試験(4)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校二年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。ひとつ下の大ちゃんが彼氏。お茶を淹れる腕は一級品。今は、試験勉強に集中している。
・那智しずる:文芸部所属。一人称は「あたし」。元々は人嫌いだが、学業優秀な上、長身でスタイルも申し分のない美少女。実は『清水なちる』のペンネームでヒット作を世に送り出す新進気鋭の小説家でもある。重度の不眠症で、睡眠には薬が必要。
・高橋舞衣:舞衣ちゃん。一年生。一人称は「あっし」。身長138cmの幼児体型。変態ヲタク少女にして守銭奴。千夏やしずるのマネージャー気取りで、仕事の手配にも口を挟むようになった。
・里見大作:大ちゃん。文芸部にただ一人の男子で、千夏の彼氏。一人称は「僕」。2mを越す巨漢だが、根は優しいのんびり屋さん。出番は少ないが、重要人物の一人。
・西条久美:久美ちゃん。一年生、双子の姉。一人称は「私」。おっとりした喋り方の可愛らしい女の子。髪の毛は左で結んでいる。
・西条美久:美久ちゃん。一年生、双子の妹。一人称は「私」。おっとりした喋り方の可愛らしい女の子。髪の毛は右で結んでいる。
彼女達二人は、髪型で違いを出してはいるが、ほとんどの人は見分けられない。二人共オシャレや星占いが好き。
矢的武史:他校の三年生で、しずるの彼氏。小説大賞の同期だったのが付き合うきっかけ。自宅が病院を経営していることから、医学部合格を目指して猛勉強をしている。
とうとう明後日からは試験だ。わたし達は、部室で最後の追い込みをしているところだった。
「ああー、もう駄目なのですぅ。しずる先輩、試験に出そうなところ、ヤマ張れませんかぁ」
久美ちゃんが、困り果てた挙句に、そう言った。
「ヤマねぇ。出そうなところは想像できるけれど、範囲が広いから」
しずるちゃんは、教科書から目を離さずに、声だけで答えた。
「そうね、数学は、文字式とか因数分解とか。三角関数? は、未だ習ってないか。後はグラフかな」
彼女は、続けてそう言った。
「因数分解なんて、分からないのですぅ。公式いっぱいあるしぃ。どうしよう、美久」
双子の久美ちゃんは、妹の美久ちゃんに助けを求めた。
「どうしようもないのですよ。公式覚えてないんなら、今から覚えるのですぅ」
美久ちゃんの答えは、容赦がなかった。まぁ、しようがないか。もう、本番まで二日だもんね。
かく言うわたしも、問題集とにらめっこである。他人を気遣う余裕なんて無かった。
「うう、これじゃ赤点になっちまいます。何か、試験を受けなくても済むような、いい方法って無いっすかぁ」
舞衣ちゃんが、教科書を前に唸っていた。
その様子に、さすがのしずるちゃんも、一旦教科書から目を離すと深い溜息を吐いた。そして、こう言ったのだった。
「一年生達、そんなに困ってる?」
「当たり前じゃないっすか。とっても困ってるっす。もう、崖っぷちっす」
『どこが出るかも、全然分からないのですぅ』
それを聞いたしずるちゃんは、さもうんざりしたような顔をしていた。そして、もう一度深い溜息を吐くと、足元の鞄から一冊のファイルを取り出した。
「それは何すか、しずる先輩」
舞衣ちゃんの質問に、しずるちゃんは、
「去年の実力テストの問題よ。こんなんで良かったら使って」
と、そう言って、ファイルを一年生達に渡したのだ。
「ええ! 本当っすか。これは、スゴイお宝っす」
ファイルを抱きしめて小躍りする舞衣ちゃんに、
「あんまり雑に扱わないでね」
と、しずるちゃんは念を押すと、また教科書に戻った。
「舞衣ちゃん舞衣ちゃん、私達にも見せて下さいなのですぅ」
「すっご~い。どの教科も高得点だし、間違った部分も正解を書き込んであるのですぅ」
「これは、マジでスゴイお宝っす。コピーして売れば儲かるに違いないっす」
それを聞いたしずるちゃんは、
「舞衣さん、そんな事をする暇があったら、少しでも問題とその解法を、自分の頭に入れたら」
と、じろりと彼女を睨んだ。
「ですよねぇ~」
と、彼女はゴマかすと、過去問集を捲っていた。
「しずるちゃん、去年の問題、とってあったんだぁ。凄い物持ちだね」
わたしがそう言うと、
「今朝、たまたまファイルが目に止まっただけよ。本当は整理整頓は得意じゃないのよ」
と、嫌そうに言うと、ノートを捲った。
(う~ん、勉強できる人は違うなぁ。わたしも見習わなくっちゃ)
そう思って、問題集を開くも、なかなか思うように頭に入ってこない。後二日なんだから、精一杯やらなくちゃ。
と、するうちに、だいぶん外が暗くなってきた。
「だいぶ遅くなっちゃったね。そろそろ帰ろうか」
わたしは、手元の時計を見ながら、そう提案した。
「そうね、そろそろ下校の時間ね。帰りましょうか」
「了解でーす」
と言うことで、皆で帰り支度をし始めた。
「しずる先輩。このテストの過去問、しばらく借りてても良いっすか」
舞衣ちゃんがそう訊くと、
「良いわよ。一年の範囲は、もう覚えたから」
と、しずるちゃんは何気なく答えた。
(そなんだ。しずるちゃんは、一年の範囲はもう覚えちゃったんだ。……え?)
「ほ、ホント、しずるちゃん。一年生の範囲って、もう頭に入っているの!」
わたしが驚いて訊くと、
「あっと、ええ。大体は覚えているわよ。千夏だって二年生なんだから、今更一年生の範囲はやらないでしょう」
と、なんでもないように彼女は応えたが、
「れ、歴史とか、地理とか、年代表とかも?」
と、わたしが重ねて訊くと、こう言ったのだ。
「ええ、大体はね。一年生の時だけれど」
(す、凄い。やはり、しずるちゃんは偉大だ。わたしなんか、歴史の初めの方の部分は、もう忘れかけているのに)
「まぁ、国立大目指すからね。基礎は早めに覚えちゃわないと。もう、一年しか無いんだし」
(はぁ、ソウデスカ。ワタクシトハ、セカイガ、チガイマスネ)
わたしは、何かまたしずるちゃんとの違いを思い知らされたようで、ショックだった。
「どうしたのですかぁ。部長、そろそろ帰りますよぉ」
久美ちゃんの声で、わたしは我に返った。
元々、目指す大学が違うんだから、基礎学力も違って当然なんだ。そう思い直してみたが、わたしの心は沈んだままだ。はぁ、世の中厳しいね。
気を取り直して、わたしも鞄に教科書とノートをしまった。
校舎から外へ出てみると、辺りはもう薄暗くなっていた。
「やっぱ、冬は暮れるのが早いっすね」
「駅までは、僕が送るんだなぁー」
と、大ちゃんの、のほほんとした声が頭上から降ってきた。
ありがたいんだけれど、たまには二人っきりで帰りたいなぁ、などと不届きな事を思ってしまうわたし。
(そういや、最近は勉強ばっかで、刺激が無いんだよねぇ)
何てことを考えながら校門まで歩くと、見知った顔の男子が立っているのが見えた。
「あ、あんた、何でこんなところにいるのよ!」
しずるちゃんが、突然、驚いたように大きな声を出した。周りの学生達が、思わず振り返っていく。
「しずるちゃん、声大きいよ」
わたしが嗜めると、
「ご、ごめん」
と、謝ったものの、その目はまだ件の男子を睨みつけていた。
「しずる先輩、この人は誰なのですかぁ」
「お知り合いなのですかぁ」
と、久美ちゃんと美久ちゃんが尋ねた。そうか、二人は初対面だよね。
「あ、あーと、ごめん。ちょっと顔見たくなって、ここで待ってたんだ」
そう言った彼は、矢的武史。しずるちゃんの彼氏である。
わたしはそのことを、こそこそと皆に告げると、一瞬沈黙が襲った。
「あんた、どうしてこんなところで貴重な時間を無駄にしてるのよ」
しずるちゃんが、トゲトゲした声でそう言うと、彼氏さんは、
「そんな言い方無いだろう。お前を待ってたんだぜ」
と、不貞腐れたように応えた。
「そんな暇があったら、勉強しなさいよ。センター試験の点数、あまり良くなかったんでしょう。その分を、本試験で挽回しないといけないじゃない」
「分かってる、分かってるけど。……毎日毎日、勉強ばっかだと、息が詰まるんだよ」
「知ってるわよ、そんな事ぐらい。でも、後二ヶ月もしないうちに終わるのよ。もう後が無いんだから、しっかり勉強してよ」
「だから……、勉強に身が入らないから、こうして会いに来たんじゃないか」
しずるちゃんと彼氏さんの口論は、長引きそうだった。
「ちょっと、この様子だと、後を引きそうだね。皆、今日は二人だけにしてあげようよ」
わたしはそう言って、皆と引き上げる事を提案した。
「そうっすね」
『ですよねぇ。分かりましたぁ』
皆もそう言ってくれたので、部外者はこの場を去ることにした。
「しずるちゃん、わたし達は先に帰るから、ちょっと二人で歩いてきなよ」
わたしは、しずるちゃんにそう声をかけた。
「え? ちょっと、千夏。こんな状況であたしを置いて行かないでよ」
さすがのしずるちゃんも、そんな風に慌てていたが、
「しずるちゃん、たまには息抜きも大事だよ。彼氏さんと、もっとよくお話してきなよ」
わたしがそう言うと、彼女は何か難しい顔をして考え込んでしまった。そのうちに、意を決したのか、
「分かったわ。ごめんね、千夏。気を使わせちゃって」
「いんだよ。でも、喧嘩なんかしちゃ、ダメだよ。会いたいのを我慢して、普段は会ってないんだから。そこのところを忘れないでね」
「分かった。ありがとう、千夏」
と言うことで、わたし達は、二人と別れたのだった。
その夜、わたしのスマホに電話がかかってきた。しずるちゃんからである。
<あ、千夏。こんばんわ>
「こんばんわ。どしたの、しずるちゃん」
<うん、今日の事を話しておこうと思って。夕方はありがとうね。変に気を使わせちゃって>
「そんな事無いよ。それで、どなった? 喧嘩なんてしてないよね」
わたしがそう切り出すと、ちょっと沈黙があってから、彼女はこう話しかけてきた。
<……うん。喧嘩別れには、ならなかった。でも、危ないところまでは行ったかも>
「ちょっと、しずるちゃん。何やってんだよ。二人共、ほんとは好き同士なんだから。わたし、こんな事が原因で、別れて欲しくないな」
わたしは、ちょっと嗜めるように、そう言った。
<ごめんね、千夏。とにかく、あいつ、今勉強に身が入らなくって。それで、模試の成績も上がらないんだって。志望校を変えるかも知れないところまで、追い詰められているらしいのよ>
「なら、そんな時ほど、しずるちゃんが力になってあげなくちゃ。そでしょ」
<そうなんだけれど……あたし、もしかしたら、あいつの邪魔になってるんじゃないかな>
「邪魔になってるって? 何でそう思うの、しずるちゃん」
<あたしなんかがいるから……。あたしみたいなのがいることで、あいつ、勉強に身が入らないのかなって、思っちゃって>
そう言ったしずるちゃんの声は、いつもの彼女を知っているわたしにとっては、信じられないくらいに暗かった。
「何言ってるんだよ、しずるちゃん。彼のこと、好きなんでしょう」
<うん、好きよ。大好き>
「だったら、自信持ってよ。彼氏さんを、助けてあげなよ。それが出来るのは、しずるちゃんだけなんだからさ」
<分かった。ごめんね、千夏。変なことで電話なんかしちゃって>
「そんな事無いよ。気にしないでね。で、今日は、どなったの?」
<取り敢えず、愛を少し分けてあげた>
「へ?」
<だ、抱きしめさせてあげたの、直に。ちょっと、寒かったけど……>
「またぁ。しずるちゃん、そういうとこ、押しに弱いよね」
<そうなんだけど。あいつが、あまりにもしょげてるから>
「そっか。で、彼氏さん元気になった?」
<なったみたい。それで、今度の直前模試でA判定だったら、デートすることにしたの>
「またそれぇ。しずるちゃん、身体張り過ぎだよ」
<そうかも知れないわね。でも、彼の落ち込んでいるところを見たら、どうしても拒否できなくて>
「そっか。でも、ちゃんとしないといけないところでは、キチンと拒否するんだよ」
<分かった。千夏には助けられてばかりね。本当に恩に着るわ。ありがとう、千夏>
「何てこと無いよ。わたし達、友達でしょう」
<うん、そうだったわね。ごめんなさいね、こんな遅くに>
「それはダイジョブ。まだ勉強してたから」
<千夏は頑張り屋さんね。ごめんね、勉強の邪魔して>
「いいよ、気にしないで、しずるちゃん」
<ありがとう。お休み、千夏>
「おやすみなさい、しずるちゃん。明日、学校でね」
<うん。それじゃ>
と言って、電話は切れた。ダイジョブかな、しずるちゃん。
そう言うわたしも、人の事ばかり気にしてちゃダメだ。勉強勉強。目標のクラスに入れるようガンバだ。