年度末は大変(2)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校二年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。ひとつ下の大ちゃんが彼氏。雑誌の小説紹介コラムを担当している。もうすぐ受験生になるので、勉強も大忙し。お茶を淹れる腕は一級品。
・那智しずる:文芸部所属。一人称は「あたし」。人嫌いで有名だが、学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。舞衣の策略で学園のアイドル的存在に祭り上げられた。実は『清水なちる』のペンネームでヒット作を世に送り出す新進気鋭の小説家でもある。
・高橋舞衣:舞衣ちゃん。一年生。一人称は「あっし」。身長138cmの幼児体型。変態ヲタク少女にして守銭奴。千夏やしずるのマネージャー気取りで、彼女たちの仕事にまで口を挟んでいる。どうやらギャラの上前をはねているようなのだが……。
・西条久美:久美ちゃん。一年生、双子の姉。一人称は「私」。おっとりした喋り方の可愛らしい女の子。髪の毛は左で結んでいる。
・西条美久:美久ちゃん。一年生、双子の妹。一人称は「私」。おっとりした喋り方の可愛らしい女の子。髪の毛は右で結んでいる。
彼女達二人は、髪型で違いを出してはいるが、ほとんどの人は見分けられない。二人共オシャレや星占いが好き。実は、ITに強かったりと、隠れた才能もチラホラ。
ある月曜日の午後、わたし達は部室でもある図書準備室に来ていた。
「しずるちゃん、ここの問題、分かるぅ?」
わたしは、いつものようにノートパソコンに向かってキーを叩いている彼女に問い掛けた。もうすぐ期末テストがあるので、その対策をしていたのだ。
彼女はパソコンから顔を上げると、わたしの方を向いた。それで、手元の問題集を持ち上げると、しずるちゃんの方へ向けた。
「ああ、そこね。それは、前のページの真ん中くらいで証明した公式を当てはめるの。Aの部分を、そっちの括弧の中の式に代入してみて。後は共通項をまとめて、分母を約分してみるといいわ」
ふむ、……そうなのか。前のページかぁ。
「ありがとう、しずるちゃん。ちょっと試してみるね」
わたしは問題集を繰りながら、彼女に言われたように、数式を変換してみた。
おおー! 出来た! そうか、こうすれば良かったのか。目からウロコである。
「出来たよ、しずるちゃん。ありがと」
わたしがそう言うと、彼女は少し笑って、
「良かったわね、千夏。高校の数学は難しそうに見えるけれど、一度使ったり証明したりした結果を次で応用したり、次の公式の証明に使うように指導要領が出来ているの。要は、地道に解いて行ってれば、成果は還ってくるのよ」
と、先生のような事を、いとも簡単に言ってのけた。
(ああ、わたしとしずるちゃん、同学年なんだけどなぁ……)
──那智さんね。彼女、超頭良いから。入学試験も、ダントツのトップだったのよ
わたしは、以前に顧問の藤岡先生が言っていた事を思い出していた。
同時に、彼女が感覚が鋭すぎる事や、不眠症で悩んでいる事も思い出していた。傍目には、勉強も何でも出来て、顔もスタイルも良くて、売れっ子小説家でもある彼女にも、悩みってものがあるんだって事が、わたしみたいな普通の人間には親近感が持てた。まぁ、半分はヒガミ・ヤッカミなんだけど。
そんな事をわたしが考えていた時、机の向こうで突っ伏して、グダグダと文句を言っている不届き者がいた。
「沖縄ぁー。沖縄。沖縄行きたいっすよぉ。先輩、沖縄っすよぉ」
自称敏腕マネージャーの舞衣ちゃんである。彼女は、しずるちゃんを写真部のモデルにプロデュースしたり、小説執筆や対談のマネジメントを一手に引き受けては、その上前をハネて儲けているのである。同時に、青年誌でのわたしの『小説紹介対談コラム』のマネジメントもしている。
その辣腕ぶりには感心しているのだけれども、お金のためには急な仕事も強引にねじ込んだりしてくる。ちょっと前までは、普通に女子高生をしていたわたしには、刺激が強すぎた。
因みに、わたしの対談コラムとは、しずるちゃんの小説を出版している会社さんの青年誌部門で、ラノベ部門の作家さんと対談して宣伝するという企画物だ。小説のコミカライズと原作小説の拡販とのコラボを狙ったものである。ここでも、二枚か三枚くらいの写真が掲載される。当然、これも舞衣ちゃんが、服や髪型、お化粧なんかを入念に指示している。
まぁ、可愛く撮れているから良いんだけど、一般人のわたしの感覚としては『恥ずかしい』の一言だった。だって、毎週、コンビニなんかで売っている全国誌に載るんだよ。恥ずかしいったらありゃしない。
しずるちゃんの場合は、それに輪をかけている。本業の小説とは別に、グラビア撮影の仕事も押し込んでくるのだ。確かに舞衣ちゃんの言う通り、しずるちゃんがグラビアに載った週は、雑誌がよく売れているらしい。しかし、布地の面積が少なかったり薄かったりするセクシーな衣装で、電車の中吊り広告にもドッカーンとおおっぴらに写真が掲載されるのは、しずるちゃんにとっても恥ずかしいようだ。実際、小説家の仕事の方で、充分に印税が入ってくるのだ。本来なら、わざわざグラビアの仕事を受ける必要なんて無いのだが……。舞衣ちゃんの方は、そうは思っていないようだ。
「もう、いい加減にしてよ、舞衣さん。沖縄に撮影になんか行かないからね。あたしも、四月からは三年生なの。受験があるのよ、受験が。勉強の方が大事」
全くその通りでございます、那智しずる先生。各言うわたしも、もうすぐ受験生なのだ。そういう事情もあって、今はテスト対策の勉強をしている。
「そんな連れない事言わないで下さいよぉ、先輩。あっしだって、苦心して、しずる先輩のプロデュースをしてるんすから。沖縄でのグッドショット。これは儲かるっすよぉ」
そう言う舞衣ちゃんの目には、¥マークが刻み込まれているように思えた。
「儲かって嬉しいのは、舞衣さんだけでしょう。去年に写真部と作った写真集でさえ恥ずかしかったのに、雑誌のグラビアモデルの撮影なんて、あたしにはもう無理。絶対無理!」
しずるちゃんは、頑なに舞衣ちゃんに抵抗していた。
「でもぉー、沖縄っすよ。あの沖縄。常夏の国っすよぉ。行きたくないっすかぁ」
それでも舞衣ちゃんは、執拗に喰い下がっていた。
「沖縄ですかぁ。良いですわねぇ」
「わたし達は、沖縄、好きですよぉ」
そう言ったのは、双子の西条姉妹であった。
「そおっすよね。久美ちゃんと美久ちゃんも、ああ言ってるんだし。しずる先輩、沖縄に連れてって下さいよぉ」
そんな舞衣ちゃんを、しずるちゃんはジロリと睨みつけると、
「あたしに、そんなお金の余裕があるとでも思っているの。小説の印税は、大学に進学した時の学費と生活費に取っておきたいの。沖縄旅行なんかに、使える訳ないでしょう」
と、反論した。しかし、それに対しても舞衣ちゃんは、
「大丈夫っす。旅費も滞在費も、編集部の経費から出るっす。つまり、ただって事っすよ。これで、沖縄に行きたくなったっすよね」
と、畳み掛けてきたのだ。
「うわぁ、ただで沖縄に行けるんですかぁ」
「それは、お得なのですぅ」
『わたし達も行きたいのですぅ』
おお、さすが一卵性双生児。最後は完全にハモった。
しかし、そんな久美ちゃんや美久ちゃんの援護に、舞衣ちゃんは、
「関係ない人の旅費は出ないっすよ」
と、連れない言葉を返した。
「連れてって欲しければ、しずる先輩に頼むっす」
それを聞いたしずるちゃんは、キーを叩く手を止めて、舞衣ちゃんを振り返った。
「どうして、あたしが沖縄に行く事が前提なのよ。勝手に決めないで」
語気が荒い。彼女も、いい加減頭にきたようだ。
「ギャラも良いんすよ。これだけ貰えるんす」
そんなしずるちゃんに、舞衣ちゃんは右手を持ち上げて、そう言った。三本の指を立てたその手を見て、しずるちゃんは眉をひそめると、
「三万円?」
と、一言訊いた。すると、舞衣ちゃんはニヤリと邪悪な笑みを浮かべると、
「チッチッチ、桁が違うっす。三十万。三十万円も貰えるんすよ。しかも、旅費・宿泊費は向こう持ち。これは学費の足しになるっしょう、しずる先輩」
と、言ったのだ。
(確かに、三十万は大きいよな。わたしなら釣られて行っちゃうかも……)
わたしがそう思っていると、しずるちゃんは腕を組んで舞衣ちゃんを睨みつけた。
「ふうん。で、元々の金額は幾ら? 三十五万? それとも四十万円?」
これを聞いた舞衣ちゃんは、急にそっぽを向いた。
「さ、三十万に、決まってるっしょ」
「分かっているのよ、舞衣さん。あなたが、ギャラのピンハネをしてるのはお見通しよ。本当は、一体幾らのギャラなの」
しずるちゃんは、尚も追求した。
「えっとぉ……。そのう……」
舞衣ちゃんの口調が、しどろもどろになる。
「幾らだったの! 教えなさいっ」
「……ご、五十万……っす」
舞衣ちゃんは、しずるちゃんの目を見ないように、下を向いてそう応えた。
「二十万円もピンハネするつもりだったの! 暴利じゃないの」
しずるちゃんが怒気を込めて、そう言った。一方の舞衣ちゃんの方は、胸の前で人差し指を突き合わせながら、言い訳を始めた。
「いやぁ、今度の合宿費とか、文集の制作費とかにしようかと……」
「…………」
しずるちゃんは、無言で舞衣ちゃんを睨んでいた。
「え、えと……ホント、ホントっすよ。あっしだって、文芸部の事を考えてですねぇ……」
舞衣ちゃんは、オタオタしながらも、言い訳を続けていた。
「知ってるのよ、あたし。舞衣さん、あたしの執筆とか、千夏の対談コラムとかのピンはねで、この半年で二百万以上は稼いでいるでしょう」
しずるちゃんが、低い声でそう言った。美人が言うと、腹に響くようで、わたしもゾッとした。
「いやぁ、えと、……そんなには稼いでないっす。利益は、ちゃんと皆に還元してるっすよぉ」
舞衣ちゃんは、小さな声でそう言った。
「ネタは上がってるのよ。久美さん、アレを」
しずるちゃんがそう言うと、双子の片方の久美ちゃんが、手帳を広げて、
「はぁーい。えっとぉ、去年の年末までの残高は、二百十五万と三百二十三円ですぅ」
と、報告した。
すると、舞衣ちゃんはギョッとして、久美ちゃんの方に目を向けた。
「ええ! 何で知ってるんすかっ」
「あたしが頼んでハッキングしてもらってたの。小説の印税の他にもグラビアやエッセイもやってた割りには、思ったよりもギャラが少なかったから。いい加減に観念しなさい」
この言葉に、舞衣ちゃんは脂汗を流しながら、しどろもどろに応えた。
「あのー、それはですねぇ……そ、そう。文芸部のため! 部のために、資金をプールしてたっす。四月になって新入部員が来たら、執筆用のパソコンだとか新しいプリンタも欲しくなるでしょう。文集のデータだって、サーバーに保管してノートパッドで管理したり、題材の取材に行く時には費用もかかるし……。そ、そう。色々と物入りなんすよ」
しずるちゃんは、そう言う舞衣ちゃんを尚も睨み続けながら、
「で、本当は何に使うつもりだったの」
と、冷ややかに訊いた。
「……さ、撮影の……、撮影機材を、買うつもりだったっす」
遂に観念したのか、彼女は消えそうな声で応えた。
「撮影機材ですって? 一体何のために」
「…………」
「答えなさい」
「……うう。出版社を通さずに写真集を作って、同人誌即売会で売ろうと……」
「はぁ?」
「だ、だって、会社を通すよりも、自分で作って売れば、丸儲けじゃないっすか。儲けが一桁は増えるっす。そしたら、モデルさんももっと専属契約して、部を大きく出来るっす。もっと儲かるんすよぉ」
と、舞衣ちゃんは、涙目で訴えた。
「結局はそこかぁ!」
とうとう激怒したしずるちゃんは、彼女のコメカミを両のゲンコツでグリグリと押さえつけていた。
「やぁー、痛いっす。あっしが悪かったっす。今度からは、明朗会計にするっすよぉ」
「そういう問題じゃなぁーい。舞衣さん、あなたって言ったら。もう、どうして、どうして、こうも金の亡者なのかしら。ちょっとは反省しなさいっ」
「すんません、すんません。許して欲しいっすよぉ」
「…………」
そんなやり取りを、わたしは呆気に取られて眺めていた。
(平和だなぁー)
それよりも、テスト、テスト。わたしは、気を取り直して問題集に向かった。