試験(2)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校二年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。ひとつ下の大ちゃんが彼氏。お茶を淹れる腕は一級品。雑誌の小説紹介コラムを担当するようになった。勉強に、仕事に大忙しの毎日を過ごしている。
・那智しずる:文芸部所属。一人称は「あたし」。人嫌いで有名だが、学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。実は『清水なちる』のペンネームでヒット作を世に送り出す新進気鋭の小説家でもある。重度の不眠症で、睡眠には薬が必要。
・高橋舞衣:舞衣ちゃん。一年生。一人称は「あっし」。身長138cmの幼児体型。変態ヲタク少女にして守銭奴。千夏やしずるのマネージャー気取りで、仕事の手配にも手出しをするようになった。
・里見大作:大ちゃん。文芸部にただ一人の男子で、千夏の彼氏。一人称は「僕」。2mを越す巨漢だが、根は優しいのんびり屋さん。出番は少ないが、重要人物の一人。
・西条久美:久美ちゃん。一年生、双子の姉。一人称は「私」。おっとりした喋り方の可愛らしい女の子。髪の毛は左で結んでいる。
・西条美久:美久ちゃん。一年生、双子の妹。一人称は「私」。おっとりした喋り方の可愛らしい女の子。髪の毛は右で結んでいる。
彼女達二人は、髪型で違いを出してはいるが、ほとんどの人は見分けられない。二人共オシャレや星占いが好き。
冬休みが終わり、学校が始まった。
その日、わたしとしずるちゃんは、部室にしている図書準備室で教科書とノートを開いていた。特に、しずるちゃんは、いつもはノートパソコンでやってる創作活動を返上しての勉強である。滅多にない光景だった。
と、そこへ扉を開けて元気よく入ってきたのは、舞衣ちゃんと大ちゃんだった。
「こんちわー、千夏部長、しずる先輩。あれ、今日はしずる先輩は、パソコン使ってないんすね」
すると、しずるちゃんは、さも不機嫌そうに舞衣ちゃんを睨むと、
「試験勉強よ、試験の。もうすぐテスト期間でしょう」
と、苛ついた声で言った。
「そんなのしずる先輩だったら、勉強なんかしなくても、そこそこの点数取れるじゃないっすか。それより仕事仕事。執筆の依頼が来てますぜ」
「こんな時まで、仕事って……。もう、舞衣さん、いい加減にして。お仕事を続けるときに、勉強は疎かにしないっていう約束だったでしょう」
「う~、それはそうっすが。しずる先輩が仕事してくれないと、収入が……」
と、舞衣ちゃんが口ごもった。すると、
「もしかして、また、お金? ほんっとうに、大事なのはお金の方なのね」
と、しずるちゃんは、それこそ『ほんっとう』に嫌そうに舞衣ちゃんに言い返した。
「ダイジョブだよ、舞衣ちゃん。ちゃんと編集部には伝えてあるから。あのね、この試験の結果で、来年度のクラス分けが決まるの。特に進学希望の場合には、文系・理系や、目指す大学のレベルでもって違うコースのクラスに編成されるから、大事なんだよ」
と、わたしは、しずるちゃんまでが本気モードで勉強している理由を説明した。
「そっかぁ、部長達、もうすぐ三年生に進級だったっすね。その先には、進学っていうのもあったっすよね」
舞衣ちゃんは、如何にも他人事みたいに言っていた。まぁ、正直、他人事ではあるのだが。
「勉強の邪魔しちゃ悪いから、僕達は静かにしているんだなぁー」
と、大ちゃんが、舞衣ちゃんに言って聞かせた。
「しょうがないっすね。んじゃあ、あっしはお茶でも淹れるっすよ。大ちゃん、あっしの鞄の中に小袋に入ったクッキーがあるから、出しておいて欲しいっす」
「うぃ~す」
と言うことで、大ちゃんと舞衣ちゃんは、来たばかりと言うのに、お茶の準備を始めてくれた。
(今日は、舞衣ちゃんがお茶当番かぁ。ダイジョブかな?)
わたしは、一抹の不安を抱いていた。
しばらくすると、部室に双子の西条姉妹がやって来た。
「こんにちは、なのですぅ」
「あらら、今日はしずる先輩が、パソコンしていないのですぅ」
『部室がとっても静かなのですぅ』
と、彼女達も不思議がっていた。
「あなた達もなの。あたしが勉強をしてるのを、不思議そうに言わないでよ。人聞きの悪い」
しずるちゃんは、さっきの事もあって、あからさまに機嫌悪そうにしていた。
「あっ、久美ちゃん、美久ちゃん、ごめんねー。ただちょっと、試験前で気が立ってるだけだから」
と、わたしは、すかさずフォローを入れた。
「千夏も、あたしを猛獣みたいに言わないで。心外だわ」
(ありゃりゃ、返って機嫌を損ねたみたい。ふぅ、しようがないか)
そんな所へ、舞衣ちゃんが出来たてのお茶を運んできた。
「部長、お茶を淹れて来ましたぜ。ちょいと味見をお願いしやす」
そう言って、彼女は温めたティーカップに淹れたての紅茶を注ぐと、お砂糖のポッドとミルクのパッケージの入った箱をわたしに薦めてくれた。
わたしはいつもの要領で、まずはカップから立ち昇る香りを楽しんだ。そして、そのままにカップを口元に運ぶと、熱い紅茶を口に含んだ。芳しい香りと、少し苦味の混じった味わいが口の中に広がる。そして、それを確かめるように、コクンと喉に流し込んだ。
わたしは少し思案すると、
「うん、良いんじゃないかな」
と、舞衣ちゃんにオーケイを出した。
「やったっす。部長が認めてくれたんなら、大丈夫っすね。じゃぁ、皆にも淹れるっすよ」
と、舞衣ちゃんは、少しはしゃぎながら、皆にもお茶を注いでいった。
「ありがとうなのですぅ」
久美ちゃんがそう言って、ティーカップを受け取った。
「うん、部長の言う通りなのですう。とっても、美味しいですよぉ」
美久ちゃんも、彼女を褒めていた。
「部長達が試験で忙しい間は、あっしがお茶当番をするっすよ。だから、部長達は勉強に集中してくだせい」
と舞衣ちゃんは、威勢よくわたし達に言ってくれた。
「そうは言うけれど、舞衣さん、あなたにそんなに余裕があるの。一年生にだって試験があるでしょう」
しずるちゃんは、うんざりした様子で、そんな舞衣ちゃんが忘れていたところを指摘した。
「え? へ? 試験っすか? そういや、あったような無かったような……」
「舞衣ちゃん、私達も試験ですのぉ。ね、美久」
「そうなのですぅ。私も試験勉強をしているのですよぉ。ね、久美」
西条姉妹の言葉に、舞衣ちゃんは、
「ええっ。久美ちゃんも美久ちゃんも、勉強してるっすか! し、知らなかったっす」
と驚愕して、椅子にペタンと座り込んだ。
「せめて、現国や古文は良い点数を取っておいて欲しいものね。曲がりなりにも文芸部なんだから」
と、しずるちゃんが少しキツイ言い方で、舞衣ちゃんにそう言った。
「うう、今週は、清水なちる (しずる先輩)の最新刊を読破する予定だったのに。し、試験だなんて。知らなかったっす」
「舞衣ちゃん、僕だって試験勉強してるよぉー。一緒に勉強するんだなぁー」
と、大ちゃんが、舞衣ちゃんに勉強を勧めた。
すると、さすがに舞衣ちゃんも観念したらしい。彼女は、渋々鞄から教科書とノートを取り出すと、机の上に広げた。久美ちゃんと美久ちゃんも同じように、教科書を開いている。
「大ちゃん、試験の範囲は、どこからどこまでだったすか?」
と、舞衣ちゃんが、珍しくまともな事を訊いた。
「今度のテストは、実力テストだから、去年習ったところ全部なんだなぁー」
と、大ちゃんが、舞衣ちゃんに告げた。
「ええー。範囲が広すぎるっす。覚えきれないっすよぉ」
舞衣ちゃんは、椅子の背もたれにその身を預けると、天を仰いだ。
「いつも予習・復習をしていないからよ。試験の前だけ頑張ったんじゃダメよ。あたし達の範囲なんか、二年分なんですからね」
しずるちゃんが、教科書から目を上げずに、そう言った。
「そんなぁ、身も蓋もない事を……」
「泣き言言う間に、少しでも覚えたら、舞衣さん」
しずるちゃんは容赦なかった。日頃、自分のマネージャーとして、時間や行動を拘束されているからだろう。ここぞとばかりに、畳み掛けてくる。
(でも、まぁ、自業自得だよね)
と、わたしも、少しばかりいい気味だと思っていた。ちょっと、可哀想だったけど。
「仕方ないっす。じゃあ、あっしも勉強しますか」
と、舞衣ちゃんは観念したように言うと、前髪を上げて髪ゴムで縛った。そして、右腕をグルグル回してウォームアップらしきことをすると、開いた教科書を睨みつけていた。
という具合で、しばらくの間は、彼女達も静かに勉強していたようだった。しずるちゃんのタイピングの音もないので、本当に静かだった。わたしは、去年の三月くらいまでの図書準備室の様子を思い出して、成る程と思った。
(ここって、本当はこんなに静かな所だったんだ。今までが、うるさかったんだなぁ。こんなに静かなのは、久方ぶりだな。いいよねー、こーゆーのも)
そう思って、わたしは勉強を続けていた。
本当に静かで、時々、
「美久、ここの問題どうやるのでしょうかぁ?」
「それはね、こうなのですよ……」
という囁き声や、ページを捲る音が、妙に室内に響いていた。
そんな時、しずるちゃんが、わたしに小声で話しかけてきた。
「千夏、1600年に起きた歴史上の出来事って、何だったかしら?」
珍しいな、しずるちゃんが質問なんて。いつもは、わたしばかりが教えてもらってるので、ちょっと嬉しかった。
「えーとね、『関ヶ原の戦い』?」
「え? あたし、世界史やってんだけど」
「あれ? 世界史かぁ。世界史、世界、世界……、あ、『東インド会社設立』?」
「あ、そうそう。『イギリス東インド会社』だ。ありがとう、千夏。これで覚えられたわ」
しずるちゃんは、そう言うと、満足そうにノートに文字を書き込んでいた。
「しかし、『関ヶ原の戦い』と『東インド会社』って同じ年だったんだね」
「そうね、あたしも驚いたわ。でもこれで、逆に忘れられなくなったわ。ありがとう、千夏」
「それ程でもないよ」
なんと、しずるちゃんに褒められちった。えへへ、嬉しいな。
なんて感じで時が過ぎていった頃、ふと気が付くと、「ガゴ―、ガゴ―」という、不気味な吠え声が聞こえるようになった。
この声は、……舞衣ちゃんか。さっきから、こっくりこっくりしていたので、危ないとは思っていたけれど。熟睡しちゃったかぁ。あーあ、ヨダレ垂らしてるよ。
「もう、うるっさいわね。舞衣さん、そろそろ起きなさい。舞衣さん」
しずるちゃんが、真向かいの席の舞衣ちゃんを起こそうと声をかけたものの、やっぱり起きない。
「大ちゃん、舞衣ちゃんを起こしてあげて。もう、帰る頃だし」
わたしは、隣に座っている大ちゃんに、声をかけた。
すると、彼はのっそりと立ち上がると、彼女に近づいた。そのまま、大きな腕で、舞衣ちゃんの身体を揺すり始めた。
「舞衣ちゃん、もう起きるんだなぁー。もう暗くなる頃なんだなぁー」
ゆさゆさとされて、さすがの舞衣ちゃんも、目を開いた。
「うぃー、何すか? 大ちゃん。……ふわあ~、眠い」
「当たり前でしょう。あなた、ずっと寝てたのよ」
しずるちゃんは、不機嫌そうにボヤいていた。レンズの奥の目が、キツイ光を放っている。きっと、自力では眠ることの出来ないしずるちゃんには、許し難い行為であったのであろう。
「あははは、スマンです、しずる先輩。う~ん、よく寝た」
舞衣ちゃんはそう言って、大きく両手を上にあげて、伸びをしていた。
「舞衣ちゃん、よだれ、よだれ」
久美ちゃんが、そう指摘すると、
「ああ、ありがとっす、美久ちゃん」
と、寝ぼけまなこで口元を拭きながら応えた。
「舞衣ちゃん、また間違えているのですぅ。私、久美なのですぅ」
「そっすかぁ。……それより、お腹空いたっすねぇ。ぼちぼち帰りましょうよぉ」
と、悪びれもなく、そう言ったのである。
「もう、しょうがないんだから、舞衣さんは」
「お茶も冷めちゃったね。貸して。わたし、片付けるから」
と、わたしも椅子から立ち上がると、ティーカップを回収して回った。
「お手伝いしますぅ」
「私もぉ」
と、西条姉妹も手伝ってくれたので、後片付けをするのは捗った。しかし、冬休みが明けたばかりのこの季節は、陽が沈むのが早い。さっき夕方になったと思ったばかりなのに、たちまち外が暗くなっていた。
「さて、今日は、これぐらいにしますか」
「そうね、千夏」
「暗いから、僕が送って行くんだなぁー」
「大作くん、それは助かるわ。やっぱり、紳士ね」
「それじゃ、閉めるよ」
と言いながら、わたしは最後に図書準備室の鍵を閉めると、本日の部活は終了となった。
はぁ。こんな調子でテスト受けて、ダイジョブなのかなぁ。と、心配させられるような今日一日であった。