10話 竜の探求
オフィスのベッドで睡眠薬を飲んだ僕は気がつけば夢世界に居た。昼の夢世界には初めて来た。青い空には太陽があり、明るい夢世界というのはなんだか変な感じだ。プレイヤーに合わせて夜型生活が基本になっているNPC達は家に引っ込み始めていた。彼らはそろそろ寝る時間なのだ。
ログイン直後、目の前にはいつもと違ってB29ではなく日富野君がいて、俺は登校するから好きにやれ、と言ってすぐに現実に戻ってしまった。
睡眠薬の効き目は24時間で、効果時間の途中で死ぬと、寝ているけど脳は働いていてしかも夢世界にいない状態になるらしい。
理屈はよく分からないが、とにかく一度死んだら終わりで、結果はどうあれ24時間後に目覚める事になる。
だから24時間以内に僕は「夜の試練」を達成しなければならないのだが、まずは改めて要点をまとめよう。
B29は死んだ。死体は埋葬してあり、墓前にはB29の本体であるカラスの御守りが置いてある。
カラスの御守りと、NPCの創造主ナイトメアが遺した「夜の秘宝」があれば、B29を蘇生できる。
「夜の秘宝」はドラゴンの巣にある。
ドラゴンの巣の場所は分からない。巣を発見する必要がある。
ドラゴンは財宝に執着する。「夜の秘宝」は絶対譲ってもらえないし、買えないし、貸してもらえないし、交換もできない。
ドラゴンは桁外れに強い。強奪はできない。
以上の事から、僕は「夜の試練」の基本方針を「ドラゴンの巣を探し出し、留守中に『夜の秘宝』を盗み出す」とした。それが一番現実的な計画だと踏んだ。
ドラゴンが運悪く在宅だったら?
首尾良くB29を蘇生したとして、絶対怒り狂っているであろうドラゴンをどうするか?
夜の秘宝は見ればすぐにそれと分かるらしいが、どんな形で、どう使うのか?
色々問題はあるけれど、解決策は思いついていない。幸運を祈るしかない。
とにかく行動しないと全ては絵に描いた餅だ。僕は早速キングスポート中央地理院へ足を向けた。
「夜の試練」の挑戦者は僕だけではない。随分前からゾンビアタックを続けている日富野君と長宗我部君のコンビや、ゲームマスターのタナトスさん。そして幾らかのプレイヤーとNPCが過去に挑戦し、巣を捜索している。
ドラゴンの気性からしてせせこましく巣を隠蔽している可能性は無いそうで、諸々の条件から絞り込んだ候補地がしらみ潰しに調査され、その調査データが地理院に保存されているのだ、と以前B29に話のタネに教えて貰った事がある。
中央地理院で眠そうに受付をしていたNPCに事情を説明し、ドラゴンの巣の候補地に関する地図を全て見せて貰うと、幸い先人達の地道な調査で数十もあったらしい候補地は残り四ヶ所にまで減っていて、かなり絞り込まれているのが分かった。
夜の秘宝を入手した後の復路も考えれば一ヶ所しか行けなさそうだったが、25%と考えれば望みは十分だ。必要な情報は手に入った。
地図の閲覧・貸し出しはキングスポートの公共事業の範疇だから、ここで躓くとは最初から思っていない。用は済んだのでさっさと中央地理院を後にする。
問題は次だ。対ドラゴン装備を整えないといけない。
と言ってもドラゴンを倒すのではなく、ドラゴンから隠れ、逃走するための装備だ。ドラゴンと戦っていたら命がいくつあっても足りない。
戦わないとはいえ相手はドラゴンなのだから、準備をしてし過ぎる事はない。
時間は惜しいけれど、装備が不足して途中で引き返す事になったら笑えない。準備は絶対必要だ。
必要な物の脳内リストアップは現実で済ませてきた。僕は装備を整えるために今度はキングスポート商業地区へ足を向けた。
夜は活気ある商業地区も早朝の今は静かなもので、プレイヤーやNPCが閉店準備をしたり露店に広げた商品を片付けたりしていた。
キングスポート経済は物々交換で成り立っていて、ここ数日は貨幣(と交換できる証文)も使われ始めている。B29の共同住宅に置いてあったマンドラゴラの根っこだとか世にも珍しい二輪咲きの土枯らしだとか今まで集めてきたありったけの幻獣素材を交換材料に商業地区を駆けずり回った。
トウメイペンギンの腹の皮を鞣して縫製したインビジブルクロークは身につけた者を完全に透明にする。露店の目玉商品だったが、マンドラゴラのとびきり太い根と交換した。
サイレントシープの喉の毛を編み込んだサイレントブーツは、履いた者が出す全ての音を吸い込む。知り合いのNPCレンジャーに無理を言い、雲雷猿の仙骨と引き換えに貰った。
老いたルーン熊の毛皮を加工したルーングローブは、ゲームマスターのニクスさん主催の黒魔女会に所属する女性プレイヤーに、カーバンクルを生け捕りにしてくる約束をして貸して貰った。これをはめていれば、指一本で垂直な崖を登れるだけの筋力と体力を発揮できる。
石化したケサランパサランのラックペンダントは幸運を呼ぶ。あらゆる状況で欠かせない。これは以前加工依頼を出していた店に受け取りに行っただけだ。
麻痺させた悪魔の蔦を乾燥させて作るリビングロープは持ち手の意思一つで自在にうねり絡みつく。難所の踏破に必ず役立つ。通りすがりのタヌキが何故か都合よく落としていったのを拾った。あからさまに怪しいけど使えるものは使わせてもらう。
冥瞳梟の頭骨を削り出したナイトスコープがあれば、月の出ない真夜中の森でも真昼のように見通せる。頑丈な作りで心強いが、売っていたプレイヤーにこちらの焦りを見透かされ足元を見られたせいで、苦労して集めた海蝉の雷エキスを一瓶まるごと持っていかれた。
泡珊瑚の酸素ボンベは空気の薄い高所登山に欠かせない。高山の極寒の中で体温を維持するため、火ジャムは多めに三日分。アルルーナを煎じて調合する無香液は一噴きであらゆる臭いを中和して消す。霊薬も少々必要だ。このあたりの小道具は24時間営業の公営取引所で扱っていて、入手は容易だった。
そして最後に余った交換材料を全て放出し、値切りに値切って拝み倒し説き伏せて、キングスポート鳥人間愛好会の倉庫にあるハングライダーをなんとか譲って貰った。このハングライダーは特別製で、蒼天犬の大腿骨を骨組みに、パントマイマイの粘液をすり込んだ薄布を張り、メタルムサウルの金属胃を利用した特殊な磁場に閉じ込めた数十匹のスカイフィッシュで推進力を得られるようになっている。無風なら巡航速度はマッハ0.8にもなる。エンジンが不安定で空中分解の恐れがあるらしいが、それはもう仕方ない。
ドラゴンの巣の残る四つの候補地は全て大山脈の雲海の更に上にある。徒歩で森を抜け山を登っていたら半分もいかない内に24時間経ってしまう。多少危険でも優れた移動手段が無いと話にならない。
かくして準備は整った。
インビジブルクロークで透明化。
サイレントブーツで音を消し。
無香液で臭いも消す。
泡珊瑚を咥え火ジャムを舐めて高高度環境耐性をつけ、ハングライダーで一気に空を行く。
ルーングローブとリビングロープでハングライダーが使えない場所を越える。
ドラゴンの巣が真っ暗闇でもナイトゴーグルがあれば大丈夫。
ラックペンダントは全ての局面で地味に効くだろう。
僕はハングライダーを担ぎ、すっかり寝静まったキングスポートの町外れに移動した。
天気良し、風は微風。問題無く飛び立てるだろう。僕は深呼吸してハンドルを握った。
武者震いする。
装備確認、よし! さて、気合い入れて行
「きょけけけけけけけ……けけっ!?」
「おい、いい加減にしろよお前」
ハングライダーから目玉と舌が現れ笑い出し、僕は真顔でミミックの舌を掴んで宙吊りにした。
お茶目なドッキリも時と場所による。今この場所は最悪だ。湧き上がる怒りで驚くどころじゃない。
ハングライダーを鳥人間愛好会から手に入れた時は間違いなく本物だった。どこでミミックと入れ替わったか分からない。余計な手間を……!
怒りで舌を引き千切らないように自制するだけで精一杯だ。
「本物のハングライダーはどこだ?」
「け、けげ……」
握った舌を雑巾絞りにして迫ると、ミミックは泡を吹きながら目線で背後を示した。
その先を辿ると、建物の軒先に置かれた樽に無理矢理詰め込まれたハングライダーの残骸が見えた。
キレそう。
なんて事をしてくれたんだお前は。
怒りを通り越し、一周回って虚無感に襲われる。出発前からこの致命的事故。冗談では済まない。怒る気力もなく、僕はミミックを投げ捨てた。
もういっそありったけの霊薬でドーピングして走って行くか、と頭を掻きむしっていると、オロオロしていたミミックが何か思いついた様子で白い煙に包まれ、白地の車体に赤で目玉と舌の絵が描かれたオフロードバイクに変身した。
オフロードバイクがライトを点滅させ、ハンドルを僕の方に向けてエンジンを吹かす。
なんだ?
「もしかして、乗れって事か?」
エンジンが唸る。
「……目的地はドラゴンの巣。それでもいいのか」
任せろ、と言わんばかりに力強くエンジンがいななく。
不覚にもちょっと笑ってしまった。なんだ、ミミックにも良いところあるじゃないか、と思ってしまった僕は相当チョロい。
僕は凹んだ気持ちを持ち直した。フードを被って透明化を、靴紐を結んで消音を起動する。そしてありがたく座席に跨りーーーー座席の下に仕込まれていたブーブークッションを思いっきり尻に敷いて間抜けな音を鳴らした。
「うわっ!?」
「きょけけけけけけけ!」
見えず聞こえなくても驚きは感じ取ったのだろう、嬉しそうに高笑いしながら、ミミックは森へ向けて急発進した。
こ、こいつ! 殊勝になったかと思ったら何一つ反省してない!
……でも何だかんだで憎めない。本当、良い性格してる。
僕が身に纏う装備の効果はバイクと化したミミックには及ばない。森の中を爆走する無人(に見える)バイクは、僕がハンドル操作で示す方向指示に従い唸りを上げて自動走行した。
森の冷たい空気を切り裂いて、木々の間を巧みにすり抜け苔生した岩を飛び越える。地響きを立てて歩くオオイノシシの巨体の腹下を車体をほとんど横倒しにして地面スレスレを半ば吹っ飛ぶように潜り抜け、僕らは一体となり風になった。
速度は森の中の障害物だらけの悪路にも関わらず音速に近い。それでも事故を起こさないのはミミックのコース取りと反射神経(?)の賜物と言える。僕が運転したら数秒でクラッシュするに違いない。免許持ってないし。
木々の切れ間から見える大山脈の威容はじわじわと近づき、麓へ着き、登りに転じる。
ミミック任せにひた走りながら、僕は緩みそうになる気を引き締めた。ここまで上手くいったからといって油断はできない。なんとしてでもB29を生き返らせるのだ、と気持ちを新たにする。これは僕がやりたい、やらなければならない事なのだ。
実際問題、僕が失敗したとしても、極論夜の試練に挑むのを辞めて引き返したとしても、ゲームマスターや他のプレイヤーがいずれ夜の秘宝を手に入れてB29を復活させるだろう。
そんなに情け無い事はない。
人任せに蘇ったB29にどの面下げて会えるだろう。「僕のせいで死んだけど、誰かが蘇生してくれるのを安全な場所でぬくぬくと待ってました」なんて言えない。
だから、僕が、この手で、やり遂げないと意味は無い。
これは間違いなくB29のための蘇生で、純然たる僕のエゴだ。
想定していた事だが、最後まで快調に行く事はなかった。森林限界の高度を超え、森が草地になり、その草地すら疎らになり始めた時、殆ど音速で岩場の斜面を駆け登るバイクを横合いから猛獣の群れが襲った。
牛ほどもある巨大な白い獅子達。先頭の一頭がミミックの車体を突き飛ばし、バランスを崩したところを後続の三頭がピンボールのように交互に殴り飛ばしてスピードを殺し、最後に地面にねじ伏せヘッドライトを食いちぎった。
歴戦を感じさせるあっという間の早業にミミックはなす術もなかったが、ヘッドライトを噛まれてからようやく我に返ったらしく、虫の息でいつもの三倍大きな煙を吹き出してその場から消えた。ミミックは空間転移を得意とする幻獣だ。なんとか逃げたらしい。
一方で僕はというと、最初の体当たりでミミックから投げ出され、水切りのように斜面を飛び飛びに跳ねて遠くに倒れていた。宙を舞った瞬間は嫌な浮遊感に死を覚悟したが、ギリギリ生きている。
受け身のお陰で命を繋いだ、と言いたいところだけど、音速で吹っ飛ぶ体をがむしゃらに手足を振り回して急所だけ守った、といった方が正しい。
手の関節は増え、血は垂れ流し。尖った石が腕を貫通していて、酷い頭痛がするのに首から下の痛みは何もなく、感覚もなかった。
……急所も守れてなかった。これはまずい。
ポーチにはこんな事もあろうかと用意しておいた強力な霊薬が入っていて、それを飲めば回復できる。
なのに、手が動かない。霊薬の瓶が割れていないかの確認すらできない。意識が飛びそうだ。
最悪なのは投げ出された拍子にフードが外れ透明化が解けている事だ。さっきから天獅子の一頭がこちらをじっと見ている。
天獅子が体の向きを変え、僕に向かって歩き出す。近づく死神に対し僕は指一本動かせない。
やがてという間もなく天獅子が目の前にやって来た時、恐怖と頭痛と混乱がピークに達しーーーー
天獅子が咥え上げて噛み砕いた霊薬を浴び、恐怖も頭痛も混乱も一瞬で消え去った。
視界が汚れた画面を拭ったようにクリアになる。恐る恐る半身を起こし、一歩下がった天獅子をどういう事かと見た。
「……あ、君はあの時の?」
気遣わしげに僕の顔を覗き込む天獅子の腹の酷い傷跡を見て、僕はすぐに思い出した。何という巡り合わせだろう。目の前にいるのは、以前森の中で助けたあの若獅子だ。
若獅子は顔を舐めると僕を庇うように立ち、訝しげに寄って来た残り三頭の天獅子に牙を剥き出し威嚇した。
どうやら守ってくれるらしい。
有り難くて、嬉しくて、泣きそうになる。
B29、君は僕を中途半端だと言っていたけど。中途半端な善意でも返ってくるものはあるみたいだ。
あの時、彼を助けたのは無駄じゃなかった。
今の僕は戦闘装備を持っていない。持っていても音速のバイクを正確に狙って弾き飛ばし叩き潰す幻獣を相手に何ができるとも思えないが、とにかく若獅子を信じ、息を潜めて成り行きを見守る。
若獅子が唸ったり牙を剥き出したりすると、三頭の獅子も唸り返したり耳を動かしたりして応える。どんなやりとりがあったかは分からないが、やがて三頭の獅子達はふっと力を抜き、不機嫌そうに立ち去った。
危機は脱したようだ。
「ありがとう、君は命の恩人だ」
僕が礼を言うと、若獅子は耳を垂れ下げ恐る恐る顔色を伺ってくる。その仕草が悪戯がバレた時のウチの犬に似ていて、なんとなく言いたい事が分かった。
珍しい生き物だと思って狩ったら、君まで巻き込んでしまってごめんなさい。
そんなところだろう。それなら完全不可知化していた僕が悪い。ミミックも生きて逃げていったし、気にする事は無い。
「君は命の恩人だ」
僕が繰り返すと、若獅子はまた僕の顔を舐め上げ、黙ってその場に伏せてじっとこちらを見た。
「……乗せてくれるのか?」
僅かに唸る若獅子。乗せてくれるらしい。
有り難い。目的地までまだ距離がある。騎獣になってくれるなら助かる。
「ありがとう、でも少し待ってくれ」
まずは大事故で酷い事になっている装備の修理だ。
割れてぐちゃぐちゃになっていた瓶に残った火ジャムを舐めて体温を上げ直し、千切れた靴紐を結び直す。
あちこち大きく裂けていたインビジブルクロークとヒビが入ったナイトゴーグルは、リビングロープを細く裂いて作った糸で応急処理した。
ほとんどボロ切れになっているルーングローブのグリップを確かめ、最後に消臭して態勢の立て直しは完了。
大丈夫だ。あともう少し。まだ行ける。
到着前にボロボロになってしまったけれど、それ以上の希望もあった。若獅子との再会がそうだし、今いる峰の遠くに見える一画に湯気が立ち昇っているのを見つけたのもそうだ。
あれはもしかしたらドラゴンの熱が起こしているものではないだろうか? そうだとしたら、僕は四ヶ所の候補から見事当たりを引いた事になる。
ただの天然温泉の湯煙という可能性もあるけれど、あそこは巣の候補地点とも重なっている。希望は持てる。
「あそこへ連れて行って貰えるかな」
湯気を指して頼むと、若獅子は頷いた。完全にこちらの言葉を理解している。人語を解する幻獣は珍しくないのだ。
若獅子に跨り、フードを被り完全不可知化モードになると、彼は巨体に相応しい力強さと、見合わないしなやかさで駆け出した。その速さはミミックに勝るとも劣らない。僕は振り落とされないよう前傾姿勢をとり、鬣にぎゅっと掴まった。
道中で変な角のシカや金色の羊、動く氷の彫刻に遭ったが、慌てて逃げていくか、走り抜けざまに若獅子の前脚で薙ぎ払われてギャグ漫画のように吹き飛んでいった。その間もスピードは落ちない。
強い。強過ぎる。でもドラゴンはこんなに強い天獅子を虫けら扱いするんだよなぁ……
天獅子超特急は徒歩なら五時間はかかっていただろう道のりを数分に縮め、湯気の根元にある巨大な洞穴の前にふわりと着地した。
それはあからさまにドラゴンの巣だった。
余裕で飛行機が入れるぐらいの入り口を広げる洞穴の奥から、見なくても太陽を感じるように、炎に触れなくても火傷するように、ドラゴンの圧倒的な存在を感じる。辺り一帯に満ちる熱が雪を溶かし湯気へと変えていた。
とっくに植物が生育できる森林限界を超え、ペンペン草も生えない荒れた岩地だというのに、洞穴の周りには炎のように紅い実をたっぷりつけた茂みが点在する。ドラクルベリーだ。火ジャムの原料にもなる、ドラゴンの足跡にのみ生える果実。巣の前には城塞を無理矢理縮めたような異様な重厚さを放つ鱗まで落ちている。
ここまで手掛かりが揃っていれば間違えようとしても間違えられない。
ここがドラゴンの巣なのだ。
洞穴から規則的に熱風が吹き出してくる。熱風は渦を巻き、おぼろげな獣の陽炎を作っては消えていく。熱風に混ざる確かな生命の力。信じがたいが、どうやらこれは寝息らしい。ドラゴン様は御在宅のようだ。
腰が引ける。そこは明らかに死地だった。
一人で一個大隊を相手にするとか、紐なしで100階建のビルから飛び降りるとか、そんな次元じゃない。こんなところに入るなんて太陽に突っ込むようなものだ。正気じゃない。
嫌な汗が流れ、その汗が熱気で乾いていく。悠長に構えていたら寝息だけで乾いて死にそうだ。行かなければ。
僕が若獅子から降り、意を決して洞穴の中に入ろうとすると、背中の重みが消えた事に気付いたらしい彼は主の露払いをする騎士のように、堂々と、警戒しながら先行しようとした。
慌てて若獅子の尻尾を掴んで止め、茂みの陰に引っ張り込んだ。消音と透明化を解除して小声で詰問する。
「なんで正面から入ろうとした? 言え!」
天獅子は答えないが、使命に燃える目でじっと僕を見つめた。目は口ほどに物を言うとは言うが、流石に目と目で会話はできない。
不可知化した僕と違い、身を隠す術を持たない天獅子は侵入すれば確実にバレる。彼は一体どこまで僕の事情を察しているのか。
何にせよ、彼を同行させて無駄死にさせる訳にはいかない。目線を合わせて言い含める。
「ここまで運んでくれてありがとう。僕はもう大丈夫だから、ここで待っていて欲しい。OK?」
低く唸って頷いたので安心して行こうとすると、若獅子は当たり前のようについてきた。こらこら分かってないじゃないか。
同じ事を繰り返す事三度、ただ「待て」をしただけではついて来ようとするのだと悟った。天獅子は賢い幻獣だ。僕の言いたいことを分かっていないはずはない。ただ僕と運命を共にしてくれようとしているのだ。
大切な人が危ない目に遭っているのに、座して待つのは辛い。その気持ちは痛いほど分かる。
でも連れてはいけない。
僕は一計を案じた。さっき拾ったドラゴンの鱗と、地図にドラクルベリーの汁で巣の位置を書き加えたものを天獅子に咥えさせ、言い聞かせる。
「これをキングスポートに持って行って誰かに渡して欲しい。巣の場所と、巣がある証拠だ。これを渡せば救援を出してくれる。僕は救援が来るまで待ってる。頼んだよ」
若獅子は迷ったようだが、地図と鱗をしっかり咥え、何度も振り返りながら峰を降りて行った。
もちろん嘘だ。若獅子をここから離せればなんでも良かった。
救援の取り決めなどなく、当然来るはずのない救援を待つつもりもない。僕が失敗した場合に備えて巣の場所を伝えるとしても、現実に戻ってから日富野君に伝えればいい話で。
冷徹に効率だけ求めるなら若獅子を威力偵察に突っ込ませてみても良かった。きっと言えばやってくれただろう。でもこれは僕のエゴだから、恩返しをしてくれた若獅子を付き合わせる訳にはいかない。ここまで色々な人、幻獣に助けられてやってきた。最後は自分の手でやりたい。
僕は洞穴に向き直り、武者震いした……と言いたいところだけど普通に怖すぎて震えた。
行くぞ、僕はやるぞ、さあ行くぞ今行くぞ、と自分に言い聞かせる事数分。強風に背中を押された僕はたたらを踏み、その勢いでやけっぱちに巣へ侵入した。
ドラゴンの巣は広大で、砂金や銀塊がいくつもの山を作り連なっていた。ミスリル製と思しき鈍い青に光る剣、盾、首飾り。今にも額縁から飛び出しそうなほど生き生きとした巨大なドラゴンの肖像画。見たことも無い材質の何かでできた彫像、絵巻の山、王冠に錫杖。宝石でできた遊戯版。生え変わったものだろうドラゴンの鱗や食べ残しらしい巨大生物の禍々しい骨も混ざっている。僕がやっとの思いで小指一本分手に入れた霊薬が幾つもの黄金の甕に波々と入っているのを見つけた時は目を疑った。財宝という財宝がここにはある。
完全不可知状態で慎重に財宝を探りつつ、山を崩さないように奥へ入って行く。奥で寝息を立てている、世界そのもののような威圧感を撒き散らす巨大が身を起こさない事だけを祈った。
夜の秘宝は見ればそれと分かると聞くけれど、どんなものを探しているのか分からないまま財宝を掻き分けて探すのは重いプレッシャーになった。もしかしてもう見ているのに見逃したのでは、と不安になってくる。
しかし、そんな心配は杞憂だった。
ドラゴンは財宝を隠す気が全くないようだった。夜の秘宝は分かりやすく一番奥の財宝の山の頂上にあった。
円形の台座から伸びた光の線の先に宇宙を押し固めたような黒い回転楕円体が繋がり、その中に極小の星々、銀河が閉じ込められている。黒い回転楕円体自体も浮遊して緩やかに回っていた。台座にはちょうどカラス型の御守りが嵌りそうな凹みがある。
他の財宝とはまるで違う装い。なるほど、確かにこれは見れば分かる。
ドラゴンをちらりと見ると、まだ財宝の山に寝そべり、鼻からプロミネンスのような寝息を吹き上げている。
これは、もしかして、もしかすると、行けてしまうのでは。巣に入ってはじめて恐怖とは違う胸の高鳴りがした。
洞窟の壁面の僅かな凹みに指をかけ、財宝に触れないようにして慎重に夜の秘宝に近付く。
近くで見る夜の秘宝は、ドラゴンと違う全てを包み込むような力強さがあり自然と目が吸い寄せられた。何か抗い難い不思議な魅力を感じる。
欲しい。この秘宝を自分の物にしたい。
……いや、これは僕が見つけたんだ。
僕のだ。
そうだ、最初からそうだったんだ。
ドラゴンが持っているのが間違いなんだこれは僕の物なんだ!
手を伸ばす。取られていたものを正当な所有者に取り返すだけ。何を怖気付く事があったのか。
高揚した気持ちのまま指先を夜の秘宝に触れようとした瞬間、秘宝越しにドラゴンの黄金の瞳と目が合った。
魅了されて茹っていた頭が一瞬で冷えて凍りついた。
見られた。
見られている。
隠形など無いかのように、僕をまっすぐ見ている。
財宝の守護者に見つかってしまった。
Q. 完璧に隠れてたのになぜドラゴンに見つかったの? 近付き過ぎたから?
A. アサンがキングスポートを出発した時には既にバレていました。卑小な定命のためにわざわざ出向くのが面倒だったので勝手に近付いてくるまで放置していただけです。なお、ドラゴンの熟睡時の五感精度は以下の通り。
・存在するモノもしないモノも全て同時に視る絶対視覚
・音がしたという原因から聴いたという結果を得る因果聴力
・鼻に届いていない臭いを嗅ぐ無限射程嗅覚
・未来の振動を掌握する超越触覚