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Hermit  作者: ひろたひかる
本編
5/64

アジサイ

 まるでアニメに出てくる悪者の秘密基地のようにずらっとモニターや機械の並んだ暗い部屋。

 青年が一人、機械についているキーボードを慣れた手つきで操作している。

 目の前の巨大なモニターに、いくつもウインドウが開き、様々なグラフやデータが表示される。そのうちのひとつのウインドウに目を留め、すこし青年は目を細めた。

 眉目秀麗。

 そんな言葉が嫌みったらしく似合ってしまいそうな風貌。

 髪はふわりと天然パーマのかかった黒髪。切れ長の目。身長はそれほど高くはないが、体全体のバランスはすばらしく整っている。そんな体に、真っ白いコットンのシャツをボタンをほとんどはだけて着て、ぴっちりした黒の革のパンツを穿いている。

 ビジュアル系ロック歌手のような風貌だが、しかし、表情は冷たかった。

 目の奥に、なにか刺すような冷たい光をもっている。

 細めた目の前にあるのは、優の写真だった。

「まだみつからない…か」

青年は、優の写真をまるでものを見るように醒めた瞳で眺めていた。

やがて、何かを思いついたようににやり、と哂った。そして、キーボードをすばやく叩き、データの入力を始めた。


 優が蘇芳の家に転がり込んでから5日が経った。

 体力も戻ってきた。いろいろ考える時間もあった。なんとか、やっと落ち着いてきた。

 優は朝起きると、シャワーを浴び、夏世の用意しておいてくれた服に着替えた。夏世のセンスなのだろう、淡いピンクの二重のガーゼに小花がプリントされた、七分袖のブラウス。同じくガーゼをあわせた生地の白いロングスカート。

なんだか優はうれしくなった。

監禁されていた半年間、支給された服は飾り気のないTシャツにスパッツ。おしゃれなどとは程遠い、極めて実用的なものばかり。17歳の女子高生にはかなりつらいものがあったのだ。ピンクの花柄や、スカートは、その対極。ちょっと自分には上品過ぎる気もしたが、早く着てみたくなっていそいそと着替えをする。その柔らかでさらっとした肌触りに、また感動した。

洋服の雰囲気に合わせて、髪を結ってみる。優の髪はだいたい肩甲骨の辺りまでのびた、ちょっと柔らかめの髪だ。それを両耳の上からひと房ずつ分けてねじり、頭の後ろで纏め上げる。

鏡台でもういちど自分を写し、最終チェック。

それからリビングに向かった。

「おはよ」

「あ、おはようございます」

夏世がダイニングテーブルでコーヒーを飲んでいた。広げていた新聞をマグカップの横に置いて、優をしげしげとながめた。

「うん、まあ及第点かな?」

「なにが?」

「洋服。やっぱり淡い色が似合うよね~。」

どうやら自分の選んだ服のコーディネイトにご満足のようだ。

「意外と淡いグリーンなんかいいかもな。ね、どう思う?一平」

ちょうどリビングに入ってきた一平に話を振る。

「俺に振るなよ」

「でもさ、真っ赤とかより淡い色のほうが似合うでしょ」

「ま、それはそうかな?」

一平はいまひとつ話に乗れずに生返事を返しながらテーブルに座り、夏世が読んでいた新聞に手を伸ばす。

夏世はまだああだこうだといいながら、次に選ぶべき優のファッションを考えている。

「私、兄貴がひとりいるだけだから、妹ができたみたいで楽しいのよね」

優は照れてしまってうまく相槌が打てないでいる。と、突然一平がきいた。

「優ちゃんって、いま何歳?」

「あ、17歳です」

「へえ」

「じゃ、一平と2つ違いだね」

「一平さん、19歳?」

「そ。花も恥らう大学生♪」

「・・・気味悪いからやめて」

「なにを言う」

一平と夏世がにらみあっていると、蘇芳が入ってきた。

「全くもって不毛な議論だな。朝っぱらから」

持っていた黒いファイルでぱこん、と一平の頭をたたく。

「いてーよ…あれ?拓…じゃなくて、ばんしょうさん。おはよ」

「おはようございます」

蘇芳と一緒に入ってきた人物が軽く頭を下げた。優は初めて見る人だ。

すらっと背の高い、ちょっと色黒の男性だった。蘇芳と同い年くらいだろうか。落ち着いた感じの、でも眼光の鋭い人だった。濃いグレーの上品なスーツがよく似合う。優と目が合った。

「あ、優ちゃん、紹介するよ。俺の秘書の番匠拓海くん。番匠、彼女が池田優さん」

「はじめまして、番匠です」

「はじめまして」

いかにも会長の秘書、という風情のあいさつに、おもわず緊張してしまう。

「優ちゃん、彼は蘇芳の秘書で、親友なの。すっごく信用できる人だから安心して、ね。・・・で、どうしたの?」

「うん、番匠に頼んでた調査の中間報告が出たからね、皆にも聞いてもらおうと思って」

蘇芳は番匠を含めた全員をソファに集めると、駿河を呼んで人数分のコーヒーを頼んだ。

「さて、と」

持っていた黒いファイルを広げる。

「調べてもらったのは、優ちゃんのお父さんの勤めていた研究所のことだ」

さあ、っと緊張が走る。

「番匠」

「はい、私どものデータにも『一条化学研究所』は載っているのですが、特に目立った業績もない、一言で言ってしまえばどこにでもあるような研究所なので、反対にちょっと手間取りました。結果、わかったこととしては、バックについている団体があるということです。要するに裏で大掛かりな研究をしている団体の表の顔だったようですね。この団体というのが・・・・」

番匠はここまで言って少し言いよどんだ。ちらり、と蘇芳の顔をうかがう。

「いいよ、番匠。彼らには隠すことないよ」

蘇芳の言葉に、番匠はうなづいて先を続けた。

「我々はこの団体を“14”と呼んでいます。一言で言ってしまえば“死の商人”というやつです。残念ながら実態はまだ掴めていません…存在がわかっているだけです。

池田さんの監禁されていたところは、彼らの研究施設ではないかと考えられます。具体的な場所までは特定できませんでしたが、大まかなところまでは判明しました。G県の西部の山中です」

「ちょっと待って。”我々は14って呼んでる”ってことは、蘇芳は以前からその組織の存在を知ってたってこと?」

「実はそうなんだ。製薬業界だけでなくいろんな方面から考えて、大掛かりな組織があることは以前からわかってた。直接昴グループが何かされたわけじゃないんだけど、どうも尻尾は掴ませないし、でもあちこちで起こってる事件に関わってる節がある。それで、アンテナだけは張ってたんだ。」

「警察は?」

「ま、公僕だからね、証拠がないから動けない。大体、組織が存在しているかどうか自体が公には謎な訳だ。僕のほうでは組織が実在する確証だけは掴んでるんだけど」

「その組織が関わってるって言うのは、はっきりした証拠が?」

「はい、しかしまだ100%とはいえません。なので、まだ5%ほどは推測の域を出ませんね。はっきりしたらまたご報告します」

「なんだ、そっか」

「G県…」

それまで押し黙っていた優がぽつりとつぶやいた。

「ええ、だいたいこのあたりですね」

番匠がばさっと大きな地図を広げた。それはG県の地図で、番匠はその地図の左側に広がる山間部を指差した。そのあたりは本当に何もない、山しかないところ。

優はじっと地図をながめていた。

暗い瞳の色で。


「優ちゃん」

中間報告を終えた番匠が蘇芳と一緒に退出し、夏世は二人を見送りに行った。リビングに残った優に一平が切り出した。

「あのさ、…早まるなよ」

「え」

コーヒーカップを片付けていた手が一瞬止まる。

「早まるって、私、何も…」

「ならいいんだ。ごめん、気にしないで」

ちょっとほっとした表情で優の手からコーヒーカップを取り、トレイを持って部屋をでようとする。

「無茶なまね、すんなよ」

部屋を出るときにぽつり、と小さな声で言った。

「え?」

優には一平の声は小さすぎて聞こえなかった。一平はそのまま部屋を出て行った。

リビングに一人残された優は、窓の外に目を向けた。

(G県…そんなところに)

正直言って、自分がどこに監禁されていたかはわからない。連れてこられたときは薬で眠らされていたし、逃げ出した後は無茶苦茶に逃げ回ったので、スタート地点がどこだったかはもうわからなくなっていたのだ。

ただ覚えているのは、監禁されていた施設のあの重厚な隔壁から出た後に、隔壁のあった建物の窓の外に見えたうっそうとした木々。確かに、山の中にぽつんとあったように思える。

大まかな場所はわかったが、半径10キロ以上ありそうな範囲にしか絞り込めていない。

(早まるなよ)

さっきの一平の言葉をふと思い出した。

リビングの窓に近づき、窓に映る自分の顔を見る。

暗い表情をしている。

これでは何やら物騒なことを考えていると思われても仕方がないだろう。

ちょっと頬をつねってみる。


一平がダイニングルームに戻ってくると優がいなかった。

「優ちゃん?」

ダイニングルームの隣、リビングルームにある庭に通じる履き出し窓が開いている。上品なデザインのボイルのカーテンが、初夏の風に音もなく揺れる。

庭を見ると、ピンク色の影が、上品な紫色に咲き競っているアジサイの大きな群生の元に見えた。

優がアジサイの花をを眺めていた。何だか寂しそうな表情で。

一平はそっと窓をくぐった。優に近づいていったが、優は気がつかずに何か考えこんでいるように見えた。

「アジサイが好き?」

声をかけると、優はびくっとして振り向いた。

「はい…きれいですよね。どの花も微妙に色が違ったりして、水彩画みたい」

にこっと笑ってまたアジサイに目を落とした。

「学校にも、すごくきれいなアジサイの花壇があったんです。去年の今頃、すごくあざやかな青いアジサイが一杯咲いて、私、今年も見るのを楽しみにしてたんです。でも…」

ちょっとの沈黙。

「でも、ここで見られたから、もういいです。一平さんちのは青って言うより紫ですね」

「…学校、見に行きたい?」

はっと優が一平を見た。目がとても切なそうな表情をしているのを見て、一平はしまった、と心の中で舌打ちした。

「ごめん」

優が学校に行けない理由は一目瞭然だ。優を追っている連中は、当然優の関係先は全て何らかの手段で見張っているはずだからだ。自宅も、学校も、友達の家も。優もそれがわかっているから、あんな神社の裏手でひとりで行き倒れていたりしたのだ。

優はあわてて首を振った。

「大丈夫、気にしないでください。学校、すごく好きだったわけじゃないし、ええと、こんな状況になっちゃったから、ちょっと感傷的になっちゃっただけで、その…」

言っているうちに、ぽろり、と涙が出た。

「あ、あれ…どうしよ…」

ぽろぽろ、と零れ落ちる涙が止まらなくなる。

正直言って一平はあせった。一瞬、どうしていいかわからず固まってしまったが、あわててポケットの中を探ると、タオル地のハンカチをみつけ、優に差し出した。

「ご、ごめん、その、泣かせるつもりじゃ」

優はハンカチを受け取ると、涙を拭きながら黙って首を横に振った。それでもなかなか涙が止まらず、しばらく二人はアジサイの前で立ち尽くしていた。

ほんの1分足らずだったかもしれない。あるいは、10分も立ち尽くしていたのだろうか。

優は、真っ赤になった目元を隠すようにうつむいて、ハンカチをはずした。

「ごめんなさい、急に泣いたりして…気にしないでくださいね。ハンカチ、洗って返しますから」

そうはいわれたものの、何だか一平はたまらなくなってきて、優の手を取った。

「行こう」

「え?」

「学校。俺も一緒についてく」

「ええ?!」

「学校、どこ?」

「S区にある和泉学院っていうところですけど、でも」

「和泉学院…そんな遠くじゃないな」

優の手を引いたまま部屋に引き返し、本棚から大きな道路地図を出した。

「・・・和泉・・・ここか」

S区の、わりと真ん中あたりに目的の場所を見つける。それから、地図帳の付箋のついたページを開く。そのページの右のほうに、マーカーで印のついているところがあった。

「ウチがここだから・・・・えーと」

「ちょ、ちょっと待ってください、一平さん、ひょっとしてテレポートするつもり・・・」

「?そうだけど?」

「だ、だめですよ!目立ちすぎるし、第一、今日は平日なんだから、学校は生徒で一杯ですよ!だいたい、学校なんていったら見つけてくれって言ってるようなもので・・・」

一平は優の台詞の大半は聞いていないようだった。壁にかかったシンプルな掛け時計を見上げる。時間はまだ昼前だ。

「あ、そっか。んじゃ、いっそのこと」


「かえってこの方がよかったかもな」

JRの電車の座席に座り、ひとり一平は納得している。

優は一平の隣に座って、かなりはらはらしていた。なにしろ、追われている身の上で真昼間に山手線なんかに乗っているのだ。

「・・・大丈夫かなあ」

「だいじょぶ、だいじょぶ。ぜ~ったい、盲点だって。まさか、こんな目立つやり方で出かけるとはあいつらも考えてないよ」

どこから来るのか、この根拠のない自信。

念のため、優は周囲を警戒していた。しかし今のところ優のレーダーには何の怪しい影も現れない。

新宿について、私鉄に乗り換えたときも何もなかった。優は警戒をしながらもふとあたりの様子に気がついた。電車の中を見回す。

久しぶりに乗る電車。外を流れていく、初夏の景色。

電車の中の人いきれのにおい。車内アナウンスの独特の声。

(まるで、遅刻して学校に行くときみたい)

いつのまにか優はわくわくしてきていた。

しばらくして目的の駅についた。優が席を立とうとすると、

「ちょっとまった」

小さな声で一平が優を引き止める。

「念のため、次の駅まで行こう」

さすがの一平も、素直に学校の最寄り駅を降りて通学路をてくてく歩いていくような無用心さはないらしい。優は無言で従った。


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