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彼氏と彼女とチョコレート(6)

◆登場人物◆

・岡本千夏:高校二年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。一年生の大ちゃんが彼氏。しずるの別れ話を聞きつけて、何とかしようと奮闘している。

・那智しずる:文芸部の二年生。一人称は「あたし」。人嫌いで有名だったが、学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。実は『清水なちる』のペンネームでヒット作を世に送り出す新進気鋭の小説家。千夏を主人公にして新作小説を書こうとしている。バレンタインの前日、東京へ向かう彼氏に別れ話を切り出した。

・里見大作:大ちゃん。文芸部にただ一人の男子で、千夏の彼氏。一人称は「僕」。2mを越す巨漢だが、根は優しいのんびり屋さん。見かけに反し、手芸やお菓子作りなど手先が器用。千夏に首ったけ。


矢的武史:他校の三年生で、しずるの彼氏。小説大賞の同期だったのが付き合うきっかけ。自宅が病院を経営していることから、医学部現役合格を目指している。出発の直前に、しずるから『別れよう』と言い渡されてしまった。






 わたしと大ちゃんは、しずるちゃん達と向き合ってテーブルに座っていた。


「ねぇ、しずるちゃん、どうして別れるなんて言うの?」

 わたしは、目の前で仏頂面をしている美少女に尋ねてみた。

 彼女は「ふぅ」と溜息を吐くと、こう言った。

「このままじゃ、あたし達ダメになるの。この人、現役合格出来ないかも知れないのよ」

 そう言いながら、しずるちゃんは隣の彼氏さんを指差した。

「そんなことないよ。俺、絶対合格するから。だから、受験生を前に、縁起の悪いことは言わないでくれ」

 と、彼氏さんは大慌てで、弁解をしていた。

 まぁ確かに、今のこの状況で、縁起の悪いことは言えないよねぇ。

「しずるちゃんは、彼氏さんの事を嫌いになった訳じゃないんでしょう」

 わたしは、もう一度しずるちゃんに訊いてみた。

「ええ。今でも好きよ。大好き……」

 彼女はそう応えて、下を向いた。店内の淡い照明で、丸渕のレンズが僅かに曇ったように見えた。

「俺だって好きだよ。なのに、今になって別れようって……。訳が分かんないよ。なぁ、那智。どうしてだよ」

 と、彼氏さんも、しずるちゃんを問い詰めた。

 彼女は顔を上げると、ちょっと複雑な顔をした。

「あのね……あたし、もう手一杯なの。小説書いたり、インタビュー受けたり、受験勉強もしなくちゃならないし……。恋愛に使う時間も、最優先に出来ないのよ。分かってくれる? 千夏なら、分かるわよね」

 う~ん、そう言われてしまうと、分かるような、分からないような。わたしだって、雑誌の仕事と勉強の板挟みになってるんだっけ。

 そう思うと、しずるちゃんばかりを非難する訳にはいかない気がする。

「それにね、コイツが運良く合格出来ても、一年間は遠距離恋愛になっちゃうでしょう。あたし、そんなに長い間、モチベーションを保てる自信なんて無いわ」

 しずるちゃんは、そう言うとティーカップを手にとって口に近づけた。


 紅茶で濡れた彼女の唇が、艷めかしく輝って、奇妙でエロティックな雰囲気を醸し出した。一瞬だけだったが、わたしは目眩に襲われたような気がした。そんなわたしを、隣に座っている大ちゃんが、指で突いてくれた。

 わたしは現実に立ち戻ると、本来の目的を思い出した。目の前の二人の会話に集中する。


「そんな事ないよ、那智。俺、連休の度に帰ってくるし、毎日メールだって電話だってする。那智を飽きさせたりしないよ。絶対にだ。信じてくれよ」

 彼氏さんは、両手を握り締めると、しずるちゃんに熱弁していた。

「ねぇ、しずるちゃん。彼氏さんだって、ああ言ってるんだし、もうちょっと様子を見てあげてもいんじゃないかなぁ」

 わたしは、彼氏さんが気の毒になって、そう言った。

 しかし、しずるちゃんは、ムッとして顔を背けてしまった。何か、取り付く島もない様子だ。

「俺、そんなに信用ないかな……」

 彼氏さんは、そんなしずるちゃんの態度にショックを受けたのか、首を項垂れてしまった。

 そんな二人の様子を見て、わたしは少し狼狽していた。


(こんな事で、大好き同士の二人が別れるなんて、あっちゃいけない事だよ)


 わたしは、ふと隣に座っている大ちゃんの方を見上げた。彼も、複雑そうな、困ったような顔をしていた。

 そんなわたしの様子に気がついたのか、大ちゃんがおずおずと口を開いた。

「あ、あのう、……僕なんかが言っても、説得力ないかもだけどぉ……。しずる先輩も、そこまで頑なにならなくてもいいんじゃないかと思うんだなぁ。彼氏さんに何が足りていないか、言ってあげればいいんじゃないかなぁ」

 そう大ちゃんが言うと、彼女は丸渕の眼鏡の奥から、いつもの倍以上の「キッ」とした視線をわたし達に送った。そして膝を組み直すと、またもや「ふぅ」と深い溜息を吐いた。

「あたしはねぇ、こう見えても小説家なの。自分達のこれからのストーリーなんかも、分かっちゃうのよ」

 彼女は、そう厭味ったらしい声で言い放った。

「コイツはどっかでポカをして、受験に失敗するの。よしんば受かったとしても、あたしは、遠距離恋愛を一年もするなんて事には、耐えられないのよ」

「あ、あ~と……」

 わたしは、そんな頑な彼女を持て余していた。一体どうせいと言うのだ。

「那智。そんな事言わずにさぁ。俺、今度こそ失敗しないよ。絶対に合格するから」

 彼氏さんは、懸命にしずるちゃんを説得しようとしていた。

「う~~~ん」

 そんな時、大ちゃんが腕を組んで、何かを考えているようだった。

 わたしも、もう何を言ってあげればいいか、分からなくなっていた。目の前の二人の状況は、元に戻るようには見えない。テーブルに、しばし気不味い雰囲気が漂った。


「しずる先輩。もしかして、先輩は、彼氏さんが知らないところで知らない女の人に会うのが許せないんじゃないのかなぁー」

 大ちゃんの言葉に、わたしはピンと来た。

「もしかして、しずるちゃん、ヤキモチ?」

 わたしがそう言うと、彼女は顔を真赤にして、そっぽを向いた。腰まで届いている黒髪が、勢いでしなやかに空気に流れる。


(どうやら当たり、……かな)


「彼氏さん、しずるちゃんは、ヤキモチ妬きなんですよ。彼氏さんが『東京で他の女の人とお話するかも』って思って、嫉妬してるんですよ」

 わたしがそう言うと、しずるちゃんはテーブルに両手を突いて立ち上がって、

「何言ってんのよ、千夏! あ、あたしはそんな……」

 と言ったものの、言葉に詰まった。そのまま、首を項垂れてしまった。

「あっと、……そうなのか、那智」

 彼氏さんは、そんなしずるちゃんの様子に、半ば驚いていた。

 しずるちゃんは下を向いたまま、肩を震わせていた。

「そ、そうよ。あたしは嫉妬深いの。たとえ浮気じゃなくても、アンタが他の女の子と話をしているだけで、気が気じゃないのよ。それなのに、アンタは一年も遠くに行っちゃうのよ。あたし、そんなの耐えられないよぉ」

 そう言ったしずるちゃんの表情は、前髪に隠れて見えなかった。

 テーブルの端が、幾つかの小さな水の粒で濡れていた。


「那智……」


 彼氏さんも、あのしずるちゃんが、こんな反応をした事に驚いてしまっていた。

 美人で、頭も良くて、何でも出来ちゃうしずるちゃんが、こんな事で簡単に泣いてしまうなんて、わたしだって思っても見なかった。


「あ、あたし、アンタが思っているほど強くもないし、特別でもないの。少しでも離れていたら、不安で不安で……。アンタが知らないところへ行っちゃうのが、ものすごく怖いの」


 しずるちゃんは、眼鏡を外して一旦テーブルに置くと、左袖で目元をこすっていた。

 彼女も、何の変哲のない女の子の一人なんだ。嫉妬もするし、不安にもなる。


 しずるちゃんのこんな様子を見て、彼氏さんは、少しあたふたしていた。でも、少しすると、ポケットからハンカチを取り出して、彼女に差し出した。

「何よ、これ。クシャクシャじゃない」

 しずるちゃんは、そう言ってハンカチを受け取ると、目元を覆った。

「すまん。こんなんしか持ってなくって」

「ううん。あなたらしいわ……」

 そう言って、彼女は椅子に座り直した。顔を上げた時、しずるちゃんの表情は、少しすっきりしているように見えた。

「ごめん、那智。俺、那智の事、全然分かってなくって……。でも、心配しなくっていいよ。俺が好きなのは、那智だけだからさ。それに、受験だって、絶対現役合格するから」

 そう言い切った彼氏さんは、テーブルの眼鏡を取り上げると、しずるちゃんに差し出した。

「そんな事言われたって、今更信用できると思っているの。……もう、アンタったら」

 しずるちゃんは、呆れたようにそう言うと、受け取った丸渕の眼鏡を顔に戻した。そして、脇のバッグに手を突っ込むと、何かを探しているようだった。

 しばらくしてバッグから表れたそれは、銀に鈍く光る細長い文房具──小型のカッターナイフだった。

「し、しずるちゃん! な、何する気!」

 わたしは、彼女が手にしたモノを見て驚いた。

「おい、もしかして血判状でも書けってのかよ」

 彼氏さんが、少し驚いた風に言った。ここで、『血判状』という単語が出てくるあたりが、小説家っぽい。彼氏さんは、しずるちゃんと同じ小説大賞で受賞していたのだ。ちょっとだけ腰が引けているのが滑稽だったけれど。

 いやいや、今はそれを笑っていられるような場合じゃない。


「そんなんじゃないわよ」

 しずるちゃんは一喝すると、キッとした視線を彼氏さんに向けた。そのまま席から立ち上がると、腰まである長い黒髪を一束、手に取った。そして、その髪を何の躊躇もなく、肩の先あたりでバッサリと切り落としたのだ。


「わ、わー。何してるのしずるちゃん! せ、折角、綺麗に伸ばしていたのに」


 わたしが驚くのを無視したように、彼女は立ったまま彼氏さんの方を向くと、今切り取ったばかりの髪束を差し出した。

「な、えーっと、……これ、どうすんだ?」

 彼氏さんが言葉に詰まった。

「あげるわ。あたしだと思って持ってて」

「持ってて……って言われても……」

 彼氏さんは、目の前に差し出された髪の毛を、どうしたらいいのかと思いあぐねていた。

 そうして、しばらく黙っていたが、遂に意を決したのか、しずるちゃんの手から髪の毛の束を受け取った。そうして、手に握った毛髪を、しげしげと眺めていた。

「大丈夫。安心して。ちゃんと、朝シャンしてリンスもしておいたから」

「いや、そういう問題では無いだろう。……まぁ、那智が持ってろって言うなら、そうするよ」

「肌身離さずにね」

 念を押す彼女の態度は、傍目には高圧的だった。しかし、わたしには、それが如何にもしずるちゃんらしいと思えた。

「分かった。肌身離さず持ってるよ。……しかし、髪の毛とは……何かの呪いみたいだな」

 彼氏さんは、思わず、そう口走ってしまっていた。

 それを聞いたしずるちゃんは、一瞬口をへの字に曲げたが、すぐに「クスッ」と笑うと、

「そうよ、呪いよ。浮気なんてしたら、それがアンタの首を締め付けるのよ。分かった⁉」

 と言って、彼氏さんを見下ろしていた。

「分かった。絶対合格するし、那智が進学するまでの一年間、浮気は一切しない。俺だって、呪い殺されたくはないからな。約束だ」

 と、彼氏さんは、わたし達の目の前で宣言した。

「今の言葉、忘れないわよ。試験、頑張ってね」

 そう言って、彼女は左手で乱れた頭髪を背中に流すと、すっと椅子に座った。その動作が、また、淀みなく流れるようで、優雅だった。

 逆に立ち上がった彼氏さんは、

「ああ。絶対合格する」

 と、改めて決意を口にした。

 そうして、二人は再び愛の絆で結ばれたのだ。


 あ~あ、どうなることかと思ったけど、何とか収まるところに収まったね。わたしは、ホッと胸を撫で下ろした。


「あっ、でも、しずるちゃん。髪型、どうするの? 折角綺麗に伸ばしていたのに」

「ああ、このままじゃ、少し格好が悪いわね。帰りにヘアサロンででも切り揃えてもらうわ」

「でも、いきなり短くしたら、クラスの皆、もんのすごく驚くと思うよ」

「そうなの? あたしは気にしないけど。それに、髪の毛なんてすぐに伸びるわよ」

 そんなもんなのか? わたしは少し心配していたが、当人が気にしていないのだから、放っておく事にした。


「まぁ、これで一件落着ですねー。一時はどうなることかと思いましたよぉー」

 大ちゃんが、いつもののほほ~んとした調子で、話をまとめた。その場の空気が和む。

 しずるちゃんは、立ったままの彼氏さんを見上げると、

「あたしに、こんな事までさせたんだからね。絶対、現役合格よ。絶対よ。分かった?」

「分かった。絶対に合格するから」

「うん。頑張れ」

 そう言って、しずるちゃんは彼氏さんの顔を見つめた。さっきまでとは違う、穏やかな表情だった。



 こうして一騒動あったものの、しずるちゃんの作ったバレンタインチョコは、一房の毛髪と一緒に彼氏さんに手渡されたのだ。


{バレンタインのチョコ、大ちゃんには、明日あげるからね}


 と、わたしは、こっそりと彼の耳元で囁いた。

 大ちゃんは頬を赤くしていたが、少し経つとわたしの方を向いて、ニッコリと笑った。



 明日も晴れるといいなぁ。

 晴れた日の公園で、青空の下でチョコを渡そう。わたしは、そう心に決めたのだ。




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