舞衣ちゃんセンパイ(4)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校三年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。お茶を淹れる腕は一級品。受験生だが、部の雑務の他、入学してきた新一年生の勧誘活動も行っている。
・那智しずる:文芸部所属の三年生で忍の姉。一人称は「あたし」。学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。基本的に人嫌いなのだが、忍を前にすると激甘になる極度のブラコン。数年前の事故が元で不眠症などの持病を抱えている。
・高橋舞衣:舞衣ちゃん。文芸部の二年生。一人称は「あっし」。身長138cmのロリータ体型。変態ヲタク少女にして守銭奴。ついたあだ名が「文芸部の守銭奴ロリ」。忍に「センパイ」と呼ばせてこき使っている。
・里見大作:大ちゃん。二年生で千夏の彼氏。一人称は「僕」。2mを越す巨漢だが、根は優しいのんびり屋さん。その見かけに反して細かい手仕事を器用にこなす。
・西条久美:久美ちゃん。高校二年生、双子の姉。一人称は「私」。おっとりした喋り方の可愛らしい女の子。髪の毛は左で結んでいる。
・西条美久:美久ちゃん。二年生、双子の妹。一人称は「私」。おっとりした喋り方の可愛らしい女の子。髪の毛は右で結んでいる。
二人共、オシャレや占いが大好き。隠れた才能も持っているらしい。
・那智忍:弟クン。文芸部の新一年生。しずるの弟。一人称は「ボク」。しずる同様に背が高い美形男子で、細々した事にもよく気づく紳士。姉のことを異常に大事に想っている。
・雨宮咲夜:サクヤ。一年生、しずるや忍の幼馴染み。一人称は「サクヤ」。吹奏楽部所属、その為か異様に肺活量が高く、声がデカイ。それなりの美少女なのだが、残念なことに性格が漢前。
・望月泰平:泰平クン。忍のクラスメイトで、文芸部の新一年生。しずるを慕って入部した。
「ただいま帰りました」
図書準備室の扉がノックされ、開かれた後に続いて聞こえたのは、そんな若い少年の声だった。しずるちゃんの弟──那智忍クンである。
「ご苦労さま。どう? 部員、集まりそかな」
二年生の舞衣ちゃんからレディーファーストの順に入ってくる宣伝部隊に、わたしは声をかけた。
「うーん、まぁまぁ、って戦果っすかね。三人ほど、候補を絞ったっす」
偉そうにそう応えたのは、自称隊長の高橋舞衣ちゃんだった。去年よりも少し伸びてボブカットになった頭の後ろで、両手を組んでいる。
「明日から仮入部として来てくれるそうです。この部室も少し賑やかになりますね。……椅子、足りるかな? カップとかは……、有ったと思いますが。……後で確認しておきます」
しずるちゃん譲りで何事にもそつが無い弟クンは、端正な顔に少しばかりの陰りを乗せて、そう応えた。少し長目の前髪が、窓から差し込む春の柔らかい日差しを散乱させ、虹色に光っていた。
そんな少女漫画の一ページを切り取って持ってきたような彼に、これまた可憐な華のような声が届いた。
「ご苦労さま、忍クン。疲れた? 今日はよく晴れていたわよね。暑くなかった? 日差しとか、大丈夫だった? 冷たいものの方が、いいかしら? 千夏、麦茶を冷やしてたわよね」
高音域ながら少しハスキーで魅力的な声の持ち主は、那智しずる──文芸部のエースにして、我が校の三大女神に名を連ねる美少女だ。そして、あの有名な小説家の清水なちる先生その人でもある。
普段は男子──というよりも人間そのものに冷淡な彼女ではあったが、事、弟クンのこととなると、ベタ甘であった。後半部にわたしに尋ねた声と比べると、高圧水蒸気と氷点下の氷くらいに温度が違う。
「ああーと、……うん、作って冷やしてあるよ。季節的にちょっと早いかな? とは思ったけど。この部屋、陽当たりが良いから」
わたしは、少し硬い表情で、しずるちゃんに応えた。
「そ。じゃぁ、忍クンは座っててね。姉さん、お麦茶いれて来るから」
そう言って、彼女は普段は全く見せない柔和な笑顔で立ち上がると、台所の方へ向かおうとした。そんな時、
「じゃあ、しずる先輩、あっしのもお願いするっす」
と、いけしゃあしゃあと言ってしまうのが舞衣ちゃんである。
それを聞いたしずるちゃんは、見るからに嫌そうな顔をしていた。そして、舞衣ちゃんの方を見もせずに、
「どうして、あたしが舞衣さんの分も汲んで来ないといけないのよ。欲しかったら、まず自分が動きなさい」
と、冷淡に応えて、そのまま奥に消えてしまった。
「相変わらず、先輩はクールっすねぇ。まっ、そこが魅力なんすが。……うっひっひっ」
Sな対応をとられても凹まないのが、彼女の良さ? っていうか、しぶとさなのだが。怪しい笑い声を残して、舞衣ちゃんはどっかとテーブルの真中の席を陣取った。
そんな彼女は、
「ほら、弟クン。こっち来て座るっす。新入部員勧誘の作戦を立てるっすよ」
と言って、彼を隣の席に誘った。
「あっ、はい。分かりました、センパイ」
弟クンは、即座に舞衣ちゃんの指示に従って隣の椅子に腰掛けると、既にポケットから取り出していたメモとボールペンをテーブルに置いた。正に後輩の鑑である。
そんな彼の空いている反対側の席を奪ったのは、小柄で大きなクリクリとした瞳が特徴の美少女だった。
「サクヤも、作戦、練る」
そう言って強引に話に割り込んだのは、雨宮咲夜ちゃん。吹奏楽部の一年生なのだが、那智姉弟の幼馴染みと言うことで文芸部に顔を出すことがあるのだ。
「ぬおっ。アンタは部外者っす。部外者の意見なんて、要らないっすよ」
おおっ、いつになく舞衣ちゃんが攻撃的だ。どうしてだか分からないが、舞衣ちゃんは咲夜ちゃんには、良い態度を示さない。
「なにお。センパイこそ、一年生の話に首を突っ込まないでクダサイ。今日だって、人が集まったのは、サクヤのトランペットのお陰なんだからね」
彼女は、テーブルに両手を突いて身を乗り出すと、舞衣ちゃんに突っかかった。
「聞いてなかったっすか。これから、文芸部員同士の部活動ってヤツを始めるんすぅ。アンタはブラバンの練習に戻るっすよ」
売り言葉に買い言葉なのか、舞衣ちゃんもそっくり同じポーズで身を乗り出すと、喧嘩腰で応えていた。
「あああー。もう、二人共よしてよ。扉の外は図書室なんだからね。静かにしてよぉ」
一応、現部長であるわたしは、この二人を何とかしようとした。仲良くさせようとまでは思わないが、喧嘩なんかは御免こうむる。
取り敢えずは、その場の最年長の三年生の言うことを聞いてくれたのか、彼女達二人は口を噤んだ。しかし、すぐさま、
『ふんっ』
と、全く同じ調子で顔を背けると、席に座り直した。
「まーまー、二人共。喧嘩しない。ボクが、お茶持ってくるから」
真ん中で四苦八苦していた弟クンも、何とか仲を取り持とうとしてくれていた。
(あー、どうしたものかな、この二人。しずるちゃん達がいて、ただでさえ日常生活がゴシップで不安なのに、コレだ。何か、今年は初っ端から問題続きだな。……まぁ、去年は去年で、部員が全然居なくて、大変だったんだけれど……。嗚呼、頭痛くなりそ。どしようか……)
部員が集まっても結局は問題続きの部の運営を、わたしは投げ出したくなっていた。
そんな時、
「じゃぁ、大人しく待ってて下さいね。センパイもサクヤも、分かってますよね」
お茶の用意に行く為だろうか、席を立った弟クンは、両脇の二人に念を押すようにそう言っていた。ただし、さっきまでの柔和な声ではない。しずるちゃんのような、有無を言わせぬ厳しい態度だった。こんなところは、やはり姉弟だ。そっくりである。
「あ、弟クンがお茶を淹れてくれるのですねぇ」
「では、私達の分も淹れて欲しいのですぅ」
『お願いしますわねぇ』
いつからそこにいたのだろうか? 双子の西条姉妹──久美ちゃんと美久ちゃんは、弟クンにうるうるとした瞳を向けていた。
「え? あ、はい。分かりました……」
やはり、ハーモニーでお願いされると断りにくくなるのかな。紳士の弟クンは、戸惑いながらも、主是していた。
「えーっとぉ、ポットにお湯を沸かしてあるから、使ってくれて構わないんだなぁー」
奥へ向かう直前、大ちゃんは、そう彼に声をかけた。
(さすがわ大ちゃん。縁の下の力持ちだ。わたしの彼氏だけはある。心強いなぁ)
「分かりました。ありがとうございます」
一旦こちらを向いた弟クンは、ペコリとお辞儀をしてから踵を返した。
──なんと礼儀正しい。紳士だ。
そんな彼と対称的に、舞衣ちゃんは、椅子の上でふんぞり返ると鼻をほじっていた。うう、女子力低いなぁ。だから、一年生の咲夜ちゃんにもつけ込まれるんだよ。
そう思っていたら、件の吹奏楽部員も、何やら細い棒のようなモノで耳垢を取っていた。
(やってることが、五十歩百歩だぞ。実はコイツら、似た者同士なのか)
どこをどう言ったら良いのか? ツッコミどころが満載で、どうしようもない。
(ここは、見てない振りをしよぉっと)
そう決め込んだわたしは、テーブルに開いてある参考書とノートに目を移した。なんのかんの言っても、わたしも受験生なのです。
溜息を吐きながらも、わたしは、練習問題の解答を、ノートに書き込んでいた。
すると、程なくして、那智姉弟──しずるちゃんと弟クンが戻ってきたようだ。
「もう、忍クン。お茶汲みなんて姉さんがやるから。忍クンは座っていていいのに」
「いえ、姉さん。ここではボクが一番の新参者ですから。ボクがやらせてもらえないと、格好がつきません」
「忍クンは苦労性ね。いつも、面倒事を進んで引き受けるんだから」
「そんなんじゃありませんよ。姉さんこそ、勉強は? それに、お薬はちゃんと飲んでいますか。また、倒れたらどうするんです。困るのは姉さんなんですから」
「飲んだわよ。さっき飲みました。……もう、忍クンは、そう言うところが小姑みたいって言われるのよ」
「大きなお世話です。姉さんこそ、自分の身体を気遣って下さい」
「はいはい、分かりました」
そんなやり取りをしながら、姉弟はコップやティーポットの乗ったトレイを持ってやって来た。
二人共美形な上に身長が高いので、並んで立たれると、さすがに圧倒されてしまう。
しずるちゃんも女子の中では背の高い方なんだけれど、弟クンが百八十センチ近いので、かえってバランスが取れている。本当にモデルさん達のようで、わたしも思わず見惚れてしまった。
(これじゃぁ、二人のツーショット写真が売れる訳だ)
わたしは、変なところで舞衣ちゃんの商売に納得してしまった。
「はいはい、皆さん。用意が出来たわよ。ちょっと待ってて下さいね。今から配るわね」
テーブルにトレイを置きながら、しずるちゃんが皆に声をかけた。
彼女が紅茶用に温めてあったカップとソーサーを並べると、弟クンがそこにポットのお茶を注いでいく。何をやってもそつがなく、絵になる二人。カップやポットを扱う細くてしなやかな指が、別次元の知的生命体が踊るように動いていて、まるでSF映画を観ているようだ。ああ、わたしだと、こうは行かないよなあ。などと、またボウッとして変なことを考えてしまった。
わたしが霞がかかった世界の中で彷徨っていた時、
「はい、これ、千夏の分よ。温かい方のお茶で良かったかしら」
という声が、耳元で聞こえた。それで、危ないところで、わたしは現実に帰ることが出来た。
「あ、ああ。それで良いよ。ありがと、しずるちゃん」
わたしは、少し肩をビクッと震わせたが、何もなかったような顔をして、そう応えた。
「千夏、大丈夫。受験勉強、ちゃんと進んでる?」
そんなわたしの態度を見抜いたのかな? しずるちゃんはそう言いながら、ソーサーに乗せたティーカップを、開かれている参考書の向こう側に置いてくれた。
「えと……。そこそこかな。ははは、未だ解んないところがいっぱいだよ」
照れ隠しに、わたしは取り留めの無い笑いで、その場を誤魔化していた。
「そう? じゃぁ、手伝ってあげるわ。後で答え合わせをしましょう」
彼女は、いつもと変わらない、やや冷たい突き刺さるような声でそう言った。丸渕の眼鏡の奥から、キッとした鋭い視線がわたしを貫く。
「よろしくお願いしますです……」
こんな時には、「しずるちゃんには敵わないなぁ」と、どうしても思ってしまう。
──神様は不公平だ……
と思いかけて、わたしは先日の件を思い出した。
(そうじゃない。しずるちゃんも、弟クンも、充分すぎる代償を払ってきたんだった。皆のお釣りで生きているようなわたしが、不用意にそんな事を考えちゃダメなんだ)
そう思い直して、テーブルの周囲に沿ってお茶を配っているしずるちゃんを、わたしは目で追っていた。
「シノブぅ、遅いよぉ」
「弟クンは、ホント、使えないっすねぇ。たかがお茶くらい、さっさと持って来るですよ」
何にも分かってない舞衣ちゃんは、そんな風に弟クンに不平を言っていた。
「もう、舞衣ちゃん。自分は何にもしてないのに、文句ばっかり言わない。してくれた人に失礼だよ」
社会人としてあるまじき言動に、わたしは遂にきつい口調で舞衣ちゃんに意見をした。
しかし、
「だってぇ、あっしが淹れるよりも弟クンがやった方が、遥かに早く美味しく出来るんですぜ。『適材適所』ってぇやつっす」
と、変な理屈をこね回していた。
「屁理屈を言わない。後片付けは二年生達でやること」
こんな部長らしいことを口にするのは何ヶ月ぶりだろう。わたしは、何だか自分が少しだけ偉くなったような気がしていた。
「ふぅん。千夏も部長らしいことを言うのね」
あらら。折角のいい気分が、女神の一言で地に落ちてしまった。
「もうっ、しずるちゃんったら。わたしは部長なんだから。たまには教育的指導もするよ」
照れ隠し。恥ずかしさ。動揺。そんな言葉を封じるように、わたしは顔を赤くしながらも、彼女に言い返していた。
「ああっと、ごめんなさい、千夏。決して冷やかしなんかじゃないのよ」
トレイの置いてある所に戻っていたしずるちゃんは、少しばかりの戸惑いを見せていた。
「分かってるよ。それより、ちょっとお願いできるかな。数学で分からないところがあるんだけど」
そんなわたしの言い分に、微笑で返した美少女は、
「仕方ないわね」
と言って、眼鏡の位置を整えていた。透明なレンズが、窓から差し込む陽光を反射して、キラリと光る。
「ちょっと、ごめんなさいね」
しずるちゃんはそう言って、一度、自分の荷物の置いてあるところへ戻った。テーブルの脇のカバンへ、開いてあった勉強道具を一旦しまうと、それを持ち上げて肩にかける。その動きすら優美で、流れるようで……。煌めくような光彩を放っているが、それでいて何の嫌味もない。彼女の美貌と相まって、巨匠の描いた一服の絵を見せられているようだった。
「じゃ、隣、お邪魔するわね」
異世界の音楽のような声で、わたしは我に返った。目の前の光景に意識の焦点を合わす。
そこには、カバンから筆記用具と共に、ノートや参考書を取り出している彼女の姿があった。今は、用の済んだカバンを椅子の脇に置き直しているところだ。
スカートの裾を掴んで皺にならないように気をつけながら椅子に腰掛ける。
それ以外の動作はしてはいない筈なのに、ただそれだけで、わたしの意識は再び彼女の虜となった。
椅子に腰掛けた美少女。若干乱れてしまった前髪を左手で払う。そのまま丸渕の眼鏡のフレームに手をかけると、その位置を正す。目の前には参考書を含む冊子が数冊。今使うものだけを選択して手前に置くと、パラパラと捲って目的のページを開く。そして、右脇に置いてあった筆入れから、黒と赤のボールペンを取り出す。透明な本体を持つシンプルなノック式のボールペン。そのボールペンは……。
──これ? 三菱のユニSN-80。一本百円もしない、いっちばん安い量産品。でも、あたしにはコレが一番しっくりくるのよね
──ええ、そうね。言い得て妙。さすがは千夏ね……
いつかどこかで交わした言葉。あの時の、わたしは……。あの時、何て言って答えたんだっけ……。
わたしの視界の中にあるのは、赤のボールペンを手にして参考書にコメントを書き込んでいる美少女の優美な姿。しかし、それが投影される筈の脳内の意識は、ツンと痺れていて朦朧としかかっていた。
「……千夏。千夏?」
耳に木霊する自分の名前で、わたしは、再び自身を取り戻した。
「どうしたの、千夏? どこか具合が悪い?」
目を凝らすと、少し心配そうな顔をした美少女のアップが間近に迫っていた。
「う、うわっ」
突然のことに、思わずわたしは、驚いて仰け反ってしまった。
「なによ、そのリアクション。……もう、千夏が勉強手伝って欲しいって言うから、こっちに来たのに」
わたしを見つめていた整った顔が引き戻されると、彼女は『如何にも心外である』といった表情で前に向き直った。
「あっ、ごめん。ごめんね、しずるちゃん。ちょっと考え事をしてて」
わたしは、慌ててその場を取り繕った。
(しずるちゃんに見惚れていた……なんて言えない)
「受験の本番までは、時間が限られてるんだから、ちゃんとしてよね。そんなんじゃ、現役合格なんて出来ないわよ」
いつも通りの辛辣な言葉だったが、今は特に深く胸に突き刺さる。
「ごめん。悪かったから。謝るから、許してよ。ねぇ、しずるちゃん」
わたしは、そう言って彼女の機嫌を取り戻そうとしていた。自分の表情は、さぞ憐れみを誘うような情けないものだったろう。
「んー、もう。……今日だけだからね」
そう言って、彼女は『仕方がない』という表情を作っていた。
でも、わたしは知っている。そんな仮面の下には、女神のような柔和で優しい顔が潜んでいることを。
「ありがと、しずるちゃん」
わたしの懲りない態度に諦めがついたのか、彼女は少しこちらに顔を向けると、
「さぁて、どの問題が解らないの?」
と、穏やかに聞いてくれた。
わたしは、手元の問題集に載っている中から、ある問いを指差した。
「ふむ……。ああ、これね。文章題だから、難しそうに見えるけれど、実は簡単なの。千夏、最初から問題文をよく読んでごらんなさい」
そうは言われても、記号とか数学用語とかばかりで、何を言いたいのかさっぱり解んない。わたしが、ずっと渋い顔で問題集とにらめっこをしているので、遂には、ご本尊が介入してきた。
「もう、千夏ったら。もう忘れたの? 文章題は、問題の内容を図に描きながら読み下すのよ」
「え? あっ、ああ……。そだった。忘れてたよ。……つまりこの問題は、座標上の点の話だから……」
わたしは、前に彼女に教えてもらったように、問題文に書かれている内容を、グラフにしようと、ノートの空白に縦線と横線を引いてX-Yグラフを作り始めた。
「そうそう、まずは座標を記すためのX-Y平面を描いて……。そうよね、問題だと、曲線がY軸と交わっている点──つまりY切片が3よね。で、放物線なんだから、二次関数の曲線になるわよね。解る?」
しずるちゃんにヒントを貰いながら、グラフに問題の条件にあう曲線を描いていくと、問いかけられている内容が明瞭になってきた。
「そうか。放物線の最小値がX軸に接してるんだ。とすると……、この条件に当てはまる曲線の式は、……解った。判別式だ。そいうことなんだね」
さっきまで、暗号文を読んでいるような気分だったが、しずるちゃんの言う通りに図に描きながら読むと、一気に目の前が明るくなった。
「そうよ。何よ、出来るじゃない、千夏。……ああっと、X軸との接点は、マイナス側にもあるかもしれないからね。忘れないように」
「あっ、そっか。Y切片が正で最小値が0だから下に凸の曲線なんだね。だから、左右で考えたらX軸に接しているところは、問題の条件の範囲だと……、正負の二種類が考えられるんだ」
「そう。問題の続きをよく読んで。未だ、図に書き込んでない条件が書いてあるわよ」
彼女に教えられながら、グラフを完成させたわたしは、問いの核心部を考えた。
「あっ、解った。条件を絞ると、右側の放物線だけになる。この時の方程式を作って……。もう一つの条件を代入すると……。出来た! 出来たよ、しずるちゃん」
解らなかった問題を解くことが出来て、わたしは少しだけ成長したような気がしていた。
「他の似たような問題も同じように解けるわ。頭の中だけで考えるんじゃなくて、図やグラフに描いて「何を問われているのか?」を、まず理解しなきゃね。その為の工夫よ」
(ふむふむ、そなのか。この通りにやれば、今度から類似の問題は全て解けるようになる訳だ)
わたしは、しずるちゃんが、どして勉強が出来るのかの一端を、垣間見た気がした。
丸覚えをするんじゃなくて、解答の方法論を身に着けているんだ。
(こんな風に、文芸部の運営にも、何かの方法論があればいいのにな)
わたしは、数学のように部活の運営方法にも明確な解答が欲しかった。
しかし、顔を上げると、目の前にはそれを根底からブチ壊している輩達が争っている。
そんな現実に嫌気が差して、わたしは受験勉強という安全地帯に逃げ込もうとしていた。