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掌編

サラリーマン

作者: 野良犬

お題『サラリーマン』で書かされた作品。ワードで2枚の制限付き。

 世界が嫌いだ。自分を否定する周りの人たち、それに抗えない自分、そんな自分を囲む現状、そういったものを包括する形での世界がどうしようもなく嫌いだった。


 とはいえ、俺は社会的には恵まれている方なんだろう。冴えないサラリーマンだがしっかり定職に就いてるし、嫁もいるし、子どももいる。


 それも、記号的な幸せでしかなかったが。


 缶コーヒーを飲む。黒い液体というだけでコーヒーの味にはほど遠く、ただ苦いだけの液体を胃の中に流し込む。そうやって日常の文句を腹にため、頭の中でグルグルと濁流が渦巻く。


 君はいつまで経っても駄目だ、と上司は言う。


 あなたは昔からそうね、と妻は言う。


 大きな失敗をした覚えはなかった。結果は平凡なものでしかないかもしれないけど、悪くないはずだった。向上心を絶やした事はないし、牛歩であるけど社会的な実績は積んできた。


 正直なところ、そんなものに興味はなかった。誰にも文句を言われない程度に頑張ってきた。それを見透かされた結果、と言われればそれまでなのかもしれない。


 結局、普通の倫理観に寄りかかれなかった自分のせいなのだろうか。その場合、自分は今までの人生を、ただ受容するしかない。自分の選択の結果として、受け止めるしかない。


 それでも良かった。それだけで良かった。


 それなのに……。


 飲みほした缶を床に置く。視線を上げて、目の前にいる少年に静かに語りかける。


「俺は間違っている。けれど、世界はもっと間違ってる。そう思わずにいられなかった」

「それでも、あんたの行動はやってはいけない事だ」


 少年は精悍な印象を与える目でジッとこちらを見ていた。年の割に大人びた見た目をしているが、やはりどこか削りの荒さが感じられた。


「君は、怯えた様子を見せないね」

「あんたが全然悪い人に見えないからね」

「……人は見かけによらないよ」

「けど、やはり人の見た目は内面を表す部分も多いよ」


 廃ビルで、おっさんである俺と名前も知らない少年が二人。状況の奇妙さがとてもむず痒く感じる。ガヤガヤとした音が外から中へと流れてくる。


「なぜ、人を殺す必要があったの?」

「……理由は簡単だよ」


 全てが気にいらなくなったから。


「ガキがダダをこねるのと理屈は変わらない。全てが不快で不快で仕方がなかったから。会社の連中も、家族も、そして自分も含めて全部。自分の目に見える世界全てが疎ましくなったから。まぁ、もっと他の言い方をすれば、飽きてしまったからって言った方が単純明快かな」


 数ヶ月前に俺は会社での立場を失った。それは上司の濡れ衣を被った形のものだった。会社を辞めさせられる事はなかったが、そこに俺の居場所はなくなった。


 なぜ、あの時ひと思いにクビにしてくれなかったか、今はもう分からない。会社があった場所にはもう何も建てられてない。俺が否定した。


 ドミノ倒しのように、家族の中でも俺の居場所はなくなった。妻に見放され、子どもは自分を見る事もなくなった。家の中は同居する他人が住む場所となった。妻が見知らぬ男と一緒に歩いてる所を見た時は、さすがに精神的に叩きつけられるような気持ちになった。


 なぜ、あの時ひと思いに離婚をつき付けてくれなかったのか、今はもう分からない。俺が否定した。


「もっと賢く世界を否定出来たら良かったのだけど。もっと今までの人生を肯定的に受け止められていたら良かったのだけど。でもそうしたら、これまでの俺の気持ちの行き場はどこにもなくなってしまう。そうした時、遅かれ早かれ自分は同じ行動をとってたと思う。やはり全てが全て、遅すぎたんだ。どこから正せばいいか、分からないほどにね」

「……それでも、全てを否定するにしても、この規模は大き過ぎるんじゃないの?」

「大き過ぎはしないよ。俺が否定したかったのは紛れもなく、周りの人と、現状と、そして自分なんだから」


 俺は腰を上げる。身体がいつもより軽く感じられた。おそらく錯覚なんだろうけど、確かに感じられるそれがとても心地良かった。


「そういった意味で一番申し訳なく思うのは君に対してだよ。君は完璧なとばっちりだよ。俺の最後の抵抗に利用させてもらった。やっぱり俺は、クズな自分が大切過ぎたんだろうね。でも、それも今日で終わりだよ」


 窓の側に立つ。階下を見下ろすと、パトランプがちかちかと光っていた。彼岸花を連想させるにはあまりにも武骨であるが、自分に対するものであればそのくらいでちょうどいいのかもしれない。


「おそらく俺の一番の失敗は、与えられるものに満足してしまっていた点だと思う。生き方そのものがサラリーで成り立っていたんだろうね」


 そんな洒落が口から零れる。笑えない冗談だ。


「死に方は、こうするって決めてたんだ」


 そう言い残して、俺は窓の外へ身を放る。


 最後に見えたのは、少年の顔。どんな表情かは分からない。知らなくて良かった。もし知っていて、来世に記憶が引き継がれるのなら、すぐに俺は今と同じ事をしていただろう。


 そんな下手な妄想を幕引きに、俺の意識は途絶えた。


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