きみのこえを聞かせて
押しつぶされる感覚がした。放り出していた筈の手足が縛りつけられているみたいに動かない。腹部に何か重たいものが乗っているように呼吸が苦しい。けど実際はそんなことなくて、目を開けた僕は今日も1人だった。
きみのこえを聞かせて
蝉の音に混じってインターホンが聞こえる。聞いたことのない声が家の中に侵入してくる。
「すいませーん誰かいらっしゃいますか?」
すいませんだと?少しでも申し訳ない気持ちがあるなら大声で叫ばないでほしい。起き上がるのは酷く億劫で、見知らぬ誰かのために労力を使う気もない。この家には誰もいませんよ。小さく呟いて目を閉じる。
しばらく経つとポストの開閉の音が耳に届いた。念のため頭の中で10数える。鳥のさえずりが聞こえる。汗だくの体を起こして部屋のドアノブに手をかけた。
「あ、着替え持っていかないと……」
タンスの引き出しを引っ張り、1番上にあった服をつかみ取る。扉の前へそれを持っていく。そして今度こそドアノブを回した。
階段を下りる途中、手すりにかかったタオルの端をつかんだ。タオルは床を這いずりながら僕の後をついてくる。リビングのドアを開けて脱衣場へまっすぐ歩く。服を脱ぎ、風呂場へ続くドアを開ける。シャワーを浴びる。体に纏わりついていた汗が水に流されていく。
「気持ちいい」
小さな呟きは風呂場で反響した。
風呂場から脱衣場に足を踏み入れる。タオルで大雑把に体を拭く。白いシャツに腕を通す。ズボンに足を入れる。肩にタオルをかけ、リビングへ戻った。ソファに座る。テレビの電源をつければ「知ろう!私たちの町」という文字を掲げた芸人が商店街を闊歩しているのが写った。お世辞にも繁盛しているとは言えない店たちをカメラが撮っている。その中にペットショップの看板が建っている店があった。そこに生き物の姿はなく、空っぽの鳥籠があるだけだった。閑古鳥すら鳴いてはいない。こんなものを公共電波で流して何が楽しいのだろうか。
「くだらない」
リモコンの電源ボタンを押す。画面が黒に塗りつぶされた。溜息をつく。インターホンが鳴った。ソファの背もたれに上半身を埋めて、目を閉じた。
もう一度インターホンが鳴った。浮かんでいた足を床に押し付けた。ひやりとした感覚が伝わる。玄関へと歩いていく自分を不思議に感じた。しばらく待てばいなくなる筈の人影を引き留めようなんて馬鹿みたいじゃないか。さっきも無視した。今回だってそうすればいい。そんなことを考えながらも手は扉の鍵を開ける。玄関先には人の良さそうな笑顔を向けた中年女性がいた。
「突然失礼します。私たちはフュードルという神を信仰するものです」
面倒くさい呼び出しに応じてしまったものだ。神なんていないよ。それは、あなたたちの幻想に過ぎない。
「フュードル様は私たちにあらゆる恩恵を与えてくださる神様です。興味はございませんか?」
興味なんてないよ。僕は神なんか信じてないんだってば。
「フュードル様を信じて祈れば、何でも叶います。あなたも今、辛いことがあるのでしょう?」
あるよ。でも貴方には関係ない。
「恥ずかしがることはありません。私たちは仲間です。さあ、共にフュードル様に祈りを捧げましょう」
そうして女性は話し続ける。マーター、セイント、セクトと聞きなれない言葉が耳に入ってくる。こういう話し方は嫌いだ。相手に意味を理解させる気なんか全くなくて、自分勝手にずっと話している。暗号みたいな耳慣れない言葉を並べて、相手が混乱している隙をついてくるんだ。
女性の笑顔が見えた。頭が揺れる。駄目だ。彼女が口を開く前に、言わなきゃ。
「お断り、しますっ」
急いで扉の取っ手を引く。女性が扉に隠れた。
「さよなら」
ポストの開閉音が聞こえた。落ち着かない。足音が遠のく。心臓が早鐘を打つ。鳥のさえずりが聞こえる。呼吸が定まらない。流したはずの汗が体の表面から噴き出していく。ああ、やっぱり突然の来客なんて相手にしなきゃよかった。階段を駆け上った。足がもつれそうになる。ドアが大きな音をたてた。走った先には机がある。机に備え付けられた引き出しの中には箱がある。
「早く。早く」
耳に声がへばりつく。どうにかしてくれ。もう嫌だよ。大急ぎで箱の中に手を突っ込んだ。ネジをつかんで回せばすぐだ。
小さな音が鼓膜を震わせる。大きく息を吸って吐く。紡がれる曲の名前を僕は知らない。ネジの横に鎮座する紙を持ち上げる。折り目を真っ直ぐにした。“Happy birthday ! 生まれてきてくれてありがとう”文字の最後に添えられた笑顔で手を振る顔文字に視界が滲んだ。大事な人が僕に送ってくれた誕生日カード。自分の喉がしゃがれて、妙な声が聞こえた。
やっぱり、あの人がいい。あの人じゃなきゃ駄目なんだ。ねえ、幽霊でも生まれ変わりでも何でもいいから、きみのこえを、聞かせてよ。
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