試験(5)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校二年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。ひとつ下の大ちゃんが彼氏。お茶を淹れる腕は一級品。今は、試験の真っ最中。
・那智しずる:文芸部所属。一人称は「あたし」。元々は人嫌いだが、学業優秀な上、長身でスタイルも申し分のない美少女。実は『清水なちる』のペンネームでヒット作を世に送り出す新進気鋭の小説家でもある。重度の不眠症で、睡眠導入剤を処方されている。
・高橋舞衣:舞衣ちゃん。文芸部の一年生。身長138cmの幼児体型。変態ヲタク少女にして守銭奴。千夏やしずるのマネージャー気取りで、仕事の手配にも口を挟むようになった。
・矢的武史:他校の三年生で、しずるの彼氏。小説大賞の同期だったのが付き合うきっかけ。自宅が病院を経営していることから、医学部合格を目指して猛勉強をしている……はずなのだが。
とうとう、試験期間が始まった。始まって、しまった。
わたし達は、それぞれに目の前の答案用紙と格闘していた。
(あ、これしずるちゃんに教えてもらったところだ)
わたしは、放課後ごとの図書準備室での勉強が、無駄では無かったことを知った。
(皆も、同じように成果が出てるといいなぁ)
試験中なのに、わたしはそんな事を考えながら答案用紙を埋めていた。
そのうち、終了の鐘が鳴って、試験が一つ終わった。
「しずるちゃん、テスト、どだった?」
わたしはすぐに、しずるちゃんの席に行って、成果を訊いてみた。
「まぁ、何とかなったみたい。三回ぐらい解き直したから、間違いは少ないはずだけれども。まぁ、最後の方は飽きてきちゃって、居眠りしそうになったけれどね」
(ガーン、やはりしずるちゃんは凄い。わたしなんか、解ききるのが精一杯で、見直しなんかする余裕すら無かったのに)
「千夏はどうだったの?」
わたしは、突然にしずるちゃんから質問されたので、ビックリしてしまった。
「う、うぐっ。あ、あーとね、……多分、出来てると思うよ。取り敢えずは、答案用紙、……全部埋めたし」
と、言いながらも、わたしは背中を嫌な汗が伝わるのを感じていた。先生、お父さん、お母さん、オバカな娘でごめんなさい。
「さてと、今日の試験は終わったけれど、千夏はこれからどうするの? すぐ帰る? それとも、少し一服してから帰る?」
と、彼女はわたしに尋ねてきた。
「んーとね、今日は家に帰っても、誰も居ないんだ。帰りに、どっかでご飯食べるほど余裕ないし。だから、学校でお昼を済ませちゃおうと思って、わたし、お弁当作ったんだ」
「そうなのね。じゃあ、中庭でお昼を食べない? あたしは、購買部でパンを買って来るから、千夏は先に行っておいて」
「了解です」
そうして、わたしは、購買の方へ歩いて行く美少女の後ろ姿を見送っていた。
そして学校の中庭、木陰のベンチの上。わたしとしずるちゃんは、お昼を一緒にしていた。
「しずるちゃん、お昼、そのパンだけで間に合うの?」
わたしは、彼女の食べていたのが、菓子パン一個だったので、心配になった。
「えーっと、まあ、栄養的には良くないんだけどね。最近、あんまり食べられなくって」
彼女がそう言うので、
「わたしのお弁当、分けてあげよっか?」
と、わたしは提案した。すると、しずるちゃんは、ちょっとバツが悪そうにこう言った。
「それじゃあ、千夏の分が無くなっちゃうじゃない。ただでさえ少ないのに」
うーん、そんなに少ないかなぁ。でも、わたし、ちっこいからなぁ。あんまし食べると、縦じゃなく横に成長しちゃうんだよね。
わたしがそんな事を言うと、
「そうよねぇ。特に、雑誌で顔出しするようになってから、体型は気になってるのよ。乙女の悩みよね」
と、彼女は、如何にもうんざりした様子で答えた。
「それで、食事をセーブしてるの? それこそ、身体に悪いんじゃないかな」
わたしの言葉に、
「別にそんなんじゃないわよ。単に面倒なだけ。うち、あたしも、あたしの両親も、面倒くさがり屋だから。適当に小銭をもらって、適当に何か食べてるわけ」
と、飄々と言っていた。
「じゃぁ、せめて牛乳をつけるとか」
わたしがそう付け加えると、
「ゴメン。あたし、牛乳ダメなんだ。別に嫌いと言うわけじゃなくて、乳糖の分解酵素が足りないらしくって。すぐに、お腹こわしちゃうの」
そなんだ。しずるちゃんも色々大変なんだ。
そんな事を語り合いながら、わたし達はお昼を食べていた。が、そのうちにふと思いついたことがあって、わたしはしずるちゃんに、こう質問した。
「そういや、しずるちゃんちって、弟さんがいたんだっけ?」
「そう、中学二年と三年生。上は、今年高校受験って言うのに、全然、勉強に興味がなくって。あたしも困ってるのよ」
そなんだぁ。しずるちゃんの弟さんも、受験なのかぁ。
「大変だねぇ」
そんなわたしの返事に、しずるちゃんは、「ホウ」と溜息を吐くと、
「なんだよねぇ。あたしが教えてあげられると、良いんだけれど。なんか嫌がっててね。姉弟といっても、年頃なのね。どうしても、あたしに女性を意識しちゃうみたい。このあいだも、例の写真集を、こっそり友達と見てたしね」
と、しずるちゃんは遠くを見るような眼をして、そう言った。
『例の写真集』とは、去年に写真部と合同で発行した文芸部員達──まぁ、ほとんどしずるちゃん一人の為のようなものだったけど──をモデルにしたフォトアルバムの事だ。金の亡者である舞衣ちゃんのプロデュースだったため、思いっきり読者にサービスした写真ばかりがで~んと掲載された所為か、生徒達どころか、先生方からも極秘に注文があったシロモノだ。おまけに、出版社にまで噂が到達したようで、青年誌部門から直々に、しずるちゃんにグラビアモデルの依頼がもたらされたほどだ。その余波を喰らって、わたしも、雑誌にコラムを持つようになったんだけど。
「そう言えば、千夏はお姉さん? 家事とか、何でもテキパキこなすし」
「そんな事ないよ。わたしは一人っ子」
「ふむ。その割りには、面倒見が良いわよね」
「わたしんち、近くに公園とかあったんだ。だから、いつも小さい子がいてさ。放課後なんか、一緒に遊んだりしてたの。それに、両親共働きで、夕食も一人のことが多かったんだ。だから、お食事とか、自分で用意するようになったんだ。その所為かなぁ」
「そうなのね。あたしは、初めての子供だったから、両親も結構気を使ったらしいわ。それでかなぁ、神経質なのは」
しずるちゃんは、そう言いながら、難しい顔をしていた。
「しずるちゃん、何考えてる?」
わたしが、気になって訊くと、
「え? ……ああ、何でもないわ」
と、彼女は応えたが、
「その割には深刻そうだったよ」
と、わたしは重ねて尋ねた。
「千夏には分かっちゃうんだね。……あいつの事。試験て聞くと、どうしても連想しちゃうの」
と言って、クスリと笑った。
「あいつって、彼氏さんのことだよね」
「そう。ま~た、勉強サボってないといいんだけれどね」
そう応えた彼女の笑顔は、少しぎこちなかった。
「しずるちゃん、考え過ぎだよ。彼氏さんだって、ずっと頑張ってきたんだからさぁ」
「とは言うけれどねぇ。最近、あたし、向こうの親から煙たがれているのよ。それで、あたしがいることで、あいつの勉強の邪魔になってんじゃないかなぁっていうのが、頭から抜けなくて……」
そう言うしずるちゃんの顔は、どこか寂しそうだった。
それで、わたしは何とか彼女を元気づけようとして、こんな事を言ったのだ。
「ダイジョブだよ、しずるちゃん。しずるちゃんが認めた彼氏さんなんだから、絶対にダイジョブ。だって、しずるちゃんみたいな完璧超人の人が選んだ男の人なんだよ。きっと、受かるって」
すると、しずるちゃんは、俯いていた顔を上げて、わたしの方を見た。
「そうかなぁ。千夏はそう思うんだ。別に、あたしは、完璧でもなんでもないけれど」
「でも、しずるちゃんのことだから、彼氏さんの良いところも悪いところも分かってるんでしょ」
「そ、そうだけど……」
「やっぱり。なら、ダイジョブだよ。初詣に行った時に買ったお守りだって、ちゃんと渡したんだよね」
と、わたしが言うと、
「えっ! 何で千夏が知ってるの?」
と、彼女は驚いていた。
「別に。だって、あんだけ熱心にお守りを選んでたら、誰にあげるかくらい、分かるよ」
「そっかぁ、バレてたんだ……」
わたしの言葉で、しずるちゃんは、何かちょっと安心したようだった。硬かった笑顔が緩んでゆく。
「でも、受かったら受かったで、遠恋になるね。一浪すれば、一緒に勉強して、一緒に東京に行けるのに」
わたしが、そんなことを言うと、
「縁起でもないことを言わないでよ、千夏。彼氏が浪人生だなんて、あたし、我慢できないわ!」
と彼女は、鼻息も荒く、そう返した。
(やっぱり、しずるちゃんはしずるちゃんだね。なんか、安心しちゃったぁ)
わたしは、ニッと笑うと、
「じゃぁ、明日のテストに向けて頑張ろうか」
と立ち上がって、彼女に声をかけた。
「そうよね。今は自分達の試験の方が大事だわ」
彼女もそう言って立ち上がると、大きく伸びをしていた。
「えーっと……、もし、試験の結果が良かったら……あたし達、違うクラスになっちゃうのよね。それでも、千夏はあたしの友達でいてくれる?」
「勿論だよ、しずるちゃん。しずるちゃんは、わたしの自慢の大親友なんだから」
「そっか。アリガト、千夏」
そう言う彼女の顔は、何かを吹っ切ったようで、爽やかに見えた。
さあ、明日の試験も頑張るぞ。