06話 アップデート
俺は今、天を突く大山脈の断崖絶壁で、ドラゴンの巣を探して登攀している! 正確に言えば先行したフル登山装備の長宗我部にロープで宙吊りに引っ張り上げられているハシビロコウが俺だ! 翼がさっきからザリザリ岩肌に擦れて地味に痛い!
何故こんな事になっているのか!? 事の始まりは半日前まで遡るッ!
アリスの家出は家出というより独り立ちに近く、二ヶ月経っても実家に戻る気配が無いどころか自腹で買った駅前のオフィスビルに家具を運び込んで根を張りつつある。ニクス曰く、喧嘩別れした父からは既にお願いだから戻ってきてくれと泣きが入っているらしい。一度は無理矢理連れ戻しに来て、間に(アリスが召喚した)弁護士を挟んで丁々発止のやり合いになったとか。
ニクスが付いているとはいえ女子学生の二人暮らしだ。親としては心配なんてもんじゃ無いだろう。俺は人の親ではないからその心境は想像するしかないが、雛鳥が飛び方を覚える前に巣から出てしまった親鳥の心境を想像すれば分かりやすい。雛鳥の実態が獰猛な猛禽だとしてもそりゃ連れ戻そうとする。
しかし余程優秀な弁護士だったのか、魔法めいた手練手管でアリスの家出の正当性は法的に保証された。押し付けられた婚約も正式に破棄したようだ。漫画みたいな展開に草を禁じ得ない。
しかしこうなると有栖川財閥のボスでもアリスを連行するのは難しい。
結果、未だに家出は続き、そのままずるずると成人まで行きそうだ。
俺はというと、最近はアリスの巣に入り浸っている。
アリスのオフィスは三階建てで、一階が仕事場、二階がサロン、三階が居住区になっている。
仕事場は専らアリスがよく分からん書類を持ち込みパソコンの前でごちゃごちゃやっていて、たまにニクスや長宗我部が手伝っている。ニクスの魔女っ子フィギュアがずらりと並べられたデスクはとにかく、長宗我部専用のデスクも用意されているあたり、奴も深みに嵌っている気がする。資格無双でかなり便利使いされているようだが、給料代わりに新しい資格取得の試験費や教本を支給されるため満更でもないらしい。ちょっと羨ましい。
三階には六部屋あり、二部屋がアリスとニクスで埋まっている。忍者の部屋も用意されているのだが、何も物を置かれていないし一度も入った様子がないので実質空き部屋だ。
忍者は時々実在を疑いたくなるぐらい存在感がない。たまーにテーブルに置いておいたジャンクフードがちょっと目を離した隙に包み紙だけになっているので、それだけが忍者がいるらしい事を教えてくれる。
そして二階のサロン。放課後は毎日ここに夢見人が集まる。
アリスはここをゆくゆくは世界中の夢見人の交流場にしたいようで、二階のフロアを丸々ぶち抜いた大部屋に当初は二十人分のソファとテーブルを用意していたのだが、半分以上は埃を被り、邪魔だからとニクスに撤去されている。
今のところサロンの利用者はアリス、ニクス、俺、長宗我部、たまにタナトスとモユクさん(と忍者?)。見事に身内で固まっている。夢見人が百万人に一人である事を考えると人口密度は常軌を逸しているが、ワールドワイド感はあまりない。忍者が何処出身か知らんが。
サロンにはコーヒーメーカーや冷蔵庫、ストーブ、茶菓子が常備されているので、暖房代がどうのとか勉強しろとかうるさい家より居心地が良い。それは長宗我部も同じようで、よく持ち込んだはんだごてでちょっとした溶接作業をしたり、ミニ駆動自動車や恐竜ロボットのオモチャを魔改造したりしている。
俺も叔父さんの伝手で輸入したキューバ原産のイグアナ、ナイトアノールのつがいを置いているし、ニクスは当然のように蛍光灯を取り外して牛頭骨型ランタンに取り替えているし、モユクさんはソファの革を食い破って中に巣を作るし、いつのまにか壁板の裏に秘密の通路ができているし、混沌とした趣味の空間になっている。
それでもやはり、居心地は悪くない。
人間族がカカオと砂糖の調合品を贈り合う二月のある日も、俺はサロンで長宗我部が組み立てた自作パソコンを弄りながらくつろいでいた。部屋の隅の簡易キッチンではニクスがイヒヒとか不気味な笑い声を漏らしながらフラスコとビーカーで黒いドロドロした液体を錬成中だ。正体がチョコだと分かっていても怖いぞ。
窓の外は雨模様で、雨音と時折表を通り過ぎる自動車が水を跳ね上げていく音がBGMだ。休日の午後は車通りが多い。
ブラウザゲームでドラゴンパーティを作ってひたすらレベル上げをしていると、サロンのドアが開き、びしょ濡れの長宗我部がよろよろと力無く入ってきた。泣きそうな顔をしている、というか泣いている。なんだなんだ。
「どうした、ぐしゃぐしゃで何があった?とりあえずこっち来てあったまれ」
「明……聞いてくれ明……俺ァもう駄目だ……」
「駄目なのは元からだろ」
「沙夜ちゃんに……フラれた……」
「マジか」
え? フラれた? 長宗我部が? 保並沙夜に? 嘘だろ?
かなり深い関係になってたように見えてたんだが。お互いの両親に挨拶まで済ませてるんだろ? そこまで行ってフラれるもんなのか? もう狂ったように節操無く資格試験に登録しまくったり、資格を活かせる場面になると身を乗り出して鼻息荒く早口になる姿に幻滅する段階は過ぎているはず。
「勘違いじゃなくて? 沙夜ちゃん長宗我部さんの事大好きだよ?」
簡易キッチンの火を止めて調合を中断し、バスタオルを持ってきたニクスが首を傾げる。身も蓋も無い言い方だが、俺も同意見だ。
何しろタナトスにとって長宗我部は転校早々の危機を助けてくれ、兄を目の前で亡くした辛い時期に側で支えてくれた王子様。常識的に考えて、ちょっとやそっとで嫌われはしない。
「だっでざぁ、もう駄目です、さよならっていわれたんだぜぇ……それから話しかけても無視するしぃ……」
鼻声で半泣きになりながら言う。長宗我部が今まで見た事ないぐらい弱々しい。そんなにフラれたのがショックだったのか? 彼女がいた経験が無いからよく分からん。
うーむ、俺だったら、そうだな、ニクスに絶縁状叩きつけられるようなもんか?
…………。
……あっ駄目だ泣きそう。
「まあ、なんだ、何があったか詳しく話してみろよ。長宗我部が気付いてないだけでなんかすれ違いがあったのかも知れん」
「おぉ……俺も訳わかんねぇんだけどさ……」
長宗我部はバスタオルに包まって膝を抱え座り込み、メソメソしながら語った。
昨晩の事だ。長宗我部はタナトスに賦活してもらい、夢世界にログインしていた。長宗我部はいつもタナトスに賦活してもらっていて、二人で一緒にイチャつきながらキングスポート村をぶらついたり炊き出しをしたり青空診療所を開いたりいるのだが、昨日は森の奥へ行ってみようという話になったそうな。
夢世界の夜は現実の夜とリンクしていて、現実が夜なら夢世界でも夜だ。だから夜寝て朝起きる生活サイクルで暮らしている限り、夢見人やプレイヤーは夢世界で夜型生活を送る事になる。
夜の森は危険だ。
冷え込む、視界が悪い、そしてトロールや冥瞳梟を代表とする夜型幻獣に襲われる。昼なら見えている沼にはまったり崖から落ちたりする事もある。夜の森ではプレイヤーにもNPCにも容赦なく死者が出る。
そんな危険地帯だが、リスクに見合ったメリットもある。豊かな森の恵み、夜にしか現れない独特の幻獣達。夜の森は危険で、楽しい。
長宗我部とタナトスは森の入り口でチョウチンモグラを捕まえて松明代わりにして、森の奥へ入って行った。最悪死ぬが、NPCと違い夢見人やプレイヤーなら死んでも復活できる。実質リスクはない。ほとんどリアルな肝試しだ。
長宗我部は俺が何十回か幻獣について熱く語ったので、そこそこ幻獣に詳しく、危険な幻獣を上手く避けながら進んで行った……のだが、森の奥で正体不明の幻獣に襲われた。
そいつは黒い怪物だった。全身真っ黒で、闇が立ち上がったような奇怪な獣。星のように瞬く一対の赤い瞳をもち、あとはのっぺらぼう。そんな怪物の群れに執拗に狙われたという。
怪物達の行動は悪意に満ちていて、喋りこそしないが、逃げる二人を分断し、長宗我部を捕まえ手足を裂いて命乞いをさせたり、内臓を引きずり出して食わせたり、獲物をいたぶり殺すのを明らかに喜んでいたとか。
……なんかそういう奴知ってるぞ! 絶対幻獣じゃなくてナイトメアの(負の)遺産だろそれ!
結局、最終的にはタナトスが怪物を皆殺しにしたらしいのだが、長宗我部は無惨に死んだ。
長宗我部はプレイヤーだ。妄創すら使えない。武術の心得はあるが達人でもない。大型犬以上のレベルの幻獣だか怪物だかに襲われれば、そりゃ、死ぬだろう。
「夢世界で死ぬと本当に死ぬんだな」
そこまで語ると、長宗我部は青い顔で震えながら言った。
なんだ、何を当たり前の事を言ってるんだこいつは?
「言ってなかったか?」
「聞いてた……けど、本当に死んだ感じがするとは思わなかったんだよ。なんつーかゲームオーバー画面が表示されるような軽いイメージだった。でもなんだありゃ? やべーよ。マジで死んだ。ふーっと体が軽くなって浮いてさ、暗くて狭い息苦しいトンネルの中締め付けられながら通って、こう、あたたかい光に包まれて。ああ、俺は死んだんだなって分かるんだ。痛いなんてやっすい言葉じゃ収まらないぐらい苦しい死に方したからかも知らんけど、解放っていうか安心っていうか、死んだって分かってホッとしちまったんだ。そしたら眼が覚める訳。混乱するより納得した、死ぬってこういうものなんだってな」
長宗我部は自分で言いながら何やら真理を知ったように神妙に深々と納得していたが、俺とニクスはきょとんとして顔を見合わせた。
考えている事は同じだ。何を当たり前の事を言っているんだろうか。
要約すれば、長宗我部は単に苦しんで死んだだけだ。そんなに長々語るほどの事でもないだろ。確かに夢世界で死ねば死んだ感覚はするが、現実で死んだ訳でもない。よくある事だ。
話を戻す。
「死んだのはどうでもいい。それでそこからどうやってフラれる話に繋がるんだ」
「どうでもいいって……まあいいか、どこまで話したっけか。あー、それで死んで目が覚めて、沙夜ちゃんが死んでショック受けてないか気になるだろ」
臨死体験ショックから復帰し落ち着いた後、兄の死のトラウマを抉ってしまったのではと心配になった長宗我部が電話をすると、留守電が出た。本人が出なかったという事はまだ寝ているという事で、それはつまり死んでいないという事だ。
そして朝になってから保並家に様子見がてら遊びに誘いに行くと、なぜか顔を合わせた途端にボロボロ泣かれ、『駄目だった……さよなら』と言われ、それからガン無視されるようになった。
話しかけても謝っても何が悪かったのか聞いても無視。困り果てた傷心の長宗我部は俺達に相談しに来た……という話だ。
「どう思う?」
「あー、フラれたのとは違う、ような」
「嫌いとか別れましょうとかそういう事言われた訳じゃないしね。沙夜ちゃんそういう事はっきりさせる子だから、フるならちゃんと理由言うと思うし」
じゃあなんなんだ、という話になったところで、またサロンのドアが開き、かしこまったチワワに眼鏡と三つ編みを装備させたような地味な服の少女がノコノコ入ってきた。
保並沙夜、タナトスだ。
タナトスはサロンに入った瞬間に雨の中の捨て犬みたいになっている長宗我部を視界に入れたはずだが、何も見なかったかのように目線を素通りさせた。その目は赤く、泣き腫らした跡がある。なんでコイツも泣いてるんだ?
「お疲れ様です……」
「あ、ああ」
しかしよりにもよってこのタイミングで来るのか。見ろお前、長宗我部が彫像になってるぞ。なんだこの空気。いたたまれない。
……いや、本人が来たなら好都合か。直接聞いてやれ。
「タナトス、長宗我部フった?」
「はい? えー、と、フったというか……亡くなりました」
タナトスが一瞬固まり、鞄をテーブルに置きながら重苦しく言う。
お前は何を言っているんだ。生きてるだろーが。
ああいや、夢世界で死んだ事を言っているのか。
「何で夢世界で死ぬと駄目なんだよぉ……」
「コーヒー、頂きますね」
聞いていた通り、タナトスは長宗我部だけをマルッと無視している。異様だ。異様な状況だ。昨日まですげーイチャついてたのに。
うーむ、直接会って分かるこの異様さ。夢見人の気配がするぞ。
なんとなく話が読めてきた。
「よく分からないけどいきなり無視はどうかと思うよ」
「無視というか、死体と話すのはおかしいでしょう」
「何? 死体? どういう事?」
「えーっとですね」
タナトス曰く。
長宗我部は死んだ。
朝会った時、死臭がした。
つまり死んでいる。
死体は喋らないし動かない。
だから話さないし死んでいる扱いをする。
私の態度は何もおかしくない。
出たよ夢見人特有の謎理論!
タナトスは夢見人にしては普通だなと思っていたが、やっぱりこういう一面があったか。知ってた。
そういえば前にアリス父を殺すだの殺さないだの片鱗を伺わせる事言ってた気がする。
するとアレか。タナトスは「死」にこだわりがあるのか。
「夢世界で死ぬと駄目なら俺もニクスもアリスも無視しなきゃいけないんじゃないのか? 死にまくってるぞ俺達」
一番の当事者なのに仲間外れにされ尻尾を丸めて凹んでいる長宗我部を横目に、聞き取り調査をする。夢見人の性癖は把握しておかないとヤバい。最悪ガチで死ぬ。
「死臭しないので大丈夫です」
「死臭……?」
「えっと、死んだ人って、ああこの人死んだなって空気出てるじゃないですか?」
「いや分からん」
「私もちょっと」
「俺「出てるんですよ。でも夢見人って死んでもそういう空気出ないみたいなんですよね。日富野先輩も丹楠先輩も死んで何か変わったりしないでしょう?」
「あー……」
「それかー……」
俺とニクスは納得した。ついさっきまるで臨死体験が重い出来事だったかのように語る長宗我部を相手にしたばかりだ。
「なんだよ、どういう事だよ」
「長宗我部、もしかして死んでからずっとそんなメソメソしてんのか」
「は? ……ああまあ、今日はちょっと落ち着かない感じはある、かも知れんけど」
やっぱりそうだったか。
つまりタナトスは、臨死体験で何かが変わってしまう事を「死臭」と言っているのだ。
死んでも全くノーリアクションの俺達は例え死んでも実質死んでいない。
死んで様子が変になった長宗我部は死んだ。
そういう判定になる訳だ。タナトスに言わせると、だが。ひっでぇ判定基準だ。
「じゃ、これから死んだ長宗我部さんのお墓作ったりするわけ?」
流石にニクスも理不尽だと思ったのか、少し棘のある口調で聞いた。
「夢世界に作ります」
「作るのかよ」
「ん、そういうこだわりがあるのはわかった。夢世界で死んだんだから夢世界で無視するのは良くないけど良いって事にして、現実で無視する事はなくないかな。仲直りした方が良いよ。後で後悔するよ?」
「私も生きてる長宗我部先輩にもう一度逢いたいですよ。でも、死んでるじゃないですか。人は死んだら生き返らないんです。どんな人でも、絶対に死んで欲しくない……家族でも、死ぬんですよ。もう誰も死んで欲しくなんてなかったのに……! あの怪物共を皆殺しにしてもこの悲しさはどうにもならないんです……!」
「お、おう」
タナトスの震える涙声には感情が入りすぎていて、こっちまでつられて泣きたくなってきたが最後の言葉で素に戻った。やっぱナイトメアの妹だこいつ。
しかし、タナトスが本気で長宗我部の死を悼んでいるのが痛いほど伝わった。タナトスの中で長宗我部の死は間違いの無い事実なのだ。
元気に歩いて喋っていても、タナトスにとっては死体だ。死んでいるように見えるのだ。
勝手に死んだ事にされた長宗我部が複雑そうにしている。大丈夫だお前は生きてる。
「まとめていい?」
ニクスが改めて聞く。
「沙夜ちゃんの目で見ると、長宗我部さんは死んでる」
「そうです」
「死んでるから死人扱いする」
「はい」
「分かった。長宗我部さん、これ駄目だね。残念だけどフられたと思った方がいいよ」
バッサリいったー!
でも俺もそう思う!
「えええええ!? 待てよ、ここまで引っ張って結論それぇ!?」
「いや、だって、なぁ。長宗我部を死人扱いするのはタナトスの信念だ。知ってるだろ? 夢見人の信念はそれこそ死んでも揺るがない。説得なんて効かないし妥協もない。ご愁傷様だ」
なんだかんだで半年ぐらいか? けっこー長く付き合ってたけど、破局かぁ。最初で最後の長宗我部を好きになってくれる相手だと思ったんだけどなぁ。
大丈夫か長宗我部、傷は深いぞ。
「まあ飲めよ」
「あの、何というか、災難だったね……これ食べて元気出して」
俺は長宗我部にコーヒーを淹れてやり、ニクスは気遣わしげにそっと義理チョコを手に握らせた。
「おい。おい……なんでそんな諦めムードなんだよ……! 嘘だといってくれ、沙夜ちゃん」
長宗我部がテーブルに突っ伏したタナトスに縋り付くが、グスグス泣いていて反応しない。
これもうワケ分かんねぇな。タナトスが一方的にフっておきながら被害者面して泣いているようにしか見えない。見えない、というかそれで大体合ってる。
タナトスはチワワのような弱そうな虐めてオーラを出しているが、夢見人には違いない。その信念、死亡観に関しては絶対譲らないだろう。デスチワワだ。
長宗我部はしばらく未練がましくタナトスにまとわりついていたが、やがて深々とため息を吐き、頭を掻きむしって叫んだ。
「あ゛ーも゛ー分かったよ! 沙夜ちゃん、要は俺が死んでるからダメなんだろ? 生き返りゃいいんだろ!? 俺絶対諦めねーからな! 明ァ!! ニクスちゃん!!」
「おぇっ?」
「な、何?」
「俺は『夜の試練』に行くぞ!」
長宗我部は目に決意をみなぎらせて吠えた。
『夜の試練』とは!
ナイトメアの置き土産、蘇生のための試練だ!
ナイトメアが死に際に創造したのはどうやら三つ。
一つが『夜』。多数の目撃情報を統合するに、この『夜』には闇が立ち上がったような姿をした怪物が付随するらしい。怪物は夜と共に現れ、朝と共に消える。
もう一つがNPC。彼らは全員カラスを象ったお守りを首から下げていて、実の所、NPCの本体はお守りなのだそうだ(NPC談)。肉体が消し飛んでも、お守りを元に復活できる。
そして最後の一つが、ドラゴンに献上した秘宝だ。詳しくは分からないが、その秘宝は夢世界の夜を管理し、怪物をコントロールし、死せる者を蘇らせる(ドラゴン談)。
NPCも幻獣も、夜の秘宝で蘇生できる。たぶん、プレイヤーの死臭とやらも消せるのだろう。
夜の秘宝はドラゴンに贈られた財宝で、ドラゴンの巣にある。
ドラゴンは傲慢で、宝物に手を出す愚か者を容赦なく殺す。
ドラゴンの巣から秘宝を奪取し、蘇生を行う事を、NPCは創造主の偉業になぞらえて『夜の試練』と呼んでいる。
おわかりいただけただろうか。
ナイトメア渾身のクソシステムである。
要約すると「蘇生したいの?じゃあ死ね!」。
『夜の試練』についてはNPCなら誰でも知っていて、聞けば答えてくれる。アリスも勿論知っていて、じわじわ死んで数を減らしていくNPCを復活させるためにいずれは挑戦しなければならない問題だと考えているようだが、手を出しあぐねている。ミイラ取りが焼き払われて塵になる難題だ。さもあらん。
その死してなお嫌がらせを辞めないナイトメアの悪意に、長宗我部は挑もうという。
事情を説明されたアリスは呆れ顔で「NPCは替えが効かないから巻き込まないように」とだけ言い、珍しく顔を出したモユクさんは話を聞いて興味本位だと前置きした上で付いてきてくれると言い、ニクスは無意味な自殺は嫌だと拒否してタナトスの墓作りを手伝うと言った。
アリスとモユクさんの反応は想定内だが、ニクスはちょっと意外だ。まあ確かに長宗我部の遠回しな自殺に付き合うほど深い仲ではないが。
夢世界に入り、またぞろ何か資格でも持っているのか手際よく登山用具の準備をする長宗我部を待つ間(登山用具は人工物なので俺は妄創できない)、ニクスと軽く話す。
「本人無視して生前葬ってシュール過ぎるだろ嫌がらせか。墓作りなんて一人でやらせとけよ、ニクス居なくても平気だろ? あいつだって夢見人なんだから」
こんな事で心折れるヤワな精神はしてないはずだ。しかしニクスは考えを変えるつもりはないらしい。
「うーん、居なくても大丈夫なのは同意するけど、それは居ない方が良いって事でもないよ」
「そうかぁ……? 100%自分の身勝手で長宗我部フっといて泣いてる奴だぞ。開き直って堂々としてる方がまだ好感持てる。ほっとけよ」
「信念を優先したからって長宗我部さんのこと嫌いな訳じゃないからね。好きな人に酷い事しないといけなくて苦しい気持ち、私は分かるから」
「あー……分かった。もう何も言わない」
何も言わないというか何も言えない。これ以上追及すれば、アリスの命令で俺を騙くらかして幻獣狩りをしていた過去のニクスを責める事になる。
そういう話の流れで、夜を待って夢世界に入ってからプレイヤーにお手伝い募集依頼を出し、集まった十数人を入れてドラゴンの財宝を手に入れる探検隊が結成された。
夜の秘宝、ひいてはドラゴンの巣の場所は分からない。大山脈の見晴らしのいい山頂付近にある、隠す気ゼロ、たぶん広大な洞窟。目的地の推測材料はそれぐらいだ。ドラゴンに聞いても教えてくれないだろう。豪奢な自宅を自慢はしても、客人を招いて歓迎する性格はしていない。
かくして探求に旅立った俺たちだが、プレイヤーはあっという間に全滅した。文字通り闇に潜む怪物に一人攫われ二人食われ三人四肢を潰されて。貧弱過ぎるだろ。
いくら街明かりに慣れ、森に不慣れで、幻獣知識もないとはいえ……よく考えれば当然だった。
モユクさんも運悪くスカイフィッシュの群に襲われ凍死し、森を抜けて山を登り始める頃には俺と長宗我部だけになっていた。
途中から薄々察してたけど、やっぱ無謀だこれ。まだ麓なのに全滅しかけだし、そろそろ夜が明けて現実に戻らないといけない。
しかし、正直ワクワク感はある。
なんといってもドラゴンへの挑戦だ。これで血が滾らなければ男じゃない。
目も眩むような金銀財宝!
名誉、名声、賞賛!
死力を尽くし全てを振り絞る冒険!
そして死。
長宗我部に崖上に引っ張り上げてもらった俺は苦言を呈した。
「ドラゴンに挑戦するのは良いんだけどな、お前マジでヨリ戻すつもりなのか? 諦めて他の女探した方が良いんじゃないか」
「何言ってんだまだ俺はフラれてない。浮気はしねぇ。それに頭のネジネジきれた夢見人と付き合おうってんだぜ? 俺だってこれぐらいの理不尽な壁にぶち当たるのは覚悟してたさ。乗り越えてやるよ、俺のこの……愛の力でな!」
「おお、なんかカッコいいぞ!」
でも死ぬ。
崖上で一休みしていた俺達は若獅子の奇襲を受け、無事頸部を噛み砕かれて死んだ。
この調子では『夜の試練』をクリアするのはいつになる事やら。
【特産品No3.ユメムギ】
大抵の植物は夜の長さを感知計測して季節を把握し、季節に応じて花を咲かせ実を付ける。夢世界の夜の長さは常に一定であるため、植物は季節を感じる事ができない。即ち、通常の植物を夢世界に再現しても花を咲かせず実を付けず繁殖しない。ひたすら枝葉を茂らせ成長するのみである。
幻獣はこの問題を克服し、独特のシステムにより一定のサイクルを作り出し繁殖する事ができる。アリスはNPCの食糧事情を改善すべく、ヒプノスに夢世界に適応した穀物の創造を依頼した。
ヒプノスは人間が長年かけて品種改良を施した生産量が多く育てやすく病気に強い穀物(の種)を創造する事を断固として拒否。そして三日三晩に渡る両者の論争の末創造されたのがユメムギである。
大昔、現実に存在した品種改良される前の野生小麦の性質を色濃く持ち、成熟した麦穂は少しの風で容易に飛び散り散乱する。このため収穫(麦穂拾い)に無駄な労力がかかる。しかし製粉せずとも殻付のまま煮込んで柔らかい粥にして食べる事が可能であり、調理の手間は少ない(ただし殻は苦く食べ難い)。
一粒植えて収穫できる粒数は五粒。成長が早く、種まきから二ヶ月ほどで収穫できる。季節を問わず栽培できるものの、連作障害はある。乾燥や低魔力環境下でもよく育つ一方、他品種との競合に弱く、除草が欠かせない。品種改良が急がれている。
【特産品No4.ゴブメシ】
「ゴブリンのようなクソ飯」の略称。生存に必要なカロリーと栄養素を摂る事だけを目的に考案された麦粥。ただただ苦く、尾を引くエグみがあり、不味い。ユメムギに旅人の苔を加えて軽く煮込むだけの簡単レシピ。食糧難を過ぎてからは罪人や悪さをした子供に与えられる食事として残る。
【特産品No5.モグランタン】
チョウチンモグラと柔らかい土を詰めた大きなランタン。太ったミミズ一匹で三十分、クラヤミツユクサの種一粒で三時間ほど稼働する。重いため、持ち運びにはあまり向かない。