舞衣ちゃんセンパイ(2)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校三年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。お茶を淹れる腕は一級品。受験生だが、入学してきた新一年生の勧誘活動も行っている。
・高橋舞衣:舞衣ちゃん。文芸部の二年生。一人称は「あっし」。身長138cmのロリータ体型。変態ヲタク少女にして守銭奴。ついたあだ名が「文芸部の守銭奴ロリ」。忍に「センパイ」と呼ばせてこき使っている。
・那智忍:弟クン。文芸部の新一年生。しずるの弟。一人称は「ボク」。しずる同様に背が高い美形男子で、細々した事にもよく気づく紳士。サクヤとは幼馴染み。
・雨宮咲夜:サクヤ。一年生、しずるや忍の幼馴染み。一人称は「サクヤ」。吹奏楽部所属、その為か異様に肺活量が高く、声がデカイ。それなりの美少女なのだが、残念なことに性格が漢前。何故か舞衣とは反りが合わない様子。
・那智しずる:文芸部所属の三年生で忍の姉。学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。
「こらあ、シノブ! なに、女の子を泣かしてるんだ。サクヤがアレ程『女の子を泣かすな』って言ったのに。しずる姉さんに言いつけるぞっ」
わたしの泣き顔を見て何を勘違いしたのか、弟クンの幼馴染は、手に下げていた黒い楽器ケースで彼に襲いかかった。
しかし、わたしは、二人のいざこざをハラハラして見ている事しか出来なかった。
<ブンッ>
と、風を切る豪快な音がして、今にも弟クンの胸が強打されようとしていた。
「いい加減にしときな、嬢ちゃん。これ以上、図書準備室で暴れるって言うんなら、この舞衣ちゃんセンパイが黙ってないっすよ」
いつの間に移動したのか、黒い楽器ケースの影に居たのは、舞衣ちゃんだった。
その顔は、今までわたしが見たことのない、不敵な表情をしていた。
「ちっちゃいセンパイは、横に退いといて下さい。サクヤは、シノブを制裁しないとならないんだから」
「うー。だから、『ちっちゃい』って云うな、このちびっこの一年坊主」
「サクヤは、『ちびっこ』じゃない。小柄な美少女だ」
「ほんとーの『びしょーじょ』は、自分の事を『美少女』なんて言わないっすよー」
「でも、ちっちゃいセンパイよりも、サクヤのほーが、せー高いモン」
「だから、『ちっちゃい』ってゆーなよ、ラッパ吹き」
「ラッパじゃなぁーい。サクヤのは、トランペットってゆーんだ」
「先が広がってたら、似たよーなモンすぅ」
「ちっちゃいセンパイったら、ひどーい。トランペットはラッパじゃなぁーい」
「だから、『ちっちゃい』ってゆぅなっす」
「……あ、あああ、……ああ」
元々は、わたしが勘違いさせた為なんだけれど、舞衣ちゃんと咲夜ちゃんの口論は、論点を大きく外していた。
結局わたしは、オロオロと見ているだけしか出来ない。
「二人共、止めて下さい。図書室に来ている人達に迷惑でしょ」
そんな低次元の口論に割って入ったのは、もう一人の原因である弟クンだった。
背の高い彼は、両手で小柄な二人の額を押さえると、左右に突き放していた。
「退くっす、弟クン。このクソガキに、道理と云うモンを教えてやるっす」
「邪魔すんな、シノブ。ちっちゃいセンパイは、サクヤのペットを馬鹿にしたんだゾ」
頭を押えられて攻撃の手が届かず、グルグル両腕を振り回すだけの彼女達は、未だ下らない事で言い争っていた。
(しょ、小学生か、この娘らは……)
その光景を目の当たりにして、わたしは呆気に取られていた。
「はいはい、分かりました。今、新しくお茶を淹れて来ますから、二人共座って。……サクヤはここ。センパイはこっち」
弟クンにそう言われて、二人はわたしを挟んで、それぞれ離れた場所に座らせられた。
「ゔぅぅぅー」
「むぅぅぅー」
椅子に座らされても、彼女達はお互いを睨みつけて、唸っていた。
「大人しくしていないと、お茶、あげませんよ!」
弟クンのこの一言が効いたのか、二人は声を押し殺した。だが、未だ眉間にシワを寄せたまま、睨み合っている。
「もうっ、いい加減にする。氷水にしますよ」
これが決め手となったのだろう。
二人は、プイッと明後日の方向を向いて、大人しくなった。
「ふぅ。……まぁ、良いでしょう。今、お茶を淹れなおしてきますから、大人しくしていて下さいね」
そう念を押して、弟クンは流し台の方へ姿を消した。
「……ええーっと、……あ、あの、そのぅ……、実はですねぇ……」
彼女達に挟まれて座ることになったわたしは、縮こまったまま、オズオズと声を出した。
『…………』
答えは返って来ない。
「実はですねぇ、……わたしが泣いてたのは、……お、弟クンのせいじゃないんですぅ……」
二人の反応を気にしながら、わたしは何とか本当の理由を話そうとした。
「だから、それがどーしたって言うんすか」
明後日の方角を見ながら、不貞腐れたように舞衣ちゃんが応えた。
「い、いや……、だから、二人が争う理由なんて無い、……って言う事であって……」
しどろもどろになりながら、わたしは懸命に事を収めようとしていた。
「ちっちゃいセンパイが、勝手に割り込んで来たんですぅ。サクヤ、悪くないモン」
こちらも、全く聞く耳を持たないようだ……。
「また、『ちっちゃい』って言ったすね、このクソガキ」
舞衣ちゃんは、いきなり立ち上がって椅子の上に登ると、片足をテーブルに乗っけて、咲夜ちゃんにいちゃもんをつけ始めた。
「いきなり鈍器で殴りかかるのは、いくらなんでも無茶苦茶っす。時と場所を考えろってもんすよ」
事の成り行きを思い返せば、わたしが泣き出したのって舞衣ちゃんのせいじゃなかったかしら。まぁ、事ここに及んでは、もうよく解んないんだけど……。
しかし、舞衣ちゃんの言うことも尤もだ。
「そ、そうだね。咲夜ちゃんも、いきなりは危ないよ、……ねぇ」
わたしは、この部の部長として、部外者ではあるが新入生の咲夜ちゃんを諭そうと思った。
「ふんっ。あんなの日常茶飯事だよ。シノブだったら、サクヤがどんなに頑張っても、軽く避けちゃうんだ。これまで、サクヤの攻撃がシノブに当たったことなんて、一度もないモン」
彼女はわたし達から顔を背けたまま、愚痴るようにそう語った。声のトーンが少し小さくなっている。
「へぇー、そーなんだぁー。弟クンって、運動神経良さそうだもんね」
わたしは、咲夜ちゃんにそう言って、彼女の幼馴染の事に話題を振った。
すると、彼女もまた興奮してきたようで、
「そーだよ。いっつも、いっつも、シノブは高いところからサクヤの事を見下してて、本気になんてしてくれないんだ。背だって、いつの間にかサクヤよりもずぅっと高くなってるし。中学校になったらなったで、勉強だってサクヤには分かんないうちに何でも出来るようになってて……。ズルいよ」
と、彼の事を非難し始めたのだ。
「そーすねぇ。弟クンは、物腰は丁寧だけれど、『自分は一人で何でも出来るんですよ』って感じで、一段上から見下ろしている感じが気に入らないっす」
と、舞衣ちゃんも、それに賛同し始めたのだ。
「だいたい、あの背の高さは何なんすかっ。あっしらなんか、背伸びしたって届かないっす。一年の癖に生意気っすよ。少しはあっしらの目線で、物事を見てみろ! ってんだ」
「そうだよ。それでいて、成績は学年でもいっつも一番で。シノブは本当はT高だって楽に入れるのに、手を抜いてワザとK校にしたんだ。サクヤは、シノブが『K校の入学試験を受ける』って聞いて……。だから、追いつきたくって、頑張って頑張って、一生懸命勉強して、やっとこさK校に合格できたんだよ」
「そうっすよ。アイツは背が高くてイケメンだからって、あっしらをバカにしすぎっす。上級生のあっしにだって、本気で尊敬なんてしてないんだから。いっつも、鼻先であしらうようで、気に入らないっす」
「そう、そこなんだ。シノブは、二言目には『姉さん、姉さん』ばっかしで。確かに、しずる姉さんは、素敵で何でも出来て、頭も良くって、背も高いしおっぱいだって大きいし。サクヤもずっと憧れてるよ。でも、しずる姉さんだけじゃなくって、サクヤの事も見て欲しいよ」
「それは言えるっすね。あっしも、しずる先輩には到底敵わないってことは、身に染みて分かってるつもりっすよ。でも、しずる先輩以外をかぼちゃか大根でも見るように十把一絡げに扱っているのは許せないっす」
「そうだよ。シノブは、そういう女の子の繊細なところが分かってないんだよ。今日だって、サクヤがどんなにいっぱいトランペットの練習して上手くなったか、聞いてもらいに来たのに……」
と、こんな感じで、二人の怒りは弟クンに集中したのだ。
(あ、あーと。どうしよー。このままじゃ、弟クンが戻ってきたら、トンデモナイ事になるんじゃないかしら。えーっと、どーしたらいいんだろう)
わたしは、話が思っても見なかった方向に進んでいるのを目の当たりにして、彼が帰って来た時のフォローに悩んでいた。
そんな時、
「お待ちどうさま。お茶を淹れ直しましたよ」
と、弟クンが淹れ直したお茶を持って現れた。なんと間の悪いやつだろう。
「……ん? え、えーっとぉ。どうしたんですか?」
彼は場の空気の悪さを感じ取ったのか、テーブルから一メートルほど離れて立ち止まっていた。
そんな彼を、舞衣ちゃんと咲夜ちゃんが、椅子に座ったままジロリと睨んでいた。
最終的に、二人共に意見の一致を得たようだ。
「えっとぉ、……ど、どうしたのかな。お茶、持ってきたんだけど……、飲むよね」
両手にお盆を持って立ったままの弟クンは、何かを察知したのか、複雑な表情をしていた。
「勿論っす。何やってるっすか。さっさと、お茶を淹れるっすよ」
「遅いよ、シノブ。淹れ直すだけに何分かかってるのさ。サクヤ、ずぅーっと、待ってたんだからね」
あからさまに不機嫌な素振りを見せた彼女達は、プイッとそっぽを向くように、彼から目線を外した。
「あ、う、うん。ごめん。……今すぐ用意しますから。……じゃあ、岡本センパイから。横から失礼しますね」
彼はそう言うと、まず、わたしの左手の方からティーカップの乗ったソーサーを差し入れてきた。
「あっ、ありがとう。……ごめんね。何かわたしのせいで、ややこしい事になっちゃって」
淀みない華麗な動きで、弟クンはテーブルの上にわたしの分を置いてくれた。
椅子から見上げるわたしを認めてか、しずるちゃんの面影を示す端正な顔が静かな微笑みを作っていた。それを間近で見たわたしは、思わず頬を染めていた。
「気にしないで下さい。何やかやで、冷めちゃいましたからね。……次はセンパイのですよ」
そう言った彼は、わたしから離れると、舞衣ちゃんの後ろにまわった。
「後ろから失礼しますね」
彼はこんな時でも、あくまで紳士的だった。柔らかい声が、わたしの内耳をくすぐり続けている。
そんな弟クンに、ブスッとしたままの舞衣ちゃんは、さもそうされるのが当たり前のように、椅子の上にふんぞり返っていた。
小さな「コトッ」という音とともに、カップを乗せたソーサーが、小柄なショートボブの少女の前に置かれる。
カップから立ち上る湯気に混じる紅茶の芳しい香りに、彼女の顔が一瞬ほころびそうになる。舞衣ちゃんが、寸前でそれを歯を食い縛って立て直したのが、わたしにでも見て取れた。
「最後はサクヤだな」
そう言って、弟クンはわたしの後ろを通って、咲夜ちゃんの方に行った。
皆と同じように、左手側からお茶を差し入れる。
その時、クラスメイトの幼馴染は、すだれ状の前髪の隙間からギロッと弟クンを睨みつけた。
「どうして、サクヤにはセンパイ達みたいにしてくれないの。どうして、サクヤが最後なの」
と、強い口調で非難したのだ。それに対して彼は、
「えっと、……だって、やっぱりセンパイからでしょう。年功序列だし。サクヤは部外者だし」
と、尤もらしい事を口にした。
「だったら、サクヤはお客さんだよ。身内よりもお客様が先じゃないの?」
と、屁理屈をこね始めた。
「……えっとぉ。でも、サクヤは元々呼んでないし。一年生だし……。気分を害しちゃったかな。ごめんな」
そんな風に駄々をこねる幼馴染にも、彼はスマートに、絶妙な笑顔で以って応対した。
普通の女子なら、「キャー」と云う歓喜の悲鳴が上がるだろう。しかし、彼女は違った。
「だから、女たらしって言われるんだよっ、シノブは。そんな甘いマスクで、如何にもって態度で来られても、サクヤは騙されないからな!」
鼻息も荒くそう言ってのけた彼女は、ガッシとティーカップを掴むと、まだ熱い淹れたてを、一気に口に含んだ。
口に流し込んだ液体の熱容量が如何程のものか、少女は一時、頬を膨らませると、大きく目を開いて苦悶の表情を見せた。
「サクヤ、大丈夫か。熱いのに一気に飲んだから……。吐き出しても構わないよ。ティッシュとかいる?」
こんな時でも、弟クンの対応はスマートだった。彼の左手には、既にポケットティッシュが握られている。
それを横目で見た咲夜ちゃんは、真っ赤な顔に涙目であった。だが、彼の言葉には従わず、顔を明後日の方向に向けると、口の中の熱い液体を「ゴックン」と飲み込んで仕舞っていた。
「ふいぃぃぃぃ……」
さすがにこれはきつかったのか、彼女は口を大きく開けると、舌を出して空冷モードになっていた。
「あーあ、もう。無茶をするなぁ。……ほら、水」
用意のいい弟クンは、どこから出してきたのか、水の入ったコップを彼女の前に差し出していた。
「むぅ」
先読みをされて気分を害したのか、咲夜ちゃんは、弟クンも彼の差し出したコップも無視して、またしても明後日の方向を向いた。よっぽど辛かったのか、その大きなクリクリとした眼には大粒の涙が溜まっていた。
「しようがないなぁ。……水、ここ置いとくからな」
そんな幼馴染の態度に、彼は「やれやれ」と言うように、冷たい水で満たされたコップをテーブルに置いた。
そのまま少し後ろに下がると、自由になった方の手で頭をカリカリと掻いていた。彼には女心の微妙な機微は、一生解らないに違いない。
そんな皆の様子に溜息を吐きかけた時、反対側からも声がした。
「弟クン、ヌルいっすよ。ちゃんと沸かしたお湯を使ってるすか」
そう言ったのは、舞衣ちゃんだった。
「そもそも紅茶は、熱々の淹れたてが美味いんすよ。こんなヌルいんじゃ、話にならないっす」
左手にティーカップを持ったままの舞衣ちゃんの顔も、真っ赤になっていた。しかも、涙目。
きっと、同じように熱いのを無理して飲んだのだろう。もう、しようがないなぁ。
「えっ、そんなはずは……。すいませんセンパイ。淹れ直します」
舞衣ちゃんの言葉を真に受けた弟クンは、そう言って彼女のティーカップを取ろうとした。しかし、彼女は、
「ふんっ、もういいっす。勘弁してやるから、よく冷えた水を持って来るっす。冷熱を交互にすれば、少しは美味く思えるかも知れないっすからね」
と、屁理屈を言って、水を要求した。
「そうですか……。じゃぁ、急いで用意しますね」
そう言って流しに急ぐ弟クンに、舞衣ちゃんは、
「全く、使えないやつっすねぇ」
と、痩せ我慢をしながら偉そうにしていた。その癖、弟クンが見えなくなったら、カップに「ふぅーふぅー」と息を吹きかけながら、チビチビとまだ熱い紅茶を舐めるように飲んでいる。
そんな舞衣ちゃんの様子に気がついたのか、咲夜ちゃんは彼女を見てニヤニヤしていた。
対して、舞衣ちゃんの方は、一旦カップを置くと、歯を剥き出して「イー」を仕返した。
(あーあ。本当に、この娘達は、何やってんだろう)
全然仲良くなれそうにない二人を見て、わたしは呆れるばかりだった。
はぁ、こんなんで、文化祭までちゃんとやれるかなぁ、わたし……。




