第30話 戦いで得た物と失った物
刃物と刃物のぶつかり合う音が、波の音と共に響く。そこにいたのは、7人の犬士と深手を負った単節さん。皆が戦っている中に、私と信乃は到達する。
「現八…小文吾…。荘助や毛野も…!!」
彼らの元へたどり着いた私は、信乃と合わせて8人の犬士が集結していた事に気が付く。
そして、彼らは皆、妙椿が放った刺客と戦っていた。すると、私や信乃の存在に気が付いたのか――――――忍び刀を握っていた単節さんは、その場に倒れる。
「単節さん!!!」
そんな彼女に気が付いた私は、急いで彼女の元へと駆け出す。
地面に倒れた単節さんを抱き起こした私は、必死に彼女の身体をゆらす。
「姫様…。ご無事だったのですね…」
「私は大丈夫です…。だって、犬士達が来てくれたから…!」
まだ普通に話す元気はあったようだが、その声が少し弱っている事に気が付く狭子。
「狭子!!!」
「えっ!?」
すると、自分の前方で戦っていた現八が、私に向かって叫ぶ。
その深刻そうな表情から、自分の背後に何かがいる事を唐突に理解する。
「きゃっ!!?」
着物の衿の部分をわしづかみにされて自分の身体が一瞬だけ浮いたかと思うと、私は地面の上に投げ出されていた。
「!!貴様は…!!」
敵と戦いながら、毛野が驚いた表情をしている。
私に背を向けて立っていた男性は…漆黒の小袖に身を包み、こげ茶色の髪を持つ鬼――――――――牙静であった。
「…里見の姫を連れて行かない代わりに、この女子にとどめを刺しに参りました」
相変わらず淡々とした口調かと思いきや、その話しぶりに苛立ちの色が少し感じられる。
その鬼の視線は、地面に横たわっている単節さんに向けられる。
『…西洋の鬼の血を半分引く蒼血鬼が、我々と敵対している…という事もございますが』
この時、私の脳裏に荒芽山で話してくれた音音さんの台詞が蘇る。同時に、彼女が言っていた言葉が本当にそのままである事を、私は目の前で起きている事から唐突に理解したのである。
「やめてっ…!!!!」
私の叫びが、周囲に響く。
犬士達は、それぞれ妙椿が放った刺客との死闘を繰り広げている。単節さんの側にいたのは自分だけで、何かができるわけでもない。身体が思うように動かせない事への苛立ちはすでに通り越していた。
そして、敵の拳が単節さんへ接触しようとしたその時だった。
「やめろ…っ!!!」
少し高めの叫び声が、敵の背中越しに聞こえる。
「親兵衛!!?」
何が起きたのかと私が目を凝らして見つめると…牙静の拳を、親兵衛が持つ小太刀の鞘で受け止めていた。
「それは…!!!」
鞘に刻まれている紋章を見た牙静は、目を丸くして驚いていた。
それは、牡丹花の紋章――――――悪しき者を押さえつける霊力があるという紋章が鞘に刻まれているからである。
「…邪魔です」
「っ…!!?」
苦しそうな表情をした牙静は、それを振り払うかのように、親兵衛の利き腕に攻撃を加える。
物凄い激痛を感じたのか、顔をしかめた親兵衛は、その勢いで右手から鞘を落としてしまう。鞘を落としてしまうほどの激痛を受けた親兵衛は、拳の開かない左手で右腕を抑える。しかし、敵は休む暇を彼に与えてはくれなかった。
「危…なっ…!」
鬼は親兵衛の顔面目がけて、手刀を振りかざしていた。
1秒も満たない一瞬の出来事だったために避けきれなかった彼は、利き腕でない左腕でそれを止める。その左腕は顔面ギリギリの高さであり、そのまま直撃すれば、大惨事になっていたかもしれない―――――危機一髪の状態であった。
「くっ…!!」
敵の攻撃を何とか押し返そうとするが、だんだん押し負けそうになる親兵衛。
「…元服を済ましていない童を手にかけるのは、心苦しいですが…邪魔する以上は、死んで戴きましょう…!!」
気が引けているような物言いだが、その言葉に誠意は感じられない。
業を煮やした牙静が、次なる一撃を加えて終わらせようとしていたその瞬間だった。
すると、親兵衛の閉じられた拳から、蒼い光が放たれる。
最初は小さな輝きだったが、それは彼が腕に込めている力に比例するかのように、より一層輝き始める。
「っ…!!?」
その蒼き光に怯んだ牙静は、攻撃を止めて2・3歩後ろに遠ざかる。
「!!玉が…!!?」
何が起こっているのか把握できていない私だったが、近くにいた信乃が懐に入れていた“孝”の字が出る玉を取り出していた。
その玉は、何かに共鳴するかのように光っていたのである。
また、その現象は他の六犬士達も同様であった。
これって…もしかして…?
普通だったらありえないであろう光景を目の当たりにしつつ、私はこの展開が何を示しているのか何となく想像ができた。
その後、蒼き光はだんだん小さくなって消えていく。一方で、親兵衛は何かに感づいたのか、恐る恐る自分の左腕を見つめる。
「あっ…!!」
私が声を張り上げている一方…己の左腕を見つめながら、親兵衛は左の拳をゆっくりと開く。
ゆっくりと開かれたその拳の中には、犬士の証――――――――――文字の浮き出る水晶玉が握られていた。最初は蒼い光を放っていた“それ”は、小さくなっていくと同時に、「仁」の文字を映し出す。
「これ…は…!?」
生まれてから一度も開かなかった拳が開いた…それだけでも驚くべき事なのに、彼はそれ以上に玉を握りしめていた事に困惑し、身体を硬直させる。
「…どうやら、犬士が8人揃ったようですね」
冷静な口調だが、顔は少しだけしかめっ面をした牙静が身構えていた。
それはおそらく、親兵衛の左手に限らず、犬士が持つ全部の玉が蒼い光を放っていたからであろう。邪を絶つその清き光は、人ではない“鬼”にとっては苦痛以外の何者でもない。
「どうやら、今は分が悪いようですね。…失礼」
苦い表情をしながらそう述べた牙静は、海の海水に溶け込むかのように消えた。
茫然と立ち尽くす親兵衛を含む犬士達。そして、地面に私が座り込んでいる中、私達の背後では、片割れの危機を感じ取ったのか…双子の姉・曳手さんと、丶大法師が駆けつけていたのである。
「僕が…伏姫様によって生み出された、里見の八犬士の一人…」
駆けつけた法師様からその事実を告げられた親兵衛は、自分の掌の中にある「仁」の玉を見つめる。
「…左様。そなたが赤子の時に蹴られてできた痣。そして、その“仁”の字が浮き出る玉が何よりの証だ」
穏やかな口調で語る法師様を見つめた親兵衛は、左手で玉を強く握りしめる。
それは、生まれてから一度も開かなかった左手の感触を確かめているように見られる。
「やっと…これでやっと、犬士が揃った…!」
沖の方を見つめながら、法師様は感慨深そうな口調でその言葉を口にする。
法師様にとっては、長年の目標が達成された瞬間であったからだ。
しかし、彼の表情はすぐに曇り始める。何とも言えない気分になりながら…
「しかし…そのためにできてしまった犠牲は、決して小さき物ではない…」
そう口にしながら、法師様は鬼の忍を取り囲んでいる犬士達を見据えた。
「姉…様…」
姉である曳手さんの腕の中で、虫の息をしている単節さん。
黒い瞳から涙がとめどなく流れる私とは違い、深刻な表情で妹を見つめる曳手さん。蒼血鬼の血による毒の事は知らなくても、「もう助からない」…それをわかっているような表情を見せる七犬士達。
「若…」
「…なんだ」
単節の瞳は、自分の主が仕えている若武者――――――道節の方に向く。
そんな彼女の眼差しを、道節は涙をこらえるような表情で見据える。
「この単節…永きに渡る暇を戴く事…お許しください…」
「…ああ。ゆるりと休むがいい」
瞳を潤ませながら、道節は家臣の願いを聞き入れる。
一方で、曳手さんは何も口に出さず…黙ったままだった。
「単節さん…。私…私…!!」
泣きじゃくる私の脳裏には、私を庇って傷を負った少し前の光景が浮かんでいた。
私さえいなければ、こんな深手を負う事はなかったのに…!!
内心で後悔をしながら、単節さんを見つめる狭子。
「…泣いて……おられるのですか?姫…」
虫の息だった単節さんの蒼い瞳が、私に向けられる。
「我ら鬼の忍も…人の子と同様、闇に消えゆくのが運命…。そんな私などのために、姫が涙を流してくださるとは…。身に余る…光栄…です」
「単節…」
曳手さんは、冷静な口調で妹の名前を呼ぶ。
しかし、口調とは裏腹に、彼女の手は単節さんの手を強く握りしめていた。
「姉様…。わが主…音音様に、感謝の言葉を…伝えて戴けませぬか?」
「…承知」
曳手さんは、低い声でそう呟く。
涙を見せずに冷静な態度を取り続ける彼女を見ていて、余計に胸が苦しく感じた。そして、最期に実の姉の声を聞けた単節さんは―――――――そのまま、眠るように息を引き取ったのである。
「単節さん…!!」
命の灯が一つ消えた―――――――対象が“鬼”という存在であろうとも、一つの命が失われた事に変わりはない。私は、叫びそうな口を押えながら、声を押し殺して泣いていた。
そんな私を信乃が抱きしめ、犬士達や法師様はせつなそうな表情でこの姉妹を見つめていた。
こうして、私は無事に犬士達に助けられ、犬士も8人全員が揃った。しかし、それは一つの命を犠牲にして得られた結末なのであった―――――――――
いかがでしたか。
今回は、今までで一番気まずい終わり方だったかと思います。
この作品は原作と違って、あまり登場人物が死ぬという展開はありませんでした。なので、書いていた側としてもなんだか複雑なかんじです。
さて、この回でこの章は終了となります。
そして、ついに物語は佳境を迎える事に?
次章からは原作で言う”関東大戦”といった所でしょうか。
物語も終盤に近づき、完結までのカウントダウンが開始されたかも…?
戦の風景をどう描くかは、現在試行錯誤中…ですが、頑張って書きたいと思います!
ご意見・ご感想があれば、よろしくお願いします。