彼氏と彼女とチョコレート(5)
◆登場人物◆
・岡本千夏:高校二年生、文芸部部長。一人称は「わたし」。ちょっと舌足らずな喋り方の小柄な女の子。一年生の大ちゃんが彼氏。
・那智しずる:文芸部の二年生。一人称は「あたし」。人嫌いで有名だったが、学業優秀の上、長身でスタイルも申し分のない美少女。実は『清水なちる』のペンネームでヒット作を世に送り出す新進気鋭の小説家。千夏を主人公にして新作小説を書こうとしている。テーマはバレンタイン。
・里見大作:大ちゃん。文芸部にただ一人の男子で、千夏の彼氏。一人称は「僕」。2mを越す巨漢だが、根は優しいのんびり屋さん。千夏には首ったけ。
矢的武史:他校の三年生で、しずるの彼氏。小説大賞の同期だったのが付き合うきっかけ。自宅が病院を経営していることから、医学部合格を目指して猛勉強をしている。
それは、バレンタインデーの直前の日。13日の事だった。
その日は土曜日で、学校はお休みだった。
わたしは、舞衣ちゃんの厳しいスケジュールの間をぬって何とか時間を作ると、大ちゃんとデートをしていた。
「今日は晴れてるし、千夏さんも一緒で楽しいんだなぁー」
大ちゃんがニヤニヤしながら、そう言っていた。
わたしは少し赤くなって、ちょっと俯いていた。目抜き通りの真ん中でそんな事を言われて、柄にもなくわたしは照れてしまった。
首に巻いている毛糸のマフラーが、少しチクチクしたような気がした。
「あ、あのね、駅前の茶店のパフェが、美味しいんだって。大ちゃんは、甘いもの大丈夫だよね」
わたしは、照れ隠しのようにそう言った。少し、唐突だったかも知れない。
しかし大ちゃんは、デレッとした顔をして、こう言った。
「大丈夫なんだなぁー。千夏さんと一緒なら、甘いものも美味しいんだなぁー」
(う~、なんか照れる。こういう時は手でも繋いであげた方が、良いのかなぁ。今まで、男の子の友達もいたけれど、恋人というわけじゃなかったしなぁ。マンガや小説では、どうやってたっけ?)
相変わらず初心なわたしだった。しかし、ある意味、大ちゃんはわたしにとって『お似合い』なのかも知れない。
まあ、そんな事を考えながら、わたし達は駅前までやって来たのだ。
少し歩くと、目的のお店が見えてきた。わたし達は、二人で駅前の茶店に入った。窓際のテーブルに通されると、わたしは、彼と向かい合って座った。……え、『彼』だって。自分で思っといて恥ずかしい。わたしは、少し挙動不審に陥りかけた。それで、大ちゃんと目を合わせるのが恥ずかしくって、ちょこちょこと、店内を見回していた。
そんな時、わたしのすぐ後ろの席から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「こうしてゆっくり会えるのも、久し振りね」
「ああ、そうだな」
ええっと、この声って……、しずるちゃん! 話している相手は、例の受験生の彼氏さんだろうか?
わたしは大ちゃんに目配せすると、テーブルに伏せるように指示した。大柄な大ちゃんは、向こうの二人に発見される恐れがある。……って、何を恐れる必要があるんだろうか。
しかし、こんなところでデートしてるのが分かれば、お互いに気不味いことになるだろうことは間違いない。
わたしは、そうやって細かな気遣いを見せながらも、しずるちゃん達の会話に、そっと耳を傾けてしまっていた。
「行くんでしょ、今夜」
「そうだよ。大事な大事な本試験だからな。ここまで頑張ってきたんだ。絶対合格してみせるよ」
「そう……」
「なんだよ、那智。絶対、合格するって。絶対だよ。心配すんな」
「分かっているわ。あたしだって、分かっているつもりよ。でも……」
「でも、……って、何だよ」
「あなた、本番に弱いじゃないの。センター試験の時の失敗を繰り返さないでよね」
「せ、センター試験では、満点取れなかったけど、足切りには引っかかってないんだぜ。充分に点は取れているよ」
「それが怪しいから言ってるのよ。本当に大丈夫? もう後が無いのよ」
「背水の陣ってことだろう。うん、絶対にヘマはしない。最低、二回は見直すつもりだ」
「そう……」
「そう、って何だよ」
「何も言ってくれないのね、あたしには」
「な、何だよ、それって」
「あ、あたしだって不安なの。あなたの現役合格目指して応援してきたけど、そんなあたしの気持ちは、あなたには、どうってこと無い事なのね」
「そ、そんな事無いよ。那智には、充分感謝してるよ。勉強が行き詰まってイライラしてる時にだって、リラックスさせてくれたし。何より、そうやって俺のこと応援してくれてる人が居るってのは、心強いし。それに……」
「それに?」
「何ていうか、その……、帰って来るところがあるって良いよな、って感じだ」
「くすっ、何それ。戦場に、死にに行く訳でもあるまいし」
「いや、男としては、気持ち的にはそんなとこなんだ」
「分かってるわよ。あなたらしいわ。……そうそう、これがあったんだったわ」
「何、これ?」
「チョコレートよ。明日、バレンタインでしょ。でも、あなたは、今日には行ってしまうから」
「あ、ああ、そうか。ありがとう。もらっておくよ」
「うん。あなたのことが好きよ。大好き」
「今更、目の前で言われると、ちょっと照れるな」
「うん……大好き……だったわ」
「え?」
ここで、会話は一旦途切れた。
しずるちゃんの声は、何だかひどく沈んでいるように聞こえた。
何だ、しずるちゃん、……何を言おうとしたんだろう。言い方が過去形だ。まさか……、
「ねぇ、あたし達、別れましょう」
えええええええ。それが、しずるちゃんの言った言葉だった。
「な、何だよ、那智。藪から棒に」
「あたし、もう疲れたの。ずっと今まで、あなたの心配ばかりして。メールも、チャットも、電話も、出来るだけ控えめにして。でも、合格したら、あなたは遠くに行ってしまうのね。こんなんじゃ、あたし、一年も待てないわ」
「待つ必要なんかないよ。休みのたんびに帰って来るよ。電話もするし、メールもする。絶対に那智を寂しくさせない。必ずだ」
「そう……。でもね、あなたは、きっとあたしよりも綺麗で、あたしよりも優しい娘を見つけて選んでしまうのよ」
「そ、そんな事ないよ。それに、まだ合格するって決まった訳じゃないし。浪人すれば、後一年、一緒に居られるんだぞ」
「っっっっっ……、そんなだから心配なんでしょ! 合格できなかったら、あたしの所為だって、きっと言われるわ。あなたの家族は、そう言ってあたしを責めるに決まってる。それに、一浪している人が彼氏だなんて、あたし自身が許せないのよ!」
その言葉の後、テーブルを叩く<ダン>という音が響いた。
「うっひゃぁ」
あまりの事に、わたしは、思わずそう叫んでいた。
「え? 誰?」
そう言って、立ち上がってこっちの方を見たのは、まさしく那智しずる先生である。
「あ、あなた達、何やってるのよ」
しずるちゃんは、顔を赤くしてわたし達を睨んでいた。
「あ、あははは~。見つかちった」
「千夏! それに大作くんも。二人揃って盗み聞きしていたの」
しずるちゃんの方も動揺しているみたいで、いつものキリッとした様子が見られなかった。
それでも、上気した彼女は美しかった。こんな時までも綺麗だなんて、しずるちゃんずるいよ。
そんなわたしの思いとは関係なく、彼女は鋭い目付きでわたし達を睨んでいた。
……と言うことで、結局、わたし達は四人で相席する事となってしまった。
でも、やっぱり気不味い。
わたしがおどおどしていると、しずるちゃんは、
「で、どうして千夏と大作くんが、こんなところにいる訳? あたしの後を、付けて来たの」
と、ムスッとした表情で言い放った。
「違うよ。わ、わたし達だって、デートしてたんだよ。ここに座ったのは偶然だよ。偶然」
わたしは精一杯の言い訳をしたが、彼女は、未だ納得していないようだった。
「えーっと、そっか。偶然だったんだ。えっと、千夏っちゃん、だったっけ」
しずるちゃんの彼氏さんが、そうわたしに声をかけた。
「あ、ああーっと、お久し振りです」
わたしがそう応えると、しずるちゃんは、ちょっとムッとした感じで、
「へぇ、名前で呼ぶんだ。あたしのことは、那智って言うのに」
と、嫌味をたっぷりと含んだ調子で、そう言った。
「おい、変なこと言うなよ。この子達には、関係ないじゃないか」
「ま、正直言って、関係ないわね」
そっぽを向いてそう言うしずるちゃんは、ちょっと寂しそうに見えた。
「そ、それより、しずるちゃん。わ、別れるって、どーゆーこと!」
わたしは、少し強い口調で彼女に言い寄った。
「聞いた通りよ。別れたいの、あたし」
「そんなの駄目だよ。好きなんでしょ、彼氏さんのこと」
「好きよ。大好き。……だから、駄目なのよ」
「ううう~。そんなの分かんない。分かんないよぉ。好きなのに別れるなんて、おかしいよ」
そうだ、絶対おかしい。わたしは、何とかしてしずるちゃんを思い留まらせようと、無い知恵を振り絞って考えていた……。