02話 βテスター募集
クリスマスが近づき、理由をつけて騒ぎたいだけの人間共が情緒不安定になりはじめた冬のある日。アリスからメールで定食屋「一夜干し」に集合がかかった。カツ丼が気に入ったのか、奴は退院してからちょいちょい一夜干しに俺達を集める。
集合をかけるのはいつもアリスだ。いつの間にか俺達の中心はアリスであるという暗黙の了解ができていた。なにしろ一番アグレッシブに物事をぐいぐい引っ張っていくし、一番声がデカい。態度もデカいが。
アリスの事は、ニクスはもちろんナイトメアの一件以来俺も長宗我部も憎からず思っている。保並沙夜も兄が多大な迷惑をかけた相手であり、それを快く許してくれた相手という事で頭が上がらない。モユクさんは相変わらずふらふらしていて謎だが、割と友好的だ。
方法も性格も問題だらけだが、アリスはずっと夢世界の支配者になるために組織拡大・人材勧誘を熱心に続けてきた。ボス猿の座を獲得したのは必然であると言える。比喩でもなんでもなく命懸けの努力の成果だ。そこは素直に尊敬できる。命懸けという言葉はありふれているが、実際に命を賭けられる人間はそういない。俺は賭けたけどな!
学校帰りに長宗我部とつるみ、制服の襟を立てて北風を防ぎながら一夜干しの暖簾をくぐると、そこにはもう全員揃っていた。座敷席でアリスとニクス、タナトスが姦しくお喋りをしている。モユクさんはまたどこかへ消えているため欠席だ。どの道定食屋に狸は連れ込めないのだが。世の中間違っている。
長宗我部がタナトスの隣に座ると、タナトスは甲斐甲斐しくマフラーを預かり、新しく熱いお茶を注いだ。お前ら夫婦か。
「先輩もアリスさんはもっとオシャレした方が絶対いいって思いますよね」
「ん? ああ、まあ、そうだな」
長宗我部は隅に折りたたんで置かれたもっさりした茶色のダウンジャケットを見て生返事をした。
俺もニクスの隣に座りながら、「余計なお世話」とでも言いたげなアリスのちまっこい全身をざっと見て評価を下す。
「前々からもっと毛皮生やすなり鱗生やすなりした方がいいとは思ってた。ちゃんと毛づくろいしてるか?」
「余計なお世話よ。本当に」
「ヒプノス、竜田揚げ頼んどいたから。外寒かったでしょ。ひざ掛け半分使う?」
「お、助かる」
「お前ら夫婦か」
とりあえず全員注文するものを注文し、本日の会議が始まる。議題はいつもの夢世界1万人問題……かと思っていたが、どうやら少し違うらしい。
アリスがお通しの漬物を箸でつつきながら言った。
「少し面倒な事になってね。近い内に住所変えるわ。それと今日からしばらくホテル取るから」
「なんだ、引越しか? 巣立ちか?」
「家庭の事情よ」
アリスの話を要約すると、父と喧嘩をして家を出る事にしたらしい。
アリスの親父殿は夢世界や夢見人の話を信じていない。彼の主観では『娘が悪い仲間と付き合いだし、精神を病んで不眠症になり、死にかけた』となる訳だ。辛うじて一命はとりとめこうして定食屋に来れるほどに回復はしたが、親としては気が気ではない。
アリスの父は俺達と絶交するようにアリスに命じ、アリスはそれに猛反発。後は売り言葉に買い言葉で「家を出ていく」と言い放ったという。
……誰かアリスの無茶を止める奴がいるかと見回したが、全員諦め顔だった。俺もだ。
アリスはやると言ったらやる。家を出ていくと言ったら出ていく。普通の女子中学生がやるような、友達の家へのお泊まり会のようなナメた家出とは訳が違う。一軒家を買い上げて住所を移すぐらいはやってのけるだろう。止めても無駄だ。
それでも儀礼的に言っておくべきだと思ったのか、タナトスがおずおずと手を挙げて言った。
「あの、お父さんと仲直りするのは……」
「勝手に聞いた事もない男と婚約結んで『そろそろお前も落ち着け』なんて言う親とは仲良くなれないわ」
「あ、それは無理ですね」
あっさり引き下がった。ニクスも深々と頷いている。そもそも婚約という単語自体に馴染みがない俺と長宗我部は共感できないが、女性陣にとっては同情できる事情らしい。
実際俺達は割と社会的に異端側で、『悪い仲間』という言葉は否定できない。娘を失いかけた親としての気持ちも考えると、これ以上無茶をしないように押さえつけたくなるのも無理はないだろう。
親としては妥当な行動なのかも知れない。しかし子供にとっては確実に嫌な親だ。
俺が敬意を持っているのはアリスだ。アリスの父ではない。俺はアリスを支持する。当たり前だ。
「親は未成年の子供に監護権を持つ。アリスの心意気は買うが住所変更はできねぇぞ。住所変更を含む全ての行政手続及び契約には親の同意が必要だ」
「長宗我部の資格ラッシュでもなんとかならんのか?」
「無茶言うな」
「うーん、お父さんを殺せば住所そのままで別居できるんじゃないでしょうか」
「こえーよ。あの世に強制移住はエグすぎるぞ!」
「まあ旦那様も大事にはしないと思うから。私もお世話についてくし、こっそり監視ぐらいつけるかも知れないけど、しばらくは様子見で干渉して来ないと思うよ。正直先に旦那様が折れるんじゃないかな」
「んじゃしばらくホテル暮らしか。宿泊費どうするんだ? 人間社会は色々金かかるだろ。親の小遣いで親から家出とかマヌケ過ぎるぞ」
「自分の口座から出すわ。もちろん私が株で稼いだ私名義の私の金よ」
アリスはシレっと言った。好奇心で預金額を聞いてみたが、俺の小遣いとは桁が幾つも違った。それだけあったら駅前にペットショップが建つぞ。
なんだこいつ。金持ちの令嬢で、親に押し付けられた婚約、家出、使用人の超絶美少女、中学生にして株で稼いだ大金。漫画の住人か何かか?
「とにかく」
とアリスは手を叩いてざわつく俺達の注目を集め、強引にまとめにかかった。
「住所が変わるからそのつもりで。詳細が決まり次第追って通達するわ。それで次の議題だけど、夢世界の人間の扶養にはやはり人手が足りないわ」
「人が足りすぎて困ってるんじゃなかったのか?」
長宗我部の突っ込みにアリスは鷹揚に頷いた。
「そう、だから即戦力の夢見人を増やす事にしたから」
「いや無理だろ」
夢見人はどいつもこいつも我が強過ぎて、仲良くなるパターンは珍しい。俺も最初はアリスに嫌悪感しかなかった。ニクスは離反しかかったし、ナイトメアは最初から殺しにかかっていた。タナトスもこうして現実での招集に応じる程度には友好的だが、別にアリスの味方ではない。モユクさんはオブザーバーだ。
夢見人を仲間にするのは難しい。ただでさえクソ忙しいのに、新しい夢見人を探して仲間に引き込む余裕はとてもない。
しかしアリスはそこで不敵に笑った。
「ねえ、タナトスは元々夢無人だったのよね」
「え? あ、はい。前に兄が私の人魂を見つけたと言っていたので……たぶん」
突然話を振られて驚いたタナトスが自信無さそうに答える。何の話だ?
「夢無人は夢見人になるという事よ。最初から夢見人として夢世界に居る訳ではないわ。誰でも最初は夢無人で、何かの拍子に夢見人に変わるの。でもそう考えると不可解な点があるわ。何の力もない夢無人が夢見人になった途端に創造の力を使えるようになる。これは変ではないかしら。創造に使うMPはどこから来たの? 夢見人になった時に湧いて出たとでもいうの?」
「違うのか?」
夢見人に目覚める理由は分かっていない。夢見人には異常なまでに強固な信念を持っている奴しかいないが、異常性癖人間が夢見人になるのなか長宗我部もなっていないとおかしい。出所不明の力なのだ。MPぐらい湧いて出るだろ。よく分からんが。
俺が首を傾げると、アリスは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。こんにゃろう。
「違うわ。夢無人も多寡はあっても必ずMPを持っている。ただ持っているだけで使う事ができないのよ。MPがあるだけで創造の力を使えない。だから人型になれない。何もできない。夢無人と夢見人の違いは持っているMPを操れるかどうか。これだけなのよ」
「はあ、まあそういう考え方もできるんだろうな。それで?」
「夢無人のMPに刺激を与えて賦活して、一時的に人型を取って行動できるようにするの。妄創すら使えないけど、喋れるし歩けるし動ける。起きれば現実に戻るから食糧も要らない。一度目を覚ますとまたただの夢無人に戻るから、毎晩賦活し直す必要はあるけど、臨時雇用としては使い勝手が良い。一晩限りの擬似夢見人ってところね」
「そんな方法が……その賦活? って私も聞いてないですけど。あ、モユクさんに教えて貰ったんですか?」
「違うわ、昨日の夜思いついて試したのよ」
曰く、賦活は妄創よりも簡単らしい。自分のログインアカウントを貸し与えるような感覚で人魂に触れば、それだけで夢無人は人型を取るという。分かるような分からないような。
これが本当なら夢見人の専売特許だった夢世界入りを誰でもできるようになる。革新的な事だというのは分かるのだが、イマイチ心に響かない。夢無人は所詮人間。エラもヒレもないクソ雑魚生物が夢世界に流入してきても嬉しくもなんともない。
しかしアリスにとっては重要な事らしく、いつもの五割増しの勢いで熱弁を振るった。ポイントはナイトメアの人間達も賦活を使えるという事だという。
俺はMPを分け与え幻獣を創造した。ナイトメアの人間も同じように創造の際にMPを分け与えられている。そのMPはほんの僅かで、最低限の妄創すら使えないが、賦活一回分ぐらいは辛うじてある。
1万人の人間がそれぞれ1人の夢無人を賦活して擬似夢見人に変えれば、1万人の戦力が手に入る。
擬似とはいえ夢見人だ。死んでも現実で飛び起きるだけ。食糧を用意する必要もない。ナイトメアの人間よりも使い勝手がいい。
これをアリスは正社員と日雇いアルバイトに例えた。正社員が仕事を覚えて会社が回るようになるまで、日雇いバイトで補うのだ。分かりやすい。
擬似夢見人は本当に人型をとれるだけで、できる事は現実の人間と何も変わらない。妄創は使えないし、賦活も使えない。しかし畑は耕せるし、木の実を集められるし、木材も運べる。労働力としては十分だろう。
問題は突然夢の中で「働け」と言われて唯々諾々と働くか、という事だが、それに関してはアリスが腹案を持っているらしい。
嫌な話だ。現実で勉強して仕事をして疲れきり、やっと眠れたと思ったら夢の中でも働かされるのか……
流れに乗り切れない俺を尻目に、長宗我部はアリスの話に食いついていた。
長宗我部はこのメンツの中で唯一の夢無人だ。夢世界に行きたい気持ちはきっと誰よりも強い。例えアリスの下でギチギチに縛られて酷使されるとしてもだ。なんだかなあ。いや俺が賦活すればアリスの下につく義理もなくなるのか?
もやもやしている俺の背中を叩き、長宗我部が言った。
「おいテンション低いぞ、明も乗ってこいよ。幻獣見せびらかせるんだから文句ないだろ」
「それがあったか!」
そうだ。その通りだ。幻獣を見る事すらない人生なんてなんのために生きているのか分からない。
夢のない哀れな人類に幻獣を。啓蒙の光を!