第1話
2003年・春。
いつの間にか瀬川家の二人の子供――娘の美由は間もなく小学校を卒業し中学生に、息子の和也も春から小学生になろうとしていた。
そんな中、義和と由紀子の夫婦は相変わらず「例の仕事」を続けていた。
ある日の夜のことだった。
「…あなた、そっちへ行ったわよ!」
由紀子が言う。さすがに10数年も主婦をやっているといつの間にか義和の事を人前では「お父さん」、二人でいる時は「あなた」と呼ぶのが普通となっているようだった。
それを聞いた義和が剣を構えてその時を待っていた。
そして義和の目の前に怪物が現れた。
義和は剣を構えると上段の構えから振り下ろした。
「…やった!」
ところが、である。怪物に致命傷を与えるまでには至っていなかった。
「なんだって!」
自分が想像していたより傷が浅かったようだ。
手負いの怪物は義和に襲い掛かる。
義和も必死になって応戦するが、押されているようだ。
既に年齢も40歳近くなっているから、20代の頃と比べると明らかに体力は落ちているし、家庭を持った、という事で守りに入ってしまうのだろうか?
何とか怪物の猛攻をしのぐと、義和は相手の隙を付き、剣を横殴りに払う。
怪物が断末魔の悲鳴を上げると共に、由紀子が鏡を使って怪物を封印した。と、
「…うっ!」
いきなり義和が腰を抑えて片膝を付いてしまった。
「…大丈夫!」
由紀子が近づく。
「だ、大丈夫だ。ちょっと腰に来たくらいだ」
「本当に大丈夫? 無理するんじゃないわよ。何なら帰りはあたしが運転していくから」
「あ、ああ、頼む」
帰りの車の中。さっき言ったとおり、車の中は由紀子が運転し、義和が助手席に座っていた。
「どうも最近は前と比べててこずるようになったな…」
「…それだけ相手が強くなった、と言う証拠かしら?」
「…それもあるかもしれないけど、オレも体力が落ちたかもしれんな…」
「…そうかもしれないわね。というかあなたみたいに40歳近くなっても続けている人、ってまずいないらしいわよ」
「らしいな。大抵は30半ばで後進に道を譲るために引退するらしいからな。スポーツ選手と一緒だ」
「…その事なんだけどね、そろそろどうかしら?」
「美由を、か?」
「そう。あの子、前からそういうことに興味を覚えてきたみたいだし、最近覚醒したからか、そういったことの真似事を学校でやっている、って話よ」
「待てよ。確かにオレ達のような夫婦の間に産まれた子と言うのはほぼ間違いなく、その力を受け継ぐらしいからな。美由や和也がそういう力を持っていたっておかしくないし。でもまだ美由は12歳になったばかりだぞ」
「…確かにそうだけど、中には10歳くらいで覚醒している子もいる、って話よ。そういう子たち、って両親や知り合いの元で2〜3年一緒にやってから独り立ちする、って言うし…。それに、もし和也が覚醒したとしたら…」
「…やれやれ。オレたちはどうやら大変な血を持って生まれたようだな」
*
二人が何をしているのか、そろそろ説明をしなければならないであろう。
義和は普段は普通に会社勤めをしているのだが、実は時々妻である由紀子と二人で「ファントムバスター(以下PB)」と呼ばれている妖魔退治業をしているのだ。
それではその妖魔とは何か?
昔から「物の怪」とか「妖怪」と言った所謂「異形のモノ」の話は全国各地に伝えられているが、それらは決して空想の産物ではないのである。
そういった生物の目撃談を一笑に付す人物も世の中に入るが、だからと言ってそういった「異形のモノ」の存在は本当に否定できるものなのだろうか?
そう、実はその存在は我々が気づいていないだけで太古の昔からそれらはこの世界に存在していたのだ。
そしてそれらの存在は一括して「妖魔」と呼ばれているのである。そして妖魔のほとんどは我々の生活に災いをもたらすものである、と言うことも。
ただ、妖魔にもランクと言うものが存在しており、それほど力のない妖魔だったら御祓いを受ければ済む事が多いのだが、中にはその程度では済まないような力を持った妖魔も存在し、それらの妖魔を退治する、となるとPBの出番となるのである。
そして義和と由紀子のふたりはそのPBである、と言うわけである。
実はPBの能力自体と言うのは人間だったら、誰でも持っているものなのだ。誰でもそこには誰もいないのに誰かに見られている、とか誰かが傍にいるような感覚がする、と言う経験があると思うが、それは誰もがPBとしての素質を持っている、と言う証拠なのだ。
但し、だからと言って誰もがPBになれる、と言うわけでもない。
例えばスポーツ選手がその方面の技術に卓越した能力を持っているのと同様、PBになるためにはそれ相当の能力がなくてはならないのである。
そして自分がその力を持っている、と自覚し、その力に目覚める(PBの仲間の間ではこれを「覚醒」と呼んでいるが)、と言うことも…。ただ「傍に誰かがいるような気がする」と言ったような感覚では全く駄目なのである。
そして(当たりまえではあるが)例え覚醒したとしても、既にPBとして活躍している人物の元で修行を積み、その師匠からお墨付きをもらって初めて独立できるのである。
例え人間が誰でもPBになれる能力を持っている、といってもその中で覚醒するのは1万人にひとり、と言った程度だし、さらにそこからモノになるのは10人の中でひとりいるかいないか、である。
このように一人前のPBになるのは、他の職業と同じように厳しい道なのである。
そして義和と由紀子の二人もその力が覚醒し、ある日ひょんなきっかけで同じ高校に通っていた義和が妖魔を倒すのに使う真剣を、由紀子が妖魔を封印して宝石状の石に変えてしまう魔鏡を持っていたことがわかり、いつの間にか二人で組むようになっていたのだ。そして高校を卒業してからも二人が組んで妖魔退治を続け、こうして夫婦になった今でも二人で続けているのである。
そしてそんな二人もいつの間にかもう三十路を超え、40になろうとしていたのだった。
PBにも全国的組織である協会が存在しており、そこに登録すれば、本人が死亡したり、と言った協会が特に認めたもの以外はその資格は一生通用するのだが、実際には義和たちのように30代後半になってもPBを続けているのは少なく――勿論中には50代、60代でもPBをしているのもいるが――大抵は30代半ばで引退し、(家族であるかどうかは関係なく)後進に道を譲るのが普通なのである。
ただ、不思議なことにこのPBになるための能力は、どちらかの親がPBとしての能力を覚醒していれば半分以上の確率で、両親ともその能力が覚醒していれば90%以上、あるいは100%の確率で子供もPBとしての能力を持つ、と言われている。実際、義和は祖父の代からそういったPBの能力を持っていた、と言うし、由紀子の方も、そういった能力を持っていた祖先がいたらしい。
それに、実際に先祖代々受け継いでPBを続けている、と言う人物も多いのだ。
勿論親がPBであり、自分のその力に覚醒しているからと言って親の仕事を引き継ぐがどうかはその子の自由であるが、ほとんどの子供は親の後を引き継いでいると言う。
そういうことから言ってこの二人が自分の子供たちの将来を考えている、としても不思議ではないのである。
*
「…でも、本当に美由は大丈夫かしら? あの子、あれで意外とおっとりとしているところがあるから…」
「…確かにそうかもしれないが、あの子は思ったことは最後までやり遂げる子だからな。…とりあえず暫くは様子を見てみるか」
「…それがいいわね」
*
そして暫く経つと義和と由紀子の仕事をしているところに美由の姿を見るようになった。
それから間もなく「和也がひとりになってしまうから」と息子の世話をするために由紀子が一足先に現場を離れて(勿論彼女が持っている鏡を美由に引き継がせた)、美由は義和の下で修行を積んでいった。
*
そして2006年・春。
受験勉強の合間に父親の元で修行、と忙しい日々を送っていた美由だが、何とか志望校に合格することができ、高校の入学式を控えたある日の事。
リビングルームに美由と両親が向かい合って座っている。
「…それでお父さん、お母さん。話ってなに?」
3月生まれゆえ、先日15歳になったばかりの美由はまだ幼さをどことなく残してはいるが、その顔つきはすっかり大人になっていた。
「…あ、いや、その…、大事な話なんだ」
義和がそう切り出した。
「…大事な話、ってもしかして…」
美由も父親がこれから自分に話す内容にうすうす感づいているか、緊張した面持ちだった。
「…おまえもそう思っていたか。いや、おまえももう高校生だし、…どうだ、そろそろ独り立ちしてみないか? 実はお父さんも40過ぎてるから、そろそろ引退を考えているんだ。協会への登録変更届とかはお父さんの方でしておくから」
「…独り立ち、って…。まだあたしそんなレベルじゃ…」
「いや、お前はもう十分一人でやっていけるレベルだと思うし、おまえを3年間、お父さんの下でやらせてみて、おまえは物凄い力を持っているらしいことがわかった。もしかしたらお父さんの事を超えることが出来るかもしれないな」
「…そんな。あたしがお父さんを超える、なんて何年掛かっても出来ないわよ」
「いや、おまえならきっとお父さんを超えることが出来るさ」
「…それにね、美由。将来、あなたに和也の先生になって欲しいのよ」
「和也の?」
「そう。まだ和也は覚醒していないけど、あの子も最近、自分がそういった力を持っていることがわかってきたらしいのよ。だから、もし和也がそういった力に覚醒した時は、あなたに先生になって欲しいのよ」
「…お母さんの言うとおりだ。お父さんだってお前くらいの年の時に父親――つまりお前のお祖父さんだな――から独り立ちしたし、おまえだっていつかは一人でやっていかなければいけないんだ。どうだ? お前もそろそろ一人でやってみないか?」
美由は何も言わずに暫く考えていた。やがて、
「…わかったわ、お父さん。やってみる!」
「…そうか、やってくれるか」
「…あたしなんかまだまだお父さんのレベルなんかじゃないけど、いつかはひとりでやらなければいけないんだもんね。やってみるわ」
「…よし、わかった。今からお前にこれを渡そう」
そういうと義和は一振りの剣を差し出した。
その剣は美由も見覚えのあるものだった。なぜなら、いつも父親が持っていたものだから。
「お父さんが父親から受け継いで使っていた神剣だ。今日からはお前がこれを使うんだ」
美由は剣をじっと見る。
見た限りでは確かに年期が入っており、所々傷みや補修した跡が入っている。しかし、鞘から少し出してみた刀身は新品同様の輝きを保っていた。
「…お父さんやお祖父ちゃんが使っていた剣を、あたしがうまく使えるかしら…?」
「だいじょうぶだ。お前ならうまく使える」
「…それとね、美由。もう判ってると思うけど、お母さんが美由に渡した鏡は、妖魔を封印するためにとても大事な道具なのよ。だからその剣もそうだけど、あなたを守る大事な道具だから大切に扱うのよ」
「…わかってるわよ」
*
そして2007年・春のある日の夜。
あたりは誰もいなく、ただ、数台しか車が停まっていない駐車場をライトが煌々と照らしていた。
そこへ一人の片手に剣を持った少女が息を切らせながら走ってきた。
「…確かこのあたりに来た、と思ったんだけど…」
少女――瀬川美由は辺りを見回す。
既に夜が遅いと言うことと、ここは郊外だからと言うこともあってか人通りも少なく、辺りは静かである。
それでもここに逃げてきたはずだ。
美由は息を殺してあたりの様子を伺う。
不意に美由は気配を感じた。
そして辺りを見回す。…と。ある一点で視線が止まった。
車の陰で何か動いたように思えたのだ。
「…そこっ!」
美由は叫ぶとその車に向かって走っていった。
すると、車の陰から突然怪物が飛び出してきた。
しかし美由は剣を両手で持つと怪物に向かって右下から左上になぎ払った。
怪物が断末魔の悲鳴を上げる。
美由は胸に下げてある鏡を取り出し、怪物に向けると怪物が鏡の中に吸い上げられる。
美由が鏡を振るとカラカラとなにやら音がした。
「…一丁挙がり、と」
そして美由は剣を鞘の中にしまうと、ポケットから携帯電話を取り出し、ダイヤルボタンを押す。
「…もしもし。あ? お母さん? …うん。今、終わったわ。じゃあ今から帰るから。うん。じゃあね」
そして美由は電話を切ると駐車場を後にした。
父親である義和からこの仕事を任されてはや1年。まだまだ父親のレベルには遠いし、今まで父親がやっていた事を今度は自分がやらなければいけないから、確かに大変な事は大変なのだが、ようやくこの仕事にも慣れてきた。そして自分がどういう立場で、どういうことをなすべきかも…。
とは言え美由だって家に帰れば普通の女の子。色々とやりたい事だって一杯あるし、高校生として勉強もしなければならない。
でも、決して辛い、とか大変だ、とかは言いたくなかった。
なぜならばPBと言う仕事は自分に与えられた使命なのだから。
(第2話に続く)
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