い。醜くて無力で惨めったらしくて、歩く事も寝返りを打つ事さえできない現実に一体なんの価値があるの? ずっと夢世界に居られるだけで私は満足」
「なら夢世界で欲しい物をあげるわ」
「えっとね、そういうのは関係ないの。私が真っ暗な現実で独りぼっちだった時、抱きしめてお話してくれたのはおとーさんとおにーちゃんだから。アリスさんじゃない」
だから私はアリスさんに従わない、と、ハズタトは能面のような無表情で淡々と言った。言葉の裏に深い闇が見え隠れする。
無理もない。
しばらく前からアリスが夢無人を賦活してインスタント夢見人に変え、それを商売にしている。限定的な力しか持てない疑似的夢見人ですらドハマりして中毒になり、のめり込み過ぎて現実で栄養失調になり病院に搬送された人間がいるほどだ。
一般人より遥かに強大な力を振るえる夢見人が夢世界に魅入られるのは当然とすら言える。
あとアリスの誘いを拒否するのは別におかしな事でもなんでもない。理由はとにかく。
偉そうで生意気な人間の雌の幼体に居丈高に命じられて喜んで従うヤツがいたらそれは相当な特殊性癖の持ち主だ。
「ヒプノス。アザトースに夢の国の支配社に入るよう言いなさい」
「断る。勧誘するならお前がやれ」
「くっ、どいつもこいつも私の命令聞かないんだから……!」
それからイライラするアリスとニクスから一通りの話を聞き終わった叔父さんが込み入った交渉を長々と始めたので、俺は途中で退屈になってハズタトとニクスを連れ退散した。難しい話は分からん。
幻獣とドラゴンをどうこうしない限りみんな好きにやればいいさ。
夢から覚めて朝食を取った後、叔父さんはハズタトを連れてすぐに日富野家を出て行った。アリスとの交渉がまとまるまでの間、王港市のホテルを転々として暮らす予定らしい。
去り際、車椅子に乗って名残惜しげな雰囲気のハズタトの首にかかっていたのが恐らく例の「銀の鍵」なのだろう。知識が無いとちょっと変わったアクセサリにしか見えない。
既に創造に到達している俺にとっては大した使い道もないアイテムだが、幻創以下の夢見人にとっては貴重なものに違いない。
王港市には夢見人が多い。まさかとは思うが現実でばったり遭った時に強奪されないよう、服の下に隠しておけと忠告しておいた。
そうして二人を見送って部屋に戻ると、部屋を出た時にはいなかった狸がベッドの上にちょこんと座っていた。半開きの窓から入る風がカーテンを揺らし朝日が差し込んでいる。
「うっわびびった! おはようございます。今日は何か御用事が?」
「ひゅーん」
モユクさんは甲高い声で鳴き、握手を求めた俺に前足の肉球でタッチしてくれた。
この世にも珍しいアニマル夢見人は初めて会った時からよく分からない謎ムーブをしてばかりだ。夢見人の行動原理がよく分かる事の方が珍しいのだがそれはそれとして。
モユクさんは俺の机に飛び乗り、キーボードをてしてし叩いた。
心得て電源を入れ執筆ソフトを起動すると、モユクさんは前脚を器用に使ってチャットを始める。
モユクさんはすげぇよ。大抵の人間より賢いんじゃないか?
『銀の鍵はまだアザトースが持っているかね?』
「……そんな事を聞いてどうするんだ」
まさかモユクさん、俺の可愛い従妹の持ち物を強奪しようってんじゃないだろうな。ハズタトは夢世界ならいざ知らず、現実なら狸に惨敗するぞ。
『なに、知的好奇心というやつだ。アレは大変興味深い性質を持っておる。探求の機会をみすみす逃す事はあるまい?』
「まあ変なアイテムだなとは思うが。結局アレってなんなんだ?」
アリスや叔父さんだけでなくモユクさんまで気にかけているとなると俺まで気になってくる。
銀の鍵は俺が知る現実と夢世界のルールを些か逸脱しているように思えた。
一定以上の知性を持つ存在、つまり人間やモユクさんのような突然変異生物は眠っている間に夢世界に行く事ができる。
その中でも数十万~百万人に一人の特別な存在だけが夢見人に覚醒し、夢世界で強大な力を振るう事ができる。
だから銀の鍵が現実と夢世界に同時に存在しているのはおかしい。無機物が知性を持ち、夢を見ている事になってしまう。
疑問をぶつけると、モユクさんはたふたふタイピングして答えてくれた。
『銀の鍵は二百年前に若かりし頃の儂が見つけた隕石から発掘されたものだ。当時イギリスにいたのだが、そこにクラネスという名の友人がおってな。彼奴が隕石から鍵を掘り出した。妙な話だろう? 宇宙から飛来した隕石に鍵が閉じ込められておったのだ』
「いやそんな馬鹿な。それ本当に隕石だったのか?」
隕鉄から鋳造された鍵だというならまだ分かるが、隕石から発掘されたなんて信じがたい。それでは宇宙のどこかで作られた鍵が隕石に閉じ込められて地球にやってきた事になってしまう。
『間違いなく隕石であったよ。儂がこの目で落下を目撃した。爆音と衝撃で全身の毛という毛が縮み上がったのをまだ覚えておる。クラネスは鍵の力を使い、知られる限り前人未到の創造使いとなった。そして無限の空白が続くだけの世界であった夢世界に故郷の田園風景を模した大地を創造したのだ。その偉業と絶大なる力を讃え、クラネスは夢世界で唯一【王】と称されるようになった』
「なんだその創世神話」
『世界創造ではないがね。天と地を創造したという意味ではその理解で正しいと言えよう』
初めて夢世界に入った時の記憶をふと思い出した。
延々と続く青々とした丘陵を見てイギリスの田園風景のようだと感じたのは正しかった。正にそれを模して創造されたものだったのだ。
『王となったクラネスは夢見人達を強力に統率し大勢力を築いた。得意絶頂であったクラネスは更なる力を求めた。銀の鍵の力を引き出し、創造の更にその次に行こうとしたのだ……時にヒプノス君は【世界五分前仮説】というものを知っておるかね』
なんだ、急に話を変えおる。
俺が首を横に振ると、モユクさんは検索画面を立ち上げネット辞典を見せてくれた。
「なになに……『世界は実は5分前に始まったのかもしれない』……? は?」
最初の一文を読んだだけでは頭のおかしい妄想としか思えなかったが、最後まで読んでみると哲学的思考実験としては成立している事が分かった。
要約すると
『人間の記憶や肉体、地球の状態から宇宙の星々に至るまで、まるで何十億年も昔から歴史が存在していたかのように完璧に偽装できたならば、たとえ世界が五分前に創造されていたとしてもそれに気付く事は不可能』
という仮説だ。
まあそれはそうだ。
そんな事をやりたいと思うヤツがいて、そんな事ができる力があれば成り立つ。
『クラネスは【世界五分前仮説】の実現可能性を銀の鍵に見出したのだよ。代償はあれど創造を授ける事のできる銀の鍵は、当然創造より上位の力を持つのではないか? 現実を夢に変え、夢を現実に変え、二つの世界を融合させる事すら可能やも知れぬ。原初の世界に元々存在していたのは夢世界のみであり、現実は銀の鍵によって創造された二つ目の追加世界という可能性すらある』
「そんなの――――」
『ありえないかね? 夢見人が持つ力による世界創造については他でも無い君が最もよく理解しているはずではないかな』
「…………」
そこを突かれると何も言えない。
話の規模がデカくなり過ぎて荒唐無稽に思えるが一応筋は通っている。
しかしたった一本の鍵の話が宇宙規模になるとは。
『銀の鍵の力を引き出すには現実で銀の鍵を所有していなければならん。結局クラネスは野望を達する前に現実で死に、夢世界にのみ存在する現実の残響と成り果てた。創造の力は健在であるが、今は静かな隠居生活を送っておるよ。
さて、そこでヒプノス君の疑問に立ち返る事になる。クラネスにそれほどの力を与えた銀の鍵とは一体何なのか、という疑問だ』
モユクさんは一度そこでタイピングを止め、別のソフトを起動して円グラフを作った。
そこに記されたのは金属の比率だ。
「銀61%、白金23%、金10%、鉄2.6%、銅1.4%、チタン1.1%、その他微量の金属元素1.5%。これは?」
『銀の鍵の構成成分比率を示しておる。物質は違うが比率が何かと近似しておるのだが、分かるかね』
「……人間だ」
ドラゴンを精密に創造するために、俺は生物の構成物質を調べた事がある。その中で人間を形作る成分比率についても齧った。
酸素61%、炭素23%、水素10%、窒素2.6%、カルシウム1.4%、リン1.1%、その他1.5%。これが人間の構成成分比率だ。
背筋が冷える。
では何だ? 銀の鍵は人間の成れの果てとでも言うのか。
『銀の鍵の真の正体は想像の域を出ん。しかし儂の研究によれば、恐らくは人間と狸が認識できぬ形態の生命活動を行う外宇宙由来の夢見人であり、創造を超える夢の力を秘めておる。狸の夢見人がおるならば無機物の夢見人がいてもおかしくなかろうよ。
さて。これでヒプノス君の疑問には答えた。今度は儂の疑問に答えて貰いたい。
改めて聞く。銀の鍵はまだアザトースが持っているかね?』
「……持ってる」
『情報感謝する』
モユクさんはその一文を打つと、ひらりと机から降り、窓の隙間から外へ出ていった。
残された俺はやたらスケールのデカい話を消化するためにしばらく頭を悩ませる事になった。