しずるとなちると弟クン(8)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校三年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。入学してきた新一年生の勧誘活動中。親友のしずるに、時たまイケナイ感情を抱いてしまう。
・那智しずる:文芸部所属の三年生。一人称は「あたし」。学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。五年前の交通事故の後遺症で、感覚過敏と不眠症を患っている。
・那智忍:弟クン。文芸部に入部した一年生。しずるの弟。一人称は「ボク」。しずると同様に背が高い美形男子。姉のことを異常に大事に想っている。
・藤岡淑子:国語教師で文芸部の顧問。しずるの事情を知っている数少ない人物の一人。
・清水なちる:しずるのもう一つの人格。一人称は「アタシ」。
・高橋舞衣:舞衣ちゃん。文芸部の二年生。一人称は「あっし」。身長138cmの幼児体型。変態ヲタク少女にして守銭奴。毎度毎度、しずるをダシにしては金儲けを企んできた。
「そう……。あたし、また倒れちゃったのね」
保健室のベッドに横たわる美少女は、わたしを見上げてそう言った……。
わたしが、弟クンからしずるちゃんの交通事故の話と、『清水なちる』の人格の事を聞いてから三十分程が経っていた。その間、わたしは一人ポツンとベッドの脇に座って、しずるちゃんの寝顔をボンヤリと眺めていたのだ。
弟クンは、
「岡本センパイ。姉さんの事は、お任せします。岡本センパイは信じてもいい人だ」
と言って、藤岡先生と一緒にさっさと戻って仕舞ったのだ。
(「後は任せる」って言われても……。わたしだけ残されたって。どしよう……)
わたしは、ベッドの脇でしばらくボウッと座っているより他はなかった。
微かな吐息をたてている彼女は、お伽噺に出てくる眠り姫のようで、眠っていても尚美しかった。わずかに開いた口元は、肌の色とのコントラストで煽情的にさえ見えた。
(も、もし今、しずるちゃんにキスしても。……ば、バレないよね)
偶然か、気の迷いか、脳裏にそんな不届きなフレーズが浮かんだ。
(いやいやいや、それは無いから)
自分の考えに気が付くと、わたしは天を仰いで邪念を振り払っていた。顔が耳まで赤くなる。
しずるちゃんが目を覚ましたのは、そんな時だった。
「……うーん。……あ、あれ。あたし、どうして……」
突然のうめき声に、わたしは慌てた。だって、今さっき、変な事を考えたばかりだったからだ。か、顔、戻さなきゃ。
「あ、あ、し、しずるちゃん。起きたんだね」
言い訳のように、未だ枕に頭を預けている彼女に応える。
「うーん。何だろ、……頭痛い」
起き抜けの那智しずる嬢は、事態を未だ把握出来ていないようだった。
「しずるちゃん、大丈夫?」
わたしは、座っていた椅子から腰を浮かせて、彼女の顔を覗き込んだ。
「え? 千夏? 何で、こんなところに……」
わたしの声に反応して、しずるちゃんはこちらに首を捻った。
そして、次に出てきたのが、
「そう……。あたし、また倒れちゃったのね」
という言葉だった。
(『また』っていう事は、今までにも何回もこんな事になってたんだ)
わたしは、改めて、しずるちゃんの置かれている状況に、ショックを受けていた。
「ねぇ、しずるちゃん。こんな事、よくあるの?」
心配になったわたしは、思った事そのままを言葉にした。
「…………」
彼女は、一旦、口を噤むと、もう一度保健室の天井を見上げた。
「えーと……、何からどう話せばいいのかしら。あたし、昔──小学校の頃に事故に遭ったんだ。その後遺症……。でも、それだけじゃ無くって……」
しずるちゃんは、自分の過去の話をしようとしているようだった。
「あ、あっと、ごめん、しずるちゃん。わ、わたしね、しずるちゃんの交通事故の話をね、弟クンから聞いちゃったんだ……」
その事を話すにはちょっと躊躇したが、わたしは意を決してそう言うと、ベッドの脇の椅子に腰を戻した。
「……そっか」
彼女の眼は、未だ天井を向いたままだったが、一言だけそう言った。
「ご、ごめんね。勝手にしずるちゃんのプライベートの事を聞いちゃって。……あ、あーと。誰にも言わないから。しずるちゃんの事も『なちる』の事も、絶対に誰にも言わないから。あ、安心して、しずるちゃん」
わたしのその言葉を聞いて、彼女は、一瞬、唇を噛んだように見えた。
「『なちる』の事まで……。そっか。全部、知ってるんだ。忍クンが話したのね」
やっぱり、彼女は上を向いたままで、わたしの方を見てはくれなかった。
わたしは、
「うん……」
と、一言で返事をしたまま、俯いて仕舞った。
「じゃぁ、あたしが、一度死んじゃった事も……。いいえ、本当のあたしは、ずっと昔に死んじゃって、今ここに居るあたしは、偽りの人格って事も聞いているわよね」
その声は妙に単調で、発せられた言葉は無味乾燥で、感情も何も籠もっていないように聞こえた。
「…………」
それに対して、わたしは返す言葉が浮かばなかった。無言でコクンと頷いただけ……。
でも、天井を見つめている彼女に、それが見えたかどうかはよく分からない。
「ねぇ、千夏ぅ」
「えっ、……なに? しずるちゃん」
不意に、彼女がわたしに話しかけてきた。
「千夏は、あたしの事、幻影だと思う?」
しずるちゃんの声音は、いつも通りだったが、その質問はあまりに寂しかった。
「そ、そんな事ないよ。しずるちゃんは、しずるちゃんだよ。幻影である筈が無いよ」
わたしは、少し向きになっていたのだと思う。
しずるちゃんは、「フゥ」と軽い溜息を吐くと、もう一度首を捻ってわたしの方を見つめた。
「無理しなくてもいいのよ、千夏。忍クン、あたしの事、嫌っていたでしょう」
そう言うしずるちゃんは、さっき弟クンが見せたのと同じ、泣き笑いのような奇妙な表情を見せた。
それだけで、わたしは胸がキュッとなって仕舞った。
「そんな事ないよ、しずるちゃん。弟クンは、しずるちゃんの事、すんごく大事にして気にかけていたよ。しずるちゃんが倒れたって聞いて、誰よりも一番に飛び出して行ったんだよ。そんな弟クンが、しずるちゃんの事を嫌っている訳無いじゃん」
わたしは、再び椅子から立ち上がると、ベッドのしずるちゃんに身振り手振りで、弟クンがどんなに彼女を大事に思っているかを説明していた。でも、彼女は諦めたようにこう言った。
「良いのよ、千夏。あたし、解っているから。見かけ上、この身体はあたしが使ってるように観えるけど、本当の支配権は『なちる』にあるんだから。あの子──忍クンが大事に思っているのは、死んじゃったあたしの遺品である『この身体』なの。『なちる』は、それを知ってて忍くんを……」
そこまで話すと、しずるちゃんは、また天井を向いた。そして、左腕で目元を覆って仕舞った。
「……な、なんで、あたし、ここに居るんだろうなぁ。あのまま死なせてくれていたら、こんな思いは……。いえ、違うわね。この思いも、『なちる』がインプットした事故に遭うまでの那智しずるの疑似人格の反応。こ、こんなもの……、持ってたって……」
しずるちゃんが、声を詰まらせながら話すのを聞いていて、わたしは心臓が潰れるような感じだった。『そんな事ない』って、自信を持って言ってあげたかった。
でも、彼女の言葉は、事実による裏付けがあって、バカなわたしには論破のしようの無いモノだ。わたしは、敗北感に駆られて、ストンと椅子に落ち崩れた。
「ごめん、ごめんね。千夏、ごめんなさいね。こんな嘘のあたしなんかに、関わらさせちゃって。あたし、……どうにかして、頑張って、……ひ、一人で居ようとしたんだけれど」
彼女の告白は、未だ続いていた。
「あたし、千夏が、『友達だ』って言ってくれて……、『親友』だって言ってくれて、凄く嬉しかったの。たとえ造り物の、嘘の感情でも、あたしには嬉しかったの。……だ、だから、言えなかった。自分が……創られたモノだって。……本当の人間じゃ無いって……。だから、……ごめんね、千夏」
その言葉を聞いたとたん、わたしの中から熱いモノが湧き上がって来た。
「しずるちゃん!!」
わたしは勢いよく叫ぶと、椅子から立ち上がって、ベッドの上に飛び乗った。
そのまま、横たわる彼女の上にまたがると、顔を覆っている腕を掴んだ。そして、強引に手首を引っ張って顔から引っ剥がすと、彼女の眼前に自分の顔を突き付けた。
「ち、千夏。な、なにを……」
常識人のしずるちゃんには、わたしの行動は理解出来なかっただろう。でも、わたし、バカだから……。
「しずるちゃん!」
わたしは、もう一度叫ぶと、溢れた涙で濡れた彼女の眼を睨みつけた。
「は、はい……」
呆気にとられた彼女は、そう応えるしか無かったようだ。
「わたし、バカだから」
我ながら情けないが、次に出た言葉がこれだ。
「う、うん、……知ってる」
彼女の応えは、反射的なものだろう。
「そだよ。その通りだよ。だから、しずるちゃんが、自分の事を幻影だって言っても、解んないよ。だって、しずるちゃんは、こうやってわたしの目の前に居て、触ると温かいし、辛いと涙を流すんだよ。こんなにしずるちゃんは、しずるちゃんなのに。今目の前に居るしずるちゃんが、しずるちゃんじゃ無いって、今更言われても解んないよ。わたし、……バカだから。……しずるちゃんは、わたしの大事な大事な友達だって事しか解らないもの」
わたしはこの時、怒っていたんだろうか。それとも、悲しかったんだろうか。彼女が造り物って事も、もう死んだ人だって事も、それが事実だったとしても、理解なんて出来やしない。
「どうして、しずるちゃんは、ずっと小説を書いてきたの。自分が造り物だから? そうじゃないでしょ」
わたしは、そう言いながら、瞬きもせずに彼女を睨みつけていた。
「う、うん……。うん」
わたしの感情に曝された彼女からは、呻きに似た呟きと、溢れる涙しか出て来ない。
でも、
「わたし、知ってるよ。だって、わたし、『清水なちる』の大ファンだもの。『清水なちる』の小説、処女作から最新作まで、全部読んで知ってるもの。それは、紛れもなく『那智しずる』って女の子の書いた小説だったよ。決して、よく分からない『なちる』って女の作品じゃ無い。だから、分かるんだ。しずるちゃんの小説が、とっても素敵で、物語の中でも登場人物が一生懸命に生きてるって事が」
「う、うん……」
「それだけじゃないよ。読んでるわたしに、登場人物が本当に生きているかのように錯覚させるような小説が書けるしずるちゃんが、本当は生きてないなんて、有り得ないんだから!」
「う……、ひっく……ひ……」
彼女の呻きは、泣き声に変わっていた。
「おバカなわたしにでも、これだけは解るよ。お噺の中の人間に生命を与えられるようなしずるちゃんは、本物の生命を持った──生きている人間なんだ。泣いたり笑ったり、困ったり怒ったり。それから恋だって出来ちゃう、本物の女の子なんだよ」
わたしは両手でしずるちゃんの両手首を握って、枕元に押し付けていた。
傍目に見れば、強姦でもしているように見えたかも知れない。
しかし、わたしは止めなかった。
「しずるちゃん。しずるちゃんは、小説を書くだけで、いくつもの生命を作り出してきたんだよ。だから、自分が幻影だなんて言わないで。万に一つ、億に一つ……、いいえ、兆に一つだって幻影だって言うんなら、自分にも生命を吹き込んだら良いじゃない。しずるちゃんには、それが出来るだけの能力があるでしょう」
わたしに組み敷かれた美少女の顔に、新たな涙の粒が光っていた。それは、目元だけではなく、頬に、鼻に、唇に滴り落ちていた。
──いつの間にか、わたし、泣いてたんだ
「うん、……うん、千夏。……で、出来るかな? あたしに……」
二人分の涙に濡れた彼女は、やっと、ちゃんとした返事をしてくれた。
「出来るさ。きっと、出来るよ。だって、天下の『清水なちる』先生こと那智しずる嬢なんだよ。出来ない筈が無いじゃん。わたしが……、文芸部の部長のわたしが保証するよ」
思ってもみなかった言葉が、心の奥底から溢れ出てくる。
「しずるちゃんは、しずるちゃんだよ。この世にたった一人しか居ない、わたしの大親友で、お姉さん思いの弟クンのお姉さんで。……う、うぅ……そ、それから、ぶ、文芸部のエースで、……け、K校の、……さ、三大女神の一人……ひとり……で。……それから、それから、……」
わたし、いったい、何言ってるんだろ。
わたしの言葉でしずるちゃんが自分を保てるんなら、何だって言いたい。
わたしの力で、少しでもしずるちゃんが元気になるんだったら、何でもしてあげたい。
でも、情けない事に、今のわたしからは、感情をぶちまけたような、そんな言葉しか出て来なかった。
「う、ううっ、……うう、えぇーん、しずるちゃぁん。……だ、だから、……だから。……だから、もう、自分が幻影だなんて悲しい事は、もう言わないでよぉ。……ねぇ、しずるちゃん」
結局、それ以上に言葉を創造出来なかったわたしは、組み敷かれたまま横たわっているしずるちゃんに覆い被さって──シーツに包まれている彼女に抱きついていた。
「しずるちゃん。しずるちゃんが、しずるちゃんだって事は、わたしが知ってるから。それじゃぁ、足りない?」
止まらない。わたしは、迸る自分の感情を抑える事が出来なかった。
「わたしだけじゃ無いよ。大ちゃんだって、舞衣ちゃんだって。久美ちゃんも美久ちゃんもだよ。それに、弟クンだって。皆みんな、しずるちゃんの事が大事で、大好きなんだから。ねぇ、解ってよ。しずるちゃんって、超頭良いんでしょ。藤岡先生が、そう言ってたよ。バカなわたしにでも解るんだから、しずるちゃんなら、絶対、もう解りきった事だよね。ねぇ、しずるちゃん」
ベッドの彼女の胸に顔を押し付けて、わたしはそう言い続けた。
「う、うん。……解った。解ったわ、千夏。……だから、……ありがとう。……ありがとうね、千夏」
ベッドに横たわる美少女に抱きついているわたしの背中を、何かが抱きしめる感触があった。
それは、決して冷たくは無くって、あったかくって。それは、絶対に造り物じゃあ無くって、実在の物で。それは、『なちる』のそれでは無くって、紛れもなく『しずるちゃん』の手だった。
「しずるちゃんは、ここに居るよ。決して幻影なんかじゃ無いよ。だって、わたし、感じるもの。しずるちゃんの心臓の鼓動。今、わたしを抱きしめてるしずるちゃんの腕の感触」
そう言ったとたん、わたしを抱きしめる手に、ギュッと力が加わった。
「うん……。うん、そうだね……、千夏。……千夏」
そうやって、わたしとしずるちゃんは、保健室のベッドの上で、シーツを挟んで抱き合っていた。
そして、どのくらいが経ったんだろう。
しずるちゃんは、もう平静を取り戻していた。わたしはというと、丸イスに座って、しずるちゃんの枕元に頬杖を突いていた。
「な、何見てんのよ、千夏」
首だけ捻ってわたしを見つめている彼女は、少し頬を染めていた。
「しずるちゃんを見てんの。だって、眼鏡を外しているしずるちゃんって、滅多に見れないし。生しずるちゃんの顔って、とっても綺麗だし」
わたしは、そんな恥ずかしい事を、平然と口にしていた。
「そ、……そう。……あ、ありがとう、千夏」
今日のしずるちゃんは、やけに素直だった。
「えへへ。やっぱり、しずるちゃんて美人だよね。これを独り占め出来るなんて、役得やくとく」
いつものキリッとした感じのしずるちゃんも素敵だけど、こんな風に柔らかい表情のしずるちゃんも良いよねぇ。
彼女の顔を見ていて、自然と顔がニヤけて仕舞う。
「ううー。こんな醜態晒した事、恥ずかしいから誰にも言わないでね、千夏」
しずるちゃんはそう言うと、シーツを引っ張り上げて、顔の下半分を隠した。
(ふふふ。初い奴初い奴)
わたしがそうやって悦に浸っていると、
「あっ、そうだ。お薬、飲んどかなきゃ」
と、彼女は言って、上半身を起こそうとしていた。
「あっ、そなんだ。大丈夫? 起きられる?」
わたしが手を貸そうとすると、
「大丈夫よ、いつもの事だから。えーっと、千夏、あたしのカバン、取ってくれるかしら」
と言いながら、彼女はベッドの上で上半身を起こした。
かかっていたシーツがずり落ちて、ブラを付けただけの上半身が露わになる。ほんのりと赤みがさした肌には、一点の黒子も染みも無く、白いレースのブラが華やかさを装っていた。むしろ、裸よりもセクシーでエロティックだった。
「ほわぁ」
わたしが、思わず彼女に見惚れていると、
「もう、そんなに見ないでよ、千夏。は、恥ずかしいから」
と言って、半裸の美少女は胸元までシーツをたくし上げた。
「ううー、残念。眼の保養だったのにぃ」
わたしが残念がっていると、
「もう、それはいいから。カバン取って、千夏」
と、しずるちゃんは赤くなりながら、薬の入っているだろうカバンを要求した。
「はぁーい」
仕方がないので、わたしはベッドの脇に置いてあった彼女のカバンを両手で持ち上げると、しずるちゃんに渡した。
「ありがとう、千夏。さぁて……」
彼女はシーツで胸元を押えながら、カバンのジッパーを開くと、中を弄り始めた。
そして出てきたのは、たくさんの錠剤だった。
「ごめん、千夏。ちょっと、お水をいただけるかしら」
しずるちゃんは、片手で錠剤を一粒ずつ取り出して、膝の上に並べていた。
わたしは、さっき藤岡先生の使った水差しからコップに水を注ぐと、しずるちゃんのところに持って行った。
「はい、しずるちゃん」
わたしがお水を持って行くと、彼女はシーツの上のお薬を片手で器用に手の平に乗せていた。
「ほえー。たくさん飲むんだねぇ」
わたしは、その種類と量に驚いていた。
「ああ、これ? うん、今日は突然に発作が出たから。えーっと、これが頓服で、これとこれが安定剤。これが副作用止めで、これは副作用止めの副作用止め。それから、これが胃薬ね。ちょっとキツめの薬だから。……ングッ」
彼女は、一通り薬の説明をすると、それらを一気に口に含んだ。
「しずるちゃん、はい、お水」
タイミングを測って、わたしはコップを彼女に渡した。
片手でそれを受け取った彼女は、中身を口に含むと、天井を向いて薬を喉に流し込んでいた。
片手しか使わないのは、もう片方はシーツを押えているからだ。もう、恥ずかしがり屋さんなんだから。
「ふぅ。ありがとう、千夏。助かったわ」
そう言うと、彼女はわたしに少しお水の残ったコップを返してくれた。
(これ、しずるちゃんが口を付けたのだよね。今、これ飲んだらカンセツキス?)
またしても、わたしは手の中のコップを見つめて、良からぬ事を考えて仕舞った。
そんなわたしの邪念を祓ったのは、けたたましい声だった。
「ちぃーす、千夏部長。保険の先生、連れて来たっすよぉ」
ガラッという保健室の戸が開く音と同時に飛び込んできたのは、舞衣ちゃんの大きな声だった。
(くそっ、折角二人っきりの良いところに。……そういや、「保険の先生を探してくるように」って言って、追い出したんだっけ。ほんとに見付けて来るとは……)
わたしが心の内で舌打ちをしていると、舞衣ちゃんはズカズカと中に入って来たらしい。
直ぐ側にまで足音が聞こえると、<シャッ>という音と共にカーテンが開かれた。
「あ、しずる先輩、もう起きたんすね。おおぉ! その全裸っぽい姿、超色っぽいっすよ。元気になって何よりっす。でも、念の為に診てもらうっすよ。シーツも取った取った」
サラリとオッサン臭い言葉を吐いた舞衣ちゃんは、しっかりとスマホを構えていた。
「ま、ま、ま、舞衣さん。こんな姿、撮らないで」
そう言って、しずるちゃんは両手でシーツを掴むと、隠れるようにその下に潜り込んだ。
「まぁまぁ、そう言わずに」
未だ懲りていないのか、スマホを構えたままの舞衣ちゃんは、そう言いながらグイグイと近付いて来た。
「止めなさい、舞衣さん。うぅー、だから、スマホを構えるのは止めて!」
(あ、いつものしずるちゃんだ。薬、効いたねぇ)
かく言うわたしは、文芸部の日常が戻った事に、安堵していた。




