02話 しろがねの少女
ニクスは友達の家に行った事が無いらしく、日富野家に遊びに行くというたったそれだけの事に異常なほど身構えていた。粗相があったらどうしようとか結界を破ってしまったらどうしようとかしょーもない事を心配して怖がっていたので、それなら夢の中で練習しておくか? という話になった。なぜか。
人工物を作れるようになった俺の進化が早速モノを言い、夢世界に再現した日富野家で予行演習をしたのが昨晩の事。
今日が本番だ。友達の家に遊びに来るだけなのだから別に緊張する事など何も無いはずなのに、ニクスはやたらと緊張してかしこまり保並沙夜と新しい服まで買いに行ったりしていた。雑に遊ぼうぜ、と誘った俺までなんだかそわそわしてくる。
「お、お邪魔します」
「あら! あら~ようこそよく来てくれたわねぇ! ゆっくりしていってね、狭い家ですけど~!」
「いえそんな、えっと、は、はい……」
ニクスは楚々とした薄紅色のワンピースにカーディガンを羽織り、高そうなバッグを肩にかけてやってきた。一目見たお袋が露骨に警戒を解きいつもの三割増し高い声で歓迎する。ニクスは蓮華の髪飾りを弄りもじもじして目を伏せ消え入るような声で答えた。
俺が友達を連れて来る、と言った時は「ペットはダメって何度言ったら分かるの!」と詳しい話も聞かずキレ散らかした癖に。ニクスが人間の雌だと分かった途端に連れてきなさいと態度をコロッと変えるし本人を見たらこのザマだ。
相手が人間かそれ以外かで態度変えすぎなんだよな。器の狭い母親だ。
お袋は俺そっちのけで恐縮するニクスを居間に案内して紅茶とお菓子を出し、俺を廊下に引っ張って小声で詰問してきた。
「アンタあんな可愛い子どうしたの!? 友達が来るって言ったじゃない!」
「いやだから友達なんだって」
「馬鹿ッ! 友達の家に行くだけであんなオシャレする女の子いるわけないでしょ! あーもう! どうせ全然褒めてないんでしょうアンタって子はホントにもーしょうがない子なんだからもー」
「は? ちゃんといいなと思ったら褒めてるわ」
「あーダメダメダメなんて褒めてるか当ててみましょうか、クジラのヒゲみたいに綺麗だとかそんなのでしょ! それはね、褒めてる内に入らないの。馬鹿にしてるって言うの。言われた方はそう思うの。あーもう想像つくわ。霞ちゃんも大変ね。アンタもっとちゃんとしないとダメよ! いつも言ってるけど彼女できたならもう本当いい加減にちゃんとしないと後悔するからね! いい? 分かった? 返事!」
「彼女じゃな」
「返事は『はい』でしょ!」
「……はい」
俺は勝手に自己完結して怒りだした情緒不安定な母に適当に返事をした。
この母と同じ遺伝子が半分自分にも流れていると思うとたまに不安になる。俺も自己完結して情緒不安定になりがちなところあるんだろうな。自分ではよく分からないが。
あとなーにが彼女だよ。婚姻色出してないし求愛行動もしてないのに恋愛関係が成立するわけないだろ。もっと常識で考えて欲しい。はーまったくやれやれ。
自分で呼び出しておいて早く戻りなさいと背中を押してくるお袋は玄関で再び鳴ったチャイムに目を瞬かせた。
「アンタ何人呼んだの」
「いや知らん」
今日呼んだのはニクスだけだ。二人目以上の心当たりはない。
何かの勧誘かと思って出るのを躊躇っていると、チャイムの連打が始まった。それだけでもう誰が来たのか分かった。
日本に帰ってきてたなら連絡してくれれば良かったのに! 俺は急いで玄関を開けて叫んだ。
「叔父さん!」
「お、明くんか。大きくなったなあ」
従妹が乗った車椅子を押す叔父さんは、大きなゴツゴツした手で俺の頭を力強く撫でてくれた。
日富野郷は貿易関係の仕事で一年中海外を飛び回っている俺の叔父さんだ。時々日本に帰ると必ず俺にお小遣いやお土産をくれる。俺の性癖にも理解を示していてくれて、今はアリスの本社ビルで飼っているトカゲくん達を融通してくれたのも叔父さんだ。
酷く傷んで縮れた黒髪や退色したボロボロの革ジャケットは年老いた鶏の羽根を思わせる。養鶏場を破壊して焼け野原に立つ歴戦の鶏の如き不思議な風格だ。俺が小さい頃から全然変わらない。
そしてその叔父さんに押される車椅子に乗っているのが日富野ハズタト。俺の従妹だ。
エジプトだったかイラクだったかなんかそのあたりの田舎の女性と結婚して生まれたのがハズタトで、ハズタトが生まれてすぐその人は亡くなってしまったので俺は会った事も無い。
だが、たぶん良い人だったんだと思う。娘のハズタトを見ていれば分かる。
ハズタトは生まれつき重度の障害を抱えている。
両腕が無く、足は萎えて動かず、痩せていて、全身に紫色の斑点状の痣があり、もう中学生になる年齢にも関わらず幼稚園児並の身長しかない。喋る事ができず、視力が全く無く濁った瞳と厚く腫れたまぶたを隠すためにいつも包帯で目を覆って隠している。叔父さんと同じ痛んで縮れた長い髪は色素が抜け落ち病的に白かった。病院着を連想させる質素な服装に首から下げた銀の鍵のアクセサリがチャームポイントになっている。
自然界なら秒で餌にされるハズタトだが、フクロウのように賢くキツネのように目端が利く。頭がいいのだ。
一緒にクイズ番組を聞いていると問題全文を聞く前に超スピード回答するし、今まで叔父さんについて旅をした全ての国の言語をどうやら覚えているらしい。
あと甘えたがりでウチに来るといつも俺に抱っこして貰いたがる。抱き上げると本当に嬉しそうにするから俺まで嬉しくなるぐらいだ。
ハズタトはとにかく可愛いやつなのだ。
ずっとウチにいればいいと思うのだが、お袋はハズタトの事があまり好きではないらしい。ハズタトはあまり人間ウケする見た目してないからな。分からなくもなくはないがやっぱり分からない。
車椅子に乗ってるとガラパゴスゾウガメでカッコイイし、抱っこしているとスローロリスのように可愛いと言ってもさっぱり分かって貰えない。解せぬ。
叔父さんに久しぶりに頭をわしゃわしゃされていると、車椅子に乗ったハズタトが身じろぎした。
「…………!」
「お、抱っこか。よし来い」
僅かに前傾姿勢になったハズタトを抱っこすると、唇が震える。
「いやお前それは大げさだろ。ああそうだ、今友達来てるんだけどどうする? 先に俺の部屋に行ってるか?」
「…………?」
「いや長宗我部は今日いないぜ。新しい友達……いやめっちゃ驚くじゃんか。友達ぐらいいるっつーの。じゃ、叔父さんちょっとハズタトと遊ぶから」
「ああ。ハズタト、大人しくしてろよ。それで義姉さん、ちょっと話があるんだが――――」
ちょっと不機嫌なお袋と叔父さんが玄関先で大人の話を始めたので、ハズタトを居間に連れていく。
綺麗な姿勢で上品に紅茶を飲んでいたニクスは、俺が抱っこしてきたハズタトを一目見て黄色い声を上げた。
「えーっ!? 何その娘! かっわいい!」
「お、ニクスはハズタトの可愛さが分かるクチか」
「ハズタトちゃんって言うの? 可愛いね! 悪魔に呪われた忌子みたい! ひひっ、お姉さんハズタトちゃんと仲良くなりたいな?」
猫撫で声でウキウキとにじり寄るニクスにハズタトは大きめの鼻息を一つした。
こえーよ。怒るな怒るな。
「ニクス謝っとけ。今のはニクスが悪い」
「え、何が? どういう事?」
ニクスは素で困惑したようだった。
ため息が出る。
だろうと思ったよ。悪気は無かったのだろう。
だが悪い意味にしか取られない言葉だった。
「たぶんニクス的には褒め言葉だったんだろうが、見た目についてごちゃごちゃ悪く言ったからな。ハズタトがブチ切れてる」
俺の言葉に合わせてハズタトは首を緩く傾げた。
おいおいそれ訳すのか? 流石に言うの躊躇うぞそれは。どれだけ頭に来たんだよお前。
「あー、末代まで呪われろクソビッチ、だとさ。いや俺が言ったんじゃないぞ! ハズタトがな」
「本当にハズタトちゃんがそう言ってるの?」
「言ってる」
「ほんとかな……ハズタトちゃん、本当だったら首を右に傾けてみて」
ハズタトは即座に首を右に限界まで傾けた。
「ほんとに通じてるんだ。えっと、ハズタトちゃん、気分悪くさせちゃってごめんね」
「…………」
「今なんて言ったの?」
「死んで詫びるまで許さないつもりだったけど謝ってくれたから許す、だとさ」
「そ、そこまで言った? 盛ってない? 今のほんのちょっとの動きにそんな意味ある?」
またハズタトの首が右に折れそうなほど傾いた。
本人の目の前で盛るわけないだろ。直訳だ。
「ええ……? どういう……? ヒプノスはどうやってハズタトちゃんの言いたい事見分けてるの? ジェスチャー、ってわけじゃないよね」
「どうって普通に見てだが」
何故ハズタトの言いたい事が分かるのかコツを親父とお袋にも聞かれた事があるが、俺にはむしろ何故分からないのかが分からない。
男と女の顔を見分ける時、どうやってとかどこを見て見分けてるんだ、なんて聞かれてもなんとなく普通に、としか答えられないだろう。それと同じだ。見れば分かるから分かる。
ハズタトの言いたい事はカエルの表情と同じぐらい露骨で分かりやすいから、むしろ人間と話すより楽なぐらいだ。
叔父さんも俺がどうして分かるのか分からないらしい。叔父さんは生まれた時からハズタトと一緒にいるから長年の経験を元に細かな動きで会話を成立させられるが、年に一、二回しか会わない俺がハズタトと話せる理屈は本当に理屈を超えているんだとか。
個人的にはハズタトは人間っぽくないから逆に俺と「話せる」んだろうなーと推測を立てている。真相は分からない。
急に従妹が来たので、ニクスと二人で遊ぶ予定を変更して三人で遊んだ。
が、三人で遊べるゲームは少なかった。俺はハズタトといる時はよく一緒にラジオや動物の鳴き声音源を聞きながらだらだら雑談したり謎かけ問題を出し合ったりするのだが、ニクスはハズタトと話せないので話についてこれない。
ニクスに合わせた遊びはハズタトが仲間外れになり、ハズタトに合わせればニクスが外れる。
許すと言った割にハズタトがニクスを全然許しておらず塩対応で突き放そうとするせいもあり、美少女二人の距離は埋まらないまま気まずい時間は過ぎていった。
やがて夕方になり、一度も盛り上がる事なくニクスは帰っていった。お袋は夕飯を食べていくよう引き留めようとしたが、ニクスはやんわりとしかし断固として断った。門限破ったらアリスがブチ切れるからな。毎日夢世界で一緒にいるし現実の時間に拘る理由もない。
ニクスと入れ違いに休日出勤から帰宅した親父は喜んで叔父さんと酒を酌み交わした。俺もハズタトとどうぶつビスケットを肴にオレンジジュースを酌み交わした。不機嫌なのはお袋だけだった。
話によれば叔父さんは会社の意向でしばらく王港町あたりに留まる事になったらしく、ハズタトと一緒に日富野家に滞在したかったようだ。しかしお袋の反対で頓挫し、今晩は別として明日からはホテル暮らしになる。
お袋は叔父さんと仲が悪い。
貿易関係の仕事と言えば聞こえはいいが、具体的に何をやっているのかボカして話そうとしない叔父さんをお袋は完全に社会不適合者と見なしている。一度悪印象を抱けば全てが悪く見えてくるもので、叔父さんの子供のハズタトの事まで口には出さないが煙たがっている。
日富野家の巣を管理しているのはお袋で、誰が掃除するの、とか誰が料理するの、とか家事やご近所づきあいを盾にされると言い返せない。
こうやって動物の群れは分裂するのか。なるほどな。
その夜の事。
俺が夢の中に入って二足歩行のトカゲ人間に変身してふと横を見ると、隣にハズタトがいて驚いた。
驚いた俺に驚き目を丸くしている。
ハズタトは両腕があり目隠しが無く痣もなく、萎えていた足は健康的にすらりと伸びて、要するに生まれつきの障害を全て取り払った姿になっていた。エジプトっぽい白い貫頭衣を着て髪の色が銀になっているのは変身オプションだろう。胸元で揺れる銀の鍵のアクセサリは変わらない。
意外だ。いや意外でもないか?
最近はもう会うヤツ会うヤツみんな夢見人のような気がする。
俺はハズタトの肩を叩いて言った。
「よう。ハズタトも夢見人だったんだな。言ってくれれば良かったのに」
ハズタトは目を瞬き、しどろもどろに狼狽えた。
「……え? おにーちゃん? なんでおにーちゃんが夢世界に、っていうかどうして私が私だって分かったの!? 見た目こんなに変えてるのに!」
「いやどうしても何も。どう見ても現実と同じ美少女ハズタトちゃんだろうが」
思った事をそのまま言うとハズタトはびっくりしたようだが、すぐにものすごく嬉しそうに飛びついて腹に頬ずりしてきた。俺は甘えん坊を抱きしめてよしよししてやる。ほらやっぱり。現実と全然変わってない。
しかし言うほど現実と見た目変わってないだろお前。
パッと見ですぐ分かる。ちょっと綺麗めに変身しているだけで、なんというかもう全体的にハズタトだもんな。どこがどう、と聞かれても困るのだが。
「とりあえずアレだ、俺こっちでヒプノスって名乗ってるから本名は出さないでくれよ。一応現実の身バレ防止対策でな」
「ヒプノス? じゃあ霞さんがヒプノスって呼んでたのはそういう事なんだ」
一人頷いたハズタトは俺を見上げ元気よく言った。
「じゃあ私も自己紹介! 私、夢世界でアザトースって名前使ってるの。こっちでもよろしくね、おにーちゃん!」