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Hermit  作者: ひろたひかる
本編
8/64

暗い山の中で

今回けっこう長文です。

G県の目的の場所には、車で行けば多分3時間くらいかかるだろう。

高速道路を2本乗り継いで、一般道に下りてからさらに何十キロも走るのだ。

さすがにこの距離を一息にテレポートすることはできないので、何回にもわけて少しずつ跳んでいくことになる。

何回目かで、車で行くなら降りるはずのインターチェンジが見える山の中に出ることができた。

優は、インターチェンジの明かりを眺めながら、木の中ほどの枝に座り込んだ。

見るともなしに見ていると、ずいぶんと夜の高速道路はトラックが多い。これは深夜通行料金がETCを利用していると割安になるからなのだが、当然免許をもっていない優にしてみれば、新しい発見だ。

(まだまだ知らないことって、いっぱいあるんだなあ・・・)

漠然と思う。そして、ちょっとだけ、切ない気持ちになる。

それを吹き飛ばすように頭をふって、目的地の方向をきっと見据えた。

まぶしくライトアップされたインターチェンジと対照的に、優の見ている方向は漆黒の闇だ。かろうじて山の稜線は区別できるが、雲ひとつない夜の空に光る星だけがそこが空であることを主張している。

まるで、山のシルエットが、ぽっかりとあいた黒い穴のようにみえる。

すいこまれてしまって、逃げ出すことができないような・・・・

(そう、逃げ出すわけには行かない)

心のどこかで、誰かがささやく。

(やらなきゃいけないことが、あるんだから)

暗闇を見つめる優の目に、以前のようなくらい光があった。

そのまま、きっと見つめる目を見開いたまま、優はその場からかき消すように消えた。


その、闇の中。

山の夜は、本当に何も見えない。ただ黒一色。

伸ばした手の先も、まるで墨の中に腕を突っ込んでしまったように感じるほどだ。

ちょうど目隠しをされてしまったような気がする。目の前は何も見えないのに、風でそよぐ葉ずれの音とか、どこかで鳴いている虫の声とか、音だけは耳に届くのだ。

その漆黒と静寂とは、否が応にもざわざわとした不安感や恐怖感を人の心に起こさせる。

なかなか慣れるものじゃない。それは、本能的なものだから。

でも、その闇と静寂とが、今は優の味方になっている。

インターチェンジから2回ほどで、目的の場所から1キロほど離れた山の中に出ることができた。今はまた葉の生い茂った針葉樹の中腹で息を潜め、あたりの様子を伺っている。

そうっと、本当にそうっと思念を飛ばし、研究所のある方角を探る。しばらくあちこちを探し回り、やっと怪しい建造物がみつかった。ちょうど、山の中の発電所のような、むき出しのコンクリートの小さな建物が、小規模の幼稚園くらいの広さの金網に囲まれた敷地に建っている。高圧電線の鉄塔の脇にそれはあり、そばを偶然通ったとしても、特に気に留めることもなさそうだ。ただし、もしもこれが正解なら、その地下には想像できないような研究施設が埋まっているのだ。地上の建物は、ただの入り口でしかない。

その建物の横に、1台の大型トラックが停まっている。数人の作業服を着た男が、建物の中からいくつも箱を抱えて出たり入ったりしている。あんな小さな建物の中に、男たちが運び出しているほどの荷物が入っているとはとても思えない。

(大当たり、かな)

さすがにこの瞬間に近づくのは得策ではないと判断し、所在だけ確認して、とりあえず優は意識を飛ばすのをやめた。

連続したテレポートで実は結構消耗している。

呼吸を整えるために、しばし休憩することにする。鬱蒼とした森の中で、優はそっと目を閉じた。



「どうしてまた、一人で行っちゃったりするんだ、あの子は!」

一平は蘇芳の運転で優の残していった地図の場所へ向かう途中、休憩がてら立ち寄った高速道路のサービスエリアでコーヒー片手にぶつぶつ文句を言っている。最初、一平は一人で追いかけるつもりだった。でも、テレパシー能力のない一平には優を探すことはできない。どうしても蘇芳の力を借りることになるが、東京とG県では距離がありすぎて蘇芳の力も届かない、ということは、必然的にいっしょにいくことになるわけだ。一平が夏世の力を借りて3人でテレポートすることも考えたが、ひょっとしたら帰りにテレポートできないくらい力を使い果たしている可能性もあるから、と、蘇芳が車で強引に出発したのだ。

「そういいながらも追っかけてくあんたもあんたよね」

夜中にたたき起こされて、まだちょっと眠そうな夏世がじろっと一平を睨む。

「そもそも、短い付き合いだけど、優ちゃんが引っ込み思案っていうか、奥ゆかしーい性格なのはわかったでしょ?だから、巻き込みたくなかったのよ、あんたも、私たちも。いいの?なのに追いかけてって」

「ほっとくわけにいかないだろ!」

「どうして?」

「どうして、って…」

「きついこと言うようだけどね、確かに拾ってきたのはあんただけど、一平、そこまで危ない橋を渡るほど責任感じることはないんじゃないの?彼女は環ちゃんじゃない。」

「わかってるよ!でも…ほっとけないだろ!見捨てるなんて、できないよ」

そのまま視線を手に持ったコーヒーの紙コップに落とす。コップの底に少しだけ残ったブラックコーヒーに自分の影が映ってみえたが、すぐに歪んで消えた。紙コップを持つ手に力が入りすぎてすこしゆがむ。

「…夏世、蘇芳、追いかけるってのは俺のわがままだ。無理についてきてくれなくていいよ」

そういうと、がたんと席を立つ。目線だけでそれを追いかけながら、蘇芳がくすっと笑った。

「そんなわけないだろ。第一、おまえひとりでどうやって優ちゃん捜すんだ」

一平はうっと言葉に詰まる。

「ばかだな、優ちゃんのこと心配してるのはおまえだけじゃないんだ。おまえがそれを自分のわがままだっていうなら、僕も夏世もわがままを言ってるんだ」

え、と二人を振り返ると、蘇芳も夏世もにやにやしている。

「優ちゃんを助けたいのはおまえだけじゃないってこと。」

「そうそう」

「じゃあ…さっきのきついセリフ」

「ま、そういう考えもあるっていうのを提示しただけよ」

しれっと夏世がいう。

「ただひとつ、蘇芳は乗り込んじゃ駄目よ」

さすがに現昴グループ総裁を危険な目に会わせるわけにはいかない。

「反論したいところだけど、僕が行っても足手まといにしかならないもんなあ。後方支援で我慢するか」

結構、この総裁はマジな目をしていた。普段は「荒事には向いていない」とか言っているくせに、夏世が止めなかったら乱入するつもりだったんだろうか。

一平は改めて椅子にすわりなおす。

「オッケー、そしたら、できるだけ彼女が相手と接触するまえに見つけよう。もしも接触したあとだったら、俺ひとりで行くから」

3人でうなづきあう。

蘇芳の車がサービスエリアを後にしたのはそのあとすぐ。真っ暗な山の間を縫うように、高速道路をとばしていった。



 昨日の今頃は、蘇芳たちのところで暖かいベッドで眠っていた。一度、その穏やかさを味わってしまうと手放すのはつらい。

 どうかもう追ってこないで欲しい、と、優は思う。

 半年前に組織に拉致されて、今までの生活はすべて消え去ってしまった。身寄りもなく、何の力ももたない自分の、なんと頼りなく孤独でつらかったことか。

 そんな気持ちを、自分を助けてくれたやさしい人たちに味わってほしくない。万が一にも、そんな可能性を残しておくことすらいやだ。だからこそ、あの夜出て行ったのに、一平たちは追いかけてきてしまった。

 差しのべられた手を払いのけられるほど優は強くなく、その手を取ってしまった。今となっては、そんな自分を情けなく思う。こうやって、何度もあの暖かい場所を出ていかなければならないつらさを味わっているのは、その罰なんだろうか。

 どうするべきなのか、ずっと考えていた。でも、正直自分の選択に自信はない。

 なので、逃げるように出てきてしまった。

(ごめんなさい)

いま、目の前にいない人たちに謝る。

 それから一平たちのことを頭から追い出して、自分の心の奥を見つめなおす。

生まれてこの方、心の底にこんな真っ黒な感情があるなんて考えたこともなかった。

父が死んだと理解したときは、ただただ頭の中がぐちゃぐちゃで、何もかんがえることができなかった。

時間がたつにつれ、自分がこれからどうするのかを考えるようになった。

蘇芳たちの家で過ごしたわずかな、穏やかな時間は、冷静になると同時に、優の心の中をその真っ黒な感情で塗り固めていったようだ。

許せない。

普通に、幸せに過ごしていた時間を奪っただけでは飽き足らず、ただひとり自分を愛してくれた家族すら奪ってしまった。

父も、きっとずっと苦しんでいたに違いない。

優しい父だった。仕事の忙しい中、母のいない家庭を、少しでも暖かいものにしようと腐心していたのを肌で感じていた。

その父を苦しめ、命まで奪った。

父のいない今、優にはもう帰るところはない。

(父さん・・・)

はっと優は目を覚ました。どうやら、うつらうつらしていたらしい。

時計を見ると、夜中の3時半。3時間近く寝ていた勘定になる。

うっかり寝てしまったが、少し寝たことで、連続したテレポートの疲れはだいぶ消えている。

(結果オーライ、かな?)

まだまだ明けそうにない夜の闇の中、目指すは約1km先の小さな建物。

優の姿は、その場からかき消すように消えた。

まるで、もともと誰もそこにいなかったかのように。


優が出現したのは、あの建物のすぐそばだった。

さっき感知したときのまま、あたりは静まり返り、人っ子一人いない。

ちょうど風もなく、草むらから聞こえる虫の声だけが響く。

今夜は満月とまでは行かないまでも、そこそこ大きな月が夜の闇を照らし、薄い、しかしはっきりとした影を落としている。建物だけが、脇にある街路灯に照らされ、薄い闇の中に浮かび上がるように存在していた。

もう、さっきのトラックはいなくなっていて、建物に出入りする者もいない。ただただ、静寂だけがそこにあった。

優は音もなく大きな針葉樹の枝に現れた。そこからピンポイントで建物の内部に侵入するのだ。さらに精神を集中して建物の中に意識を飛ばすと、がらんとして殺風景な室内には何もない。

優の脱出した隔壁は、建物の中にあったはずだ。あの時は、隔壁内部はバリア・システムが張り巡らされていて外へのテレポートができなかったので、隔壁の外へ出てすぐに目茶苦茶にテレポートをした。だから、建物のどの部分に出たのかはよく覚えていない。しばらく探しているうちに、建物の部屋の中ではなく、建物の西側に隣接してあるガレージに、出入り口をみつけた。ガレージからは、本体の建物へ直接入れるドアがあり、よく見るとほこりっぽい建物の中、このドア付近は人が行き来したようなあとがある。このなかに、隔壁につながる部分があるにちがいない。

優はさらに深奥部に意識を飛ばそうとした。

そのとき。

突然、背後から腕をつかまれ、口をふさがれた。

「!!」

声を立てるまもなく、優は背後の人物と一緒にその場から消えた。


瞬間、目の前の景色がゆれて、まるで見ているテレビの画面が変わるように違う景色が現れた。誰かに強制的にテレポートさせられたのだ。

即座に背後の人物を払いのけようともがくと。

「しーっ!優ちゃん、俺だよ俺!」

聞き覚えのある声がした。

もがくのをやめると、押さえつけられていた腕がゆるんだ。

一平だった。

「いっ・・・一平、さん?」

心底驚いた。あんなふうに飛び出してきて、きっと呆れられて・・・いや、むしろ嫌われているだろうと思っていたから。まさか、自分を追ってくるとはこれっぽっちも思っていなかったのだ。

二人の現れた先には、車が止まっていて、ヘッドライトであたりがその部分だけはっきりと見える。山の中は山の中だが、さっきと違って、山道の脇の退避場所のようなところだった。

ヘッドライトの明かりで見える一平の表情は、怒っているというよりは、逆にほっとしたような顔だ。

「よかった。間に合った」

「どうして・・・」

「だって、優ちゃん、地図置いていったじゃないか」

「そうじゃなくて」

勢い込んで反論しようとして、一平の顔をまっすぐ見た。一平は、軽く微笑んで言った。

「帰ろう」

「え?」

「帰ろうよ。」

優は目を見開いた。それから、ふと一平から目をそらした。

「優ちゃん?」

「・・・・だめ」

気持ちがぐらつきそうになるのを抑えて、搾り出すように返事を返す。

「だめなの・・・だって、だって・・・やらなきゃいけないことがあるから」

自分の決意は固い。固いつもりだけど、喉の奥がひりついて、そう返事をするのがやっとだ。

研究所から逃げ出した後、恐ろしいほどの絶望に消えてしまいそうな心を支えていたのは、父を殺した者たちへの憎しみだった。その中に、一筋の暖かい光をくれたのは一平たちだ。でも、その暖かさは自分の心の暗い部分を溶かしてしまいそうで、支えをなくしてしまいそうで、不安にもさせられたのも確かだった。今戻ったら、自分のなにかが崩れてしまいそうだ。二度と、あの穏やかな場所から出て行けなくなってしまう。いつまでも、居座るわけにもいかないのに。

それでも、そこに戻れたらいいと心の底で願っていることもまた事実だった。

だからこそ、今、一平と一緒にあそこに戻るわけにはいかない。

「父さんは・・・あいつらに殺されたの。私は、私は・・・許せないの」

「だめだ」

一平が少しきつめの声で言った。

「優ちゃんはあいつらに復讐するつもりなんだろう?それだけはだめだ」

優は一平を見た。一平も、優から目を離さない。

「そんなことしたって、------きつい言い方だけど、お父さんが帰ってくるわけじゃない。君のお父さんは、きっとそんなことをしてもらったって喜ばない」

「な・・・・」

「何のために、お父さんが命がけで優ちゃんを逃がしたと思ってるんだ?優ちゃんに生きていて欲しいから、幸せになって欲しいからだろ?だから優ちゃんが今するべきことは、君が・・・」

「それでも!」

優は、嗚咽に近い声で一平の言葉をさえぎる。

「許せないの・・・許したくないの!父さんは、私の目の前で殺されたの!忘れられるわけがないの!」

「でもだめだ!そんなことをしちゃいけない!」

一平も、だんだん声が大きくなってきている。

「君が無事でいることがお父さんの望みじゃないのか?!君がそんなふうに手を汚すことを、本当に喜ぶとでも?!」

「やめて!」

頭がかあっと熱くなっているのがわかる。気持ちが高ぶって、言葉がとまらない。

「わからないよ!一平さんには、私の気持ちなんて・・・目の前で家族を殺された人の気持ちなんて、わからないよ!一平さんには関係のないことなの!ほっといて!!」

ぱあん!!

派手な音がして、左の頬がかっと痛くなる。

はっとして一平を見ると、一平は、怒っているような、今にも泣きそうな表情で優をみていた。それから、平手打ちした右手をおろすと、くるりときびすをかえして木立のほうへ歩いていった。

呆然として立ち尽くしている優のところへ、車から降りてきた夏世がかけよってきた。

左の頬が痛い。そんなに強くはたかれたわけじゃないのに、ひどく、痛い。

夏世は、ちょっと逡巡してから、ぽつりと話し始めた。

「優ちゃん・・・一平、ね、同じなの」

言いながら、優の頬にハンカチをあてる。

「一平が8歳のときだったかな、おうちに強盗が入って、目の前でご両親と妹を殺されたんだって」

「・・・・・!」

「そのショックでか、能力が目覚めて・・・警察に捕まってた犯人に、復讐しようとしたらしいの」

優は顔を上げて夏世をみた。

「結局、一平にはできなかったのよ。蘇芳にいわせると、お母さんの残留思念、っていうのかな、それにひきとめられたって。それでそのあと引き取り手がなかったところを蘇芳が引き取ったの。

一平の亡くなった妹の環ちゃんが・・・ね、生きていれば優ちゃんと同い年なのよ。一平が優ちゃんのことほっておけないの、そのせいもあるかもね。」

すうっと風がふいた。優の長い髪が、顔にかかる。それをはらうこともできないで立ち尽くす優に、夏世はやさしく微笑みかけた。

「あんなこと言うつもりじゃなかったのに」

「一平も、わかってるよ、きっと」

「でも、こんな私のこと、こんな遠くまで追っかけてきてくれて」

「うん」

「もう、これ以上かかわりになってほしくなくて」

「うん」

「なのに・・・あたし・・・」

優は、おずおずと一平の歩いていった木立のほうに目を向けた。


蘇芳が木立の奥へ分け入ると、10メートルほどいったところで、一平がしゃがみこんでいた。

「心を読むまでもないな」

ふう、と蘇芳はためいきをついた。今度は一平のほうが頭を抱えているのだ。

「すおう~~~~」

「情けない声を出すな。ありゃ、お前が悪い」

「どーしよう・・・ひっぱたいちまった」

「最低だな。女の子に手を上げるなんて」

「う~~~~~」

「ま、かっとするきもちもわからなくはないが」

一平はあさってのほうを向いたまま、大きくため息をついた。

「いや、“わからない”って言われたことに腹たてたわけじゃないんだ。だから・・・う~」

優を叩いてしまったことで、相当パニックしているようだ。ふらっと立ち上がって、手近な木に手をつき、まるで「反省する猿」のようなことになっている。蘇芳は近寄って軽く一平の背中をこづいた。

「とにかく、しっかりしろよ・・・ほら」

軽くあごをしゃくるように車の方を指し示すと、そっちを避けるように廻って木立を出て行った。

蘇芳の示したほうを見ると、木の陰に優がいた。

「優ちゃん」

「あの・・・・」

それきり、お互い言葉が続かず、何となく気まずい空気が流れる。

「あの・・・ごめんなさい・・・」

しばらくして、やっと口を開いたのは優だった。

「夏世さんに聞いたの・・・あたし、ひどいこと言って・・・頭に、血が上っちゃって、その・・・」

何といっていいかわからず、そのままぺこりと頭を下げた。

「でも、私、一平さんたちの家に戻るわけにはいかない。このままじゃまた一平さんたちにまだまだ迷惑かかるし、父が私を逃がしてくれた意味がなくなっちゃう」

「意味?」

「研究所には、私を含めて、被験者のデータが残ってる。あれを壊してしまわないと、このまま逃げたところで何の解決にもならないと思うの・・・だから、せめて」

「復讐って・・・そういうこと?」

「・・・最初は、そのために研究所の誰が傷つこうと、あるいは死のうと構わないって思ってた。でも・・・ちょっと、思い直したの。夏世さんから話を聞いて」

優はちょっとうつむいた。逆光で、よくわからないが、ちょっとつらそうにみえた。

「ほっぺた・・・・痛かっただろ?ごめんな」

「ううん、大丈夫」

そのとき。

「お話中、邪魔して悪いんだけど」

とつぜん木立の奥から声がした。

聞き覚えのない声だ。

「誰だ?」

一平が、優をかばうようにして声のするほうを見た。

声から、若い男であることはわかるが、姿は見えない。

「君たちの言ってる研究所はもうないよ。全部処分しちゃったからね」

「え?」

「さっき、すべての撤収を完了したよ。一足遅かったね」

では、さっき優が見た大型トラックがそうだったのか。優は歯噛みして自分の不明を恥じた。だが、時既に遅しだ。見逃してしまった魚は大きい。

声の主は続ける。

「しばらくは君を追うのはやめさせるよ、P-7」

その呼び名に、ふたりはいっきに緊張の糸を張った。

「あなたは・・・だれ?」

「こっちにもいろいろ都合ってものがあってね。ああ、いろいろ調べても無駄だよ。痕跡はすべて消したからね。まあ、君にも君のまわりにも当分はなにもする気はないよ。安心していいよ」

声は、まるで優をあざ笑うかのように冷淡だ。正直、美しいが、ぞっとする声。

「そうそう、麻生一平君?」

「?!」

「君にも改めて挨拶にいくよ。君にはP-7の件とば別口で縁があるからね」

「な・・・何?」

「誰なのよ?!」

優の叫びに、くくくっと喉の奥で哂うような声がした。

「そうだな・・・・アポロン、とでも覚えておいてもらうか」

ふざけているのか本気なのか、太陽神の名前を名乗るとはおこがましいこと甚だしいが、そんなことは全く意に介さず、

「じゃ、僕はこれで失礼するよ。せいぜい今のうちに平和を享受しておくんだね」

ひとりで話をして、ふっとかき消すように気配が消えてしまった。

何の余韻も残ってはいない。

後に残っているのは、ただ、風の音。


あとで行ってみると、研究所はもぬけの空だった。

そのうえ、なんの痕跡も残らないように破壊されていた。

あとから蘇芳が密かに調査をさせたが、何も出ては来なかった。図らずも優は父を悲しませることをせずに済んだわけだが、それで優の身の安全が保障されたわけではない。

しかし14に関しての手がかりは、そこでふっつりと消えてしまった。


あのあと、蘇芳の車に乗るなり、優はすぐに寝てしまった。緊張の糸が切れてしまったのだろう。車に常備してあるハーフケットを優にかけながら、夏世がぽつりと言った。

「いい子だよね、優ちゃん」

「え?」

「もうこれ以上私達を巻き込みたくないって、だから一人で・・・まだ高校生なのに」

「うん、すごい覚悟だと思うよ」

運転しながら蘇芳が相槌を打つ。

「突然自分の周りの世界が消えて無くなっちゃう恐怖なんて、想像もできないよ。『助けて助けて』って言って回るのが普通だろうに。・・・そういうのってきっと、一平が一番よくわかってるだろ?だからこんなに肩入れしたんじゃないか?」

一平も助手席で眠っているようだ。

「優ちゃんにはうちにいてもらおうかと思うんだ。一平達の聞いた『声』っていうのが、一平の名前をちゃんと知ってたらしいじゃないか。ということは、一平の素性も優ちゃんの居場所もやつらにはつつぬけだといえる。優ちゃんの件とは別口で何かあるようなことを匂わせていたようだし、僕たちも警戒するに越したことはない。優ちゃんも、一緒にいたほうがいいだろう」

「そうね」

「しばらく何もしない、という言葉を鵜呑みにするわけにもいかないし、夏世、君もうちに来ないか?」

「うん・・・でも」

信号が赤になり、蘇芳は車を停止させた。

「僕が、来て欲しいんだ・・・・夏世」

夏世は、そっと後部座席から蘇芳の肩に触れた。

「うん・・・わかった」

そういって、運転席のシートにこつん、と頭をもたれかける。

蘇芳は、右手で自分の左肩に乗った夏世の手に触れた。

信号が青になり、車は人気のない道路を東京に向けて走っていった。



蘇芳の運転する車が古川邸に到着したのは夜が明けてからだ。

幸いこの日は土曜日、蘇芳も一平も外出予定はない。

4人は帰るなりリビングを陣取り、話を始めた。

「ちゃんと話しておいたほうがいいと思ってね」

蘇芳が切り出した。リビングは南向き、大きな窓から太陽の光がななめに入ってきてまぶしいが、彼らの座っているソファまでは届かない。

「まず、僕たちが14の存在に気づいたきっかけ、だよ。そして、どこまで把握しているかもね」


「そもそも、きっかけは拓海の彼女・・・っていうか、婚約者の千鶴ちゃんなんだ」

「拓海・・・・って、番匠さん?ですか?」

「そう。2年くらい前の話になるんだけど、当時千鶴ちゃんは雑誌記者をしててね、その千鶴ちゃんのところに、小学校の同級生の大田キヨシってひとのお母さんから連絡がきた。息子が亡くなったんだけど、どうもその死因が怪しい。調べて雑誌で告発してくれないか、っていう内容だった」

当時、大田キヨシは難病をわずらっていた。治療法の確立していない病気で苦しんでいた大田は、自分の勤め先であるキングケミカルという製薬会社で持病の特効薬を研究しているという噂を聞き、まだ臨床実験までこぎつけていない試作品をこっそり盗んで数回服用した、と、母親にだけ打ち明けていた。結果、めきめきと具合はよくなったものの、1ヶ月ほどしたある日、大田は急死した。解剖した結果、病死と判断された。

母親である大田夫人は、薬のせいではないかと疑い、キングケミカルに話を聞きにいった。だが、キングケミカルは知らぬ存ぜぬの一点張り、業を煮やした大田夫人は千鶴を訪ねたのだった。

「いろいろかぎまわられて五月蝿かったんだろうね、奴らは大田夫人の口をふさぐことにしたのさ。・・・・事故を装って、車でひき殺したんだ。千鶴ちゃんはそのときすぐそばにいて、それに巻き込まれた。」

「え?!で、千鶴さんは」

「大丈夫、生きてるよ。一時は危なかったんだけどね、何とか命はとりとめた。今は田舎に帰ってリハビリに励んでるよ」

優はほっと胸をなでおろした。

「実は、その事件の直前、千鶴ちゃんは大田夫人と会ってたんだ。そのときに、大田キヨシのノートを大田夫人から渡された。そこに、14って名前が出てきたんだ。僕らが14って呼んでるのには、そういうわけがある。

で、そのノートには、キングケミカルが関わっている組織の存在と、大田キヨシが14から指示されて服薬のペースや量をコントロールしていたような記述が見られるんだ」

「大田さんの家には薬の現物はなかったんですか?」

「なかった。・・・・・ここから先は、僕の考えなんだけど、本来新薬の開発って、効果のある物質を発見して、そこから動物実験なんかで研究を重ねて、それから人に投薬してその結果をみる治験っていう研究をするんだ。たしかにそこに至るまで最低でも5年とか8年とかかかるんだけど、いずれにしても最後は人で試すことになる。大田キヨシが治験を待ちきれなくて盗んで服薬した、っていうことならそれで終わりなんだけど、ここで誰かに指示されていたという事実があるなら、指示したやつは治験を待てなかったことになるだろ?そんなに急ぐ理由はなにか。何しろ簡単に大田夫人を殺してしまったような連中だ、難病を抱える大田キヨシがかわいそうだから、っていう理由ではないだろう。とすると、考えられる理由がひとつでてくる。つまり、通常の新薬開発ラインに乗せられない秘密の新薬なんじゃないか、っていうこと」

いつの間にか駿河がおきてきていて、全員に濃い目のコーヒーを注いで回っていた。蘇芳はそれをブラックで一口のみ、少し目頭を押さえる。

「やつらは大田キヨシが難病だということを知っていたから・・・・・大田はキングケミカルには報告していたらしいんだ・・・・その治療薬だと偽って薬を試していたんじゃないかと思うんだ」

「それが例の薬だってことですか?でも、もともと私が生まれる前からあの薬は出来ていたわけでしょ?」

「そうだね。だから、その改良版、ってことだよ。夕べ優ちゃんが戦った男、あいつも異能者なわけだろ?いままで、優ちゃんしか成功例がいなかったわけだから、急に成功例が増えたのにはそういう理由があるんじゃないかと思うんだ。

・・・・・で、そこから東さん・・・・・あ、東さんって言うのは警察の人で、この件についての事情をよく知ってる人だよ、僕たちの協力者だ。東さんにも手伝ってもらっていろいろ調べてるんだ。いろんな方向からアプローチしたんだけど、必ずと言っていいほど核心を突く前に横槍が入ったり手がかりが消えてしまったりして、肝心なところまでたどり着けないんだ。わかっていることは、このあいだも言ったけど、大掛かりな組織の存在、死の商人であること、そして薬を研究していること、そのくらいなんだ。

ただ、おそらく経済規模としては僕の昴グループのほうが上なわけだ。こっちが動けばかなりなダメージになるんだろうな。だからしっぽを掴ませないし、逆にこっちに手を出してこない。・・・・だから、ここは安全地帯だと思ってくれていい。今のところはね」

蘇芳はふわあ、と欠伸をひとつした。そういえば、蘇芳はずっと運転していたから寝ていないのだ。

「さっきの声を信用するわけじゃないけど、とりあえず今のところは休もうか。悪いけど、僕もそろそろ限界だ。ソファに座ってると、そのまま寝ちゃいそうだよ」

その言葉をきっかけに、4人はそれぞれ自室に戻った。

優も部屋へ戻ったが、そのままベッドに倒れこむようにして寝てしまった。緊張と、能力を一杯使ったことで疲れがピークに達していたんだろう。車で寝ただけでは足りなかったようだ。

夢も見ない、深い眠り。

ここへ戻ってこられた、穏やかな安心感が優を包んでいた。


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